止まる事の無い怒号が周囲を巡る。
響き渡る無数の咆哮が空気を揺らす。
「冗談じゃねえ、冗談じゃねえぞ!?」
海境は1階層。帰還用ゴンドラを待っていた彼らが浮かべる顔は、全て絶望。その視線は一点に集中していた。
水晶遺跡の奥から続々と現れ始めた魔物の軍勢。小型、中型、大型…戦気を滾らせ牙を向くそれらに、応戦する第一陣は苦悶の相。
通信機から発せられる警報が示す物、それは。
『緊急、緊急。海境内部より大規模な魔物の侵攻を確認。残存する探査チームは至急、応援に向かってください。第一探査チームの到着まで凌いで!』
魔物の氾濫、
第一次侵攻より以前の、名も無き災害。
「前衛、どれだけ持たせられる!?」
「5分だ、5分持てば良い方だ!」
「魔力が尽きたら交代、絶対に後ろに通すなッ」
彼らとて迷宮を潜り経験を積んだ者達。
だが、侵攻に姿を現わした魔物はそれらを凌駕する怪物も含まれていた。人体よりも遥かに巨大な甲殻類、空中を飛び回る羽を生やした魚類、人間に寄生する得体のしれない貝類。銃弾を容易に弾く大楯は紙のように切断される、業物であった筈の迷宮産武具は罅割れる。
探査チームは、徐々に、確実に押されていた。
「レン、そっちは無事か!」
「何とか、なあッ!」
その中に、レン・カイフェンもあった。
自身の得物を振り回し、魚人の首を刎ね飛ばす。
10、20、いや、もっと多く。休む間も与えず増え続ける魔物を前に、彼は果敢に立ち向かう。
「前衛交代、弾幕を張れッ」
『了解!』
複数の属性、火、水、風、それぞれの魔術が爆撃の如く飛び交う。それでも散せるのは精々が中型。棍棒を振る巨人の一撃で回避が遅れた戦士が何人も逝った。
命が軽い、理解していても先程まで生きていた知人、友人の死に誰もが少なからず慄く。
「第一はまだか!」
「駄目だ、ゴンドラの制御が、効かねえ!」
「なんだと!?」
後ろの声に舌打ちをして、レンは尚を戦い続ける。
孤軍奮闘。何の影響かは定かではないが、援軍の目は薄い。この場所から前線基地は例え天才集団であろうと簡単には移動出来ないだろう、と。
「クソッ、クソッ、クソッ!」
「馬鹿、隙を増やすなッ」
「うるせぇ、まだ死にたくね───ぐぎゃ」
「もうダメ、お終いよ…逃げなきゃ!」
隊列が崩れていく。
恐怖に支配され、背中を向ける者まで現れ始める。
綻びは大きく、そして膨れ上がる。死を覚悟して尚、死にたい者なんて居ない。
このままでは、間違いなく全滅。
そう考えたレン・カイフェン…瞬間、彼は見誤った。
「レン、あぶねえッ!!」
「は───」
たった一瞬、思考が別に向いた僅かな隙をついて、何者かが自分の眼前に迫り。
「───ッ!!」
斜め一閃に切り裂いた。
勢いよく後ろに飛び避けようとした、しかし間に合わない。激痛と飛沫を知覚しながら、彼は自分の異常を理解する。
「あ、あ………あ?」
左目が見えない。右は血と涙で濡れ、吐き出したくなる程の痛みのせいかぼやけている。
「な、にが」
「『
瓢風が全てを巻き込み、レンを拒む。
担がれ、後方に下がらされた視界の先、辛うじて見えた自分を斬った者の姿。三又槍を持ち、冠を被る大男は詰まらなさそうな顔で槍を振るい、周囲を血の海で染めたのだ。
「まずっ」
同じチームの男も、逝った。
それでも大男は止まらない。目で追えない速度で戦場を駆け抜け、一人、また一人と探査チームを始末していく。
「何だよ、あれ」
分かる、分かってしまった。
