闇夜の誘い   作:haldon

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魔王のペット エルヴェ

 

 

 名声が欲しくて魔王の城に盗みに入り、とっ捕まった挙句に飼われることになった間抜けがいる。つまり俺だ。

 もとは盗賊だった俺も、今や魔王のペットに成り下がった。いや、居心地はいいんだよ。食いもんはうめえし、部屋は豪華だし――なぜか魔王の部屋の片隅に俺の部屋が作られてんのは解せねえ、いや解せるんだが、解せねえけど。

 あと、あの野郎が寛大だなんて思いたくはねえけど、俺がどんなに口答えしても、処される気配はねえ。それに城の中なら、どこに行くのだって自由だ。さすがに城の外は許されてねえけど、気にならねえくらい、この城は広いしな。ご主人様が魔王サマだってことと、俺はもう盗賊じゃねえなってことを除けば、すげえいい環境だと思う。

 ――絆されてる? そう思うよな。そうなんだよ。あいつ、懐に入れたものには優しくなるタチらしいんだ。やめろよ、情緒がおかしくなるだろ。俺はすっかり手なずけられちまった。山猫も牙を抜かれりゃかわいいもんさ。そりゃああいつも子猫って呼ぶよ。あ? そうだよ、俺は子猫って呼ばれてんの。くそっ。

 俺はもうだめかもしんねえ。日に日にあいつに惹かれてってんのが自分でわかるんだ。俺はとっ捕まった時、ずいぶんひどい目に合わされたんだが、その傷痕がまだ全身に残ってる。それを見て、なにくそって自分を鼓舞してたんだけどよ……最近じゃ、それもいい思い出だななんて思うようになりやがって。なんだよ、あ? 俺の矜持はどうなっちまったんだよ。せめて、あいつの前では態度に出さねえようにしてるけど……見透かしてんだろ、どうせ。

 

 

 

 

 

―・―・―・―・―

 

 

 

「呼んだか、王サマ」

「うん、呼んだ」

 やつはほほ笑むと手招きをした。せっかく距離を取ってたのに、これじゃ何の意味もねえ。

「用件を言え、用件を」

 文句を言いながら、でも俺の身体は素直にやつの足元に行ってしまう。なんか魔法でもかけられてんのか? ああいや、そうじゃねえってのは確認済みだ。だからつまり、言いにくいが、その――俺の意思、なんだよなあ。

 魔王は俺の頭をいじるのが好きらしい。玉座の横に据えられた俺専用の小せえ椅子――座ると、頭がちょうどいい高さに来るんだ――に俺が腰かけると、わしゃわしゃとかき回したり、適当に編んでみたりを始めた。ガキみてえだ。これがあの「恐怖と絶望を撒く魔王」だなんて、誰が信じるもんか。ちらりと横目で見ると、やたらときれいな顔が思ったより近くにあって、俺は爆発しそうになった。顔はいいんだ、こいつ。それはもう否定しようがねえ。

「エルヴェ、言ってごらん。君は誰のもの?」

「あんたのもんだよ、王サマ」

 これはもうお決まりのやり取りだ。こいつは俺に、毎日のようにこのセリフを言わせる。俺に刷り込みてえのか、こいつが安心してえのか、それは分かんねえけども。

「よくできました」

 魔王は俺の髪を一房取ると、そこに口づけを――ばっか、ヤロウ……! なんで急にそう気取ったことしやがるんだ! 俺は髪をやつの手から奪い返す。あー、あー、やばい。顔が熱い。真っ赤になってるにちげえねえ。やつは楽しそうに笑っている。ムカつく。

「僕の生意気な子猫。あんまりそんな顔をしていると、食べたくなっちゃって困るな」

「ぎゃー!」

 耳元で囁かれて、俺は思わず全力で逃げ出した。なんつぅことを言い始めたんだこいつは? あ? からかってんのか? あ?

 柱の陰に隠れてやつの様子をうかがってると、やっぱり君は子猫だねえ、なんて言われちまった。なんなんだよ、くそったれ。

 

 

 

 

 

―・―・―・―・―

 

 

 

 俺はいつものように城の屋根の上から外を見ていた。最近はここがお気に入りなんだ。いつも気持ちいい風が吹いているし、眺めは抜群だからな。魔王のやつにはますます子猫だねとか言われるけど、知ったこっちゃねえ。あいつは俺をからかうのが趣味みてえなところがありやがるからな。

