淡海乃海 短編集   作:もりのち

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時系列:原作六巻


祝いの使者

元亀元年(1573年) 十一月 守山弥兵衛重義(もりやまやへえしげよし)

 

 御倉奉行の者たちが詰める建物へ入ると、辺りは異様な空気に包まれていた。

 皆が顔を見合わせ、ちらちらと奥に続く戸へ視線を送っている。やれやれ、どうやら予想通りか。

 

「平九郎殿」

 

 戸の前に立ち、この建物の主の名前を呼ぶ。

 ……返事が無い。仕方ないな。

 

「失礼しますぞ」

 

 小さく戸を開け、中に入る。後ろの者たちに中の様子を見せぬよう、すっと体を入り込ませ戸を閉めた。

 部屋の中では、荒川平九郎長道(あらかわへいくろうながみち)殿が机を挟んだ向こう側に座っている。腕を組み、目を閉じている様子は何かを耐え忍んでいるようだ。

 

「憤懣やるかたない、といった風情だな」

 

 あまり空気を固くしてもいかぬ。苦笑交じりに話しかけると、平九郎殿が目を開けじろりとこちらを見た。これは相当に怒っておる。随分と嫌な思いをしたらしい。

 

「ふん。……行く前から予想は付いていたがな。相変わらずの阿呆共であったわ」

「これ、まがりなりにも幕府の重臣方であるぞ」

「何が幕府だ。祝いの使者に礼も言えぬ。そんな奴らに払う敬意なぞないわ」

 

 平九郎殿がそっぽを向いた。これは相当ひどい対応をされたようだ。

 

 先月、公方様に子が出来た。男子だ。

 後継ぎとなる嫡男の誕生にあたり朽木家から祝いの使者を出す事になったのだが、その使者に選ばれたのが目の前にいる荒川平九郎長道殿だった。

 祝いの品を選んだのは御屋形様の母君である大方様、御裏方様の小夜様、そして側室の雪乃様。特に小夜様と雪乃様は祝いの品に不足は無いか何度も不安を漏らしておられた。御屋形様を含め我ら一同も内容を確認し、仮に帝に献上しても無礼にはならぬと太鼓判を押したのだが……

 

「文句を言われたのか?」

「文句も何もない。全員が黙っておった。大館伊予守(おおだていよのかみ)殿が促してようやく公方様からお言葉があった。大儀である、とだけな。結局自ら言葉を発したのは伊予守殿だけよ、愚にもつかぬわ」

「それはまた……大変であったな」

 

 顎に手を当て、その場面を想像してみる。

 謁見用の広い部屋、その中央に平九郎殿が座る。左右に控えるのは幕臣たち、そして上座には公方様。

 祝いの言葉と共に平九郎殿が平伏する。しかし何も返答が無い。辺りを包む異様な空気……見かねた伊予守殿が公方様を促す。公方様は大儀であるとだけ話し、後は無言。再び辺りを包む重い空気……

 どう考えても祝いの使者に対する扱いではない。まして大恩ある家への態度では。

 

「某だけではない!あの連中は祝いの品を選んだ大方様、そして御裏方様や雪乃様をも侮辱したのだ!せっかく選んだ祝いの品が喜ばれなかったとあれば、御三方がどれほど悲しみ、不安に思われるか……それをあの連中は!」

 

 平九郎殿が拳で勢いよく机を叩いた。いかんな、おそらく皆聞き耳を立てているはず……声はともかく、今の音は聞こえただろうな。机の上に墨が無くて良かった。

 

「どれだけの手間と銭がかかったと思っている!あれほどの品をただで受け取れる者など天下に数人とおらぬのだぞ!」

「それくらいにしておけ、机が割れてしまうぞ。お気に入りなのだろう?」

 

 平九郎殿が唸りながら拳を下げる。この机は平九郎殿自身が選び、買い求めた物だ。執務を取る時は必ず使っていた。それを拳で叩くとはだいぶ頭に来ておる。

 

