時系列は第一部。テルネリカの姿もあります。あってしまうんです……
何故あたしじゃない。片足な隣でもない、明らかに衰えたあちらでもない、なんであの女……
選ばれた女、もう少しで死にそうに思える、でもまだ息のある女。息とともに血を吐き、鉄の匂いを撒き散らした女。
血の色が目についたんだろうか。匂いを感じ取ったのかも。アデプト様ともなれば、怪我病気の気配は離れてても敏感に察することが出来るって聞いた。
歩み寄ってきたアデプト様が即座に治癒出来ないほどの病状は、もしや死病だったの?
患者がここ神都にいるとは思わなかった。だって都市結界が破られた話は聞いてない。町外れでまっさきに被害あるだろうスラム地区ものんびりした様子で、瘴気が流れ込んだなんて噂にもなってない。じゃああの女はどこから?
女のほかに血の匂いはただよってない。だからアデプト様は迷うこと無く治癒のため手を伸ばし――当の女にその腕を掴まれた。
治療させじと続く訴えは、街を救ってほしいと。私ではない、と。
そんな馬鹿な! 自分を救わないなんて信じらんない。あんたが嫌なら、救われるのはあたしでいい!
そう言い出したいのを、喉がギリギリ制止する。慈悲を要求にしちゃいけない。それくらいはガキのあたしでも分かってる。アデプト様の邪魔をしちゃいけないって。
でも今のは、この場でアデプト様へ願い出るには相応しくない訴えとしか思えない。
この場に集まるような人らは、いわゆる貧乏人のはずだ。金がなく、力もなく、慈悲に縋るような最底辺の人ら。街を救うような凄い話なんて出るはずもない。
なのにあの女は、血を吐くような状態で、なおも街をと言い続けてる。正気とは思えない。
途切れてく声にアデプト様はこの場での治療を諦めたのか、その女だけを抱きかかえて再び階段を登ってった。迷うこと無く行ってしまわれた――もう、戻っては来ない。そう思う。
即座に階段上の大扉が閉まり、誰も居なくなる。それを、ぼんやりと見やった。閉じたのは、あたしの未来、あたしの明日、あたしの……なにかすべて。
消えたアデプト様を追って周囲が動き出すなか、あたしは失ったモノの大きさになかなか動けないでいた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
あたしが神都スラム地区に住んで、もう数年にもなる。親は居ない。魔物に殺されたと聞いたけど、本当かどうかさえ分からぬままあたしだけが生きながらえてる。
少しの配給と荷物運びでの日銭があたしの命綱で、そこから抜け出せてない。文字が書ければもう少し仕事のやりようあるかもだけど、以前いた孤児院じゃ勉強の余裕はどこにも無かった。
あそこじゃ自分の食べ物を守るのに精一杯で、酷いときには寝てる間に奪われたこともある。偉いさんたちは渡すところまでは公平だったけど、その後のいさかいまでは面倒みてくれなかった。
毎日寝床あることだけが救いだった。あとは力がモノを言う場所。出ても良いことに気付くまでの一年間、あたしは何も出来ず奪われるだけだった。奪えるほど力あるヤツは色々出来てたみたいで、文字どころか魔法習得にすら手を伸ばせてた。
対するあたしは、妬む暇すらありやしない。そちらの様子に気を取られて注意をおろそかにしたら、食べ物を奪われるんだ。
もちろん他人の食べ物を奪うのは良くないことで。見つかれば酷い罰を受けてたけど、それは見つかればの話。より巧妙に、より陰湿に。対応出来ねば奪われるだけの日々。
たまたま出かけた先でいつまで孤児院に居るのかと尋ねられ、出ても良いことが分かった。そんなこと教えられなかった。いや、たぶん話はされてたのだろう。あたしがいつも食べ物に注意を傾けてただけで、それ以外の話を全て聞き流してたから。
翌朝の配給直後に孤児院を飛び出して、一度もあそこに戻ってない。行き先すら告げず、一人で黙って出た。大人に言っても邪魔されただろうし、着替えさえろくに持ってないガキが食べ物だけを持って出て、誰が注意を払う?
