淡海乃海 短編集   作:もりのち

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時系列:原作二巻


中島金衛門 6

永禄五年(1562年) 一月 駿河(するが) 中島金衛門(なかじまきんえもん)

 

 駿府の町はそれなりに見慣れたが、今川館に入るのは初めてだな。

 あちこち見回したくなるのを堪えながら、前を歩く男の背を追う。落ち着け。トン、トン、トン……緊張で足並みが乱れていると思われてはならん。歩調を整えるのだ。

 それにしても。近江(おうみ)のいち国人領主に過ぎなかった儂が、足利御一門、名家中の名家である今川の本拠に足を踏み入れるとは。人の生とは分からんものだな……

 

 "ほうっ"と小さく息を吐いた所で、儂を案内していた朝比奈備中守泰朝(あさひなびっちゅうのかみやすとも)殿が立ち止まり膝をつく。"備中守でございます"と言うと、(ふすま)の奥から"入れ"と声が聞こえた。備中守様に続いて部屋の中へ入る。中には男女が一人ずつ。男の前に座り、深く頭を下げた。

 

「お初にお目にかかりまする。中島金衛門と申しまする」

 

 名を名乗ると、目の前の男が"(おもて)を上げよ"と言った。

 

今川治部大輔氏真(いまがわじぶのたいふうじざね)だ。此度(こたび)はよくぞ参ったな」

 

 顔を上げると、男が笑顔でこちらを見ていた。確か歳は、二十三だったかな?やはり若い。男も(さか)りといった感じだ。

 

「こちらは祖母の寿桂尼(じゅけいに)だ。私をよく助けて頂いている」

「寿桂尼です。家中では大方殿と呼ばれています。よくぞ参られましたね」

 

 治部大輔様が手で右脇に座る老婆を指すと、こちらも笑顔で歓迎してくれた。相当なご老体に見えるが、まだまだ気配は衰えていない。これが今川家を四代に渡って支える女傑か。こちらも丁重に挨拶を返した。

 

「そなたの事は聞いている。甲斐(かい)に米を運んでいる妙な商人がいるとな」

 

 治部大輔様が備中守様を見ると、ふたりが同時にニヤリと笑った。

 

「近頃、武田が妙にどっしりとした(いくさ)をするようになった。信濃をめぐる戦いでも、長尾との決戦を巧妙に避けながら領土を広げていたな。見事な戦運びだが、武田にしては珍しい事でもある。何ぞあったのかと思っていたが」

 

 治部大輔様が流し目でこちらを見た。

 

「そなたの仕業だな?」

 

 ……思わず息を呑んだ。

 落ち着け。誤魔化すか?いや、逆に不自然だ。

 視線を伏せ、ゆっくりと頭を下げた。

 

「申し訳ありませぬ。駿河の地を通りながら御挨拶にも伺わず……」

「ははは、良い。税は真面目に払っていたと聞いている。咎めようとは思わぬよ」

「有難うございまする」

 

 ほっとして顔を上げると、部屋に笑い声が満ちた。

 甲斐に南から米を運ぼうとすれば、自然と駿河を南北へ縦断する事になる。その気になれば調べるのは容易であろう。無駄に誤魔化して警戒させる必要は無いと判断したが……どうやらこちらを責める訳ではないらしい。小さく安堵の息を吐いた。

 

「色んな商人に出会ったが、武田の紹介状を持って来たのはそなたが初めてだ。正直言って驚いたぞ」

 

 治部大輔様が脇に置いてあった書状を手に取り、面白そうに眺めている。

 

 これが儂の切り札だ。米に薬、石鹸と恩を売る事で武田からの紹介状を引き出した。この書状は同盟を結んでいる今川・北条相手であれば無敵の身分証明となりうる。商いをする上で最も面倒な『相手の信用を得る』段階を根こそぎ飛ばす事が出来る。すぐにでも米を売りたい儂にとってはこれ以上無い武器だ。

 これを機に今川・北条へ食い込めば、両家の内情もかなり掴みやすくなる。八門にとっても利点は大きい。何とか彼らを説き伏せて石鹸を融通してもらった。武田に石鹸を届けると大喜びで書状を書いてくれたわ。

 

 治部大輔様の左右に座る大方様、備中守様も興味深そうに書状を眺めている。

 

「私も初めて見ますね」

「大方様もでございますか?」

「ええ。備中守、そなたも知っての通り今川と武田は長く争ってきましたから。使者のやり取りはありましたが、商人が紹介状を持ってくるというのは記憶にありませぬ」

「誠でございますか」

 

