永禄十六年(1573年) 四月
「それではこれより、対朽木家を想定した軍議を始めさせて頂きまする」
目の前の男たちが頷いた。いずれも上杉家においては御屋形様の信頼厚き重臣たちだ。ここで話される事は秘中の秘、例え親兄弟にも漏らす事は出来ぬ。
「まずは現状を確認しよう。朽木の領地は北は能登、南は伊勢。ちょうど日ノ本の中央を分断するように領地を広げておる」
目の前に広げた大きな地図へ指を這わせて行く。
二年前、朽木によって伊勢長島の一向一揆が殲滅された。さらに同年、朽木と三好が山城国にて衝突。朽木が三好を打ち破った事で、朽木は京を含む日ノ本の中央をほぼ手中に収めた。
これを見て、上杉家中に朽木の拡大を不安視する声が上がり始めた。朽木と上杉の関係は至って良好、現時点では敵対するとは思えぬ。だが昨日までは手を携えていても、明日はどうなるか分からぬのが戦国の習いだ。
不安が危惧に変わり始めたのは、朝廷から朽木へ天下静謐の任が下された時だった。さらに間を置かず、禁裏御料を取り戻すべく勅命までが下された。朝廷は幕府を明確に拒絶した。そして上杉家は幕府に関東管領へと任じられている……
文字通り、万に一つがあるかもしれぬ。朽木とはこれまで随分と協力してきたが、御家を守るためとなればいかなる事態をも想定せねばならぬ。御屋形様の命を受け、秘密裏に軍議が開かれた。
「朽木と戦になるとすれば、
「上杉家は既に武田・北条と戦っておる。この状況で西へ新たに戦線を作る事になる」
「それも普通の敵ではない。相手は朽木だ、上杉は総力を挙げて西へ対する事になろう」
皆が難しい表情をしている。一つの敵と争いながら新たに敵を増やす、それも異なる方向でだ。まして上杉は武田・北条と既に二つの敵を抱えている。よほどの覚悟が無ければ取れる手ではない。
「まず考慮すべきは織田でござろう。織田は朽木と国境を接しておる、位置的に我々との連携も取りやすい」
「織田は徳川と共に今川と戦っている。西には手が回らぬのではないか?」
「分からんぞ、大和守殿。織田は東へ進もうとしているが、すぐ隣で勢力を拡大する朽木には内心思う所があるはず。場合によっては乗ってくるかもしれぬ」
皆が唸り声を上げる。織田も我らと同じ危惧を抱いているかもしれぬという事か。
「ただ、織田・徳川は昨年東三河で今川・武田と交戦しておる。十日ほど陣を敷いていたようだが、戦は今川・武田の優勢に終わったようだ」
「兵は織田の方が多かったのだろう?」
「うむ。だが最終的には押され気味だったらしい」
「……となると、織田に余裕は無いか」
織田は東で一進一退、となれば西の朽木とはまず手を結ぶだろう。織田の兵は当てにできぬな。
「阿波三好はどうだ?四国に追われたとはいえ、朽木とは共に将軍を擁立する敵同士のはず。我らが朽木と戦えば、三好も再び畿内へ攻め込むのではないか」
「難しかろう。阿波一国程度、朽木にとっては片手間にすぎぬ。それに三好本家も黙っていまい。四国にいるならともかく、畿内で戦っては勝ち目はない。先の戦で懲りていよう」
阿波三好家は一度四国へ落ちた後、公方様と大膳太夫様の仲が思わしくないと見て再度京へ進撃した。だが近江に戻ったかに見えた大膳太夫様はすぐさま京へ兵を向け、公方様をお守りした。阿波三好家はそれを見て四国へ逃げ帰った。もはや兵を起こすのは難しいだろう。
「朽木に勝った後も問題だ。織田・三好と結ぶとなれば、論功行賞は相当に揉めるぞ。下手をすれば血を流すだけ流して得られるものはほとんど無い、という事にもなりかねぬ」
「最悪の場合、京を巡って争いになりかねませんな」
皆がため息を吐いた。敵は増え、味方は得られぬ。得るものも少ない。どう考えてもまずい戦だ。
「……武田・北条はどうする?」
儂が発言すると、皆が深刻そうに顔を見合わせる。楽観的な様子の物は一人もいない。
「上杉が朽木と争えば、奴らはたちまち息を吹き返すだろう。上杉にそれを咎める余裕は無い」
「朽木からも兵糧や武具が送られるはずだ。伊勢から駿河、もしくは相模へ船で運ばれれば我らは何も出来ぬ」
「武田は朽木と因縁があろう。川中島の件で随分と恨んでいると聞く、手を取らぬという事もあるのでは?」
「どうかな。武田は長く今川と争っていたが、皆も知る通り今では強く結託しておる。あの家はいざとなれば恨みを捨てる事が出来る家じゃ」
「……米と銭を手に入れた武田か。想像したくもないわ」
よくもまあ、これだけ悪い材料が出てくるものだ。一つくらい良い材料があってもよかろうに。
「海と言えば、朽木には水軍もあるぞ。湊を塞がれたらどうする?」
「……上杉はたちまち干上がるじゃろうな」
織田が対朽木に参加せぬ場合、間違いなく朽木から織田へ協力の要請があるはず。兵は出さずとも荷を止められ、その上で海を塞がれれば上杉の交易相手は奥州のみという事になる。瞬く間に上杉は戦えなくなるだろう。
いかぬな、皆の顔がどんどん下を向いていく。だが顔を上げてもらおうにも明るい話題が無い。どう考えても朽木と戦うのは悪手でしかない……
「……ここまでですな」
美作守殿に目を向けると、静かに頷いた。部屋の空気がゆっくりと弛緩していく。皆が大きく息を吐いた。
「どうにも勝ちの目が見えてこぬな」
「うむ、今は時勢が悪い。どう見ても朽木とは戦えぬ」
「朽木が味方で良かったのう」
皆が笑い声をあげた。全くだ、朽木と戦うなど考えただけで気が沈む。考えるだけでこうなのだ、実際に戦となればどんな困難が襲ってくるやら。
「明日、御屋形様に話す。皆も同席してくれ」
「うむ」
「分かった」
まずは紙に纏めねばならんな。朽木は上杉にとって大の恩人、そんな方々と戦う事を考えねばならぬとは……真、戦国の世は度し難きものよ。