後で騒ぎになったとは聞いた。ただそれは、あたしの分を当てにしてたヤツが騒いだというだけで、あたし自身を探してるという話じゃ無かったよ。
あの孤児院は、ガキ一人を探す余裕さえ無かった。それを聞いて、ホッとしたことを覚えてる。出た判断が間違ってなかったと知れたからだ。全ての孤児院がそうだと言うつもりはないけど、最低限の食べ物さえ奪われる場所にどんな価値があるんだろう。
以来、ちょっとした荷物を届けて日銭を稼いだ。みすぼらしいガキに頼むような配達先は当然に相応の場所でしか無く、夜に軒先を貸してくれるところなど無かったけど、荷物の届け先で昼間のうちに少しの間休ませてもらいながら街のあちこちを転々とした。
昼の軒先じゃ、長くは眠れない。そりゃそうだ、ガキが店近くで長時間眠ってたら色々疑われるだろうよ。そして眠る前に食べると満足してなのか眠りすぎるので、空腹で眠るのが当たり前になった。
他から見えない場所で、それも明るい時間に短時間だけ眠って、起きてから配達の駄賃をもらい、それで食べ物を買う日々。さっきも言ったけど、夜中にガキが一人で眠れる場所なんてあんまり無いんだよ。それなら昼に寝たほうが安全だ。
何かあったら追い出される条件付きでなんとか眠りを確保して、ほんとに問題起こって追っ払われたらお駄賃も食べ物も無しでうろついて、やっといくばくかの蓄えが出来るようになった頃、あたしは何回か荷物を届けたことあるおっちゃんにずっと気になっていたことを聞いてみた。
あの向こう、一番高く見えて目立つところには誰がいるのかと。
聞かれた方はそんなことも知らないのかって少し笑ったものの、それでもなんとか教えてくれた。あそこには神様とアデプト様がいらっしゃるんだよと。
神様は知ってる。神様に誓ったことは破ってならないと、それだけは覚えている。神様はいっぱい居て、こんなあたしにも神様のうち誰かの加護が与えられてるって聞いた。
加護があるから誰とでも話が出来る。それがこの世界の常識だとか。でも文字を書くには勉強が必要だって続けられていて、あたしにその余裕は無かった。
読むだけで精一杯。読めねば騙されるかもしれないから、必死で文字を覚えた。読めれば書けるなんてどこかの配達先で言われたけど、文字を書くには練習が必要で、その時間も道具も持ち合わせがない。
夜はずっと起きてたから暇自体はあったものの、灯りが乏しい状況で何が出来る?
怪しまれないよう、見回りに見つからないよう、暗がりを探して歩くガキにはそれ以上のことが出来なかった。
あんな目立つ場所に居ながら、神様はあたしたちを救ってくれないのか。そう呟いたら、ちゃんと救ってくださると言われてしまった。なら、なんであたしはこんな生活を?
親もなく、学もない、力もない、お金もない。何にも持ってないガキ。あたしには、救う価値がないのか。
おっちゃんは、そんなあたしを憐れんだのか、少し時間取って話をしてくれた。
神様は世界中の人々を見てくださってるけど、邪神によって色々妨害されてること。街を襲う魔物は邪神の部下で、世界の強者は魔物を相手取ってるけれど、肝心の邪神がどこにいるのか分からず戦いが数千年続いてること。そして、強くなるには結局自分自身で鍛えねばならないことも。
なんだ、弱いヤツは弱いままなんだ。じゃあ、助けなんて無いよね。
神様たちは大忙しで、強者も忙しくて、弱いヤツを助ける暇なんてない。親がいなくて孤児院に預けられても、弱ければ食べ物すら奪われる。それが嫌でも、行く先がない。
あたしはかろうじて街のスラム地区に居られるけれど、街を出たら死ぬしか無い。一回だけ開拓村に行かないかと誘いあったけど、魔物を妨害する結界さえ無い場所と聞いて断った。
ガキでも食べ物は与えられるらしいので、奪い合いのある孤児院よりはマシなのかしれない。でも結界が無く殺されるかもしれない日々を送るには、あたしは何もかもが足りてなかった。
みんな同じ条件だから全員で頑張ろうと言われても、同じガキに食べ物を奪われる程度の力で、あたしが何の役に立てるというのか。魔力があれば大丈夫。そんなの分からない。だってあたし、自分に魔力があるかどうかさえ分からないんだから。
力があればと思ったことは数しれず。その度に魔法出ろと念じても、何も起こらないのも数しれずで。あたしは自分に力があるとは思えなくなっていた。
おっちゃんも魔力で少し腕力を強めるくらいなら出来て、実際あたしより力持ちだけど、魔物と戦うにはまだまだ能力が不足してるんだって。少なくとも、ちょっと鍛えた程度じゃすぐ死んじゃうらしい。
頑張って鍛えて、荷物がいっぱい持てるようになって、ついでに脚も早くなって、それで最初の一歩。どれくらいと聞いたら、ネズミの魔物程度だって。あの小さいのは魔物だったの!?
