淡海乃海 短編集   作:もりのち

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時系列:原作一巻


中島金衛門 4

永禄四年(1561年) 四月 甲斐(かい) 中島金衛門(なかじまきんえもん)

 

 駿河(するが)甲斐(かい)の国境近くにある城へ近づいていくと、門の前に立つ兵がこちらに走って来た。懐から取り出した木の札を掲げると、門番の兵が手を上げて応える。馬車と部下たちをその場に待たせ、兵が近づいてくるのを待った。 

 

「どうも、中島金衛門でございます。此度の米を持って参りました」

「おお、ご苦労。待っていたぞ」

 

 儂の元へ辿り着いた兵が同じような木の札を取り出し、二つを見比べる。

 

「ふむ……間違いないな。よし、入っていいぞ」

「はっ。ありがとうございます。……おーい、運び入れだ!」

 

 愛想良く応えつつ部下たちに指示を出す。米俵を積んだ馬車がゆっくりと進み始め、城門の中へと入っていった。

 

 武田との商いは順調だ。去年の五月に交渉を始めてからトントン拍子に話が進み、九月の収穫分を皮切りに年をまたいで約半年。今では数十もの取引を重ねている。

 取引の際は、身分証明として木の札を見せる事になっている。札には事前に決められた文字や記号が記されており、これらを数通りに組み合わせた物が通行証代わりとなっている。書く場所も厳密に定められていて、例え内容が分かっても配置が違えば通行証として機能しない。中々に考えられた仕組みだ。

 

 それにしても、武田は無限に米を買ってくれるな。

 年末前後の雪が降る時期はさすがに遠慮したが、それ以外はほぼひっきりなしに注文が続いている。関所や城の兵達ともすっかり顔なじみだ。先ほど国境の関所を通った時はそのまま素通ししてくれそうになった。いいのかそれで。

 

「金衛門殿ー!」

 

 こちらを呼ぶ声に振り返ると、城の城主を任されている男が手を振りながら歩いてきた。物騒な気配は出していないが、はて、何かあったかな。

 

「ご苦労であるな」

「はっ。ありがとうございまする」

 

 手を腹の前で組み、深々と頭を下げる。

 

「この後は戻りかな?」

「ええ。そのつもりでございますが」

 

 米は国境の城で渡す。甲斐領内へは深入りせず、我らはそのまま引き返す。儂が米を扱う上で、武田の方々と話して決めた契約だ。何度も繰り返したやり取りなので、この男も当然知っているはずだが……

 

「実はな、上の方々から金衛門を呼んで欲しいと言われておるのだ」

「上の方々と言いますと、本家の?」

「うむ。躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)にお連れせよとの事でな」

 

 思わず目を丸くした。何と、武田氏の本拠ではないか。だから城主自らが出張って来たのか。言葉に信用を持たせるために……となると嘘や冗談の類ではないな。

 まあ、どちらにしろ断れる話ではない。城主には了承する旨を伝えた。今までの取引も誠実にやって来た事だし、悪いようにはされんだろう。ひょっとすると追加の商談かもしれん。……しまったな、馬引きや護衛はどうしようか……?

 

 

 

永禄四年(1561年) 四月 甲斐(かい) 武田太郎義信(たけだたろうよしのぶ)

 

「太郎でございます」

「うむ。入れ」

 

 父上に呼び出されて謁見の間へ向かうと、部屋の中には三人の男が座っていた。馬場美濃守信春(ばばみのうのかみのぶはる)跡部大炊助勝資(あとべおおいのすけかつすけ)、そして父、武田信玄。家老の二人が居るという事は何か重大な話だろうか。

 

「これから金衛門と話す。その方も同席せよ」

「はっ」

 

 金衛門……中島金衛門か。昨年から甲斐へ出入りするようになった米商人だ。彼が米を安く卸してくれるようになったおかげで、武田は随分助かっていると聞く。今までは間者の可能性もあるという事で交渉の場へ出る事を許されなかったのだが……

 

「間者の疑いは解けたのでしょうか?」

「ひとまずはな。美濃守、説明せよ」

「はっ」

 

 美濃守が父上に頭を下げた。

 