「朽木谷に居た時からそうだった。あの連中は物を貰うのが当然だと思っているのだ。物を作るのがどれだけ大変か、銭を稼ぐのがどれだけ難しいか等まるで考えておらぬ。だから何を貰っても感謝の気持ちが無い。乞食よりもたちが悪いわ」

 

 朽木谷か。あの頃は苦しかったな。

 かつて、朽木家は八千石の小領主であった。懐事情は厳しく、とてもではないが贅沢など出来なかった。そんな中、朽木へ将軍家が逃げてきた。数十人の幕臣たちと共に……

 彼らの生活にかかる(つい)えは、当然だが朽木家から出された。相手は将軍とその直臣たちなのだ、間違っても粗末な食事を出す事は出来ぬ。多額の報酬と引き換えに腕の良い料理人が京から呼ばれ、貴重な食材が惜しみなく使われた。大名ですら気軽に味わえぬ、そんな食事が毎日毎日彼らに供された。

 奴らが朽木に居た頃、朽木は御屋形様のお陰で少しずつ豊かになり始めた頃だった。だが決して余裕がある訳では無かった。澄み酒の為の米、鉄砲鍛冶や刀鍛冶の引き抜き、銭で雇い始めた兵への給金、それに武具の買い付け……

 平九郎殿は昔から御倉方として朽木家の財を管理していた。当時、御屋形様の次に家中で苦しみを味わっていたのは平九郎殿であったかもしれぬ。

 あの頃は特産品による収入もさほど多くは無かった。今のように、余った銭で倉の底が抜ける事など無かったのだ。そんな中、銭のかかる高級品を湯水のごとく飲み込んでいく幕府の人間を平九郎殿がどう思っていたか。

 

「当時の御屋形様は、食事の度に(ひえ)(あわ)の入った飯を食べておられた。儂は何度も言った。今の朽木があるのは御屋形様のお蔭、米を食べてもだれも文句は言いませぬぞと。だが御屋形様は笑っておられた。そして某にこう言ったのだ。平九郎には苦労を掛ける、私もその苦労を少しは背負わせてくれと……その時儂は思ったのだ。このお方こそ、儂が生涯をかけて仕えるべきお方なのだとな」

 

 平九郎殿が俯いている。なんと……あの頃の御屋形様が頑なに米を食べなかったのはそういう理由があったのか。

 

「……我らは幸運だ。良き主君に出会えたのだからな」

「……そうだな」

「長門守様たちも、幕府に居た頃は随分と嫌な思いをされたらしい。私も公方様に仕えていたらと思うとぞっとする」

「嫌な事を想像させるな」

 

 平九郎殿が顔をしかめた。

 

「本心だぞ。以前幕府の出した裁定を見たがひどいものだった。どうしてこんな事が出来るのかと思ったものだ」

「伊勢守殿が政所執事へ戻った時か。公事方は随分大変そうにしてたな」

「うむ。あれほど忙しい時期は無かった。目が回るとはまさにあの事よ」

 

 公方様は親政を始めるとすぐ、それまでの政所執事であった伊勢氏を解任し摂津中務大輔晴門(せっつなかつかさのたいふはるかど)殿を政所執事へと据えた。三好と組んで幕政を行なっていた伊勢氏を忌避した形だが、中務大輔殿も、そして幕臣たちも、これまで(まつりごと)をした経験など無かったのだろう。出される裁定は正しい方ではなく、ひたすら幕府の利になる方へと下された。

 それどころか時が経つと、幕臣たち自らが公家や寺社の所領を横領し始めた。何の理由も、正当性も無く、ただそうしたいからというだけで。そして公方様はそれを許した。当然幕府には大量の苦情や訴訟が舞い込んだが、幕府はその全てを却下した。

 

「御屋形様は、幕臣たちへの褒賞の意味もあるのではないかと言っておられたが……それにしてもまずい手よな」

「うむ。褒賞を出すなら自ら得た物から出すべきだ。他人から取り上げては取り上げられた者が不満を持つ。そんな簡単な事も分からぬ……いや、分かっていても無視したのか。自分たちは幕府の人間だ、日ノ本の武士を統べる人間なのだ。好きにやって何が悪い。自分たちの言う事を聞くのは当たり前だと……そうであれば愚かな事よ」

