※二次成分マシマシという事でお願いします。
永禄十五年(1572年) 十月
なぜこうなった。どうしてこんな事になったのだ。
大して広くも無い部屋の中、幕臣たちが一様に俯いて座っている。皆一言も発さない。
朽木の兵は室町第を攻めた後、我ら全員を捕らえ狭い屋敷に閉じ込めた。
今も部屋の周囲は朽木の兵が固めている。戸は閉め切られ、外がどうなっているのか知る事も出来ない。
朽木は予を将軍候補として担いだはずだ。予を将軍の座に付ける。それを大義名分として義助と、三好と戦った。予を主君として認めたはずなのだ。
なのにこの現状は何だ。どう考えても主君に対する仕打ちではない。これではまるで……まるで罪人のような……
「皆様方にお聞きしたい事があります」
部屋を包む重い空気の中、
「此度の朽木の対応はいささか急すぎます。つい最近まで朽木は幕府を支える姿勢を示しておりました。幕府が朝廷から要請されていた禁裏修理を代行し、阿波の義助様との和平を纏め、義昭様への将軍宣下を進めていた。朽木は幕府の味方だったのです」
伊予守が周りを見回す。思わず拳を握りしめた。
味方だと?あれが味方であるものか!朽木は予の全てを否定した。予が指名した政所執事を解任し、予が出した裁定を全て白紙に戻し、幕府を横目に近衛へ兵を預け朝廷を守らせた。あの男は予など必要無いと無言の態度で示したのだ。幕府を、足利を蔑ろにした。許す事は出来ぬ!
「つい昨日まで味方であった朽木が、突然我らに牙をむく。明らかに不可解な事です。彼らの態度を変え、室町第へ兵を向けるよう踏み切らせた何かがあったはず。……どなたか心当たりはありませぬか」
朽木が兵を差し向けた理由など分かり切った事ではないか。大膳太夫の増長が頂点に達した。もはや形を取り繕う事すらしなくなったのだ。あの男は室町幕府を倒し、自らが武家の頂点となるつもりだ。元は八千石の国人領主でしかないくせに、成り上がりの増長者が!
……心の片隅で、別の自分が囁く。本当は分かっているはずだ。諸大名へ朽木を討てと密書を出した。大膳太夫は密書の存在を知ったのだ。だから予を討とうとした。自らが討たれる前に……
「……先日、一部の幕臣が諸大名へ密書を出しました。朽木を討て、と」
「兵部大輔!」
「兄上、もはや事を隠す段階ではありませぬ。ここまで動いたとなれば、朽木は既に明確な証拠を掴んでおりましょう」
大和守の顔が強張った。何かを言い返そうとするが、兵部大輔に睨まれ顔を逸らす。
「兵部大輔殿、先ほど一部の者と仰られたが……」
「某は兄から話を聞きました。左近大夫将監殿はご存知ありませんでしたか?」
「……いや、知らなかった」
左近大夫将監が口惜し気に顔をしかめた。
「朽木は密書の存在を知った。幕府が諸大名を使い、朽木を討つつもりだと知った。だから討たれる前に兵を差し向けた。……そういう事ですな」
伊予守が溜息を吐いた。皆俯いている。
「将軍宣下を前にして、何度も助けられた朽木を討てと言う。諸大名も驚いたでしょうな。……なぜそんな事をしたのです、中務大輔殿」
「わ、私は義昭様の命で……」
頭にかっと血が上った。この男は、この期に及んで!
思わず怒鳴り散らしそうになったが、その前に大和守が叫んでくれた。
「貴様!よりにもよって義昭様に罪を擦り付けるか!」
「わ、私は、私は……」
中務大輔がおろおろと辺りを見回すが、誰も助け船を出そうとしない。当然だ、この男は他人を売る事で自分の無実を主張しようとしたのだ。そんな下衆が他人に助けてもらえるわけがない。
「知っていたのですか?兵部大輔殿」
「……いえ、かまを掛けました。中務大輔殿は政所執事を大膳太夫様に奪われた。恨みを持っているのではないかと思ったのです」
兵部大輔が中務大輔を睨む。この男はよく周囲の顔色を窺っていた。そこで中務大輔の様子がおかしい事に気付いたのだろう。朽木に強い恨みを持つのであればまず裏切るまいと密書の件に関わらせたが、失敗であったな。こんなにも愚かな男だったとは……
「密書はどこに送ったのですか」
「……三好、松永、内藤だ。そして
「そうですか。……織田や上杉は朽木と親しい。事の真偽を問い合わせたのかもしれませぬ。だから朽木は密書の存在を知った。そうではありませんか?大和守殿」
大和守が口惜し気に拳を振るわせている。織田、上杉が朽木に知らせたか。その可能性を考えないわけではなかった。しかし朽木を討つには東を反朽木で纏める必要があった。内心では皆朽木の拡大を面白くなく思っているはず、自分だけでは動けずとも幕府の意があれば両者は協力し朽木に対するはずだ。そう思ったのだが……
……本当は分かっていた。足利は、幕府の権威はどうしようもなく地に落ちた。予だけではない、兄
だが、将軍を臨むにつれて兄の気持ちが分かった。足利は武家の頂点に立つ家なのだ。大名を使う事はあっても、決して使われてはならぬ。まして侮蔑の対象になど……足利の権威を貶める者は、絶対に許す事は出来ぬ。そのために代々の将軍は戦ってきた。例えそれが信頼できる家臣、そして親兄弟であっても。
