キルレアンの麓、ミネアの連なりに位置するエルフの街シルメニアは、新領主を迎えた後も未だ慌ただしかった。
少し前に街の一部どころか中央に配置された領主城、その奥まで魔物侵入を許した結果、いたるところが瓦礫の山となり後処理が大変なことに加え、そも住人が以前の六割ほどしか生き残れなかったためである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
以前の人口は約五千人。街の歴史は古く長命なエルフが住民だったことで異世界からの影響もゆるやかな、静かだけれど聖花栽培の盛んな街だった。
元は開拓地から始まった、ある意味普通の街。しかし近場にて突如として迷宮氾濫が起こり、街の騎士団はそれに対処しきれなかった。
邪神が支配する地下空間。魔物の跋扈するダンジョンがいつどこに出現するか事前予測は不可能である。そして、出現後に通常の人間が対処することもまた不可能だった。
理由は瘴気。ダンジョン最奥に鎮座する瘴気核から溢れ出るそれは、人の身体どころか魂までをも腐らせ死に至らしめる。治療薬のエリクサーは量産困難であるし、対処療法でしかない。
結界を張り一般人への影響を最小限に留めているうちにダンジョンの瘴気核を破壊せねば影響は拡大し続ける。しかし、ただの街騎士団にダンジョン攻略など、これも不可能な事柄であった。
なんとなれば、アデプトが居ないからである。瘴気のもたらす死病を治癒出来るのは、エリクサーを除けばアデプトの使う最高位治癒術のみ。そして、アデプトの絶対数は足りていない。
ゆえに迷宮氾濫で魔物に蹂躙された都市の行く末は、ほとんどが滅亡となる。
ところがこの街シルメニアには、奇跡的にアデプトの到着が間に合った。
迅速な避難も功を奏し、実に人口の六割に当たる三千人弱が生き残れたのである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
街区画が壊滅状態なことを鑑みれば、人の被害は極めて少ないとも言える。アデプトの数は少なく、シルメニアのようないわば小都市には構ってられないのが普通。
かのアデプト、コノエが全滅前にシルメニアへ到着したのは、本当に奇跡的な巡り合わせだった。故に生存者一同は感謝の念を胸にみな前を向き続ける。
死亡した住民四割の中には、親しかった人々が居る。家族や友人、領主家族もただ一人を残して果てた。正直悲しくはある。しかし、生きて残れたのはコノエ様の献身的治癒あってのことと知ってなお打ちひしがれるわけにはいかなかった。
普通のアデプトはここまで治療をしない。案件が街への駐在なら、治癒は別料金とされても文句は言えないところだ。
なのにコノエ様は、さも当然であるとして七日七晩にわたる奮闘をしてくださった。
それへ報いるためには、生きて前を向かねばならないのである。
また前を向ける理由は、もう一つあった。
前領主様の娘テルネリカ姫が生きてアデプト様のお側に控えることとなったのがそれだ。
記録上でいえば、彼女の父親は迷宮氾濫のおり街放棄命令に逆ったあげく死亡したことになる。
結果シルメニア家は取り潰しとなり、公式には彼女とこの街シルメニアに直接の関わりが無くなったわけである。
情に流されたのは貴族としてあるまじき失態。いわんやその娘など語るに及ばない――もしシルメニアが滅んでいたならば。
結果として彼女がお連れしたアデプト様は残り全員を救い、街の誇りともいえる聖花の種を見つけることが出来たのも彼女が泥にまみれながら捜索に加わってくれたお陰とあらば、誰が彼女を無碍に出来ようか。
とはいえ、口に出せるかは別な話で。
領主が交代したからには、あからさまに前領主にまつわる話なぞ聞きたくないだろうと、秘するが花な扱いともなってしまっていた。そして噂話をしようにも、話せる内容がどうにも限られていたのも彼らの口を重くした理由の一つだった。
なにせかの迷宮氾濫の折、シルメニアを救ってくれたアデプト様コノエと直接話した人物はごく僅か。
彼をこの街へと導いたテルネリカ本人を除けば騎士団長か城務めのメイドたちくらいであり、後は一番最初に街へ到着して治療を始めた際に指示を聞いた者が数名いる程度。
街の見回りに出向いた際の姿はみな見ていたし、その後ろをテルネリカ姫が慎ましやかに歩いていたのも周知の事実。
ただ一点、迷宮氾濫後のテルネリカ姫が常にメイド姿だったことには誰もが驚いたものの、それでコノエをどうこう思う者はこれも皆無だった。
そして、コノエに話し掛けられる者も残念ながらたたの街人には出来ることでは無かった。
普通に恐れ多いし、テルネリカ姫が控えているのに直接話しかけるなんて出来ようもない!