「忍びに動きを追わせましたが、今の所怪しい動きは見られませぬ。駿河から米を運び入れ、甲斐国境を入った所で受け渡す。当人たちはそのまま引き返す。事前の取り決め通りです」

「米の出所は掴めたのか?」

 

 跡部が美濃守に問いかけた。金衛門は上方で商いをしていたらしい。米もその辺りから仕入れているのだろうか。

 

近江(おうみ)を拠点として、周辺から仕入れているようですな。主に京の東で動いておるようです」

「うむ。……そなたはどう思う?」

 

 父上がにやりと笑った。試されている。自然と緊張感が上がって来た。

 

「……嘘はついていないという事でしょうか」

「間者ではないという事か?」

「はっ。そのように思います」

 

 金衛門はもう一年近く武田と商いをしている。間者であったならどこかで怪しい動きが出たはずだ。話に嘘は無い、動きもおかしくない。となれば間者ではないという事では……

 

「ふふ、甘いな」

 

 思わず息を呑んだ。父上が笑っている。

 

「父上……?」

「太郎、間者とは簡単には怪しい動きを掴ませんものだ。(まこと)に間者であればまずは相手に信頼されるよう動く。間者とは他国に入り込み情報を盗む者、相手に怪しまれては役目を果たせまい。嘘を吐かぬのも仕事のうちよ」

 

 そうか。正直というだけで信用は出来ないのだ。他人を欺くにはまず信用されねばならぬ。その為には本当の事を言うのが肝要……

 

「まして金衛門は米を扱っておる。武田の兵糧を握っていると言っても良い。もちろん全てでは無いが……何にしろ、あれは武田の軍事行動を左右しうる立場にある。警戒される事は百も承知のはずだ。そんな男が疑われるような行いをすると思うか?」

「……いえ、思いませぬ」

 

 顔が俯き、畳が目に入った。これが駆け引きという物か。もし私が当主であれば簡単に信用してしまっただろう。戦では役に立てるようになったと思ったのだが……やはりまだまだ未熟者だ。

 ……待てよ?さっき父上は間者の疑いは解けたと言ったような。しかし今の話では信用出来ぬと……はて、一体どっちなのだろう。

 

「太郎様。金衛門は甲斐に入ってすぐ米を引き渡し、駿河へ引き返しております。供回りの者たちも一緒にです。これでは武田の事情を探る事は出来ませぬ」

 

 疑問を口にすると、美濃守が応えてくれた。

 確かに武田の事情を探るなら甲斐領内に入らねばならない。つまりほとんど領内に踏み込まない金衛門は間者としての役目を果たしようがない……

 

「無論、あえてそうしている可能性はある。警戒は必要であろうが、今のところ間者となりえるような怪しい動きは無い。せっかく米を安く売ってくれるのだ、あまり疑いすぎては大魚を逃がす事になりかねんからな。その方も注意せよ。金衛門がどんな目で自分を見ているのか。しかと感じ取るのだ」

「はっ」

 

 間者であれば、次期当主である自分には注目するはずだ。……いや、商人であればそれは当然か?となれば値踏みの視線は来るだろう。もし間者であればどんな反応をしてくるのか……?う~む……

 

 

 

永禄四年(1561年) 四月 甲斐(かい) 跡部大炊助勝資(あとべおおいのすけかつすけ)

 

 目の前で、一人の男が御屋形様と談笑している。名は中島金衛門。ここ最近家中で急速に存在感を増してきた商人だ。

 米を欲している武田へ、わざわざ安く米を売ろうという。普通なら高く売るはずだ。貴重な物は高く売れる。商人としてそれが分からぬはずも無い。あまりに都合が良すぎるとして身辺を調べたが、忍びの報告では怪しい所は無いという。はたしてこの男は天が武田にもたらした幸運か。それとも……

 

「ところで金衛門よ。ひとつ頼みがあるのだが」

「はっ何なりと」

 

 御屋形様の言葉に金衛門が居住まいを正す。ここからが本題だ。

 

「武具を売ってくれんか」

「武具……でございますか」

 