夜中、何回も見かけたことがある。酷いときには座ってたら食べ物を齧られそうになったことも。何とか守り通して安堵したことは今でも覚えてる。チーズの匂いがアレを引きつけるらしいと後で聞き、極力食べ物を持ち歩かないようにしようと決心した一件だ。
その時は立ち向かえず、隙を見て食べ物を口に詰め込んだら諦めてくれたんだっけ。棒で叩こうにも、すばしっこくてダメだったな。えっ、街にも居るあれが魔物だってことは、結界が壊れたんじゃ……あたし魔物に殺される?
いきなり震えだしたあたしを見て、まあ落ち着けとおっちゃんは肩を叩いてきた。痛いよっ!
そしてあたしを諭すように、真剣な目で話を続ける。
ネズミ程度の魔物、魔鼠って言うらしいけど、それは纏う魔力が少なすぎて都市結界でも完全には排除できない。でも少し鍛えたら殺せるし、実際におっちゃんも小さいのを殺したことあるって言ってくれた。それより強くなると、おっちゃんじゃ立ち向かえないものの、逆に都市結界へ忍び込めなくなるんだって。なんか隙間を探してるみたいと呟いたら、そんな感じだそうだ。
それに、ここ神都はアデプト様が多く居て結界が多重に貼られてるから、その魔鼠程度すら入り込めてないはずとも言ってくれた。だからあたしが遭遇してたのも、普通の動物のはずで……本当なんだろうか。
疑わしく思うけど、今のあたしはそれを信じるしか無い。だって、ただの動物にも勝てないもの。何も知らなくて、力もなくて、魔物に怯えるだけ。
でも、あの高いところに住む人らだって、邪神に怯えてるんじゃやっぱり力があるとは言えないのかもね。なんかガッカリしてそう言ったら、そりゃそうだと同意された。
しかし、邪神には勝ててないけど立ち向かっている、と。戦い続けていると。だからこの街であたしらは生活できてる……らしい。そうなのかな。あたしから食べ物を奪うガキ、それを監督する大人、自立して店を構えるこのおっちゃん。住民を取り締まる見回り。それらを全部足しても届かないくらい高い住処と住民に、それを上回る邪悪な存在。
届かない力に意味はない。そう思うのは、あたしがモノを知らないからなのかも。それでも、あたしが魔物とほとんど会わないのは、他の人が少しだけ頑張ってるお陰なんだろう。
生かされてるとは言えないし、欠片も思えない。感謝を言えるほどあたしは何かをしてもらえてない。魔物に会わない、それが結界を張る誰かのお陰だとしても、日々しか送れてない生活に感謝なんてない。まぁでも、こうやっておっちゃんに色々教えてもらえなければ、結界が誰かの成果なことすら知らぬままだったかも。
ますます街から出られなくなったと思いつつ、おっちゃんに大人しくお礼を言ったら、最後にこんな話をしてくれた。
数年、あるいは十数年に一度。高いところにあるあの大扉の向こうから、アデプト様がおいでになるんだって。さっき言ってた強い人で、人類の希望。最後の砦。人類の到達した武の頂点。そんな方が姿を見せるそうな。
あそこに住んでるんじゃと聞いたら、教官と言われるアデプト様のなかでも一等凄い方が神様の護衛で住み着いてるけど、普通のアデプト様はバラバラに住んでるらしい。そもアデプト様は数千人いるから、全員は住めないんだって。
それで、あの大扉の向こうに世界中でも十ヶ所しかない訓練施設の一つがあって、新しくアデプトになったら旅立つ際にお姿を見せる……らしい。なんか大変だね。
