今日も今日とてリュミエールには客が居ない。
時刻は夕暮れ、17時を回り窓の外には足早に家路を急ぐ若者の姿が見える。店仕舞いでもしようか、何て考えて椅子から立ち上がる。
「こんばんは。おに……店長さん。まだお店はやってるかしら」
「あれ、葵ちゃんだ。いらっしゃい」
急いできたのか僅かに息を荒げて扉を開いた少女に、少し驚きつつ話しかける。
少し釣り目で、青みがかった黒髪の彼女は群青葵。
迷宮都市ヤマトではメインヒロインの一人に数えられ、その暗い過去と魔物への復讐心、主人公問わず一線を引いたように冷たい言葉を浴びせる事からファン(殆ど俺)の間では「魔物ぶっ殺狂戦士」と呼ばれていた。
後に語る事になるだろう、《喪失のバースデー》と言うプレイヤー憤慨物の激鬱前日譚イベントのせいである。
そんな彼女だが、今は主人公の優君や他のヒロインと共に迷宮を潜るパーティのメンバーだ。学園終わりに訪れる際は殆ど必ずと言っていい程優君と来るのだが。
「優君は一緒じゃないんだ」
「ええ、無理を言って一人で来させて貰ったから。それで店長さん、今日は他の人は」
「影縫さんもミカも出払ってるよ。多分迷宮でも潜ってるんじゃないか?」
「そう、それは安心したわ」
今はいない住み込み店員の名前を口にすると、葵ちゃんはホッとした表情を見せて俺に歩み寄る。気持ち顔が赤く、いや気持ちどころではなく赤くして葵ちゃんは突然俺の腹にタックルばりの威力で突っ込んでくる。
「聞いてよお兄ちゃん!優のヤツ、また勝手に修行とか言って一人で迷宮に潜りに行くんだよ。葵の言う事全然聞いてくれない!何度も止めるように言ってるのに師匠なら絶対こうするって言って聞かないんだから!お兄ちゃんからも止めてよ!」
「あー、うん。そうだね」
「葵が言っても、傷だらけの泣きそうな顔で謝って来るだけだし、泣きたいのはこっちの方なの!確かに言い方がキツイ所もあるけどさ、葵は心配なんだよ。駆け出しなんだからお兄ちゃんみたいに出来る訳ないじゃん!」
「そうだね、葵ちゃんは間違ってないよ」
「回復薬だって一杯買ってお金無くすし、絶対ご飯もお兄ちゃんの所で食べて帰ってるでしょ。葵だってそうしたい!」
「いやぁ、それに関しては俺も困ってると言うか」
「じゃあもっとビシッと叱ってよ!!優ばっかり甘やかし過ぎだよ!アリスだって時々泊りに来るんでしょ!?もっと葵も甘やかしてよ!!」
「ハハハハ……」
これである。
こ れ で あ る 。
言い返す暇さえ与えない言葉の暴流。
流石は水系統魔術適性Sの天才、愚痴すら一息に津波のように押し流すとは恐ろしきかな天災児。
さて、お気付きだろうか。
俺はさっき誰に対しても一線引いて冷たい態度を取る狂戦士と言ったな。
それがどうしてこんな事になってしまったのか。
全ては自分のせいなのである。
若かりし頃……何の因果か俺は群青葵の激鬱前日譚をぶち壊してしまったのだ。そりゃあもう盛大に。
今でもその選択に後悔はしていないが、その影響でまさかキャラの精神状態が変わってしまうとは予想外。彼女は、今ではただの少し大人びた幼児退行系美少女になってしまった。
「どこ見てるの、私の話もちゃんと聞いてよ!」
「勿論、ちゃんと聞いてるって」
そもそも、彼女は他人と深く接する事を拒んでいただけでストーリーの進行によっては冷静な突っ込み役、と言うか苦労人ポジションに収まっていた。
そんな葵ちゃんが順当に優君達と交流して、パーティを組めばどうなるか。
「葵ちゃんは大変だなぁ」
「他人事!!」
まあ、こうなるよね。
パーティ資金の管理から、迷宮の情報集め、果ては優君の金銭事情まで、考えれば考える程疲れが溜まると言う物。だから彼女は定期的に店に来ては、こうやって憂さ晴らしと言うか、愚痴を零しまくる。
ヒロインの甘えられる存在になれて嬉しいですね?そんな訳はない、彼女の精神疲労の何割かは俺が原因の事が多いんだ。良心が痛みまくる。
「確かにソロで潜るのは危険だし、俺からもきつく言っておくから。取り敢えず座って珈琲でも飲まない?」
「絶対だよ、約束だからね!?」
ここがゲームの中なら優君は主人公補正で死ぬ事はない、いや死んでも迷宮前に戻るだけだ。確かに俺も時々ゲーム脳になる事はあれど、この世界は現実だ。一瞬の迷い、行動のミスで命を落とす事なんてザラにある。
そんなのは何度も見て来た、だからこそ先達として注意はしなければならないだろう。
「そうだ、サービスするよ。甘い物でも食べた方が良い、何かリクエストはある?」