 

 阿波三好による二度目の襲撃を追い払った後、御屋形様と政所執事へ復帰した伊勢氏によって幕府が出した全ての裁定は白紙に戻された。我ら公事方も伊勢氏と共に沙汰書の山をひっくり返したが、思わず目を覆いたくなるような内容であった。どうしてこんな事が出来るのか、これでは不満が出るのも当然ではないか……皆で頭を抱えたものだ。

 それからはひたすら仕事の山との戦いだった。土地や財産に関わる苦情は放っておくととんでもない大火になる。一刻も早い対処が求められたが、かといって今までの仕事を止める訳にもいかぬ。飯を食いながら紙の山と戦い、貴重な灯り油も惜しみなく使われ、昼夜を問わず作業は続けられた。

 

 公事方にいる者なら、平等に裁かれる事の大切さは皆が理解している。民が安心して暮らせるのは、公平な法があるからなのだ。

 御屋形様は朽木を治めるにあたり、何よりもまず法を作られた。あれは浅井を征服した頃だったか。民も、武士も、全てが同じ法で裁かれる。朽木分国法と名付けられたその法の下では、地位や立場など関係無く全てが平等に裁かれた。時には地位の高い者が不利益を被る事もあったが、御屋形様は決して法を違えなかった。だからこそ、朽木は全ての民が安心して暮らせる場所となった。

 

「以前から幕府の連中には思う所があったが、此度の件で愛想も尽きた。御屋形様とて奴らを許すまい。どんな末路を辿るか楽しみよ」

「物騒だな平九郎殿。皆の前で言ってはならんぞ」

「どうかな?皆とて同じ思いはあるだろう。あれほど幕府の為に尽くし、三好との戦いでは命まで懸けた。なのに幕府からは何の褒賞も無かったのだ。うんざりしている者が大半ではないのかな」

「それでもだ。表に出しては気取られるやもしれぬ。奴らに目にもの見せたいのであれば、外では黙っておく方が良かろう。……御屋形様がああいう連中を放っておくと思うか?」

 

 じっと平九郎殿を見る。なるほど、と言って平九郎殿がにやりと笑った。少しは溜飲が下がったかな。

 

 ……最近思う事がある。御屋形様は天下を目指されているのではないか。

 普通に考えれば幕府の中に入るべきだ。その方が幕府の権威を使えるし、三好も、過去には鎌倉幕府の北条氏もそうしてきた。朽木は大きくなったが、所詮は幕府のいち家臣でしかない。畠山のように朽木を上回る権威を持つ大名もいる。彼らは朽木を快く思っていないはず、そんな彼らも幕府の命となれば頭を下げざるを得ぬ。そうして日ノ本の武士を取り纏める。その方がずっと楽に事は進むだろう。

 しかし御屋形様は幕府の中に入ろうとしない。それどころか幕府から距離を置き、独自に朝廷と結んで政を進めている。幕府を除いた、朽木自らによる統治。つまりそれは、朽木による天下だ。朽木が天下を取るという事だ。

 

 いつか御屋形様自らが宣言されるだろう。幕府を倒す。朽木が天下を取ると。その時、朽木家中がどうなるのか不安だった。いかにひどいとはいえ相手は幕府、この日ノ本で最も高い権威を持つ武士たちだ。そんな相手に弓を引く事が出来るのか。家中の者たちは果たしてそれに納得するのか……

 

 しかし、この様子を見ると心配は無さそうだ。平九郎殿は嘘が苦手だ、言うなとは言ったが皆に話す事は止められまい。御子息誕生の祝いを無下にされた事を皆が知るはずだ。朽木は幕府を見捨てる。その流れはもはや止まらない。

 御屋形様。心のままにお進み下さい。我らはどこまでも付いて行きますぞ。例えそれが、幕府や将軍に弓を引く事になろうとも……

 

 

 

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