淡海乃海 短編集   作:もりのち

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時系列:10巻


平和の力

禎兆(ていちょう)元年(1581年) 七月 長宗我部宮内少輔元親(ちょうそかべくないしょうゆうもとちか)

 

一色左京大夫義道(いっしきさきょうのだいぶよしみち)様がお越しになられました」

「分かった。お通ししてくれ」

 

 障子越しに声をかけてきた小姓(こしょう)へ返事をすると、〝はっ〟という返答の後に足音が遠ざかっていった。天井を見上げ、ほうっと息を吐く。

 ようやく来たか。当主の座を離れ、隠居しておよそ一年弱。もはや浪人と変わらぬ自分に何の用だろう?話がしたいとの事だったが……

 

「すまんな。待たせたか」

 

 部屋に入ってきたのは、かつて丹後一色家の当主であった一色左京大夫義道殿だった。両手には大きな徳利(とっくり)が一本ずつ握られている。小姓に任せず自ら運んでくるとは……

 

「手ぶらじゃ話も弾まんだろう。酒を持ってきたぞ」

 

 左京大夫殿が両手を掲げた。

 

「これはどうも。有難うございまする」

 

 互いに座ると、左京大夫殿が盃に酒を注いでくれた。礼を言ってこちらも相手の盃に注ぐ。乾杯して酒を飲み干し、次を注いだ辺りで話は始まった。

 

「話がしたいとの事でしたが、なぜ某に?」

「俺と同じだからだ。互いに元国持ちで、今は隠居の身。俺は一色を、宮内少輔殿は長宗我部を手放した」

 

 左京大夫殿がにやりと笑った。思わず苦笑する。

 一年前、長宗我部は朽木に降伏した。かつて当主であった自分は隠居の身となり、家は嫡男の弥三郎英親(やざぶろうひでちか)が後を継いでいる。仕方の無い事と理解しているが、こうも明け透けに言われると腹も立たぬな。怒りに発展しないのは目の前の人物が自身と同じ経験をしたというのもあるだろう。

 

「まあ、そうですな」

「同じ境遇なればこそ出来る話もある。立場が違えばどうしても遠慮が生じるからな。俺は飾らぬ意見が聞きたいのだ」

 

 なるほど、それで自分に白羽の矢が立ったか。朽木と戦って隠居を許された当主は少ない。浅井、六角、三好、畠山……皆死ぬか領地を失い、遠くへ逃げた。左京大夫殿が自分と同じ立場の者を探そうとすれば自然と相手は限られる。

 

「飾らぬ意見ですか。……何について聞きたいと?」

「朽木だ。そなたは朽木をどう思った?」

 

 左京大夫殿がこちらをじっと見つめてくる。表情はもう笑っていない。

 

「……豊かな国だと思いました」

「ふむ。具体的には?」

「人です。どこへ行っても人が多い。一年以上かけて朽木の領地を見ましたが、どの町も人で溢れておりました」

 

 左京大夫殿が〝なるほど〟と言って頷いた。

 

「人の多さは国の強さか。分かりやすくはあるな。人が多ければ税も多く入って来るし、兵を多く徴する事も出来る」

「はい。それから……何というか、綺麗だと感じます」

「綺麗?」

「整っていると言いましょうか。道も、田畑も、建物も、荒れている所がほとんどありません」

「そうだな。朽木の領地はどこに行っても小奇麗な印象を受ける」

 

 左京大夫殿が顎を撫でる。この人は自分よりもはるか以前に朽木へ下った。その分色んな土地を見て回ったのだろう。

 

「特に畑です。普通なら荒れ地のようになっている場所がいくらかはあるはずなのですが……」

「土佐ではそうだったのか?」

「はい。どこの国でもそうでしょう。一色も同じだったのではありませんか?」

 

 左京大夫殿が〝まあな〟と言って腕を組んだ。

 

(いくさ)(やまい)、農民がいなくなれば田畑はあっという間に荒れ果てる。干ばつや冷害では村全体、国全体がそうなる事もある。畑を維持するというのは意外と難しいものです」

「しかし、朽木はそうではない」

 

 小さく頷いた。

 

「朽木の畑はどこも手入れが行き届いています。土地をよく知っている百姓が、丹精込めて世話をしているのでしょう」

「ふむ。……宮内少輔殿は朽木の農作物の収穫量についてご存知かな」

 

 収穫量?何か特別な事があるのだろうか?