そして重要なのは、その際に誰かを救ってくれるかもしれないことだと、おっちゃんは続けた。
アデプト様は死んでない限りどんな病気や怪我でも治せるから、治すお金の無い人が慈悲に縋ろうと出立の日に集まるんだそうな。
数千人いてもアデプトの数は足りなくて、救いを求める人は多い。あたしが歩く範囲内でも片腕や病持ちはけっこう居たな。あたしも今はなんともないけど、動物に襲わて怪我することあったし、これから大怪我を負うかもしれなくて。治してもらえるなら凄くありがたいかも。
でもいつ訓練を終えられるかは誰にも分からなくて、前回の出立者は数年以上も前だと言われた。おっちゃんは最初から諦めて遠くから眺めただけだったものの、凄い人数が集まったそうだ。軽く一万人は居たはずで、その全員が新人アデプト様ただ一人に縋ろうと歩み寄っていくらしい。
この街でそんなに半端者いるんだろうかと少し思ったものの、スラム地区全体が貧乏人の集まりなことに気付いて納得する。いっぱい居るね。怪我が無くても病持ちかもしれない。病気無くとも、知り合いがそれかもしれない。あたしみたいに、縋りたいだけかもしれない。
そんなことを考えてる自分に驚く。あたし、救われたいの?
何も無くとも、アデプト様に見初められれば何かあるかもしれないと考えることは、酷くあたしの心を掻き乱した。日銭しかなくても、会うことさえ出来れば?
なんか、目眩がする。気持ちと体が変だ。あたしにも……
そんな感じであたしは倒れたらしい。後で、急に青ざめて倒れたから少し寝かせたぞとおっちゃんに教えてもらった。
迷惑かけてごめんと謝っておく。いくばくかのお金も渡した。こんなあたしでも、それくらいの礼儀は持ち合わせてるよ。ガキなんて見捨てればよかったのに、最後にそう告げたら、今度はそうすると軽く返された。
今度なんて来ない。そしてアデプト様のご出立にも間に合わない。それだけを思う。どのみち数年どころか十年以上も先の話なんて期待するだけ無駄だ。
そう切り替えて、またあたしは日々の生活に戻っていった。いつか現れる強者なんて、待ってやらない。そう思ってたはずなのに。
その後、たった数ヶ月後にアデプト試験を終えた人が出た際、あたしの体は何故か動いていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アデプト試験突破の報は、街中に響いた。それこそスラム地区にも張り紙があったほどで、かろうじてあたしにも知ることが出来た。しかも、試験終了してすぐに出立されるのでなく、何日かの猶予があるらしい。
それを知って、心が騒いだ。前回も大勢の人間が詰めかけて、それで救われた人が居たかどうかさえ分からない。姿を見せることは確かでも、救うかどうかはそのアデプト様次第。
努力してアデプトになって、その最初が縋る人だらけなのを見たら愕然とするだろうか。それとも、これだけ救う対称がいると嘆くだろうか。何も、分からない。
でもあたしは、そのアデプト様の姿を見てみたいと思ってしまった。何も持たずとも、救う対象になれるだろうか。そんな馬鹿な考えが頭に浮かぶ。
それでも、と。溜め込んだ銅貨を胸に食べ物を買いに向かう。街中に話があるくらいだから、たぶん出迎えがたくさん必要で、その集まりを待ってるのなら一日分じゃ絶対足りないよね。
今の蓄えじゃ三日分くらいが精一杯だけど、それ以上居座ったらきっと体が持たないと思う。昼夜関係なく一人で場所取り続けたら、下を漏らしかねないんだよね。それはさすがに恥ずかしい。