 金衛門が驚いたように目を見張った。米商人に武具を頼むのは本来おかしな話だ。しかし間者であればこの状況は見逃さぬはず。

 どんな武具を買っているか分かれば、兵の数、部隊の構成、そしていつ軍を動かすか。そのおおよそを掴む事が出来る。他国の者にとっては喉から手が出るほど欲しい情報だ。

 

 金衛門が難しい顔で腕を組んでいる。美濃守殿から聞いていたが、こうして武田の重臣に囲まれても少しも気後れしていない。やはりただ者ではないらしい。

 太郎様は目を白黒させているようだ。戦では十分な武功を挙げられたが、こういった駆け引きはまだ経験が少ない。この機会に学んで頂ければ良いのだが……

 

「私は米を扱う商人です。本業なれば伝手もありますが、刀や弓は門外漢でございます。米のように安く、とはいかないかもしれませんが」

「構わぬ。伝手(つて)は多く持っておきたいのでな。むしろ多少高くしても構わんぞ。そなたには世話になっているからな」

 

 御屋形様が笑っている。さてどうする?

 

「……有難い申し出で御座いますが、此度は遠慮させて頂きまする」

 

 金衛門が申し訳なさそうに頭を下げた。何と、この話を断るとは?御屋形様も驚いた表情をしている。

 

「理由は何だ?」

「先ほど申し上げた通り、伝手が無いというのもありますが……他の商人たちと争いたくありませんので」

 

 他の商人?美濃守殿と顔を見合わせた。商いをするなら他の商人と争うのは当然ではないのか?美濃守殿も困惑した表情を浮かべている。

 

「それはどういう事かな、金衛門」

「美濃守様、私が甲斐で米を扱えるのは競合相手が少ないからで御座います。刀や弓、槍ともなれば懇意にされている商人がおられましょう。それらの方々、特に座の商人たちは新参者を許さないはずです。私が武具を扱えば彼らを正面から敵に回す事になりまする」

 

 座か……思わず呻き声を上げた。御屋形様も厳しい表情だ。

 座の商人たちは銭や品物などを上納する代わりに、甲斐領内で様々な権益を認められている。その中には一部の商品に対する独占的な販売権も存在する。多額の上納が必要になるが、競合相手を締め出せれば自身の商いが(おびや)かされる事は無い。

 座の商人たちはそれぞれが結託し、自分たちの商いを脅かす相手が現れないよう目を光らせている。金衛門のような新参がずかずかと乗り込めばあっという間に潰されるだろう。

 

「私が国境で取引を行いたいと申しましたのは、座の連中に気付かれぬためという意味もありました。町で商いを行なえば彼らは必ず気付くでしょう。小さな商いであれば見逃されるかもしれませんが、米のような物を大々的に扱えばまず許されませんので……」

「しかしな、甲斐には米を扱う商人が少ない。そなたと競合する相手、つまり守るべき商人が居ないのに彼らが動くのか?」

「跡部様。今は米だけかもしれませんが、将来的にはどうなるか分かりませぬ。儲けが増えれば商いを大きくするため、他の品に手を出すのはよくある話ですからな」

 

 今、我らが話を持ち掛けたようにか。十分にありえるという事だな……

 

「仮に商いを認められても、座の商人たちは多額の上納金を要求するでしょう。そうやって私が大きくなりすぎるのを防ぐ。私が商いを大きくすれば、やがて彼らを脅かすかもしれませんから」

 

 金衛門が肩をすくめている。思わず溜息を吐いた。

 何ともやっかいなものよ。座の商人たちが武田家に収めている上納品はかなりの額になる。商いの独占と言う多大な特権、それと引き換えになるだけのものを彼らは収めているのだ。ゆえにこれまでは見逃していた。いや、問題とも思っていなかった。それがこんな事になるとは……いや、待てよ?

