淡海乃海 短編集   作:もりのち

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中島金衛門 2

永禄二年(1559年) 三月 駿府 高島越中(たかしまえっちゅう)

 

 妙な事になったなぁ。

 

 茶碗に盛られた米を頬張りながら、目の前に座る若者を見た。

 気まずそうに味噌汁を(すす)っているのは、ついさっきまで部屋の端で儂を監視していた男だ。

 

 数日前、ここに軟禁されてから初めて酒を所望した。

 断られるかと思ったが、意外な事に酒は出てきた。儂の希望通り、小さな器に一杯だけ。

 

 それ以来、食事の度に酒を出してくれるようになった。どういう経緯かは分からないが、有難く頂戴している。

 ただ酒と一緒に妙なものも付いてきた。あれ以降、監視役の若者が共に食事を取るようになったのだ。

 日に二回、儂に食事が出る時は、決まってこの若者の分も一緒に届けられる。そして互いに盆を突き合わせ、面と向かって飯を食う。

 

 はっきり言って気まずい。何をどうしたら、監視する人間と監視される人間が顔を突き合わせて飯を食う事になるのだ。

 部屋の隅とか、牢の内外ならまだ分かる。しかし毎回盆を合わせてくる所を見るに、上の指図でわざわざこうしているようだ。

 まあ儂も困惑しているが、この若者のそれは儂よりもずっと大きいだろうな。今も必死に表情を消そうとしているようだが、どうしたものかという気配が体中から滲み出ている。監視する相手と一緒に飯を食えと言われればこうもなろう。

 

 閉め切られた部屋の中を、食事の音だけが静かに流れていく。

 ……何か話した方が良いだろうか?しかしこちらは捕虜の身だ、あまり軽々しく言葉を発するのも良くない気がする。だがこの調子ではあちらから会話は出て来そうに無い。う~む……

 

 小さく顔を動かし、辺りを見回した。

 儂を監視しているのがこの若者だけとは思えぬ。見るからに未熟な者へ、さらに監視を妨げるような命令。本気で役目を任せるならばこのような事はさせぬはず。

 つまり、本命の監視役は別にいる。今もどこからかこの部屋を見張っているはずだ。男か、女か……どんな気持ちで見ているだろうな。案外笑いを堪えるのに必死かもしれぬ。

 

 ふう、と息を吐いた。

 話してみるか。何かまずい事があれば、あちらの方から出てくるはずだ。出てこない内は自由にやろう。何より、これからずっとこの調子ではせっかくの飯がまずくなるわ。

 これ、と呼びかけると、若者が顔を上げる。以前のような警戒する感じは無い。困惑が勝っているのかもしれぬが、会話をするには丁度良い。

 

「おぬし、名は何という」

「名?」

「そうじゃ。これから長い付き合いになるかもしれぬ。今までは話もせなんだが、こうして顔を突き合わせる以上は無言という訳にもいくまい。話をするのに名を呼べぬのは不便じゃろう」

 

 若者が困ったような表情をしている。忍びか、名を明かせぬような掟があっても不思議ではないな。相手が監視対象とあってはなおさらだろう。

 

「本名は教えずとも良い。その方も忍びなれば、仮の名があろう」

「いえ、某はまだ……」

 

 若者が恥ずかしそうに視線を下げる。

 まだ?という事は……この様子だと、一人前になれば忍びの名を与えられるという所か。

 

 ふいにハッとした。

 この若者が話した内容は、八門の内情を教えるようなものだ。直接語った訳ではないが、少し考えればそうと分かる。しくじったか?

 とっさに周囲の気配を探るが、何者かが出てくる気配は無い。……問題無い、という事か?

 妙な動きと思われぬよう、ゆっくり壁や天井へ視線を走らせていく。やはり、物音一つ聞こえてこない。

 

「如何しました?」

「……いや、すまぬ。虫が飛んでいたような気がしてな。飯の途中に面倒なと思ったのだが、気のせいだったようだ」

 

 若者がなるほど、と言って頷いている。

 危ない所であった。儂は幽閉されている身だ、何をどう危険と取られるか分からぬ。思わず溜息を吐いた。

 しかし誰も出てこない所を見るに、さっきの話は問題ないという事だろうか?余所者に聞かせるにはまずい内容だと思ったのだが……

 目の前で不思議そうにしている若者を見る。全く、こやつのせいで肝を冷やしたわ。

 

「さっきの話だが、仮の名が無いなら適当なものでも良い。どう呼べばいいのか決めてくれんか」

「某がですか?」 

「当然だろう。その方の呼び名を儂が決めてどうする」

 

