淡海乃海 短編集   作:もりのち

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時系列:原作五巻

※二次成分マシマシという事でお願いします。


基綱ぶちぎれシリーズ ~足利義昭編~ 1

永禄十五年(1572年) 九月 三好日向守長逸(みよしひゅうがのかみながやす)

 

「朽木から和議の使者が来ましたぞ!」

 

 (ふすま)が大きな音を立て、勢いよく開かれる。思わず酒を吹き出しそうになった。息子の三好久介(みよしひさすけ)がずんずんと中に入ってくる。

 

「父上!朽木の使者が先ほど」

「飯の最中にいきなり入って来るな!驚くではないか!」

 

 むせ返りそうになりながら久介を諫めた。隣にいる三好豊前守(みよしぶぜんのかみ)殿は取り落とした里芋の煮つけが盆の外へ出ていかぬよう必死だ。安宅摂津守(あたぎせっつのかみ)殿は運良く何も持っていなかったらしい。足利義助(あしかがよしすけ)様は……両手に箸と米茶碗を持ったまま固まっておられる。

 

「飯どころではありませぬぞ父上!朽木から和議の使者が来ているのです!」

「静かに入って来いと言っておるのだ!危うく喉を詰まらせる所だったのだぞ!」

 

 義助様がコクコクと頷いている。実際口に米が入っていれば危なかっただろう。足利幕府の第十四代将軍が米を喉に詰まらせて死ぬなど笑い話にもならぬ。いや笑い話にはなるだろうが、それではあまりにひどすぎる。

 

「和議の使者と言ったか。欺報ではないのか?」

 

 比較的無事だった摂津守殿が久介を問いただしている。有難い、こちらはまだ咳が出そうだ。しばらくは任せるとしよう。

 

「朽木の使者は宮川新次郎(みやかわしんじろう)殿です。嘘を言うとは思えませぬ」

「新次郎といえば、朽木家中に古くから仕える武人だな。思慮深く大膳太夫殿の信頼も厚いと聞く」

 

 豊前守殿が摂津守殿と顔を見合わせている。里芋は無事に救い出せたようだ。それにしても、譜代の重臣をわざわざ送ってくるとは尋常ではない。

 

「文を預かっております。こちらですが、えっと……豊前守様」

「うむ」

 

 胸を抑えている儂を見て、久介が豊前守殿に文を渡す。和平となれば書いてあるのは条件か。我らは二度朽木に敗北した。それを思えば条件は厳しいかもしれぬ。義助様の将軍位返上はまず間違いあるまい。

 

「……これは」

「どうした?豊前守」

 

 驚く豊前守殿を見て、義助様が問いかけた。豊前守殿が義助様に文を渡す。訝し気に受け取った義助様だが、読み進めるにつれその顔はどんどん驚きに満ちていった。

 

「なんと!将軍位はそのままというのか」

「誠ですか、義助様」

 

 摂津守殿が驚いている。儂も信じられぬ。朽木は元々足利義昭を将軍として擁立していた。そして義助様を擁立する我らと戦い、勝った。我らは四国に追いやられ、もはや畿内で朽木に敵う者はおらぬ。当然この後は義昭を将軍にするよう動くと見ていたのだが……

 

「義昭はどうなるのですか?」

「……朽木の手で処分する、と書いてある」

「処分!」

 

 皆が顔を見合わせている。幽閉ではなく処分。わざわざそう書いたという事は、つまり……

 

「殺すという事か」

「おそらくそうだろう。幽閉であれば斯様な書き方はするまい」

「日向守、どう思う。……大丈夫か?」

「はっ、大丈夫です。申し訳ありませぬ。……朽木は義昭との決別を決めたのだと思いまする」

 

 皆が唸り声を上げた。元々大膳太夫殿と義昭の仲は良くなかった。何かあっても義昭を守る事は無い、そう踏んだからこそ我らは二度目の畿内侵攻を行なったのだ。

 

「義昭を見限った。その結果担ぐべき御方がいなくなった。ゆえに三好と和平し、平島公方家の義助様を……という事か」

 