 

「御屋形様、金衛門に朱印状を与えるというのはどうでしょうか?」

「朱印状だと?」

 

 御屋形様が驚いたようにこちらを見た。

 

「はっ。武田家が金衛門の後ろ盾になれば、座の商人たちも手出し出来ないかもしれませぬ」

「御用商人にするという事か……」

 

 御屋形様が思案するように(くう)を見つめた。

 御用商人とは、言わばお抱えの商人だ。長年の取引や、家に利益をもたらした等で信用できると判断された者に対し、大名から称号が与えられる。彼らは様々な特権を得て物資の調達などに携わる。他国で商いをする際も、どこぞの御用商人であると言えばそれだけである程度の信頼を得られるほどだ。

 普通なら、取引をして一年も経たぬ者に与えるものではない。しかしこの状況、甲斐に商人が来ないのは座の影響が強いせいでもあるとすれば……あるいは甲斐の商いの硬直を打破する一手になるやもしれぬ。

 

「跡部様、それはむしろ危険でしょう」

 

 金衛門がこちらを見た。危険だと?

 

「なぜだ?武田の朱印状があれば甲斐領内で逆らえる者はおらぬ。そなたにとっても安心して商いが出来るだろう」

「いえ、そうではありませぬ。武田の皆様にとって危険だという意味です」

 

 我らが危険?御屋形様、美濃守様と顔を見合わせる。一体どういう事だ?

 

「確かに武田家の御用商人となれば、座の者たちは手出しが出来なくなるかもしれませぬ。しかしそうやって強引に抑えれば、彼らは必ず反発します。甲斐に物を運んでいるのは彼らなのです。下手に怒らせれば物が手に入らなくなるという事もありえますぞ」

 

 部屋に呻き声が満ちた。座の商人たちは武具の他にも塩、木材、金づち、衣類など、様々な品物を扱っている。彼らを怒らせればそれらが甲斐に入って来なくなるという事か……

 

「荷止めをするという事かな?」

「そこまで露骨にはしないと思いますが……例えば値を上げるとか」

 

 値上げか……有りえるな。最初は小さな抗議かもしれんが、悪い方へ進めば座の商人たちと全面的に敵対する事になるかもしれん。こちらを見る御屋形様に対し、小さく頷いた。

 

「そうだな。座と敵対するのは本意ではない。朱印状は出さぬとしよう」

「はっ。それがよろしいかと思いまする」

 

 金衛門が御屋形様に頭を下げた。溜息を吐いてその様子を見つめる。

 この男、恐らく間者では無いな。もし他国の間者であれば、武田家が座の商人たちと敵対するように仕向けたはずだ。そうして領内を混乱させれば国内には大きな隙が出来る。武田に悪意ある者であればこれほどの好機を見逃すはずがない。

 しかし金衛門は我らが危険だと言ってそれを止めた。我ら自身ですら気付いていなかった危険性を指摘してまで……

 この男は信用できる。胸に渦巻いていた疑念がすぅっと晴れていくのが分かった。

 御屋形様が我らを見回す。美濃守殿と一緒に頭を下げた。

 

「金衛門。その方の考えは分かった。武具の話は取り下げる。手間を取らせたな」

「いえ、滅相もございません。こちらこそせっかくのお話を断る形になってしまいまして……」

 

 金衛門が恐縮したように首を振っている。

 

「その方には米の件と合わせ、随分と助けられておる。いずれしかるべき褒美は取らせよう。……一つ聞いても良いか?」

「はっ。何なりと」

「なぜそこまで武田の事を考える。武具の件は相当に武田の立場に立って考えねばあのような意見は出せまい」

 

 御屋形様がにやりと笑って問いかけた。問われた金衛門も面白そうに笑っている。

 

「商いは相手が居なければ始まりませぬ。私は米を扱っております。米を沢山求めて下さる武田の皆様は、私にとって何よりのお得意様なのです。皆様には末永くお付き合いを頂きたいと思っておりますので……」

「ほう。つまり、自分の為に我らを助けるような事をしておるという訳か」

「いえいえ。皆様の利が、廻りまわって自分の利になるのです。それこそが健全な商いという物でして」

 

 二人が笑い声をあげた。商いのため、か。この男は根っからの商人なのだな。

 どうやら武田にも運が向いてきたらしい。金衛門から安く買い入れた米は順調に保管され、その数を徐々に増やしている。次の戦では兵糧の心配をせずに済みそうだ。あわよくば、これがずっと続いて欲しいものよ……

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