 若者が視線を彷徨わせ、う~んう~んと唸り始めた。どうせこの場でしか呼ばぬのだから、影とか黒とか適当にしておけば良いものを。

 監視の姿勢といい儂への言葉使いといい、どうも律儀な性格のようだな。個人的には好感を持てるが、忍びとしては大丈夫かな?何だか心配になってきた……

 

 

 

永禄二年(1559年) 九月 駿府 高島越中(たかしまえっちゅう)

 

 名を教えてもらってからおおむね半年が経った。

 儂が飯を食べ終わり、茶も飲み干そうかという頃にようやく出てきた名前は野介(のすけ)。大方誰かの名を借りたのだろうが、本人は嬉しそうな恥ずかしそうな、何とも言えぬ表情をしていた。もしかすると尊敬する人物から借りたのかもしれぬ。

 

 名も無き若者改め、野介は今、儂と机を挟んで向かい合っている。さすがにお役目にも慣れたのか、以前よりも大分肩の力が抜けたようだ。

 

「それにしても暑いな。ここは風通しが悪い、寒いのは我慢できたが暑いのはどうにもならん」

「そうですね。もう少し窓があれば良いのでしょうけど」

 

 二人で茶を飲みながら、取り留めのない話をする。

 もはや監視ではなくなっていると思うのだが、相変わらず周囲から反応は無い。上の指示によるものであれば、こちらの方が儂の心情を探れるという事かもしれぬ。儂としても不都合は無い、生真面目な視線で四六時中見つめられては肩がこる。それに話し相手がいるのは軟禁中の身には有難い。

 

 夏に入る頃には、窓を開ける許しも出た。さすがに蒸し殺してはまずいと思われたか。今も一つしかない窓を開け放ち、何とか風を取り入れながら暑さと戦っている所だ。

 

「米の売買はどうだ。上手く行っているのか?」

「はい。先月と同じくらいには売れているようです」

 

 妙な気を起こすつもりは無いと認められたのか、最近ではぽつぽつとあちらの様子を教えてくれるようにもなった。八門は米の売買も行っているらしい。商いもやるとは珍しい忍びだ。しかし今の言葉、少し引っかかるな。

 

「先月と同じ?今は収穫の時期だろう。同じ量しか売ってないのか?」

「ええ。そう聞いていますけど」

 

 野介がきょとんとした顔をしている。今は米が最も出回る時期、米を使った商いも当然規模が大きくなるはず。なのに先月と同じ量しか売っていない?

 

「売り買いを制限しているのか?」

「いえ、そういう話は特には」

「ならばなぜ商いを大きくせぬ。売れると分かっているなら規模を大きくするのが商いの定石であろう」

「はあ……」

 

 なんと、こやつらずっと同じ量の米を売っているのか。

 おそらく上から米を渡されて売っているのだろうが、それにしたって需要を何も考えておらぬ。ただ渡された物を売る、それでは商いとは言えまいに。

 話を聞けば、八門における商いの拠点は京にあるのだという。当然だが銭に明るい人間もそちらに集められる。朽木にとって駿府(すんぷ)は今の所重要度が低い、どうしても腕の劣る人員が配されがちという事か。

 

 何とも歯がゆい、儲け話が目の前にあるのに見逃しているような感じだ。武田・北条はここ最近(いくさ)が絶えぬ、米を持っていけばいくらでも売れるだろうに。いや待て、彼らは忍びだったな。お役目もあればあまり駿府から動く事は出来ぬか。しかしそれにしても……

 

 

 

永禄三年(1560年) 五月 駿府 高島越中(たかしまえっちゅう)

 

「安いよ安いよお!」

「大根ー!大根はいらんかねー!今朝採れたばっかりだあ!」

 

 売る者、買う者、様々な人で溢れかえる市場をゆっくりと練り歩く。陽はようやく昇り始めたという所、少々寒いが目を覚ますには丁度良い。

 朝も早いというのにすごい人だかりだ。さすがは名門今川の誇る城下町、近江とは比べ物にならぬ。

 

 年が明けて少し経つと外出する事を許された。野介によれば、丸一年見張っていたがこの辺りを探っている六角の手の者はいなかったようだ。まあ朽木は近江の国人領主だ、今川とは何の関係も無い。こんな所に移されるなど想像は出来まいな。

 広い道の両端には、屋台がずらりと立ち並んでいる。地元でそれなりに根を張っている者たちの売り場という事だ。町に住む者にはそれぞれ縄張りがある、外から来たばかりの人間がいきなり場所を確保するのは難しい。屋台が集まる通りを歩けば、この辺りのおおよその相場が分かる。

 