アレは到底自分達が勝てる相手ではない。
恐怖したのだ。ただの一手で、その存在に。
階層を護るボスとは一線を画す、生物と呼ぶにはあまりにも強大なモノに。
「勝てる訳、ねえ。あんな化物に、勝てっこねえ」
目の前には未だ数を増やし続ける魔獣の群れ。
此方の残存勢力は、精々が40人程度。既に戦意は喪失し、泣き喚く事しか出来ない。
三叉槍の切っ先が向けられる。
それを火種に、魔獣は咆哮を上げて襲い掛かる。
死んだ。
最期を理解する。
「やら、せるかぁぁぁぁぁぁぁっ」
レンの耳にその声が聞こえたのは、目を瞑ろうとしたと同時。自分の目の前が炎に包まれる。爆炎、耳を劈く轟音が響き渡った。
「な、」
男がいた。否、少年が居た。
全身に傷を作り、炎を背負う少年が自分達と魔獣の中間に立ち尽くしていた。彼は周りを見渡して大きく舌打ちをする。
予備探索者。
嘗てレン・カイフェンが凡人と評した黒髪の少年。
「気持ち悪ぃ、魔力篭め過ぎた……」
魔力の過剰放出の影響で、奥歯を噛み締めた少年はそれでも拳を握りしめ魔獣の群れを睨み、走り出す。
待て、止めろ、と口にする暇さえなかった。自分達正規探索者ですら足止めもままならない魔獣…良くて挽肉、悪くて呑まれる、そう思った。そう思っていた筈なのに、少年は迫る全ての攻撃を紙一重で避け、戦っていた。
「動きは知ってんだよ。相手は雑魚モブ、俺の方が強い、俺の方がカッコいい、俺が主人公ッ!だったら殺せるだろうがっ!」
何処にそんな力を隠していたのか。
訓練場で見た姿とは、まるで違う。的確に急所を狙い、すれ違う瞬間に打撃を叩き込み、心臓を抉る。まるで殺戮兵器。動く度に速度が増す、脚から小火を破裂させ、瞬間的に加速しているのだ。
「この、馬鹿、迷宮狂い!勝手に一人で突っ走らないで下さい!」
「まさか、魔術の暴発で自分の身体を海の底に跳ね飛ばすとは…流石は大和人であるな」
「いやぁ、ありゃアイツの頭がイカれてるだけじゃねえかな。アタシ隣国の人間が全員あんな戦闘民族とかやだよ」
「無駄口はそれまで、加勢しよう」
背後から四人の男女の声。
ゆっくりと、レンは首を動かし振り返る。
「生存者アリ。安心して下さい皆さん、昇降機の異常は解決しました。焦らず、数人ずつで退避をお願いします」
「あれ、解決って言うの?聖女さんがぶん殴ったら動き出しただけじゃん」
「機械は叩けば治ると言ってました、あの馬鹿が」
「順調に毒されてる……」
握りこぶしを作った法衣の少女は、腰に掛けた細剣を抜き放ち地面に突き刺す。それを中心に光の膜が広がった。結界、彼女が手にする、固有魔術。
「それでは行きましょう。彼一人に戦わせていては直ぐに死んで………」
「おっせぇんだよ、お前等ッ!!」
「もう少し待ってもいいかもしれません」
「いや、駄目じゃね?」
龍華最強と法衣の少女。
「シルヴァリオ、競争なのである」
「構わない。制限時間は、鷹が落ちるまででどうだ」
「俺をタイマー替わりにしないでくれねえかな!?」
タンクトップの巨漢と白銀の騎士。
「フゥ───死ぬかと思った。アイツヤバいわ、雑魚相手しながら戦うモンじゃねえ」
そして大きく後ろに飛び退いた傷だらけの、少年。
その口調は酷く軽い。
だが、レンには僅かに顔が見えた、それは剝き出しの敵意と殺意を凝縮したモノであり、
「散々仲間を殺ってくれやがったんだ。なら俺達はお前を殺すぞ、クソ野郎」