 ここからだと、城への人の出入りがよくわかる。基本的にあんまりねえけど。城は二重の構造になってて、外側には兵隊どもとか文官ども、有象無象の業者なんかが何人もうろついてる。そんで、今俺がいる内側、こっちは限られたやつしか入れねえ。つまり、魔王のやつと、数名だけいるあいつの側近、それから、俺みてえなあいつの「お気に入り」だけ。そんなわけで、この内側には、外から人が来るってことはめったにねえんだ。

 めったに……な。たまぁに、人が来ることもある。例えば、魔王退治の騎士サマとか。勇者サマとか。後はコソ泥とか。ただ――これは俺もここで暮らすようになって知ったんだが――ここまで来れるやつ、ってのは、魔王が許したやつだけなんだよ。あー、つまり、魔王のやつ、騎士やら勇者やらを自ら呼び込んでるってこと。向こうはそんなこと、露ほども思ってねえだろうけどな。

 趣味が悪ぃぜ。意気揚々と「自分の力で魔王のもとにたどり着いた」勇者サマに、魔王のやつは現実を叩きこんで、その絶望の表情に愉悦を覚えるってんだから。やっぱりあの野郎は邪悪だ。邪悪だけど……なんで俺には無意味に優しいんだ。ったくよ――って、待てよ、あれ?

 あー、気づいちまった。気づいちまったじゃねえか、くそったれ。俺も元は盗賊としてこの城に入ったんだ。へまをして見つかっちまったもんだと思ってたけど、あいつ、初めから俺の侵入を知ってやがったな。あー、くそったれ。そっからあいつの手のひらの上だったってことかよ。

 あー、あー、忘れる。気づかなかったことにする。じゃねえと、すでにべっこべこな俺の矜持が再起不能になっちまう。あー、それで、なんだ。だから俺は、城の屋根の上から地上を見てるわけだ。風が吹いて、俺の服をはためかせてる。

 ――この服だって、あいつから与えられたものなんだよな。着たことがねえようなお上品な上下に、いかにも上等な生地でできたジャケット。首輪みてえな深紅のチョーカーには、猫のしっぽみてえなリボンが後ろに二本。正直趣味じゃねえけど、着心地がいいってのが困らあ。

 衣食住のすべて、それから名前。全部、全部、あいつからもらったもんだ。俺が元から持ってたものは、この身体のほかは、「自分」だけ。それまで無くしちまったら、きっとそれが、俺が完全にあいつに「堕ちた」ってことになるんだろうな。あいつはそれを望んでるのかね? でも、一度盗られた「自分」を、あいつは返してくれたからな。いやありゃ、ただの嫌がらせだったかもしれねえけど。

 分かんねえ。けど、俺は「自分」を無くしたかねえし、あいつも俺の「自分」を気に入ってくれてるんだと、そう思――いや待て俺。なんで今ちょっと喜んだ? 待て待て、あいつに気に入られて喜ぶとかヤメロ。わぁってる、わぁってるけども、まだ直視すんには早えんだよ。あー、くそったれだぜ、まったく!

 

 

 俺が頭を抱えている間に、眼下ではまた新しい「侵入者」が城に乗り込もうとしてた。俺はいったん悩むのをやめて、そいつらを観察する――男と女の二人組だ。恰好からして、「魔王退治の英雄とそのお供」だろうな。憐れだねえ、これから自分たちがおもちゃになるとも知らずに。

 最初はな。俺だってまっとうな倫理観でやつらの行く末に心を痛めたし、魔王に人を弄ぶのはやめろと言ったこともあったさ。でもなあ、魔王は聞く耳を持たねえし。「侵入者」もな……「英雄サマ」がこんなにたくさんいるとは知らなかったぜ、俺も。おかげでもう慣れちまった。こんなこと慣れたかねえけど、慣れねえと、俺のメンタルが持たねえんだもん。俺はやつらには近づかねえ。変に情を持ったら辛いだけだし、見なけりゃなかったことにできる。こっから、ああ来たなって眺めるだけ。

 俺はするりと城の中に引っ込んだ。なんとなく、風に吹かれて爽やかちゃん、なんて気分じゃなくなっちまったし、部屋に引きこもってやろう。ちなみに俺の部屋は魔王の部屋の中にある。意味分かんねえだろ? 俺も分かんねえ。一応壁も鍵もちゃんとあるから、プライバシーってのは守られてる。なんつ―か、そういうところ逆にムカつかねえ?