そして残念ながら、コノエが領民へ自ら声を掛けたのもただの一度だけだったのである。
街で子供に治癒魔法を掛けた際、彼は発声していただろうか? 子供本人は分からないと言っていたし周囲で聞いた人もいなかったが声を掛けたのだろう、たぶん。
まぁコノエ様が悪いのでは無い。あの散策時も常に警戒していたとあらば、無駄口を謹んだのだろうとも考えられる。
そう結論付けてなお、こうも思う。
話に聞くアデプトたちなら、向こうから要求があるはずなのに!
街一つを丸ごと――というには到着前の被害が多くて語弊があるが――救ったにしては、コノエは要求が少なすぎた。
七日七晩の治療中、その後の警戒期間中も彼はすべきことをし、なのに契約以上の見返りを求めなかったのだ。
コノエとテルネリカの契約について、詳しい内容を知ってる者は誰もいない。事前の書面用意の際、テルネリカの乳母だったメイドが内容を精査したので彼女も一応知ってはいるものの、それを漏らしたりはしなかった。
なのでコノエに報酬が支払われたかも、誰も知らないはずであるが……前領主家族三人の亡骸を街へ迎え入れた際にテルネリカが同席しなかった事実から、その理由を類推してしまった者が居たのだ。
そしてテルネリカが再び現れた際の騒動に加え、騎士団長が秘蔵酒を渡した経緯があったため、コノエが本来の報酬を拒否した旨もまた周知の事実となってしまったのである。
いくら感謝の意を表すためとはいえ、頼み込んで聖花酒を渡すところを他人に見られたのは騎士団長にとって失態だった。
いや、あるいは快挙だったと言えるかもしれない。報酬固辞なアデプトへ街の感謝を直接伝え、それを公表できたのだ。
シルメニアは恥知らずではない。その一端を受け取って貰えたのは幸いだった。
とはいえ、それで恩義に足りるわけも無く。
命の代価を、聖花の未来を、領主家族の尊厳を救ってくれた対価を、いかにコノエへ報いたらよいかの葛藤は残ってしまった。
再度思う。謙虚すぎるその姿は、あまりにもアデプトらしくないのである!
案件依頼の相場は知らねども、アデプトなる方々の振る舞いはある程度知られている。
強い方々、生命神の加護を得て戦うその様は常人には及びつかぬほど無造作に敵を殲滅し尽くす。
そして、治癒においても死者さえ蘇らせるという。
もちろん死者蘇生などいくらアデプトであったとしても不可能な話である――心臓が止まってすぐなら可能であるものの――が、少なくとも死病を根治させる時点で常人視点、死者に至る者を蘇生させうると同義だった。
誰もが憧れるものの、たどり着けるものは稀な、それがアデプト。
過酷な訓練の果て、成るべくして成ったほんの一握りな選ばれし者。あるいは選び続けられた者。そしてそれは、自我を貫き通した証でもあった。
自らの魂と身体を訓練に捧げて最低十年。あのコノエ様は後で聞いたところ二十五年もの歳月を捧げたという。
長命なエルフや竜人にとってさえ短くは無い時間を訓練に打ち込める者は、良く言えば初心貫徹、悪く言えば頑固者となる。
アデプトとなりえた者は、すべからく折れない自我を持っている者とも言えた。
その自我は行いの対価を必ず求めるとも聞いていたのに、かのコノエ様は自ら要求をしなかったのである。
先例はある。彼らの自我に反しない限りにおいて交渉の余地は常にあり、相場より安値で請け負ってくれた事例や、あるいは逆に相場以上を要求された事例も伝わっている。
相場はあくまで目安でしかないのだ。アデプトも人である以上気まぐれを起こすことは当然にあり得る。
しかし今回、コノエ様が救った対象はシルメニアの街一つ。
数多の人間が救われた事実に対し、無報酬とはいかなかった。してはいけない話だった。
いくら高価な酒を渡したとて、本来の報酬に比べれば無報酬も同然。成した事柄の天秤が釣り合っていないことを領民誰もが感じ取っている。
故にテルネリカが彼の側仕えとなったことは、すなわち街の希望となった。
縁を持ち続け、対価を捧げ続けられるのはシルメニア領民にとって誉れであると言ってもいい。それでさえはなはだ不十分であるのもみな承知だが、アデプトの固辞は本当に崩すすべが無い。
納得するしかなかった。いつかきっとお返し出来るものと。
彼女が生きている限り、シルメニアの街はコノエ様へ対価を返し続ける。幾年、幾十年、あるいは幾百年。
だがしかし、テルネリカの出仕は新領主にとって、はなはだ不都合なことでもあった。
前領主の娘が領民総意をもって新領主以外へ任えているのだ。街放棄命令違反で取り潰された元貴族の人間がである!