場所取りに誰かを頼ったとしても、もし自分が選ばれたいならその誰かは邪魔だしなぁ。おっちゃんでも嫌だし、やっぱり一人で行くしかないか。でも大扉から続く階段の、そのすぐ下くらいに居なければその一人でさえ見ても貰えないかもね。厳しそうだけど、あたしが階段前に居続けられるかどうかかな。そして、あわよくば。
そう決意して、食べ物を持ちあの大扉を目指す。学のないあたしが分かる程度のことは誰でも思いつけて、階段前には既に百人近くが座ってた。後ろを振り返ると、続々と歩いてくる人の群れが見える。
落ち着け、あいつらはあたしの後ろだ。階段が目前にあるこの場所を確保すれば、あたしもアデプト様を直接見ることが出来る。
見るだけ? いや見るだけならば、もっと後ろでもいい。なのにあたしは、かなり前に居ようとしている。何もないけど、逆に治したいとこもない。ただの、チビで、ガキ。
座ってから周りを見ると、ほとんどの人に何かしらの病か怪我が見て取れた。咳込んでる金髪女は肺の病か。あっちは右足がない。背中をさすられてるじいちゃんは、若返りが望みなのかも。
この前のおっちゃんにアデプト様が出来ることの内容を聞いてたけど、およそ人が対象ならほぼなんでも出来るらしい。手足を生やしたり、若返りも出来るし、死者も直後なら生き返らせるという。無茶苦茶だ。
病も、治せないのは無いそうで、全身が腐る死病でさえ治せると聞いた。それもそのはず、彼らはダンジョンの奥深くで核を壊すのが仕事だそうだ。死病の原因、瘴気が満ちてるそこを歩くなら当然の御業だって。
まぁ、死病の人なんてこんなとこには居ないはず。だって魔法なしじゃ一ヶ月で死んじゃうし、その前にだいたいは痛みで死んじゃう病だからさ、瘴気を浴びた場所から移動してくるなんて出来ないもの。転移門だってお金掛かるから、その金でさっさと治してもらったほうがいいじゃん。
移動できないほど貧乏なら、この街にも来られない。あたしが別の街へ行く金が無いように、その街でそのまま死ぬしか無いんだ。
だからこの出立に縋る人らは、ほとんどがこの街に居る人。問題あっても治す金のない、貧乏人。スラム地区から出るだけの力を持たないあたしみたいな人。
そう。どれだけ集まっても、みんな貧乏人だ。自分に言い聞かせて呼吸を整える。ボサボサの髪は重要じゃない、汚れも年も関係ないはず。持ってないことで追い出されたりもしない、病があっても居続けられる。死ななければアデプト様に会える。だって食べ物を持ってるもの。下を出さないよう少しずつしか食べられないけどさ。
そういえば、他の人は食べ物を持ってるんだろうか。自分のを取られないよう注意しながら見たら、なんか魔法で水を出してる人がいた。えっ、そんなこと出来るのにここに居るの!?
さっき咳込んでた人だ。肺の病と思ってたけど、違うのかな。なんか服も高級そうだし、同じ貧乏人だとは思えない感じ。魔法が使えるなら、お金あるはずじゃないの? 居なくなってほしいんだけど……
あたし自身も病なしで来てる身だから他人を強くは言えないけど、同じじゃない。彼女は、違う。どう違うかは分からない。でも違う。
あとから来た人らを見ても、彼女はどこか違って見えた。静かに祈る姿。黙ってるのに大声を出してる――お助けくださいと。そりゃ病があれば助かりたいよね。あたしもアデプト様に会えたら言おう。助けてくださいって。それは同じなのかな?