 魔王の部屋はやたらとでけえが、思ったよりは普通の部屋だ。壁に骸骨が飾ってあったり、拷問を描いた絵画が飾ってあったり――なんてことはねえ。始めて見た時は拍子抜けしたくらい。で、その片隅にある、宿屋の一室くらいの小せえ箱、これが俺の部屋。あー、宿屋の一室が無造作に置けるくらい、と言ったら、魔王の部屋のバカでかさは理解できるかね。

「ただいま」

 魔王の部屋に入るときには、思わずそう言っちまう。だいたい言ってからむず痒くなる。何がただいまだよ、帰る場所認定してんじゃねえよ、俺。まあ、昔からの癖なんだ。宿屋だろうが何だろうが、寝床に帰ってくるとそう言っちまうのは。俺は何の気なしに部屋の扉を開けて――固まった。

「あ」

 そこには人がいた。魔王じゃねえ。知らねえやつ。人間の男女。あ、いや、見たことあるな?

「お、お前が魔王か!?」

 いや、ちげーよ! 内心で突っ込んでから、俺は気づいた。この二人、さっきの「英雄サマ」なんじゃね?

 俺はざっと辺りを見回すと、二人の手を引っ張って俺の部屋に連れ込んで、鍵をかけた。いや、たぶん手遅れだけど、なんとなく。魔王は俺の部屋の中までは踏み込んでこねえ。とりあえず話くらいできっだろ。

「何やってんだてめーら、こんなところで」

 二人はしばらくぽかんとしていた。これほんとに英雄サマか? 敵陣ど真ん中で、こんな隙さらしてんじゃねえよ。

「あんた、魔王じゃないのか」

 まだ言ってやがる。この善良な子猫ちゃんの、どこをどう見たら魔王に見えるってんだ。俺は思わず、ため息をついた。

「ちげえよ。魔王ならたぶん、玉座の間にいるだろ。何だよ、迷子か?」

「違う! が……魔王じゃないなら、あんたは何者だ? なんでこんなところに」

 それ、先に俺が聞きてえやつなんだけどな。しゃーねえ、言わなきゃ話にならなさそうだしよ。

「俺は魔王サマに飼われてんの。ここは俺の部屋。魔王は入ってこねえけど、安全だとは思うなよ。てめーらが侵入してんの、たぶん魔王気づいてっから」

 たぶん、じゃねえな。確実に気づいてる。まあ、この部屋にいるってところまで把握してるかどうかは知らねえけど。

「飼われて!? 奴隷ってことか! 不憫な……」

 あー、まあ、はたから見たらそう見えんのか。奴隷というには許されてることが多すぎるけど。まあ、こいつらにそこまで話す義理はねえやな。それにしても、なんかこの英雄サマ、俺嫌い。自分が正しいとか思ってそうなタイプじゃん? 苦手なんだよなあ、こういうの。

「奴隷という割に、いい服着てるわよね、君。ああ、だから「飼われてる」なのか」

 女のほうが、まだ話が通じそうだ。

「ここ、君の部屋って言ったわよね。もしかして、元盗賊さん?」

「わかんのか?」

 女は部屋を見渡しながらそう言った。へえ、そこまで見破られるとはね。正直言って驚いたぜ。確かに、盗賊時代の服や道具は大事に取ってある。今も、鍵開け道具が机の上に置きっぱなしだった。だからと言って、なあ?

「捕まったのね。もし逃げたかったら、あたしたちが協力してあげるわよ。任せて」

 女はそう言って、気取ったウインクをしやがる。まあまあ美人だが趣味じゃねえな。でも、まあ、友達にはなれそうなタイプ。

 ――ああ、やばい。情が湧き始めてら。こいつらの末路なんて、ろくなもんじゃねえのがもうわかり切ってるのに。

「俺のことはどうでもいいんだよ。お前らこそ、さっさと逃げろ」

 逃げれるかどうかは分かんねえ。でも、このまま行かせたら、まあたぶん、俺は後悔するからな。俺のためにも、大人しく言うこと聞いてほしいもんだぜ。でも。

「そうはいかないよ、我々は悪逆の魔王を退治するためにここまで来たのだから」

 まあ、そう来るよな。あー、めんどくせえ。俺は自分の頭をガシガシとかき回す。それにさあ。こう、癪なんだけど。認めたくねえけど。だけど――魔王のこと、悪逆とか言われんの、すっげえムカつく。くそっ。

「悪いけどな、お前らじゃ魔王に手も足も出ねえよ。俺はここで、何人もの英雄サマが負けるとこを見てきたんだ」

「でもそれは、あたしたちが負ける根拠にはならないわ」

 だよなあ。ああ、もう! 俺にどうしろっつーんだよ。

 

 