「貯蓄していた魔力は、後どれ程残っていますか」
「半分、だけどまだ死んでねえ、だったらやれる」
「貴方はまたっ」
「コイツ等の死を無駄になんかしてたまるか」
後悔するような声色で言う。
「アンネ、強化魔術全部回せ。俺がアイツを止める」
「……分かりました」
「では、私達は先んじて周りを片付けよう」
「了解了解、手が空いたら“射手”の方に回る感じだな」
「筋肉が滾るのであるな」
懐から数本の液剤を口の中に流し込み、炎を宿す。
「構えろよ王様気取り、テメェの墓標は此処で良い。その首諸共───」
再び、走り出した。
「置いていけ」
もう、その姿を凡人などとは思えなかった。
☆
嫌な、夢を見た。
ベッドから体を起こしたレンは、酒瓶を呷る顔を歪める。
今も何度も夢に見る、地獄の景色。自分が探索者を辞めて、こんな道に走ってしまった元凶の景色。
顔の傷は治癒により幾分かマシになったが、片目の視力を大きく失い、
龍華国は弱者に冷酷だ。戦えない者に価値は無く、ただ奪われるだけの人生に成り下がろうとした自分は、外道の手を取った。
別に、後悔はない。
戦えもしない餓鬼を攫い、売り捌けば大金が手に入る。高い酒を飲み、好みの女を抱き、楽な生活を送る。
後悔はない、筈なのにどうしてか腹の底がムカムカする。
だからレン・カイフェンは得物を振り続けた。それら全てを払う為か、はたまた別の何かの影響か。
『なあ、一人くらい遊んでも良いんじゃねえか?』
『トップも一人なら見逃してくれるだろうし』
『レンさんが起きて来る前に済ませるぞ』
扉の向こうから、そんな声が聞こえた。
蛇腹剣の柄を握り外に出る。
其処は攫われた子供が収容されている部屋であり、目に映った物は檻に入り込んだ部下がその内の一人に手を出そうとする姿。
「や、やめてっ!」
「うるせぇ、全部力がない自分を恨めよ」
気色の悪い笑い声を出しながら服を剥ごうとする連中に、反射的に声を荒げる。
「おい、詰まらねえ事してんじゃねえ。殺すぞ」
「ゲッ、レンさん!?」
自分だって同じ穴の狢。人でなしだと自覚していても、どうしてかレンは先程の夢を思い出し、口を出してしまった。
「商品に手を出すな、少しでも価値が下がれば俺はテメェらを殺す。理解したか?」
「う、うっす」
「……分かりました」
歯を噛み、鼠のように部屋を出ていく部下達を尻目に、レンはソファに座り込む。
「夢、夢か……クソッ」
上等なテーブルを蹴り上げれば、檻の方から悲鳴。
そんな物に一切見向きもせず彼の脳裏に浮かぶのは、嘗ての少年の姿。傷つく事を恐れず、何度手足を捥がれそうになろうとも戦い続け、三叉槍の大男を打ち倒した男。
今ならば言えよう、あの日、あの視界の中、恐怖に怯えた自分は確かにあの毛嫌いしていた予備探索者に憧れた。
あの災害から半年後に海境の踏破が発表され、第一探査チームは大きく躍進しただろう。それなのに、ヤマトで名を上げる者達の中にあの少年の姿は無かった。どれだけ調べようと影すら追えない。
「最後まで、名前を聞けなかったな」
言って、直ぐにレン・カイフェンは首を振る。
きっとこれは、言ってもどうしようもないただの戯言だと。
「俺の墓標は既に決まってる」
悪に落ちたのなら、何時か自分は裁きが下るだろう。
自分の死に場所は、こんな外道に落ちた時から既に決まっていた。俺は自分の終着点を理解している。
そう、だから、
「初めまして、レン・カイフェン」
彼は、死神に行き会った。