 備中守様が目を丸くしている。

 

「うむ。これが無ければそなたに会うのは随分遅れただろう。何分(なにぶん)年の瀬も過ぎたばかりだからな」

「重ねて申し訳ありませぬ。お忙しい時期にお邪魔を致しました」

 

 治部大輔様が"良い"と言って手を挙げた。

 

「前置きはこれくらいにしよう。それで?武田家御用達の商人が、今川に何の用かな?」

「はっ。私は米を扱う商人でして、ここ駿河でも大々的にそれを取り行いたいと思っておりまする。つきましては、今川家の皆様より許可状を頂きたく……」

 

 伏して願いを伝えると、治部大輔様が"ふむ"と鼻を鳴らした。

 

「許可状か。座の連中に邪魔されたくないという事かな?」

「……はっ」

 

 頭を下げた姿勢のまま、内心で舌を巻く。

 驚いた。こうも早く儂の意図する所を理解するとは。

 

「なるほど。武田からの紹介付きとあらば、私としてもやぶさかではない。が……」

 

 治部大輔様が考えるような素振りを見せると、備中守殿が"御屋形様?"と声をかけた。

 

「いや。……この様子だと、武田は相当に深手を負ったようだな」

 

 治部大輔様が溜息を吐いた。思わず息を呑む。

 この男……!遊んでばかりで、あまり良い噂は聞かぬと思っていたが……

 

「やはり、そうなのですか?」

「そのようです。武田は常に米を欲しています。にもかかわらず、甲斐で米を売っていた金衛門が新たな商売先を探している。つまり、甲斐で米が売れなくなった。戦は今も続いておりますので、恐らく銭が尽きかけているのでしょう」

 

 治部大輔様と大方様が互いに顔を見合わせている。

 儂が紹介状を持って来ただけで、ここまで武田の内情を読み切れるのか。無論独自に調べてはいたのだろうが……今川治部大輔、侮れぬ。

 内心で冷や汗をかいていると、治部大輔様がこちらに顔を向けた。

 

「実はな、これまでもそなたに声を掛けたいとは思っていたのだ」

「何と、誠で?」

 

 目を見張ると、治部大輔様が"うむ"と頷いた。

 

「随分安く売っているようだと聞いたのでな。我々も米は欲しい。だがそなたから買っては、武田に届くはずの米を今川が途中で取り上げる形になる。武田は怒り狂うだろうし、せっかくの同盟関係にも亀裂が入りかねん」

 

 治部大輔様が肩をすくめる。

 

「それに武田が弱体化して、長尾に負けるようでは意味が無いのでな。これまで指を咥えて見逃がしていたのだ。まあ、結局武田は負けてしまったようだが」

「左様でございましたか……」

 

 溜息を吐くと、治部大輔様が"ははは"と笑った。

「とはいえ、武田が買わぬと言うならこちらとしても遠慮はいらぬ。これからは好きなだけそなたから買えるという訳だな」

「はっ。ご用命とあらば」

 

 気を取り直して頭を下げる。よし、今川からの注文があればしばらくは安泰だろう。どうやら一息付けそうだな。

 

「うむ。では早速……と言いたい所だが」

 

 うん?と思って顔を上げると、治部大輔様が困ったようにこちらを見据えていた。

 

「そなたも知っての通り、我が今川家は桶狭間で大敗を喫したばかりでな。しばらくは家中の混乱を収めねばならん」

「……と言いますと」

「うむ。しばらく大きな戦の予定は無い」

 

 なんと……思わず肩を落とした。いや待てよ?

 

「三河の松平が離反したとお聞きしましたが」

 

 松平の名を出すと、三人が顔をしかめた。この話題は不快であろう。だがここは確認しておかなければ。武田の紹介状があれば手打ちにはされるまい……!

 

「もし戦をされるのでしたら、ぜひともご用命を。兵糧の不安を解消する一助になれると思いまする」

「……しばらくは家中を纏めるのが優先だ。戦をするにしても小規模なものになるだろう」

 

 治部大輔様が溜息を吐く。

 

「となると……領内から採れる米で十分、でございますか」

「恐らくな。それとも勝てるか?」

 

 治部大輔様がニヤリと笑う。慌てて手を振った。

 

「いえいえ、さすがに地元の米が相手では。私は上方から買い込んでおりますので、売り値でとても太刀打ち出来ませぬ」

「で、あろうな。まあ、そなたが他に比べて安く米を売ってくれる事は分かっている。真面目に税を払っている事もな。このご時勢だ、そなたのような商人は得難い。米が欲しくなった時には頼りにさせてもらおう」