「エルヴェ」

 ふいに、部屋の外から声が聞こえた。誰の声かって? んなもん一人しかいねえじゃねえか。壁越しなのに、プレッシャーがすげえ。いつも俺を構うときのあの感じじゃなくて、そう、俺が子猫になる前。あいつと初めて対峙したときの、あの恐怖がよみがえってくらあ。

「エルヴェ。出ておいで」

 プレッシャーはひでえけど、声はいつも通り。これ、逆にやべえやつなんじゃ? あー……ダメだ。身体がざわざわする。行かなきゃ、って、身体が疼きやがる。くっそ、完全に飼いならされてるじゃねえか、俺。

「だ、れ、なの?」

 女が絞り出すみてえにつぶやいた。そうだよな。俺は多少慣れてるが、初めてこのプレッシャーを感じたなら……震えが止まらねえ、程度で済みゃ軽いもんだ。

「くっ……この、程度、で――」

 おお、男のほうがまだ耐えてるみてえだな。さすがだぜ、英雄サマ。でも、耐えてるだけじゃ、どうにもなんねえよ。

 俺は扉を開けた。どうせ二人がこの部屋にいんのはばれてんだろ? だから逆に堂々としてやる。扉の向こうにはやっぱり魔王のやつがいて、じっとこっちを見つめてた。

「何の用だよ、王サマ」

「分かっているんだろう?」

 魔王サマはおきれいな顔でにこりと笑った。背中に鳥肌が立つ――久しぶりだぜ、この感覚はよ。

「……分からねえな。言ってくれよ?」

 やつはすうと目を細める。不機嫌、まではいかねえな。まだ余裕はありそうだ。でも、俺がどこまで許されんのか、それが分かんねえからな……。

「僕のおもちゃを隠すなんて、悪い子だね」

「別に隠しちゃいねえよ。ちょいとお喋りしてただけさ」

「ふぅん……」

 あっ、だめだ。気温が下がりやがった。俺の頬を冷や汗が伝う。魔王がちらりと俺の後ろに目をやった。

「誰の許可を取ったのかな」

 それは俺じゃなくて、後ろの二人に向けた言葉らしい。ああ、やめろよ、変なこと言うなよ……?

 でも、なんつーかまあ、予想通り。

「に、人間はお前のおもちゃじゃない! 自由を奪うなど、ご、言語道断!」

 男は意気軒昂に叫びやがった。なんで俺の心臓にダメージ入るんだよ。やめろよ。空気読めっての。てゆーか、こいつが言ってんの、俺のこと? いらねえいらねえ、俺のことはどうでもいいっつったじゃねえかよ。ああ、もう!

 俺には気温が絶対零度まで下がったみてえな気がしたね。怖かったけど、見ねえわけにいかねえだろ。恐る恐る魔王サマを見れば、笑ってらっしゃった。てゆーか笑い方いつもと違くね? いつもより黒くね? やべえくらい怖えんだけど?

「ねえ、エルヴェ。言ってごらん、君は誰のもの?」

 は? ここで俺に飛び火すんの? しかもこれ、どう考えてもタイミング最悪だろ。なんで今言わねえといけねえんだよ。――けど、無視するなんて選択肢、俺にはねえんだよな。

「……あんたのもんだよ、王様」

 ああ、魔王の笑顔がいつものに戻った――とホッとしたのもつかの間、また黒い笑みを浮かべてやがる。

「君たち、今のを聞いたよね? エルヴェは僕のものなんだ、どうしようと僕の勝手でしょ?」

 無茶苦茶なことを言ってら。でも、否定はできねえか。俺の生殺与奪の権は、全部あいつが握ってやがるからな。

「ああ、そもそも、自由を奪っているってのが、勘違いだけどね」

 ムカつくけど、これもそう。俺は縛られてもなければ、閉じ込められてもねえ。自由を奪われてるかって聞かれたら、とてもはいとは言えねえよ。――なんだろうな。俺、なんで逃げねえんだろ。

「そんなもの、お前が言わせているに決まっている!」

 やっと慣れてきたらしい男が、剣を抜いた。おいやめろよ、俺の部屋壊す気か? 気温がまた下がる。いやさっきも絶対零度とか言ったけどさ、まだ下があったのかよ。

 魔王は静かに男を指さした。すると男が、いや男の剣が、魔王に向かって飛んでいくじゃねえか。男は剣に掴まったまま、引っ張られるみてえに魔王のそばへ。手ぇ離せよばか。

「物騒だね。こんなもの融かしてしまおう」

 言うなり、剣は赤熱して融けた。とろりと液体になって、持っていた男の手にかかり、それから床に落ちる。一瞬遅れて、男の悲鳴。俺は思わず耳を塞ぐ。目を瞑る。焦げ臭さが鼻に届く。歯を食いしばる。

