バベルとの暫定同盟成立から、七日後。
カズデル上空、高度二万メートル。
雲海の上に静止する浮遊要塞【アストライア】の中央演算室で、私はウルサス領内の監視データを統合していた。
『対象:タルラ。推定年齢、十代前半。現在位置、ウルサス北部。コシチェイ伯爵私邸地下施設』
空間投影に、白銀の髪の少女が映る。
その背後に揺らぐ、黒い蛇の影。
精神侵食率、推定23%。
「まだ浅い」
『完全侵食前に排除する必要がありますね』
脳内に響くオールマインドの声。
コシチェイ。
ウルサスの闇に巣食う存在。
“不死の黒蛇”の異名を持つ、精神寄生型の怪物。
「作戦目標は三つ」
私は淡々と告げる。
「一、タルラの無傷確保。
二、黒蛇の分離。
三、コシチェイの無力化。可能であれば恒久排除」
『随分と物騒ですね』
「仕事だ」
私は立ち上がる。
「AS07出撃準備。単機強襲」
『了解。今回も派手にやりますか?』
「否。今回は“精密”だ」
■ ウルサス北部
夜。
吹雪。
雪原の奥に、黒い城館が聳える。
コシチェイ伯爵私邸。
重装兵、術師、監視塔。
源石術式による多層防壁。
だが――
空間が、歪んだ。
緑の光が一点に収束する。
音もなく現れた白・青を基調に赤・黄のアクセントが入った人型。
ダブルオーライザー
外装の光が雪を蒸発させる。
『防壁解析完了』
「静かに行く」
指先が僅かに動く。
次の瞬間。
城館外周の術式が、一斉に“停止”した。
術式を構成するエネルギー流が強制分解される。
源石依存構造を上位演算で書き換えた。
「侵入」
私は一歩で敷地中央へ移動する。
音はない。
重装兵が振り向いた瞬間、意識を失う。
神経遮断パルス。
殺さない。
地下へ。
■ 檻
冷たい石壁。
薄暗い牢。
白銀の少女が、鎖に繋がれている。
タルラ。
その背後に、揺らぐ黒い影。
蛇。
私が近づいた瞬間、空気が震えた。
「……誰だ」
少女の声は弱い。
だが、その奥に燃える炎は確かに存在する。
「迎えに来た」
私は膝を折り、視線を合わせる。
「君は利用されている。未来で、多くを焼く」
少女の瞳が揺れる。
「……焼く?」
その瞬間。
黒蛇が笑った。
『ほう……異物が来たか』
低く、粘つく声。
影が肥大する。
壁に無数の蛇紋が浮かぶ。
『この娘は我が器。貴様に渡す理由はない』
「拒否する」
私は立ち上がる。
背部ユニット展開。
『精神侵食体確認。分離プロセス開始』
黒蛇が襲いかかる。
精神波動。
通常の生物なら即座に崩壊する干渉。
だが。
私は源石を持たない。
精神構造も、寄生前提ではない。
『なに……?』
蛇が戸惑う。
「お前の構造は解析済みだ」
私は右手を掲げる。
空間に幾何学模様が展開する。
源石由来の精神リンクを逆探知。
「分離」
光が走る。
黒蛇が悲鳴を上げる。
『やめろォォッ!!』
影が少女から引き剥がされる。
蛇は実体化を試みる。
だが私は逃がさない。
「封鎖」
重力場が収束。
黒蛇の核を固定する。
もがき、暴れ、呪詛を吐く。
『我は不死だ! 何度でも蘇る!』
「ならば、蘇生できない状態で保存する」
超高密度エネルギー檻。
精神体を量子固定。
黒蛇は、凍り付いた。
■ コシチェイ
拍手。
地下通路の奥から、男が現れる。
細身。
冷たい瞳。
「見事だ。実に見事だよ」
コシチェイ伯爵。
「だが、私を殺せるかな?」
空間が歪む。
幾重にも分裂する影。
不死。
転移。
精神寄生。
「可能だ」
私は一歩踏み込む。
時間が引き延ばされる。
彼の分身全てに同時照準。
「未来に、お前は不要だ」
次の瞬間。
城館地下が白く染まった。
衝撃は外へ漏れない。
内部のみを消滅させる収束破壊。
分身体も、本体も。
魂の逃走経路も。
全て、同時に。
光が消える。
そこに、何も残らない。
『対象:完全消滅。復活可能性、0.0000001%未満』
「十分だ」
■ 解放
和多志は鎖を切断する。
タルラが崩れ落ちる。
抱き留める。
「……終わった」
少女は震えている。
「……あれは、何だった?」
「悪い夢だ。もう干渉はない」
炎の素質は残る。
だが、黒蛇の歪みは消えた。
「行くか」
「……どこへ?」
「君の未来を選べる場所へ」
■ 帰還
アストライア格納庫。
医療ドローンが少女を囲む。
『精神侵食消失確認。安定しています』
オールマインドが笑う。
『歴史改変、第一段階成功ですね』
「まだ始まりだ」
私はモニターを見上げる。
未来予測が再計算される。
チェルノボーグ事変。
発生確率。
87%。
「……まだ高いな」
『当然です。要因は一つではありませんから』
私は頷く。
「ならば一つずつ潰す」
格納庫の奥。
タルラが目を開ける。
不安と、怒りと、迷い。
だが――
黒蛇の影は、もうない。
テラの歴史は、確実に変わった。
だが同時に。
より大きな波紋が、静かに広がり始めていた。
次に動くのは、軍事委員会か。
それともウルサス皇帝か。
私は静かに告げる。
「次の仕事だ」
救済は、まだ遠い。