「はっ。有難うございまする」

 

 深く頭を下げた。大口の注文が入ると期待したのだが……まあ、ここは関係を持てただけで良しとするか。

 溜息を堪えていると、頭上から"ふ~む"と声が聞こえた。不思議に思い顔を上げると、治部大輔様が腕を組みながら何かを考えている。

 

「治部大輔様?」

「いや、せっかく武田の紹介状を(たずさ)えて来てくれたのだ。このまま手ぶらで返すのも悪いと思ってな……」

 

 治部大輔様はしばらく考え込んだ後、"待てよ、武田か"と声を上げた。

 

「備中守。金衛門から税を取らぬというのはどうかな」

「税を、でございますか?」

 

 何、税を取らぬ!?

 備中守様も驚いた表情をしている。

 

「うむ。金衛門は武田に米を運んでいる。つまり金衛門から税を取るという事は、間接的に武田から税を取っているに等しい」

「た、確かに……」

 

 備中守様が腕を組んで考え込む。

 

「金衛門が駿河領内の関所を通過する際、それから駿河の港で荷下ろしをする際の税を免除します。さすれば金衛門はその分だけ米の値を下げられる。武田の懐事情も少しは楽になるでしょう。如何(いかが)思いますか?」

「良いと思いますよ。我が今川家は松平、そして織田に対しなければなりません。武田には是が非でも長尾を抑えてもらわなければ。武田が深手を負ったというなら、何らかの手助けが必要でしょう。それにこの件は我々が先の同盟を重視するという意思表示にもなります」

 

 大方様が賛意を示すと、治部大輔様がこちらを見た。

 

「金衛門。聞いての通りだ。これ以降、そなたが我が領内を通過する際の税を免除しよう」

「はっ。あ、有難うございまする」

「ただし、武田に米を運ぶ場合に限るぞ。他の商いをするのであれば通常通り税を取る」

「はっ。承知しております」

 

 頭を下げた。一応の収穫はあったか。しかしこれでは……

 

「しかしこれでは、そなたの儲けにはならんな」

 

 慌てて頭を上げると、治部大輔様が笑っていた。慌てて"あ、いえ"とか言っていると、治部大輔様が"まあ待て"とこちらを制した。

 

「もう一つ思いついた。北条だ」

「北条、でございますか?」

「うむ。ここ数年、関東では凶作が続いている。まあ駿河や甲斐、越後(えちご)でも米の出来は良くなかったのだが、関東は特にひどいらしい」

「誠でございますか」

 

 治部大輔様が"うむ"と言って頷いた。しまったな、武田との取引に集中しすぎたか。他の地域に気を払うのを忘れていた……

 

「北条家は大事な同盟国でもあるが、我が妻の実家でもある。妻を通して何度か救援の要請がきていてな。助けたいとは思っていたのだが、桶狭間以降はこちらもあまり余裕が無かった。だが、幸いにもそなたが来てくれた」

 

 治部大輔様が笑顔でこちらを見る。

 

相模(さがみ)に行ってはどうかな。あそこならいくらでも米が売れるぞ。何なら紹介状を書いてもよい」

「そ、それは。今川家の物を頂けるという事で?」

「うむ。そなたが信の置ける商人である事は分かっている。……これまでに取引は無かったがな」

 

 治部大輔様がニヤリと笑った。こちらも笑みがこぼれる。駿河を通っていた事がこんな形で役に立つとは……

 

「こちらとしても、北条家の要請に応じて助け舟を出したという形に出来るのでな。そちらの方が都合が良い。先ほど言った税の話をすれば、武田もそなたに紹介状を書いてくれるだろう。今川と武田の紹介状を持った米商人が来れば、北条はすぐに飛びついてくるはずだ。後はそなたがどれだけ米を運べるかだな」

「は、ははっ!有難うございまする!」

 

 これまでに一番の勢いで頭を下げた。震える私を見てか、部屋に笑い声が満ちる。しかし全く気にならなかった。

 何という僥倖か!今川だけでなく、北条へ売り込む算段も出来るとは!しかも武田からの注文は無くなったわけではない。今川もいずれは注文してくれるだろう。これからは三国を相手に商いが出来る。これまでとは比較にならぬほど大きい商いが出来る!

 

 苦笑した治部大輔様に声を掛けられるまで、儂は平伏しながら期待感と高揚感に体を振るわせ続けていた。

 

 

 

 

 

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