 豊前守殿が険しい表情で腕を組んでいる。

 それにしても、処分するとは随分と思い切ったな。生かしておいて我らに対する手札とするのが常道だが、それをせぬとはよほどの覚悟だ。

 

「摂津には未だ本願寺が健在です。我らと組み一向一揆を潰せば、西へ向かうのに支障はありませぬ」

「そうだな。朽木は東を上杉と織田に塞がれておる。大きくなるためには西へ向かうしかない」

 

 四国は攻めづらい場所だ。交易の拠点としては既に土佐一条家がある、平島公方家の存在も考えれば無理に攻める必要は無い。そう考えたのかもしれぬ。

 

「朽木と和平か。将軍として京に戻れるのなら私にも依存は無い」

「よろしいのですか?」

 

 摂津守殿が驚いている。義助様が苦笑された。

 

「正直に言えば義昭めに加担した朽木に思う所はある。だがここ(四国)から見ていても、朽木が好んで手を貸した訳ではない事は分かる。もし積極的に擁立しようとするなら、我らを打ち破った後にすぐ将軍宣下へと動いたはずだ」

 

 確かに、あれから半年以上経っても将軍位についての音沙汰は無い。どう見ても朽木は義昭を放り投げているようにしか見えぬ。

 

「命を救った結果があの仕打ちですからな。うんざりしたのでしょう」

「うむ。一度目の戦いでも朽木はほとんど褒賞を貰っていなかった」

 

 朽木には随分と煮え湯を飲まされたが、あの境遇には正直同情を禁じえぬ所がある。命を張って仕えたのに報われぬ、武士としては何より腹立たしい事であろう。阿波三好家中に朽木に対してさほど悪感情が無いのはその辺りがあるのかもしれぬな。

 

「朽木の力が手に入るなら平島公方家にとっても心強い。私は和平に賛成だ。義昭めを処分してくれるというならむしろ歓迎したいくらいよ」

 

 義助様が笑い、皆も笑い声をあげた。

 実際、畿内に勢力を持たぬ我らでは義昭を討伐するのは難しい。どこぞに逃げられれば追う事は困難を極めるだろう。それでは後に禍根を残しかねぬ。

 義助様が我らを見た。

 

「お主たちはどうする。三好左京大夫を許せるのか?」

 

 皆が顔を見合わせた。三好左京大夫義継(みよしさきょうのだいふよしつぐ)十河(そごう)家の息子でありながら三好本家を継いだ男。あの男では三好を率いる事は出来ぬと思った。ゆえに我らは阿波三好家として独立し、平島公方家を主君として仰いだ。

 

「朽木が義昭を殺せば、左京大夫は主君を失う事になる。左京大夫にとって義昭は将軍殺しの汚名を雪いでくれた恩人だが……」

「朽木と戦いますかな?我らと朽木が手を結べば、彼らは畿内に孤立する事になりますぞ」

「おそらく降伏するでしょう。孤立してでも朽木と戦う、そんな度胸があるなら我らに押されて将軍殺しに手を染める事は無かったはず」

 

 あの男は周りに流されやすい。あの件だけ見ても分かる事だ。ここぞという場面で自分を貫く事が出来ぬ、そんな男に三好の当主は務まらぬ。

 

「しかし、実際に降伏されたらどうする?」

 

 豊前守殿が皆を見回した。

 降伏か……正直に言えば扱いに困るというのが本音だ。今更本家の下に入るなど考えられぬし、かといって無視するわけもいかぬ。何と言っても奴らは京のすぐ近くにいるのだ。

 

「義助様が京に入り、阿波三好は四国となれば我らの間にはかなりの距離が開く事になります。いざという時御守りする事が……」

 

 摂津守殿が言いづらそうに義助様を見た。義助様も不安そうにしている。

 

「朽木から摂津辺りを返してもらうか?その代わりに我らは本願寺の海を封じる。朽木にとっても安宅(あたか)水軍が使えるようになるのは大きいはずだ」

「豊前守殿、四国には長宗我部もおりますぞ。朽木は土佐一条を扱いかねている様子、場合によっては我らが長宗我部を攻めるという手もありますな。阿波三好が四国の大部分を取れば、西国攻めでは大きな役割となりえます」