 と、俺は急に腕を捕まれ引っ張られた。なんだ? 目を開ければ、女が駆けていた。俺を引っ掴んで、部屋の外を目指して。なんだこりゃ。思考が追いつかねえ。

「せめて、君だけでも」

 女が呟く。は? つまりあれか、俺を逃がそうとしてくれてんのか。魔王が男に構ってる隙に、その脇をすり抜けて。何つー豪胆な。さっきまでプレッシャーにビビってたのに、さすがこんなとこまで来ちまう英雄サマだぜ。

 でもさ、それは悪手なんだよなぁ。

「どこへ行くの」

 魔王がそう言うと同時に、扉の前に透明の壁が現れた。女はそれにぶつかって、足を止めちまう。ほら、魔王がその気になったら、逃げ出すなんざ無理なんだって。

「逃げるなんて許してないよ」

 魔王は、あー……これ、俺にも言ってんな。俺、完全にとばっちりじゃねえか。俺は女の手を振りほどいて、魔王と女の間に立った。

「俺は逃げねえよ、王サマ。言っただろ、俺はあんたのもんだって」

「じゃあ、悪い子はそこの羽虫かな」

 羽虫って……おもちゃより悪くなってねえか? 直接圧をかけられた女が、ビクリと身を震わせた。いつもなら、こういう反骨精神は魔王の好物なんだけどなあ。今日は虫の居所が悪いみてえだ。

「俺に免じて、命だけでも助けてやってくれねえかな」

「必要ない」

 あ、だめだ。ダメもとじゃあったけど、こりゃ話聞く気のねえやつだ。

 くっそ……。そりゃこいつらのこと、あんまり好きでもねえけどさ。迷惑ばっかりかけやがるし。でも、こんだけ関わったやつが、目の前で死んでいく――それが無視できるほど、俺は、冷血漢じゃねえんだわ。

 考えろ。そもそもこいつらが城内にいるのは、魔王が呼び込んだからだろ。じゃあなんで怒ってるかって、そりゃ「俺が庇ってるから」。 あー、俺のせいじゃねえか。でもなあ、放ってはおけなかったんだよな。我ながらお人好しで貧乏くじ引いてるぜ。

 謝るか? いいや。俺は謝るようなことはしてねえ。謝るなんてごめんだね。あー、もう、知らねえぞ。

「そもそもこいつらがこの部屋にいたから、こんな事態になったんだろ。まっすぐ玉座のとこに誘導しなかったお前が悪い」

 ヤケクソでそう言ってみると、魔王は瞬きした。おお、意表はついてやれたみてえだ。後ろから女の「何言ってるの君」みてえな視線を感じるけど、わりいな、これが俺のやり方なんだ。

「ふぅん……そういうことを言うんだ」

 魔王は目を細めてそう呟くと、ゆっくり歩いて俺の目の前まで来た。俺も、女も、動けねえでいる。手の届く距離。背中がぞくぞくする――でも。なんでだろ。怖えのに、怖くねえ。

 魔王は優雅に手を持ち上げて、指先で俺の顎を持ち上げた。魔王の顔には、うっすらとした笑み。ああ、思い出した。この感じ――俺がまだ、子猫じゃなかったころ。魔王に甚振られてた時の感じに似てるんだ。そりゃ怖えよ。でも俺は、俺の身体は、この感じなら殺されねえんだろうなって、刷り込まれちまってる。

「やっぱり、面白いね、君」

「光栄だね」

 不敵に笑ってみせると、魔王からくすくすという笑い声が漏れた。多少は機嫌を直してくれたのかね。だったらいいんだが。

「確かに、この子たちが僕の部屋にいたのは、僕のせい。迷路遊びをしようと思ったのだけど……まさか、ここにたどり着くとはね」

 はあ? 誘導どころかわざと迷わせてたのかよ。相変わらず遊んでやがる。

「エルヴェ、君が僕のお願いを聞いてくれるのなら、この二人を見逃してあげてもいいよ」

 魔王の雰囲気が変わったのを感じたのか、女が俺の服の裾を掴んだ。何か言いてえことがあったのか、縋りてえだけだったのか、それは知らねえけど。ちなみに男は俺の部屋の前でうずくまっている。一応生きてはいるみてえだ。

