淡海乃海 短編集   作:もりのち

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時系列:原作二巻


米騒動

永禄五年(1562年) 五月 井口越前守経親(いぐちえちぜんのかみつねちか)

 

「ようやく落ち着いたな」

 

雨森弥兵衛(あめのもりやへえ)殿が安堵の息を吐いた。隣に座る安養寺三郎左衛門尉(あんようじさぶろうざえもんのじょう)殿も頷いている。やれやれといった表情だ。

 

「一時はどうなる事かと思ったな、三郎左衛門尉殿」

「儂もじゃ、越前守殿。あんな動きは初めてだ」

 

 つい先月の事だ。領内における米の値が異常な速度で跳ね上がった。報告を聞いた時には、今までにない金額で目玉が飛び出しそうになったほどだ。

 家臣たちに詳しい調査を命ずる傍ら、急遽弥兵衛殿と三郎左衛門尉殿へ文を送った。二人は大慌てで儂の屋敷に来てくれた。

 話を聞くと、二人の領地でも同じことが起きているらしい。つまり浅井郡、伊香郡全体で米の値が上がり続けているという事だ。

 

「どういう事だ」

「買い占めか」

「備蓄などほとんど無いぞ」

 

 米の値は領民の生活、そして不満に直結している。下手をすれば一揆と言う事にもなりかねない。

 浅井家が朽木家に服して約一年、早くも領地に問題が出るようでは我らの能力を疑われかねぬ。最悪の場合敵に通じて足を引っ張ろうとしている、そう疑われる可能性もある。まさに必死だった。

 

 調べてみて分かったのは、米が新しく作られた澄み酒の製造所へ流れているという事だった。殿によって浅井郡、伊香郡へ澄み酒の製造所が作られたのだが、そこで必要な原料の米を近隣から買い上げたらしい。

 誤算だったのは商人の貪欲さだ。殿としては、現地の民に負担がかからぬようゆっくりと米を買い上げるつもりだったのだろう。しかし彼らは澄み酒作りによって需要が増えると見るや、値が上がるのもお構いなしに米と言う米を買い占めたようだ。まだ売れると決まったわけでもないのに!

 

「どうする、米の売買を禁止するか?」

「いや、澄み酒作りは殿の主導で行われておる。我らがそれを止めてしまうのはまずい」

「だが、このままでは領民が飢えて一揆に走りかねんぞ」

 

 とにかく現状を報告せねばならぬ。

 内容を書にしたため、いざ出そうという時に驚くべき知らせが入ってきた。

 

「何?米の値が下がっているだと?」 

 

 馬鹿な、つい先ほどまで上がっていたのではないのか。今回の値上がりは米不足が原因のはず、米が供給されない限り値が戻る事は無い。

 だからこそ殿に融通してもらえるよう、書を送ろうとしていたのだが……

 

 聞けば、弥兵衛殿と三郎左衛門尉殿も同じ状況だという。あれをまさに混乱というのだろうな。

 当然だが報告書は白紙に戻った。今まさに米の値が下がっている状況で、米の値が上がっています等と言えるわけがない。

 

「越前守殿、とにかく今の現状を殿に報告すべきだ。いつまた米の値が上がるか分からぬ。場合によっては一度澄み酒作りを止めてもらわねばなるまい」

「しかし弥兵衛殿、我らは状況を掴み切れておらぬ。あやふやな報せを上げては我らの信用にも傷が付くぞ」

「だがこのまま手をこまねいているのもまずい。ここは正直に書くべきでござろう。米の値が暴れていて混乱していると書けば、朽木の方でも大掛かりな調べに入るかもしれぬ。この状況で何も報せを上げぬ方がまずい」

「……分かった、三郎左衛門尉殿。おぬしの言う通りだ。殿には正直に話そう」

 

 下手をすれば頼り無しと思われかねぬ。新参者である我らにとって頼り無しと思われるのは厳しい。無能な味方は敵よりも始末が悪い。それを思えば……だが、事ここに至ってはやむをえぬか。

 それまでの経緯を正直に書き留め、使者に持たせて殿へ送った。

 

 使者の帰りを待つ間は何とも不安な日々が続いたが、その間にも米の値は下がり続けた。やはりどこからか米が供給されているとしか思えぬ。

 何かしら手を出すべきだろうか?米の値は下がっているのだ、変に刺激すればまた上がるかもしれぬ。しかし何もせぬというのも……

 どうすべきか悩んでいるうちに、米の値は何事も無かったかのように元に戻った。雨森弥兵衛殿、安養寺三郎左衛門尉殿、そして儂。三人とも狐につままれたような表情であった。