あんまり神様に祈ることしてなかったけど、やることも無いしであたしも同じように祈った。抱えた食べ物は、まだ誰にも取られてなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
あれから三日目、まだアデプト様は出てこない。用意した食べ物は、かなり減ってきてた。少しずつ食べようとしてたんだけど、これだけ他人が居るとどうしても取られそうな気がして、気がつくと口に含んじゃってた。
他人に囲まれピリピリしてるせいか、汗が出やすい。お陰で下を気にしないでいいのが凄く助かる。周囲で少しずつ人が変わってるのは、食べ物でなのかそっちでなのか。みんな祈ってて静かなものの、あたしに誰かの様子をうかがう余裕はあまり無かった。
食べ物取らないで! たくさんの人に囲まれて、気が気でない。誰かが祈りの下から手を伸ばしてきそうで怖い。かといってここを離れたいとも思えなかった。アデプト様の話がホントなら、あたしをも救ってくれるかもしれないんだ。せっかく階段が見える場所に居るのに、一旦ここを離れたら戻ってこれないと思う。見渡す限り人が居るんだよ、怖い。
隣とは少し離れてて、手足程度なら動かせる。最初はもっと近かったけど、食べたりなんだりで自然とこうなった。夜に起きてること多かったから、昼に祈ってると眠くなる。その度に食べ物の存在を思い浮かべて必死に起きてた。取られたくない。
場違いと思ってた女は、あれから一回も動かず同じ場所で祈り続けてた。食べてる様子は無かったけど、水を出してたのは見た。あと、何でか分からないけど、女の周囲だけ匂いを感じなかったな。咳込みは続けてて、それは他からも聞こえてたし、大きな音を立てて血を吐いたところも見ちゃった。
あれはもう死んじゃうかもと思ったら、その血が見る間に薄くなってビックリした。見間違いだったのかと思ったけど、小さく横へすみませんと言ってるのが聞こえたので、何か起こったことは事実。そのあとで何かをしたんだろう。女は何をしたか言わなかったし、横の人も聞かなかった。誰も無駄話をせず、祈ってる。
あたしも祈ってる。アデプト様が見てくれたら、何かお願いしよう。食べ物取られないようにお願いしたいかも。早く出てくれないかな、お腹すいたし、ちょっと眠い。
ろくでもないお願いかなと思いつつ、それでも祈る。お助けくださいって。
そうこうしてるうちに、誰かが何か叫んだ。いきなりのことで煩いけど、あたしもすぐに呟いた。アデプト様だ……!
階段の上にある、閉まってた大扉が開いて、誰かが立ってる。たった一人で、白い格好。扉から出てきたのあの人が、アデプト様なのか。
顔も分からない、そういえば名前も聞いてなかった人。でもアデプト様なら、救いをもたらす人のはず。
周りの座ってた人が、少しずつ立ち上がってる。あたしも負けじと立ち上がった。ガキで小さいから、手を上げても見えないかもしれない。それでも、見てほしい。
少しずつ、前へ進んでいく。駆け出した人は居ないけど、アデプト様に縋ろうと、みんな少しずつ動いてく。その中で、動かない女が居た。あの吐血してた人だ。そして、ひときわ大きく咳をして、また血を吐いた。
前と違い、その血は大きく広がってた。いや、血を消した前が特別だったのかも。いきなり血の匂いがして、少しだけ周りがざわめいた。手を貸す人は居ない。みんな自分のことに必死で、アデプト様に縋ろうとしてる。
あたしは? あたしは何もない。病気じゃないし、大きな怪我もない。明日もない。女の血を見て、あたしも死ぬんだって、意味もなくそう思った。
血を吐くたび、一回あがった女の手が少し下がる。でもまた上げる。血の付いた手を少し臭く思うけど、三日も水浴びしてないあたしだってかなり臭うはずで、女だけ臭うのが少し不思議。
ここに無かった匂いだから? 目はアデプト様を見てる。あの人は少し下がって、立ち尽くしてる。何を見てるんだろうか。あたしの口は動いてる。アデプト様と呟く。でもあたしの鼻は、血の匂いをかいでいた。
必死に匂いを出してる。救ってくださいと。場違いと思えた女の姿が、誰よりも輝いて見える。あたしは、こんなにも祈ったことがあっただろうか。
少しのち、アデプト様は急に動いた。なんか飛んできたと思ったら、階段前に着地してた。そして、まっすぐこっちに向かってきた。でも最前列の人にはどいてくれと言ってた。
手を広げて、道を作るアデプト様。そして立ち止まったところには、あの女がいた。血を吐く女、服のいい女、今にも死にそうな、でも手を上げてた女。
血の匂い、死の匂いを撒き散らしながら、それでも気配に顔を上げた女は、腰を落とし声をかけたアデプト様の手を掴んで、血とともに叫んだ。
――私の街を……どうか救ってください……!!