「…………ホットケーキ」
「よし来た、任せろ」
今はただ、葵ちゃんの精神ケアとご機嫌取りに全力を尽くそう。下手に否定的な事を言っても愚痴が加速する。
葵ちゃんをカウンターに座らせ、俺は厨房に入る。
卵、グラニュー糖、薄力粉……後は牛乳。
ベーキングパウダー残ってたかな。
「最近調子はどう?少し前に6層で迷ったって話は聞いたけど」
「今は10層を抜けて、湿地エリアに入った。あと、パーティも一人加入して安定してきた」
「へえ、どんな子が入ったんだ」
「銀月雛ちゃんって、静かな子だよ。短剣が得意で、前衛も中衛も熟せる」
「短剣、盗賊(シーフ)タイプか」
銀月雛ね、着実にヒロインを加入させてるようで安心する。確か旧都の出身で学園長にヘッドハンティングされて入学したんだったか。中盤で厄介な連中とイベント起こす子だ。
「小っちゃくてお人形さんみたいで可愛い。ミカちゃんと似てるかも」
「ミカには絶対に言うんじゃないぞ、それ禁句だから」
「そうなの?」
アイツもアイツで似たような境遇だが、言えば確実に酷い事になる。それはもうリュミエールが全壊してもおかしくないレベルで。
種を流し込み、フライパンを中火で掛けながら、俺はそうなった場合を想像して身震いする。
「葵ちゃん、アイス乗っける?」
「乗っける!」
「分かった」
ソースはベリーで良いか、チョコスプは無いから砕いたナッツで代用。
「フンフンフン」
「楽しそうだな、見てても面白いもんじゃないと思うけど」
「楽しい」
思えば、葵ちゃんとも長い付き合いだ。
俺が探索者(ダイバー)をしてた頃、確か葵ちゃんは10歳位だったか。お兄ちゃんと呼ばれてるせいもあって、どうにも妹と接するような気持ちになる。前世も今世も妹はいなかったからなぁ。
三枚重ね、仕上げにミントを乗せれば完成。
「ほら、出来た。アイスが溶けない内に食べてくれ」
「やったー!!」
満面の笑みで葵ちゃんはナイフを操り切り分ける。口調は幼稚園児か小学生のそれなのに、動きが洗練され過ぎててちょっと面白い。
「葵ちゃんはホットケーキ好きだよな、来ればいっつも頼んでるし」
「好きだよ、だって」
シン、と手を止めて彼女が俺に視線を向けた。
「これは、私の一番の思い出だもん」
「……そうだったな」
嬉しそうな、過去を思い出してるかのような表情。
その顔を見てると少しだけむず痒くなってしまう。
「瑠璃ちゃん達も偶に顔を出すけど、順風満帆そうじゃないか」
「うん、瑠璃姉もSTARsが天職みたい」
喪失のバースデー。それは、ある探索者パーティが迷宮で朽ち果て、誕生日の幼い少女に身内の死と迷宮への復讐の呪いを植え付けた最悪の前日譚。
俺が初めて自分の意思でシナリオを崩壊させた惨劇の先。本来なら死ぬ筈だった命は今、新都の治安を護る為に戦っている。
「お兄ちゃん、あれ聞かせてよ。迷宮武勇伝」
少ししんみりした空気を換えるように、葵ちゃんはそう言う。
「おっと、良いのか。始まったら長くなるぞ」
「うん、聞きたい」
「そうだな。それじゃあ」
「師匠ぉぉぉぉぉ!お腹空いたぁぁぁぁぁ!」
折角のお客さんからのリクエストだ。何を話そうかと、沈黙したと同時。
店のドアを叩き壊す勢いで、無駄飯喰らいが姿を現わした。
「「……………」」
「あれ、どうしたの師匠。あ、葵……」
「優、貴方はまた店長さんに迷惑を掛けるつもり?」
あまりにも流れるような表情二段変化。
つい数秒前まで見せていた緩まり甘えたような顔は、既に般若のような恐ろしい物に変貌している。
幻惑耐性を持つ俺でも一瞬、背中に鬼神が見えた程だ。
「そこに正座しなさい、説教するから」
「え、あ、え、あの」
「早く」
「あ、うん」
剣幕に押された我らが主人公は、憐れ小動物のように震えながら地面にフローリングされた床に正座を始めた。
俺に迷惑、と言うなら説教は後回しにして欲しいのだが、そこら辺は葵ちゃんも抜けてるようだ。
「貴方は何時も何時もどうして」
「ごめんなさい、反省してます……」
「ならもう少し行動に移す事を覚えて」
「はい、すみません」
「まあ、こう言うのも新鮮だから良いけどさ」
ゲームでは見る事の出来ないイベントスチルのような物か。助けを求める優君の視線に、サムズアップを返しニコニコと主人公とヒロインの掛け合いを眺めた。
「反省の色が見えないわ、一時間延長」
「なんでぇ」
「いや、流石にそれは勘弁してくれ」
俺も顔を青くした。
サービス残業断固反対。