 俺は二人を確認して、うなずく。お願いとやらが何なのか知らねえが、「最悪」はたぶん回避できただろ。命令じゃなくてお願いってのがやらしいけどな。要は俺に選ばせてえんだろ、この悪趣味め。

「いいぜ。何をしたらいい?」

「約束だよ」

 魔王ははっきり言わず、手を横に動かした。すると、うずくまっていた男がふわりと浮かんで、女の横まで飛んできた。あー、こりゃ、後で改めて言われるやつか。まあいいさ、ドキドキしながら待っててやらあ。

 男の両手は炭化して、原形をとどめていなかった。グロいし、ヤな臭いがする。見てらんねえ。男は歯を食いしばって、顔を上げ、キッと魔王をにらみつける。強いな、さすが英雄サマだぜ。

「キサマ、魔王に阿るのか?」

 はあ? 何、俺に言ってんの? いやもう、こいつが空気読めねえのは充分理解したけど。呆れてたら、女が男の頭を殴りつけた。ひゅう、やるじゃん。

「バカッ。この人が自分を犠牲にして、あたしたちを助けてくれたのよ」

 いや、それもちょっと大げさだけどな? 

「君たちは僕の子猫に感謝しなければならないよ。でなければ、もう欠片すら残さず消滅していただろうからね」

 魔王は魔王で怖えんだよ。笑顔で言うなよ、それを。

 

 

 

 

 魔王は二人を城の外に転移させた。目の前から消えただけで見届けたわけじゃねえけど、たぶん無事だろ。こいつは悪趣味だし邪悪だし、やべえやつだけど、約束は破らねえからな。言葉遊びが大好きだから一抹の不安はあるが――転移させた先が魔物の巣だとかさ――もういいよ、俺がそこまで心配してやる義理はねえ。

 ようやく静かになった部屋の中で、俺と魔王は二人きり。部屋に残ってた血の跡やら焦げ跡やらは、こいつの手の一振りで、まるで時間が巻き戻るみてえに、消えてなくなった。いやたぶん、実際に巻き戻ったんだな。だって、融けたはずの剣も、元の立派な姿に戻ってやがったんだから。もっとも、その直後改めて融かされてたけど。

「エルヴェ、おいで」

 魔王はすっかり元の調子だ。俺は素直にやつの傍に行き、足元で膝をつく。やつの手が、俺の頭を撫でる。悔しいけどさ、ちょっとほっとするんだよなあ、これ。

「今日は悪い子だったね、君」

「悪いのはてめーだろ」

 そこは譲れねえよ。何もかも元凶はてめーじゃねえかよ。やつはくすくすと笑っている。

 ああ、この程度の口答えなら、こいつは笑って流してくれるって、俺は知ってる。二人きりの時、こいつは意地悪だけど邪悪じゃねえ。飼い猫が手に噛みついても怒らねえ、寛大な飼い主様だ。気に食わねえけど、否定もできねえ。

「さっさと言えよ、お願いとやらをよ」

 いつまで焦らしやがる気だ。放っといたらいつまでも俺の頭を撫でてそうだったから、急かしてやった。そしたら、やつの目はきゅうと細くなって。それからしゃがんで、俺と目線を合わせやがる。何だ?

「君は、僕のもの。君もそう思っているでしょう?」

 癪だけどな。俺は魔王の所有物だ。そこはもう、今さら否定しねえよ。

「だけどね、ほかの人間たちからはそうは見えないんだってことに、僕は気が付いたんだ」

 あー、まあ、確かに。あの英雄サマたちの行動がまさにそうだったよな。でも、それがお願いとどう関係するんだよ。俺が戸惑っているのを知ってか知らずか、魔王サマはまだ焦らす。俺の頬を撫でながら。

「だからね。君は、僕のものって……誰が見てもそれがわかるように、したい」

「……どうやって?」

 尋ねると、やつは意味深に微笑んで、俺の首――のどぼとけの少し下に指を置いた。それから、その指先をすうと滑らせて、心臓の上へ。

「君に、印を刻むよ。僕の印を。消えない傷を。誰が見ても、僕のものだとわかるように」

 ぞくぞくした。全身に鳥肌が立った。な、に言ってやがんだ、こいつは。印って、なんだよ。目が怖えよ。でも何より怖えのは――なんで俺、嫌がってねえんだよ。くそっ。

「ねえ、エルヴェ。素敵だと思わないかい?」

 心臓が爆発しそうだ。声が出ねえ。俺は反射的にうなずきそうになる自分を、必死で押しとどめる。くっそ、なんでこんな時に限って、最高の笑顔向けやがるんだよ。いろんな意味でやべえんだよ、その顔。魚みてえに口をパクパクさせてたら、やつの指が俺の唇をなぞりやがった。ギャー! 逃げてえけど、だめだ、こいつから目が離せねえ。