 

 数日後、殿から文が届けられた。そこには今回の経緯を把握している事、我らを混乱させてしまった事への詫び、そしてなぜ米の値が戻ったかについて書かれていた。

 

 米を持ってきたのは商人たちだった。何のことはない、米を買い上げたのも商人なら、米を売りまくったのも商人だったというわけだ。

 だが、それにしては動きが早すぎる。一連の米騒動はわずか半月も経たぬ内の事。これまでの経験からすれば、商人たちが原因でこれほど値が早く動くなどありえない。

 

 殿によれば、今回の騒動における真の要因は関を廃した事らしい。

 これまでは領内に関があった。物を運ぶだけでなく、ただ通るだけでも銭を取られた。明確な理由が無い限り、関を越えて移動しようとは思わなかったはずだ。

 だが、関を排した事で人が自由に通行できるようになった。商機はいち早く情報を掴んだ者に訪れる。これまでと違い、どれだけ人が行き来しても銭を取られる事は無い。ならばどんな些細な情報でも良い。物の値がどうなっているか、何が不足しているか、そして何が求められているか。そういった情報を誰よりも早く掴んだ者が勝つ。商人たちは目の色を変えて人を放ち始めた。

 

 これにより、関が廃された領内ではこれまでとは比較にならぬ速さで情報が行き来し始めた。我らの領内で澄み酒の製造所が作られた事、米が不足し始めた事、そして米の値が実際に上がり始めた事。知らせは瞬く間に朽木領を駆け巡った。

 商人たちは競うように我らの領地へ米を送り始めた。近隣の米が尽きたと見るや、迷わず遠方からも米を吸い上げた。売れると分かった時の商人の行動力は凄まじい。これまでは関がある事でそれらが制限されていた。そして殿によって解き放たれたのだ。

 

「我らは、関を廃する事の意味を分かっていなかったのだな」

「やむをえまい。これまで関を廃した者などほとんどいなかった。あるのが当たり前だったのだ」

「そうだな。……しかしこれほどに変わるとは」

 

 殿からの文によれば、今回の一件は関を廃した事に慣れておらぬ商人たちが過剰に反応した事も原因としてあるらしい。時が経ち、皆が現状に慣れれば今回のような急な値動きは無くなるだろうとの事だ。

 

「終わってみれば、我らは振り回されただけか」

「うむ。商人たちはさぞや儲けたろうな」

 

 苦笑いを浮かべる我らに、弥兵衛殿がどこか面白そうな表情で割り込んできた。

 

「そうでもないぞ、御二方。我らにも得るものはあった」

「ん?」

「これじゃ」

 

 弥兵衛殿が笑いながら目の前に置かれた(ふみ)を指す。胡坐をかく三人に囲まれるように置かれている文は、殿から頂いた今回の件に関する返答書だ。

 

「弥兵衛殿、何じゃその笑顔は。どういう意味か言うてみよ」

「おぬしの方こそ笑っておるぞ、三郎左衛門尉殿。何かおかしい事があるのかな?」

「これ、二人とも無礼ではないか。殿の手を笑うとは」

「妙な事を言うな、越前守殿。我らは何も殿の手がおかしいとは言うておらぬぞ。それにおぬしも笑っておるではないか」

 

 三人ともが可笑しそうな表情をしている。最初に見た時は、失礼ながら子供が書いたのかと思った。字を書けば書くほど右に上がっていく、ひどい所では前の行に重なっている所も有る。おかげで非常に読みにくい。

 

「しかしまあ、相変わらずすごい右肩上がりだ」

「不思議なものだ。殿は戦も(まつりごと)もお上手であられる。こういった隙は見せぬお人に思えるのだが……何故字だけがこうなのだろう」

 

 確かに、文の内容を見ても隙の無い御方だという印象を受ける。だが字を書く分にはそうではないらしい。手習いの時に直されなかったのだろうか?

 もしかすると周りも諦めたのかもしれぬな。仏頂面で筆を動かす幼少の殿、溜息を吐く周囲の大人たち……想像してみると中々愉快だ。

 

「二人ともそのくらいにしておけ。あまり言いすぎては噂が殿まで聞こえかねん。次から祐筆の文が来るようになるぞ」

「おお、それは困るな。楽しみが一つ減ってしまう」

「うむ。家臣たちの前では気を付けねば」

 

 部屋の中に笑い声が満ちる。殿はこれからどんどん忙しくなるだろう。自ら筆をとる機会は減るかもしれぬ。だが……出来ればこれからも直筆の文を頂きたいものよ。

 

 

 

 

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