カズデル中央議事堂。
かつて内戦時には砲撃で半壊したその建物は、今や再建され、ガラス天井から灰色の空を透かしている。だが、今日ここに集まった者たちの視線は空ではなく――互いの腹の内に向けられていた。
長卓の中央に座るのはテレジア。
その右にテレシス。
その背後に控えるのはドクター、そしてケルシー。
そして円卓を囲むのは、各国代表。
ヴィクトリア、ウルサス、ラテラーノ、イェラグ、サルゴン、そして企業連合代表としてライン生命。
空気は重い。
それは戦後直後の政治的緊張ではない。
「未知の管理権」を巡る駆け引きの重さだ。
■ アースの演説 ― 理念の提示
壇上に立ったアースは、わずかに呼吸を整えた。
「本日提案するのは、テラ氷原巨大構造物研究及び修復条約――通称ブラックホール協定です。」
巨大スクリーンに映るのは、氷原地下構造の立体マップ、異常エネルギー波形、門周辺の空間歪曲データ。
「この構造物は、単一国家で管理可能な規模を超えています。軍事利用、宗教利用、企業独占――そのいずれもが、世界均衡を崩壊させる。」
ざわめき。
アースは続ける。
「ゆえに設立されるのがPlanetary Closure Administration。
理念は三つ。
一、異常の収容。
二、危険の制御。
三、知識の段階的公開。」
その言葉に、何人かの代表が表情を曇らせた。
■ ヴィクトリア代表 ― 帝国の疑念
最初に口を開いたのはヴィクトリア代表。
貴族然とした壮年の男。
「収容、とは。つまり管理権の集中ではないのか?」
その声音は穏やかだが、目は笑っていない。
「PCAが門の鍵を握る。ならば実質的な覇権では?」
会場の空気が張り詰める。
ヴィクトリアは技術よりも「勢力均衡」を気にしている。
アースは即答しない。
代わりにドクターが前へ出る。
■ ドクターのデータ提示 ― 科学的根拠
モニターに表示されるのは暴走事例のシミュレーション。
門の無制御解放。
空間崩壊連鎖。
源石反応の共鳴暴走。
「単独管理は不可能です。」
ドクターの声は静かだが鋭い。
「これは兵器ではない。災害そのものです。」
さらに提示されるのは、
・義体化適応率
・源石適応安定化成功率
・エネルギー臨界閾値
数値が並ぶ。
「PCAは独占しません。各国代表監査官を常駐させる。管理ログは共有。門開放は三重承認制。」
ヴィクトリア代表は腕を組み、思案する。
彼の懸念は「裏の軍拡」だ。
だがデータは理路整然としている。
■ ウルサス代表 ― 軍事転用の現実
次に発言したのはウルサス代表。
鋭い目つきの軍服姿。
「理想論は理解した。だが現実問題として、義体化兵は戦力になる。」
静寂。
「各国が保有を始めた場合、均衡は崩れる。制限はどうする?」
これは核心だった。
タルラが立ち上がる。
「義体化オペレーターは軍事資産ではなく“災害対応特別資格者”として登録する。」
スクリーンに新条項が表示される。
・軍事侵攻利用は禁止
・防衛・災害対応のみ
・PCA監査義務
ウルサス代表は鼻で笑う。
「違反した場合は?」
アースの声が低く響く。
「全条約国による制裁発動。技術供給停止。」
重い沈黙。
これは“相互抑止”の提案だった。
■ ライン生命 ― 企業の懸念
ライン生命代表は静かに眼鏡を押し上げた。
「研究成果の知的所有権は?」
率直な質問だ。
ケルシーが答える。
「基礎理論は共有。応用技術は開発主体に帰属。ただし軍事転用は不可。」
ライン生命は利益を守りたい。
だが完全独占は難しいと理解している。
「研究参加権は保証されるのですね?」
「はい。」
短いが重い応答。
■ ラテラーノ ― 倫理の問題
ラテラーノ代表が静かに言う。
「源石適応者の人体実験は禁止されるのか?」
会場の空気が一瞬凍る。
ドクターが真っ直ぐ答える。
「強制実験は全面禁止。自発的参加のみ。」
ケルシーが補足する。
「倫理委員会を各国共同設立します。」
テレジアが初めて口を開いた。
「力は管理されなければならない。しかし人は尊重されなければならない。」
その声は穏やかだが、揺るがない。
会場の空気が少し和らぐ。
■ 心理戦の最終局面
議論は六時間続いた。
代表たちは疲労を滲ませながらも、退かない。
・軍事バランス
・技術流出
・倫理監査
・門の開放権限
・巨大構造物の発掘権
ひとつひとつ条文が修正される。
アースは内心で理解していた。
これは科学の会議ではない。
信頼の交渉だ。
ドクターは静かに分析していた。
「今なら通る」と。
■ 採択の瞬間
テレシスが立ち上がる。
「カズデルはこの協定を支持する。」
沈黙。
ヴィクトリア代表がゆっくり頷く。
「……ヴィクトリアも賛成する。」
ウルサス代表は短く言う。
「条件付きで承認。」
ライン生命も続く。
一人、また一人と同意が表明される。
最後にテレジアが宣言する。
「ブラックホール協定は、全会一致で採択されました。」
その瞬間、緊張がほどけた。
だが歓声はない。
誰もが理解している。
これは始まりに過ぎない。
■ 会議後
アースは窓際に立つ。
灰色の空は、まだ晴れていない。
だが今日は違う。
世界は力を恐れ、同時に受け入れた。
ドクターが隣に立つ。
「不完全だが、最善だ。」
「ええ。」
遠くで、条約文書に署名が続いている。
未知は管理される。
だが完全には制御できない。
だからこそ、協力が必要なのだ。
星はまだ冷たい。
だが、確かに回り続けている。