 こちらが訝し気な表情をしているのを見て、左京大夫殿が話を続ける。

 

「朽木の作物は他の土地に比べて獲れる量が多い。広さ当たりの収穫量は多い所では倍を超える事もあるようだ」

「なんと!」

 

 思わず驚愕した。作物の量が倍?それが本当だとすればとんでもない事だ。

 

「土地が豊かなのでしょうか?」

「豊かな土地は他にもある。だが……そうだな。例えば越前は昔、朝倉が治めていた。以前から米所として有名な地方だったが、朽木が治めるようになってからは米の収穫量は三割増しを下回った事が無いと聞く」

「三割増し……」

 

 倍に比べれば落ちるが、それでも信じられない。

 

「何か秘密があるのでしょうか」

「そうだな。宮内少輔殿はどう思う?」

 

 左京大夫殿がにやりと笑う。こちらを試しているのか。

 収穫量が多い……作物が育ちやすいという事か?つまり特別な肥料か何かが……しかしそんな話は聞いた事が無い。朽木の領内には関が無い。国内の様子は周辺国にも伝わりやすかった。綿花の栽培もそうだったが、革新的な何かがあったのなら噂はすぐに広まったはずだ。

 

「……そういえば、朽木には農方奉行というお役目があると聞きました。彼らが効率の良いやり方を指導しているのでしょうか」

「ほう、よく知っているな。確かにあの者たちの働きは大きいと思う」

 

 左京大夫殿が盃を傾けた。当たるとも遠からずという感触だ。他に何か理由があるのだ。

 

「……俺はな。人が死なないからだと思う」

「人が死なない……」

「そうだ」

 

 左京大夫殿が盃で揺らぐ酒をじっと見つめている。

 

「朽木の兵は銭で雇われる。これはご存知かな?」

「ええ。有名ですから」

 

 朽木の兵は百姓を徴した者ではない。全て銭で雇われた、戦を専門とする者たちだ。おかげで朽木は田植えや獲り入れの時期でも自在に兵を動かせる。今ではその強さは広く知れ渡っている。

 

「他の国では百姓を兵にする。彼らは戦に行き、ひどい時はそのほとんどが死ぬ。そうすればどうなる?」

「畑仕事をしていた人間が居なくなります」

「うむ。だがそれだけではない。百姓が死ぬというのはな、土地を、作物の事を知っている人間が居なくなるという事だ」

 

 ……そうか。そういう事か。

 兵を指揮する人間は多くの戦場を経て戦いの経験を、人を率いる経験を積む。そこらの足軽にいきなり兵を率いさせても上手く行く事は無い。

 畑仕事も同様に土地を、作物を、天候を知らなければならない。適当に(くわ)を振って種をまけば良いという物ではない。自分や左京大夫殿とて、いきなり畑仕事をやれと言われても上手く行かないだろう。

 百姓が死ねば、そういった知識や経験を持っていた人間が失われる。教える者が残っていればいいが、働き盛りを失った結果、残された者たちが食うに困って村そのものが無くなってしまう事も多い。そうなった土地に後から農民を入れても、そこで働くのは土地の事を何も知らぬ人間ばかりだ。下手をすれば畑仕事をした事が無いという場合もあるだろう。それでは作物の収穫などほとんど見込めまい。

 戦が起きる。知識のある農民が死ぬ。何も知らない後釜が一から経験を積み上げる。だが数年も経てばまた戦がある。せっかく経験を積んだ農民が死ぬ。そしてまた、一から積み上げる……

 技術が進歩しないはずだ。これでは積み重ねなど起こりようがない。

 

「……朽木は以前から、民に優しい政策を取る事で有名でした。あの男は初めから理解していたのでしょうか?」

「そうだと思う。民が死なずとも、他国に逃げたり仕事を続けられなくなれば国にとっては死んだも同じだ。あの男は常に年貢を低く抑えてきた。天災があった時は年貢そのものを免除したりもした。民の仕事を、彼らが持つ経験を守ろうとしたのだろう。朽木の民は、他国の民よりもはるかに多くの経験を積み上げている」

 

 畑の耕し方、作物の植え方、水やりの量、強風や干ばつへの対応。素人と玄人ではまるで違う。収穫量に影響が出るのも当然だ。

 

「我々が民を戦で死なせる一方で、朽木は民を保護してきた。皆が知識を失い、一から積み直す間も、朽木はずっと積み上げてきた……」

「朽木に勝てん訳だな」

 

 左京大夫殿が笑った。どこかやるせない笑いだった。

 

「俺たちは、人が死ぬ事に慣れすぎたのかもしれん」

 

 左京大夫殿がぽつりと呟いた。

 確かにそうかもしれない。戦国の世で死は身近にあるものだった。自分たちにはそれが当たり前だった。だが民が死ぬ事で、何が失われるのかを分かっていなかったのだろう。だからあの男に敗れた……

 

 互いに無言だった。ゆっくりと盃を傾ける。

 あの男は民を守る事で、彼らが持つ知識を守ってきたのか。だから朽木は異常なまでに発展した。

 

「あの男が天下を取れば、戦の無い平和な世の中になるだろう。俺はそうなれば緩やかに日々が過ぎていくだけだと思っていた。しかし太平の世でしか発展しないものがあるとすれば……」

「むしろ、激しい時代になるかもしれません」

 

 既にその兆候は出ている。朽木から広まった綿花や石鹸は世の中を大きく変えた。外の国からは産物を求めて様々な商人が集まっている。戦があれば商人は集まらなかっただろう。今でさえそうなのだ。朽木が天下を制すれば、日ノ本全体が朽木と同じように飛躍する。そんな世の中が来るのかもしれない。

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