 

 朽木にとって頼れる味方が四国に居る。その利を説ければ摂津の返還は不可能ではないかもしれぬ。

 

「西国攻めか。左京大夫たちも西国攻めでは先陣を願うだろう。我らとは功を競い合う事になる……」

 

 豊前守殿が顔をしかめた。

 敵であれば潰せばいい。しかし味方はそうもいかぬ。共に朽木と手を携えた場合、どういう扱いをすればいいのか……朽木との和平はそこが一番の壁になるだろうな。

 

 

 

永禄十五年(1572年) 十月 織田上総介信長

 

 目の前にふたつの書状がある。

 右は幕府からの書状だ。朽木大膳太夫を討て。やるかもしれぬとは思っていたが、将軍宣下もせぬ内にとは相変わらず堪え性が無い。

 左は朽木からの書状だ。幕府から朽木を討てとの書状が近隣の大名へ出された。降りかかる火の粉は払わねばならぬ。朽木は幕府と袂を分かつ。

 

 腕を組み、目を閉じながら考える。攻めるべきは今川か、それとも朽木か。

 

 このままいけば東は押し切れるだろう。今川を落とし、北条を落とし、そのまま関東へ打って出る。しかしその時、朽木はどうなっているか?

 自分が狙うのは天下統一。いずれ朽木とは戦わねばならぬ。織田が関東を制する間、朽木は西へ進むだろう。三好と和睦が成ったとあれば狙うは毛利、そしてその後は九州だ。織田が関東を制した時、朽木は手が付けられぬ程大きくなっているやもしれぬ。

 

 となれば今、朽木と戦うしかない。しかし朽木は近江・若狭・伊勢に加えて加賀・越前まで所有している。尾張・美濃の二国しか持たぬ織田ではまともに組み合う事は出来ぬ。だが越後の上杉は当てに出来まい。奴らは武田と北条の相手で手一杯だろう。織田とて今川を抱えている、片手間に朽木へ向かう事は出来ぬ。三河を放置すれば徳川はたちまち今川へ(くだ)るだろう。

 

 朽木が西で手間取れば、その間織田は東へ進める。だが織田が関東へ出ようとすれば、必ず上杉とぶつかる事になる。武田・今川を潰すまでは協力できよう。だが上杉は関東管領の家なのだ。織田が関東へ出る事を許すはずがない。

 このまま東へ進んでもいずれは上杉が立ちはだかる。しかし今朽木を攻めれば、織田は孤立無援のまま潰される。毛利と協力できれば良いが、それとて今川を放置する事は出来ぬ。今川と和平を結び、朽木と戦う……だが、いざ朽木と戦った時今川が大人しくする保証は無い。いや、十中八九背後を突く。朽木とて積極的に今川と手を結ぼう。武田は朽木と因縁があるが、今川に朽木との因縁は無い。両者が手を結ぶのは難しくない。

 

 ゆっくりと目を開ける。

 織田を取り巻く状況は厳しい。しかし、俺は同じような苦境を何度も跳ね返してきた。尾張の統一、桶狭間での決戦、そして一向一揆との終わりなき戦い。此度も同じだ。最終的には織田が勝つ。そして天下を統一する。

 

 目の前に二つの書状がある。ただの文でしかないそれは、織田の行く末を示すかのように強い存在感を放っていた。

 

 

 

永禄十五年(1572年) 十月 大舘伊予守晴忠(おおだちいよのかみはるただ)

 

 部屋は異様な空気に包まれていた。

 義昭様も、左右に控える幕臣たちも、皆言葉を発する事が出来ない。どこか現実感が無い、まるで夢の中にいるかのようだ。それもとびきり悪い夢の中に……

 

「……長門守殿、今何と申された」

 

 諏訪左近大夫将監(すわさこんのだいふしょうげん)殿が、かすれた声で問いかけた。部屋の中央で頭を下げていた男、朽木長門守(くつきながとのかみ)殿がゆっくりと頭を上げる。

 

「朽木は幕府と袂を分かつ。そう申し上げました」

 

 長門守殿が淀みない言葉で答えた。皆戸惑うように顔を見合わせている。

 