 わあってる。わあってるんだよ。こいつは最低の飼い主サマだけどさ、だけど、俺ってやつはそれを憎からず思ってやがる。知ってんだよ、もうとっくにさあ! ――ああ、もう。認めちまったじゃねえか。くそったれ。くっそ。

「か、勝手にしろよ! 傷だろうが何だろうが、好きにすりゃいいだろ」

 どーせやりてえようにやるんだろ、こいつのことだから。俺に選択肢はねえんだっての。だから、だから……いちいち意思確認してくんのやめろよこの野郎!

「真っ赤だね……何を期待してるのかな」

 言うな、ばか!

 魔王は立ち上がると、俺にも立つように促した。俺のほうが背が高いから、少し見下ろすみてえな形になる。それからやつは、俺のジャケットを脱がせ、ブラウスの胸元をはだけさせた。

「痛いよ。でも安心して。すぐに気持ちよくなるから」

 逆に怖えんだけど。何する気だよ、不穏すぎるだろ。やつの指がまた俺の心臓の上に乗る。細くて柔らけえ、女みてえな指。これが血にまみれてるだなんて、知らなきゃ鼻で笑ってただろうな。眺めてると、その指先に黒い光が灯っ――。

 

 

ぼぅ。

 

 

「あああああああああっ!?」

 突然の激痛。痛え。痛えよ。心臓が持ってかれそうだ。熱い。痛え。なんだ、これ、なに、が、起こって? 立っていられなくて、思わず膝をつく。黒いのが胸に吸い込まれたのは見えた。心臓の周りで、炎の蛇がのたくってるみてえに。熱い。熱い。俺は胸をぎゅっとつかんだ。爪を立てて。痛みで痛みをごまかす。でも、全然、ごまかせてねえ。俺はその場に倒れて、身体を丸めた。

「痛い?」

 返事なんかできるかばか。見りゃわかるだろうが。俺は涙目でやつを見上げる。やつの余裕の表情を見てたらなんだかムカついてきたんで、思い切りどすの利いた唸り声を上げてやった。やつはくすくすと笑った。

「本当に、手負いの獣みたいだ。かわいいね」

 かわいいねじゃねえよ、この悪趣味が。本当に、なんで俺は。なんで俺は――こんな奴が好きなんだよ。

 やつはしばらく楽し気に俺を見下ろしていやがった。それからおもむろに、胸を抑える俺の手を取って、開く。何をしてやがる? 戸惑う俺をよそに、やつはあらわになった俺の胸元に顔を寄せて――キスをした。はあ!?!?!?

「ふふ、いい「印」ができた」

 何を一人で満足げに言ってやがる。わっけ分かんねえ。でも……お? 気が付いたら、痛さも熱さもどっかに行っちまっていた。ほんのちょびっと、熾火みてえに、心臓をくすぐるみてえな疼きが残ってるだけだ。さっきのキスのせい――いや。やめよう。考えたら負けな気がする。

 俺はゆるゆると身を起こす。見下ろせば、俺の胸元には、やけどみてえな痕ができていた。魔王がどこからともなく姿見を持ってきてたから、ありがたく覗かせてもらう。痕は心臓からのどにかけて。何だろ……なんだか、蛇だか竜だかって感じの、痛々しくて、禍々しい形の。これが、「印」か。

「素敵だね」

 やつがそう言って、印をチョンとつついた。途端に、ぞわぞわしたもんが俺の背中を駆け上がる。思わず変な声が喉から漏れちまう。は? なんだこれ。

「印は僕とつながっているから、僕が触ると反応してしまうんだ」

 そう言いながら、魔王はチョンチョンと何度もつつく。くすくすと笑いながら。そのたびに俺はぞわぞわして、なんだか体が熱く――って! なにしやがる!