もう一度足利の権威を輝かせる。その為に戦おうとした。だが現実は予を、足利を否定した。……いや、違うな。もはや誤魔化しても仕方がない。足利が現実を否定したのだ。予も、代々の将軍たちも変わりゆく時勢から目を逸らした。だからこんな事になった。否定され、蔑まれ、憐れまれ……惨めにこうして閉じ込められている。もはや我らに現実を動かす事は出来ぬ。それが出来るのは力を持つ者だけだ。その筆頭が朽木大膳太夫、今や日ノ本で最も力を持つ男……
あの男と協力していれば、こんな事にはならなかっただろうか。……いや、あれは幕府を蔑んでいた。予個人だけではない、幕府そのものを否定していたのだ。三好を畿内から追い払った時、攻め寄せた三好から助けられた時、予は実際にあの男を見た。そして理解した。こやつは幕府を必要としておらぬ。今は利用できるから使っているだけだ。やがて時が来れば、幕府そのものを破壊し自らが頂点に立とうとする。そうなる前に、大膳太夫を討たねばならぬ。そう決心したはずだった。
しかし……現実はこのざまか。皆を見回した。誰もが言葉を発する事なく俯いている。もはや取れる手段は無いという事だ。話し合いの余地があるなら、我らを閉じ込めた後こうも無視する事は無い。討てと言った以上は討たれても文句は言えぬ。まして予は未だ将軍ではないのだ。
「失礼します」
考えに耽っていると、唐突に
「わが主より、上野中務少輔殿をお連れしろとの命を受けました。中務少輔殿、御同行願いまする」
「な、なんだお前は。いったい誰だ」
中務少輔が怯えるように問いかける。
「私は朽木家中の者です。中務少輔殿、御同行願いまする」
男は名乗らない。もはや我らには名乗る価値も無いという事か……
「ぶ、無礼な!大膳太夫は何をしている!我らに用があるなら、奴自身がここへ来るべきであろう!我ら幕臣を呼びつけるとは一体何様の……」
言い終わらないうちに、男が横に目を走らせる。戸が勢いよく音を立て、左右に開かれた。
「……」
皆が絶句した。男の左右には、完全武装の兵が一人ずつ立っていた。それぞれ抜き身の刀と槍を構え、こちらに向けている。予に、幕府に武器を向けている……
「我が主からは、抵抗する場合は力づくで連れてこいと言われておりまする。……中務少輔殿、御同行を願えますかな?」
永禄十五年(1572年) 十一月
大膳太夫様の居城にて、なみなみと注いだ澄み酒を味わう。美味い。これほどに美味い酒はいつぶりだろうか。
数日前、ついに大膳太夫様が義昭とその一派を抹殺した。一人ずつ順に呼び出し殺していったようだ。義昭は最後に殺された。少しずつ人が減っていく、さぞや恐ろしい思いを味わっただろう。
自分も呼ばれた時は肝を冷やしたが、幸いにも大膳太夫様は俺の働きを評価して下さった。少し前から八門とかいう連中を通じて朽木に寝返り、幕府の強硬論と楽観論を煽っていたのだが、大膳太夫様はその件に触れ自ら礼を言って下さった。これ以降は朽木の臣として仕える事になる。禄は二千貫、幕臣の頃は千五百貫であったが此度の働きを評価し加増して下さるそうだ。働き次第ではさらなる加増もあるという。いずれは領地を頂けるとの話もある。
これよ。これでこそ武士よ。
誠意をもって仕えればきちんと評価され、受けた恩には忠義をもって報いる。御恩と奉公、それこそが武士の本懐だ。忠義だけを要求し、碌な恩賞も出さぬ幕府など滅びて当然と言うものだ。
俺は故義輝様の頃から幕府に仕え続けてきた。何度も何度も京を追われ、地を這うような屈辱を味わい、それでも幕府に仕えてきたのだ。なのに義昭は俺よりも、最近来たばかりの
うんざりしたわ。俺はあんな小倅に本家面される為に幕府へ仕えてきた訳ではない!大膳太夫様から寝返りの打診があった時、俺は躊躇う事無く飛びついた。幕府への未練など微塵も湧いてこなかった。これ以上アホ共に付き合っていられるか、そんな気持ちで一杯だった。
朽木に寝返ってからは、
おかげで今は美味い酒が飲める。昔から澄み酒を浴びるように飲むのが夢だった。幕府に居た頃は碌な恩賞を貰えなかったからな。宴の席では澄み酒も出てきたが、とても満足できるような量ではなかった。しかし、今はこうして好きなだけ飲むことが出来る。これだけでも朽木に寝返った甲斐があるというものよ。
器に注がれた澄み酒を見る。巷で朽木塗と呼ばれる美しい模様が目に入った。
寝返ると言えば、幕臣たちの中で殺されなかったのは俺だけらしい。幕府の中にも現実を見ている人間はいた。
気になったのは
まあどうでもいいか。もうあんな連中の事など考えたくも無い。明日から俺は朽木の家臣だ。ここから俺の新たな、真の人生が始まるのだ。
気持ちが昂る。身体の芯から高揚感が湧いてくる。拳を交互に空へ突き出すが、溢れる気持ちは一向に収まらない。今すぐ外を駆け回りたい気分だ。惜しいな、今が夜であれば周囲の目を気にする必要も無かったのに!思わず天井越しに見えもしないお天道様を睨みつけてしまった。あちらも急に睨まれて困惑している事だろう。
朽木は働きに報いる家だ。領地を頂ければいずれは兵を率いることが出来るかもしれぬ。一色の本家は朽木に敵対している、もはや先は見えたようなものだ。戦に出て功を上げる、そうすればいずれは俺が一色家を……
おっと、いかんいかん。さすがに先走りすぎたな。いずれにせよ明日から忙しくなる。今日はこの素晴らしい酒を存分に楽しむとしよう!
幕府を離れた嬉しさか、それとも酒の酔いが回ったのか。
湧き上がる高揚感と体の火照りは、陽が落ちても一向に冷める事は無かった。