街を街をと続く言葉はすぐに小さくなって聞こえ難くなった。周囲のざわめきが止んでるのに聞こえない。でも最初の言葉だけは明らかだった。自分のことじゃ、ない?
ここに居るのは貧乏人で、病気を治す金のない人らばかりのはず。だからアデプト様出立の際にお助けくださいと縋るだけの人で。あたしはそうだし、そこの片脚も、病持ちも、お年よりも、みんなみんな力のないヤツだ。
アデプト様に祈って、救いを求めて、それだけしか出来ない人がいっぱい。力を持ってれば、何かが出来たはず。水を出したり血を消したり出来るなら、ちゃんとお願いが出来たはずじゃないの!? 女じゃなくて、あたしを救ってほしいんだ!!
あたしの叫びは声にならなかった。手も、伸ばせない。鼻は血の匂いでいっぱい。女の血で、あたしは動けなかった。
そしてアデプト様は、すっくと立ち上がって階段の上に駆け戻っていった。女を抱いて、女を、女を、女だけを!
ようやく動けるようになり、あたしも少し前に進んだ。アデプト様! アデプト様ぁ!
周りも手を伸ばしてる。たった数秒で大扉の向こうに消えたアデプト様を求め、手と足と、絶望が進んでる。
アデプト様が見えなくなって、即座に大扉は閉まった。誰も居なくなった。あたしより先に大扉へたどり着いた人が、絶望の扉に手を当てている。びくともしないそれに、手を当てている。膝を地面につけて、それでもアデプト様と言っていた。
少し出遅れたあたしは、そこまで行けない。我先に大扉へ向かう人らに押しつぶされないよう、身をよじることしか出来なくなってた。少しだけ残ってた食べ物はとっくに足の下へ消え、誰も見ようとはしてない。
取られて他人が食べるより、足蹴にされるのはもっと酷いことだった。用を足さない、役立たずの品だ。あたしもそうなりつつある。懸命に手を出して、立つ場所を確保しようともがいた。
大扉にたどり着いた人らが順番に立ち止まって、やっとあたしのところも動きが鈍ってきた。もはやアデプト様どころじゃない。死なないために、あたしは流れに逆らって少しずつ階段から離れていった。
どれだけの人が来てたのか。あたしがあそこから逃げ出して、疲れてどこかの軒先で横になり、そこを追い出されて階段前に戻ったときも、まだ誰かが座ってた。
アデプト様一人に一度きりの出立は、終わってしまった。女を抱いて、戻ってしまった。次は数年後か、あるいはもっと先で。何も持たないあたしは、そこに居られないだろう。
病か、怪我か、あるいは諦めか。食べ物はもう無くて、お救いどころかお恵みさえ無い。知ってることなどほとんど無くて、力も魔法も無い。頼れる人も、待つ理由さえ無い。
なんだあたし、何も持ってないじゃないか。見つけてもらえるって、何で思ったんだろう。チビで、ガキで、血の匂いさえ無いヤツ。
女は叫んでいた。見つけてくださいと。血の匂いがそう言ってた。
あたしも血を吐けば、見つけてもらえた? 馬鹿な考えが浮かぶ。あたしごときが血を出しても、周りに埋もれただろう。だってあの人ら、アデプト様が消えた今でも縋ってるじゃないか。
何も持たない、縋るだけのあたしみたいな人。あっちで泣きこっちで泣き、諦めきれてない。
あたしも何となく大扉を見てた。そしたら、見回りの人がまだ残ってた人らを階段から追い払うようになってしまってた。かなり時間が経ったんだな。
これで終わりか。座って食べ物をダメにされた日でしかなかった。また明日……明日?