「こちらが主からの書状になります。確かにお渡ししました。それでは」

 

 言うが早いか、すっと立ち上がり背を向ける。何人かは長門守殿!と静止の声を上げるが、長門守殿はこちらを振り向くことなく部屋を出ていった。

 

「ぶ、無礼な。何だあの態度は!仮にも義昭様に向かって……」

 

 上野中務少輔(うえのなかつかさしょうゆう)殿が声を荒げる。しかしどこかいつもの勢いがない。

 

 朽木が幕府と袂を分かつ。いつかこういう日が来るかもしれないとは思っていた。幕府はあまりにも大膳太夫様をないがしろにしすぎた。幾度も頼り、命すら救われ、なのに褒賞どころか礼すらまともにしなかった。ただ顔を背け、頭を押さえつけようとした。敵対されても仕方がない、幕府はそれだけのことをしてきた。だがあまりにも急すぎる……

 

 何か理由があるはずだ。大膳太夫様を踏み切らせた何かが。

 皆の顔をゆっくりと見回していく。戸惑う者、厳しい顔をする者、これらは良い。問題は……

 義昭様を見た。顔を青ざめさせている。一色宮内少輔(いっしきくないしょうゆう)殿、摂津中務大輔(せっつなかつかさだいゆう)殿も同じだ。そして……三淵大和守(みつぶちやまとのかみ)殿?

 隣にいる細川兵部大輔(ほそかわひょうぶだいふ)殿が兄を厳しい目で見つめている。やはり何かある。常の義昭様ならばお怒りになるはず、それが動揺しているという事は心当たりがあるのだ。そして大和守殿もそれに加担していた。だからあのような反応を……

 

「しょ、書状だ。朽木からの書状には何と書いてある」

 

 宮内少輔殿がぎこちない動きで進み、書状を手に取った。そのまま中を開こうとしたが、はっとして震える手で義昭様に渡す。義昭様への文を自ら開けようとするとは相当に動揺している。

 義昭様が恐る恐る中を見る。……そのまま固まってしまった。

 

「義昭様?」

 

 よほどの事が書いてあったのか。義昭様の表情は俯いていて見えない。皆が顔を見合わせる。どうする、朽木に使者を送るべきか?だがあれほど言い切ったのだ、既に朽木は覚悟を決めたのだろう。容易に意思を覆す事は出来ぬはずだ。しかし朽木を、大膳太夫様を失えば幕府に未来は無い。幕府に朽木と戦えるだけの力は無い。やはり使者を出さねばならぬ。何としても大膳太夫様に会い、許しを請わねば……

 

 そう考えていると、(ふすま)が勢いよく開かれた。皆が何事かとそちらを見る。室町第の門番を任せていた者が、息を切らせて立っていた。

 

「く、朽木が!朽木の兵が!室町第を囲んでおります!」

 

 馬鹿な!もう兵を向けてきたというのか。驚愕する諏訪左近大夫殿と目が合った。おそらく私も同じ表情だろう。

 早すぎる。使者が返ってからまだほとんど時間は経っておらぬ。……本気だ。朽木は本気で我らを討とうとしている。もしかしたら義昭様も……

 

「く、朽木に使者を出せ!すぐに兵を下げさせるのだ!義昭様に兵を向けるなど許されぬ、これは謀反であるぞ!」

 

 中務少輔殿が口から泡を飛ばして叫んだ。しかしその顔には恐怖と焦りが張り付いている。彼も心の中では分かっているのだ。事態は取り返しのつかない所まで進んでしまった。朽木は我らを完全に敵とみなしたのだ……

 

「朽木の兵が矢を射かけて来ました!」

「朽木の兵が鬨の声を上げております!こ、ここに攻めかかるようです!」

 

 次々と報せが届く。終わりと絶望を告げる報せが。

 

「義昭様!」

「義昭様!朽木は何と!」

 

 皆が焦ったように声を上げる。義昭様が顔を上げた。その表情は恐怖に染まっている。震える公方様の手から、ゆっくりと書状が落ちた。畳に落ちた書状には、ただ一言だけ書かれていた。

 

「愛想が尽きた」

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