テルネリカは犯罪者ではない。貴族の地位を剥奪された、ただの人。そして今は、アデプトの庇護を受ける者となった。なってしまった。
新領主も領民のテルネリカに期待する想いを知っている。知っていて咎めたり逆に忠誠を得ようと葛藤することも無かった。
救った彼と救えなかった自分を比較すれば当然ではないか。そうも思っていた。
別なアデプトのように統治へ介入することもしてこないので、今のところ実害は無いのだ。
また、その後の話を聞くに、コノエ様は災厄級の魔物をもう一体仕留めたほか、殺せない魔王として有名だったアーキノルカの魔王を殺した旨も伝わってきている。
今やコノエ様は時の人だ。最新の英雄と言い換えても良い。最強の名高いかの銀灯でさえ殺せなかった魔王をどうやって殺したかまだ詳細は伝わってこないが、重要なのはそこではない。
その彼と縁を結べているこのシルメニアの街は、つまり今後この街に再び災いがあっても彼に救援要請可能ということ。
無論絶対呼べるわけでは無い。世界は広いし間に合わないことは十分にある。しかし保険としてはあまりにも大きい縁であった。
今現在、世界にたった九千人程度しかアデプトはいない。いくら本人達が一騎当千の強者といえど、広大な世界に絶対数が少なすぎる。
あの手この手で永住勧誘が絶えないアデプトの一人と末永い縁を結び続けられるのであれば、領主椅子の居心地が多少悪くとも十分にお釣りが来るだろう。
新領主としては、今は割り切るしか無かった。どのみち領民のコノエへの想いは新領主への悪感情と同義ではないのだ。狭量な気持ちで疎ましく思うなぞ、貴族としてあるまじき感情でもある。
そして、それを思い煩う余裕も、また無い。
破壊された街を再建し、他街から移住を受け入れる態勢を整えるなどすべきことは山積みのまま。
今日もまた、領主の机には決裁すべき案件がうず高く積まれていた。
それらの処理中、ふと気になった領主はメイドの一人を呼びつけて尋ねた。
「テルネリカ嬢がアデプト様へ報酬を支払うはずだった件ですが、かの錬金工房へ手配されたのはどなたでしょう」
迷宮氾濫と続く命令違反によるお家取り潰しにより、テルネリカ個人の財産は全て失われた。
故に自らの売体でアデプト招集に掛かる報酬財源を求めようとしたのだ。
この街では売体出来なかった。施設破壊に加え人材が死に絶え施術困難となっていた。
なにより、テルネリカ本人が売体の様を領民へ見せたくないと強く願った。
誰か止める者が現れることを危惧した彼女は、覚悟を飲み込んで遠方へ出向いたのである。
契約者はテルネリカだけ。自身が無財産なことを知られコノエに固辞されることを恐れたのは理由の一つ。自身で契約を果たせない自分など、恥も恩も知らない行為など出来ようもない!
そして僅かではあるが、領民が財産を持ち寄る可能性も彼女は潰しておきたかった。
なにせテルネリカは領主の娘。彼女の境遇が知られたなら領民が善意で報酬分を積み上げたかもしれない。それがテルネリカの尊厳を破壊しようとだ!