 銭は持っていないので、店主や客の邪魔にならぬよう遠くから値札を見る。米や野菜の値が上がっている、それも普通の速さではない。武具も相当に値上がりしていた。おそらく戦が近いのだろう。武田や北条ではないな、この値動きからすると戦支度をしているのはこの町を治めている者。今川だ。

 

 八門も最近はてんてこ舞いらしい。六角と浅井の間が妙な空気になっているようで、大部分の人員があちらに行ってしまったと野介が嘆いていた。あやつも大変だな。

 

 半刻(一時間)ほど歩いて自身の部屋に戻った。腰を下ろし、机の上に紙を広げる。市場を見るようになってからは常に記録を付けている。あれが高い、これが安い、なぜそうなったのかを想像し自身ならどう商いをするか考える。実際に何か出来るわけではないが、これが中々に楽しい。

 一つ二つ書いた所で、野介が(ふすま)を開けて入ってきた。

 

「お帰りですか」

「うむ。物の値は相変わらずだな。やはり今川は戦支度をしておるようだ」

 

 今川は武田・北条と同盟を結んでいる。町民たちの会話では織田を攻めるつもりともっぱらの噂だ。まあ誰が見てもそこしかあるまい。

 

「こちらでもそう見ています。随分な規模になりそうだと聞きました」

「だろうな。この町にも他国の手の者は入っているはずだ。これだけ派手に値が動いているという事は、最初から隠す気も無いのだろう」

 

 今川が尾張を取れば、朽木のいる近江へ一歩近づく事になる。武田や北条ではなく今川に八門を入れているのはその辺りを見ているのかもしれんな。

 考えながら筆を動かしていると、野介から声がかかってきた。

 

「……あの、越中殿。お話があるのですが」

「何だ」

 

 妙だな、随分と畏まっている。ある程度気の知れた仲になったと思っていたが……

 まさか。儂が用済みになっ「米を売ってみませんか?」

 

 ……はあ?

 

 思わず野介に向き直った。何を言っているのだこいつは。儂は捕虜の身だ、それに武士でもある。そんな相手に向かって米を売れ?

 

「いえ、実は上からそういう話がありまして。米を売らせてみろと」

「上からだと?」

「はい」

 

 野介の上、となるとここを取りまとめる人間か。いや、朽木にとって儂は今でも六角家に対する重要な手札のはず。下の者が一存ではどうこう出来ぬはずだ。つまり指示を出したのは相当上の人間という事になる。最低でも八門の頭領は承知しているだろう。下手をすると……竹若丸?

 

「良いのか?儂は捕虜の身だが」

「はい。一応八門の監視下と言う形になりますが」

 

 話を重ねるうちに状況が見えてきた。八門は今でも各地で米を売っているが、本業は忍びであって商いはあくまで余力だ。特に忍びの仕事が忙しくなると、商いに従事していた者も一時的にそちらへ駆り出される事が多いのだという。だがそれでは米が余ってしまう。

 

「それは分かるが、なぜそこで儂が出る」

「さあ、そこまでは……」

 

 野介が首を捻っている。まあ、こやつの立場では上が決めた理由までは分からぬだろうな。

 商いか……実を言うと以前から興味はあった。銭は好きだし領主として商人とやり取りをした事もあるが、それは御家の為であって商いそのものを目的としてではない。自分が商人となって商いをする、そんな姿には心惹かれる物がある。

 どうせ何もかも失った身だ、刀も無いのに武士と言っても始まらぬ。思い切ってみる価値はあるか。……二度と高島家当主には戻れまいな。だが……

 

「分かった。どれだけやれるかは分からぬが、やってみよう」

「そうですか!有難うございます」

 

 野介が頭を下げた。やはり律儀な奴だ、捕虜に頭を下げるとは。だがまんざらでもない。

 

「つきましては、一つお願いが。呼び名を決めて頂きたいのです」

「呼び名?」

「はい。さすがに越中殿の名をそのまま使うわけにはいきませんので……」

 

 まあ、確かにそうだな。顔を知られていないとはいえ、堂々と名乗って商いをしていればやがて噂が他国へ渡るかもしれぬ。最近は割かし自由にやらせてくれるので忘れがちだったが、この身は六角から隠すために駿府へ移されたのだ。

 呼び名か、呼び名……商人として動くなら、それらしい名前にするべきかな。米では少し農民臭いかもしれぬ。商、銭、金、銀……金?いやいや、名前としては少し派手すぎる。儂は米を売るのだぞ。

 

 腕を組み、頭を捻る。結局朝の膳が運ばれ、飯を食い終わる時になっても妙案は出てこなかった。名を決めるというのは思いの他難儀するものよ。これでは野介の事をどうこう言えぬな……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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