 思わず飛び退って警戒姿勢を取ったら、魔王のやつ、声を上げてけらけらと笑いやがった。いつもよりご機嫌じゃねえか、ああん? そんなに人様の醜態見て楽しいか? いや、それ見んのが趣味だっけか、こいつの。タチが悪い。

「言ったでしょう、気持ちよくなるって」

 確かに言ってたな。そういう意味かよ。ああもうマジでくそったれだな。

「ぜってー触らせねえ」

「できると思ってるの? かわいいね」

 俺はブラウスの胸元をかき寄せた。ああ分かってんだよ、あいつがその気になったら拒めねえってのはな。でも、それはそれじゃねえか。やめろよ、どこまで俺の尊厳で遊ぶんだよ。そんでもって、まんざらでもねえとか思ってる俺もどうかしてんだよ。ああもう。

「これで君はもう、誰が見たって僕のものだ。これでもう、君を盗ろうなんて不届きものはいなくなる」

 ご機嫌だなあ、こっちの気も知らねえで。

「君もね。僕以外に尻尾を振ったらだめだよ。いつでもその印を見て思い出すんだ」

 ぞわ、と。今度は恐怖で背中が泡立つ。態度もなんも変わんねえのに、ちょっと圧を強めるだけでこれだ。怒ってらっしゃる、てわけじゃなさそうだが――粗相をしたペットを叱るときのあれに近え。俺はペットかよ。ペットだったな、くそ。

 けど……なあ、これ。もしかして?

「お前さ、もしかして俺が英雄サマたちを庇ったから怒った……んじゃなくて、あいつらが俺を逃がそうとしたから、怒ってたの?」

 聞いてみたら、魔王は首をかしげた。おい、あざといぞ、こいつ。

「そうだよ」

 そう言って微笑んだやつは、ブラウス越しに俺の印に触れた。おお、これなら何ともねえや。

「君は僕のものだと言っているのに……。君もちゃんと拒否しないからいけないよ」

「俺があいつらを庇ったことは?」

「どうでもいい」

 はっ、どうでもいいと来たか。俺の行動なんざ意に介しねえんだな――いや、それは正確じゃねえか。気にしてんのは、俺がどこに行くか。どこにいるか。やばくね? こいつの独占欲。

 

 

 

 

 

―・―・―・―・―

 

 

 

「呼んだか、王サマ」

「うん、呼んだ」

 今日も今日とて俺は呼ばれる。にっこにこの魔王の手招きに応じて、小せえ椅子に腰を下ろす。魔王は俺の頭を弄り始める。

 印が刻まれたからって、俺たちの関係はあんまり変わらねえ。俺はペットで、こいつは飼い主。こいつは俺を構ったり、からかったり、意地悪をするのが好きみてえで、俺はそれに反応したり、怒ったり、逃げたりすんのが日課。

 でも、前はまだ、もしかしたらいつか解放されるかも、っつう気持ちがあった。希望だったか不安だったかは、もうよく覚えてねえけども。それが今は、もう後戻りできねえところに来ちまったな、って思うばっかり。そんで、次にまあいいかって思うんだぜ。俺もすっかり、こいつのペットが板についちまった。

「エルヴェ、言ってごらん。君は誰のもの?」

「あんたのもんだよ、王サマ」

 相変わらずこれは言わされる。印があるんだから、言わせねえでも明らかなのにな。心配性にも見えねえし、なんなんだよ、まったく。

「よくできました」

 やつはそう言って、おもむろに印を撫でた。背中がぞわぞわして、俺の口からは吐息が漏れ――おいやめろ! 俺は飛び上がって全力で距離を取る。魔王は楽しげにこっちを見てやがる。そう、こういういたずらが増えたのは変化かもな。勘弁してほしいもんだぜ、身が持たねえよ。ちなみに最近、服が全部胸元の開いたやつにされた。理由? 知るかよ。

「そういうことしかしねえなら、帰るぞ」

 背中を向けてやったが、引き止められる気配はねえ。いいのか? 行っちまうぞ?

「子猫」

 ほら来た。

「気をつけて行ってくるんだよ」

 ……は?

 あれ、思ってたのとちげえ。あれ? 思わず振り向くと、魔王は手を振っていた。はあ? てっきり、勝手は許さないよ、とか、君の帰る場所はここだろ? とか言われるもんだとばかり。物足り……なくなんてねえけど。ああ、ちっとも。

 魔王の余裕の笑顔見てたら、なんだかムカついてきた。ああ、ムカついた。いつもいつも俺のこと振り回しやがって。目にもの見せてやんよ。俺は大股で魔王の方へ駆け寄る。

「猫ってのはな、引っ掻くもんなんだぜ」

 まあ俺は人間だから、ほんとに引っ掻くわけじゃねえけど。でも、その代わり。

「!?」

 魔王のでこに唇を落としてやった。はっ、さすがの魔王サマも固まってやがる。いい気味だぜ。

「じゃあな」

 そうして俺は一目散に部屋を出た。

 

 ――顔が赤くなっちまったの、見られてねえだろうな? くそったれ。

 

 

 

 

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