自分でケリをつける。それはテルネリカがコノエと対等であろうと決意した表れだった。
他人の善意にすがる姿など、恋した相手に見せたくはなかったのだ。
とはいえ無財産なのは変えられるはずもなく、ましてや高額な転移門使用費を彼女自身で用立てできるはずもなかった。シルメニア家取り潰しの沙汰は、テルネリカが神都行となる前のこと。その時点で財産凍結はなされている。
では、神都と錬金工房のある街、二度にわたる転移門使用費を誰が工面したのか。
凍結されたはずの領主財産から費用工面したのかとの疑念が新領主の心には残ってしまっていた。
直感ではありえないと思うし、これまでの書類でも問題は見つかっていないが、していないという証明は極めて難しい。
非常時だから関係ない? そうはいかない。一回の使用に莫大な費用が掛かるのは使用料で利益を得るためでなく、高額な品が用いられるゆえである。無財産な小娘一人の要望に応じることなどありえない。
その質問に対し、年配のメイドはこともなげに答えた。
「それは私が。最初の神都行きもそうですが、かのテルネリカは何も出されてはおられません。領主様がご心配なら私あての領収書を取ってまいりますので、申し付けください」
テルネリカに対し、あえての敬称なしな呼び名とした。もう彼女は一般人なのだ。新領主の前で以前のように呼べるはずもない。
言外の意味をしっかり理解し、僅かに口元を緩めた新領主も速やかに答えた。
「いえ、必要ありません。不躾な質問で失礼しましたね」
いくら城務めのメイドとはいえ個人で門を、それも二度も開けさせたとなれば蓄えをほとんど使ってしまったかもしれない。それでもかのメイドの顔は誇らしげだ。
なにしろ彼女はテルネリカの乳母だった。娘を母親が支援するのは当然で、今回のように実親を頼れないなら尚更のこと。
神都行はテルネリカだけでも助かってほしいとの個人的な想いが含まれていたものの、二度目は個人的には行かせたくなかった。
それでも彼女たちは売体への渡りをつけた。コノエとの契約にこだわった。
相手に顔さえ向けられない恋など、砕け散ってしまえ!
かろうじて転移門使用費がこの年配メイド負担なことをテルネリカに認めさせたのが、彼女の精一杯であった。故に胸を張る。
「すべきことを行っただけです。そして、あえて質問いただいたことに感謝します」
行いに恥じることなし。テルネリカは貴族の地位を追われたものの、罪人ではないのだ。
ましてや転移門使用費の踏み倒し疑惑など、言いがかりもはなはだしい。
それでも、それだからこそ、このやり取りは必要だった。前領主一族が清廉潔白だったことを明らかにせねば、仮に誤魔化しがあった場合、回り回って現領主の咎ともなりえてしまう。
新領主も生まれはこの街、前領主の血族。しかし街のためとはいえ運営費横領を私情で見過ごせるわけもない。そう、前領主が情で死亡したが故に。
貴族も人であるが、その上から監視される身でもある。古きシルメニア家、その後を引き継ぐのはなかなかに骨なのだった。
どちらともなく頷いて一泊。新領主は口を開いた。
「すまないけれど、お茶をいただける? 今は執務室で風情がないのですけれど、いつかは物見塔でお茶をいただきたいわねぇ」
「分かりました。直ちにお持ちいたします」
かのコノエ様の見張りに付き合って、テルネリカ嬢は塔の屋上でご相伴にあずかっていたと聞く。
正直、羨ましいとしか思えない。もうそういう年齢でないことは重々承知だけれども、ろくに休みも取れない今の境遇と比べたら雲泥の差だ。
自分から復興に手を挙げたため自業自得ではあるものの、小娘上手くやったわねと内心で愚痴を吐いてもこれくらいなら許されるだろう。
年齢、ロマンス、対するは地味な復興作業。世間で求められるのは、いつだって派手な物語だ。
この先コノエが活躍を続け名声を高くするほどに、最初の足跡としてシルメニアの名も語り継がれるはず。
願わくば、かつてあった街などと前置きが必要な物語にはさせたくないわねと とりとめない思考を横に置き、今日も領主は書類の山に取り掛かるのだった。
あからさまな蛇足!
作風は昔と変わってないので、今作もふんわりした仕上がりとなりました。
次は異世界召喚されながら主役になれなかったモブを描いてみたいです。
あと読んだ足跡に顔文字『(o´∀`)b』でも何でもカキコくださると嬉しいです!