もうアデプト様は居ないのに。血を吐く女が居ないのに。吐いた血が消えたように、あたしの明日も消えたのに?
あぁ、やっと分かった。今のあたしは、明日を持ってないんだ、と。
今日を生きて、朝日まで生き延びて、また眠る。力を持たず、魔法も無くて、死んで気にも留められないガキ。
もしここで血を吐いても、誰も見ないだろう。そんな確信がある。
あたしはあたしを救ってない。他人を救いもしない。ましてや街だなんて、声を出せもしない。
女は血で訴えた。街を、と。たとえ血の匂いがアデプト様を引き寄せたとしても、その言葉が自分のためならアデプト様は無視したかもしれないんだよ。
だってアデプト様は何でも出来て、大扉の向こう、あの上から見てたんだから。一人の訴えじゃ動けないのかもしれない。なのに、縋るだけの人らを見て、何を思ったんだろう。
おっちゃんも言ってたな、結局は自分で頑張るしか無いって。アデプト様も頑張って、鍛えて、あげく自分のことさえ出来ない人に囲まれて。あたしら酷いことしてるよね。
そう。あたしは、自分の明日を作れてない。血の匂いがどうとかじゃなくて、アデプト様みたいに頑張れてないんだ。でも、どうやったら頑張れるんだろう?
今日の食べ物はもう無い。足蹴にされて役立たずになっちゃった。明日の分ならお金あるけど、その先は厳しい。寝床も無くて、もうじき日が暮れる。起きてないと襲われるかもしれない。襲っても奪うモノ無いけどね。あたし自身に、襲う価値なんて無い。
努力が出来ないもの。誰も教えてくれなかったもの。努力で明日って作れるのかな……?
目から出た水が鼻や喉にも溜まっていく。思わず咳込んで、血が出てないことを喜んで悲しんだ。あたしは血を吐いてない。だから、まだ死なない。血の匂いはどこにも無い。既に去った。
その言葉で何か変わるわけでなく。あたしは、しばらく階段を見つめ動けなかったのだった。
選ばれるとは、つまり選ばれない人を確認すること。
コミカライズでも描写ありましたが、新規アデプト出立の日あれだけの人数がたった一人に縋ろうと押し寄せるのですから、凄く怖い状況です。
でも治療は基本高価。中級治癒術師へ至るのに二十年必要ですからね、初級含めても治癒術師の総数はかなり少なくて、高価にならざるを得ないはず。
お金があれば治癒できて延命も出来て金を稼げて……なのに貧乏人は何も出来ず。この有様よ。
しかも教官曰くアデプトは全員あれを経験してるとのこと。不定期ながらも十年に一度な感じで治癒機会あるなら、何らかの問題抱えた人間はみな十大国首都に住みたく思いますよね。
いつ新アデプト様が出るかは神様でさえ分からなくて、街間の転移門使用料は高いけどアデプト様に選ばれるには試験突破の報あとすぐ大扉へ駆けつけたいしで首都流入は止まらず。結果、問題抱えながら暮らす貧乏人の集団が学舎ある十大国首都にて千年以上も作られ続けることに。ここに迷宮氾濫で居場所なくした人を追加したら、日本人には正視できない状況となってそう。
アデプトに貧乏人の姿を確認させるための構造的悪循環だから、これだけは邪神のみが悪いと少々言い難く思います。残念なことに。
その他、孤児院にて強奪が横行してるのは第二巻参照です。悲しいけど原作準拠なんです……
なお今作に表現問題を感じた場合は私、凍幻に連絡をくださるよう願います。原作関係者ではありません。お間違いなきよう重ねてお願いします。
今回かように厳しい内容となりましたが、それゆえに他人への愛を基軸としたテルネリカらの献身が輝くことを再確認しました。スラム解消なら全員治せば問題なかろう! そんな未来を夢見て次も頑張りたいと思います。
あと読んだ足跡に顔文字『。・゚・(ノД`)・゚・。』でも何でもカキコくださるとありがたいです。