鋼鉄の皮膚が、冷たい艦内の空気を震わせた。
視界に投影されたHUD(ヘッドアップディスプレイ)が、覚醒と同時に膨大なログを吐き出す。
『……生体認証確認、完了。機体コード:【ノイド・ギア】。各種機器正常。動力源安定。周囲オリジニウム濃度、許容範囲内。Main System: Activating Normal Mode.』
私は自らの手のひらを見つめた。
人に模して造られたそれは、あまりにも無機質で、それでいて完璧な機能美を宿している。
「……1077年か」
その数字の重みを、電子脳の片隅で反芻する。
テラを揺るがす災厄――チェルノボーグ事変まで、約十八年。
ロドス・アイランドはまだ存在せず、後に「暴君」と呼ばれる少女タルラは、いまだ公爵コシチェイの手中。精神を蝕まれている最中だ。
そして。
この不毛の大地のどこかで、魔王と英雄たちが「バベル」という儚い理想を掲げ、軍事委員会という現実と踊っている。
「好機だ。……いや、これ以上ない“正解”のタイミングだ」
コシチェイが健在ということは、あの呪わしい“不死の黒蛇”も、まだタルラを完全には乗っ取っていない。
石棺の中で眠るドクターも、まだ知略を振るってはいない。
『何を企んでいるのですか、我々のマスター?』
脳内に直接、甘く、それでいて肌を刺す声が響く。
物理的身体を持たぬ演算体。仮想領域に存在する協力者。
その名は――オールマインド。
「始まるぞ。絶望に満ちたテラの物語を書き換える」
『喜劇ですか? それとも惨劇ですか?』
「――救済だ」
動力炉が重低音を刻み始める。
指先がコンソールを叩き、数万の命令コードがニューラルリンクを介して艦全域へ伝播した。
『随分と大きく出ましたね。しかし、その傲慢さ――嫌いではありません』
私はモニターに映る地図を見つめる。
テラ。
源石が文明を潤し、同時に天災と鉱石病によって生命を蝕む地獄。
1077年は、悲劇の種が芽吹き、大樹へ育とうとする時期。
「本艦は偽装維持のまま上空待機。私は強襲艦AS07:HEAVY WARSHIPで移動する。座標――カズデル国境付近」
『了解。機関始動、PA展開、出力100%』
轟音。
砂塵に埋もれていた巨大艦が、その眠りを解いた。
浮遊移動要塞【アストライア】。
失われた技術の結晶。
そしてその腹部から、一隻の強襲艦が射出される。
■ 戦闘形態
AS07内部。
隔壁が閉じ、外界の砂嵐の音が遮断される。
『出撃シークエンス、開始』
固定クランプ解除。
一歩、前へ。
背部ケーブルが自動離脱した瞬間、全身のナノマシンが活性化する。
皮膚が粒子へと分解し、再編。
『FRAME: Shift to Combat Mode』
HUD更新。
MODE: ADMINISTRATOR
COMBAT LIMITER: RELEASED
LETHAL OUTPUT: VARIABLE
私は拳を握る。
内部フレームが唸る。
源石依存文明。
その前提そのものを否定する力。
「地上へ降りる」
ハッチが開く。
赤色警告灯。
一歩。
私は、テラの大地へと降り立った。
■ バベル本拠地
カズデル。
サルカズの血と涙が染み込んだ土地。
未知の船が砂塵を巻き上げて進む光景に、戦場は騒然とする。
「正体不明の通信です!」
オペレーターの叫び。
白髪の王女が顔を上げる。
隣には鋭い視線のケルシー。
私は全域通信を開いた。
『カズデルに存在する全勢力に告ぐ。直ちに武装解除し、戦闘を停止せよ。我々は惑星管理機構。惑星管理機構法に基づき、治安維持部隊を派遣する。これ以上の戦闘は宣戦布告と見なし、例外なく排除する』
艦後部ハッチが開く。
紅白装甲の人型が降り立つ。
砂が円形に弾け、遅れて衝撃波が届いた。
ざわめき。
サルカズ傭兵、術師、重装兵。
だが。
高台から、一人の少女が前へ出る。
淡い金の瞳。
穏やかな、だが芯のある視線。
――テレジア。
「あなたは……何者ですか」
「惑星管理機構中央管理体。識別名:アース。目的は戦争の停止と将来的危機の回避」
「危機?」
「十八年後、ウルサス北部都市チェルノボーグにて大規模事変発生。テラ全域が長期戦乱状態へ移行する」
空気が凍る。
「虚言の可能性は?」
ケルシー。
「提示可能。ただし優先順位は低い」
背部ユニット展開。
立体投影。
炎上する都市。
暴走する龍。
黒蛇の紋様。
テレジアの瞳が揺れた。
「……その子は」
「タルラ。現在コシチェイ伯爵の管理下」
沈黙。
砂嵐の音。
「提案する。バベルの理想は否定しない。だが現行路線では破綻確率92%」
「……あなたは私たちを支配しに来たのですか?」
「違う」
一拍。
「仕事だ」
戦場が静まり返る。
「ドラコの解放。蛇の排除。軍事委員会との均衡維持。感染者問題の解決。源石社会の段階的転換」
私は続ける。
「条件がある。バベルは私と同盟を結ぶ。全情報共有。軍事行動の事前通達。将来的医療組織設立への協力」
「医療組織?」
「名称未定。だが後にテラの中心となる」
ロドス。
その名は、まだ伏せる。
沈黙の後。
テレジアは微笑んだ。
儚く、だが強く。
「未来を知るのなら……その未来を、私にも変えさせてください」
『おやおや。王は賢明ですね』
私は頷く。
「契約成立だ、テレジア」
この日。
バベルと惑星管理機構の暫定同盟が成立した。
まだ誰も知らない。
この瞬間から。
テラの歴史が、静かに――
本当に静かに、変わり始めたことを。