真剣でハンターと恋しなさい! 作:まじ恋は良いぞ
0-1
痛み。
真っ暗な視界から彼女を解き放ったきっかけは右肩の辺りから生じる強烈な痛み。
ぶつけた、掠めた、引っ張られた、切った、挟んだ……痛みを生じさせるにはこの手の外部的要因もあれば、関節炎等の病といった内部的要因もある。
彼女の場合、それは前者であった。
「ッ……」
痛みに顔を顰めながら体を起こす。寒くないようにと誰かが掛けてくれたであろう布団を剥ぎ、起き抜けの冴えきらない頭で周囲を見回す。
見慣れない場所だ。どうやら建造物の中にいるようだが床も、天井も、壁も、身に付けている衣類も、何もかもが見覚えのない。
何故、自分はこんな場所にいるのかと逡巡する。開いた瞳を再び閉じて、ここで目覚める前の記憶を呼び起こす。
何かと、相対していた気がする。
人ではない。金色の獅子をどことなく想起させる風貌の知り合いこそ居れども、人間を相手して得物を構えることなど狩人たる彼女には有り得ないこと。
「……」
しばしの間頭を捻り、思い出した。
死力を尽くして殺し合ったとある存在の、その伝説然とした荘厳にして恐ろしい佇まいと共に、己が何人たるかを。
自分は狩人だ、と。
新大陸から戻り、とある怪物に挑んだハンターである、と。
ならばそれを証明するものがある。
カムラの里のような特例を除いて狩人のみが持つことを許される証明にして、常人では振るうことも儘ならぬ相棒があるはず。
再度瞳を開き、周囲を見回す。
見当たりはしなかった。誰かにこの場へ運び込まれたということは、その証明もまた回収されているはず。
「はァ……」
深い溜め息には己への失望が込められている。
一生モノの不覚であり恥だ。気絶したとはいえ武器を手放すなど、強大な存在相手に命の駆け引きを挑む狩人として恥ずべき愚行。
かの絶大な力を持つ古龍 溟龍に初めて遭遇した際には予期せぬ濁流によって意識を狩り取られたが、それでも武器は手放さなかったというのに。
不甲斐ない有り様に怒りが込み上げ、しかしてその怒りをぶつける相手もこの場に居ない。
行き場のない怒りは、彼女の手を自然と宿り先に選ぶ。
矛先の定められない怒りに任せて手を握り締める。
強大な存在を打破すべく鍛えられた五指の先端が、女性らしさを捨てた傷だらけで巨木の樹皮を思わせる手のひらに突き刺さる。
「……?」
そこで気付き、小首を傾げる。
痛みを生じさせる右肩、その先端に備えられた右手から伝わってくるはずの痛みを感じない。肩から生じる痛みしか彼女には伝わっていない。
利き腕を庇った、辛うじて怒りに呑まれるのを堪えた、肩から生じる痛みが強烈であり他の痛みを掻き消している。
これ等の考えられる理由はどれも的外れ。
痛みを感じるはずなどなかった。
何故痛みがないのかと右腕を見ようとした彼女は、直ぐにその答えを理解したから。
「……」
当然だ。手のひらからの痛みなど感じるはずもない。
右腕そのものが無いのだから。
「……ッ」
何故右腕が無いのかも彼女は直ぐに思い出し、失う寸前の光景も芋づる式に思い出して身を震わせる。
壮絶な殺し合いを彼女は制した。
祖父母の祖父母の、そのまた祖父母の代よりも前から伝わる御伽噺に登場する架空の存在とまで言われた強力にして強大にして凶悪な古龍 黒龍との人類存亡を掛けた生存競争を、彼女は辛うじて乗り越えて見せた。
新大陸に渡った頃からの付き合いとなる好青年が重傷を負ってまで救ってくれた肉体と、数多のモンスターとの殺し合いを乗り越えてきた武具と、頼れるオトモの力を借りて、彼女は確かに伝承を超越して見せた。
繁栄を極めた王国を一夜にして滅ぼし、命あるもの全ての敵とまで呼ばれた伝承を己の手で物言わぬ骸へと作り替え、死してなお威厳と畏怖を感じさせる様を己の目で見届けている。
右腕を食い千切られ、命を奪った数分後に己もまた絶命するという絶大な代償を伴って。
「……ふぅ」
伝承を超越した時に確かに感じた興奮と、それを瞬時に冷まさせる死してなおも恐れを決して忘れさせない黒龍 ミラボレアスの遺骸。
何世代にも渡って語り継がれる程の存在へと至った黒龍に対して尊敬にも似た念。
それ等を思い出したとなれば、武器を手放したことへの不甲斐なさや怒りも冷めようというもの。
軽く息を吐いて気持ちを落ち着かせる。
意識を失う感覚を覚えている。
遺骸を見つめて成し遂げた事を実感し、背後から駆け寄ってくる仲間達の気配を感じ取って振り返ろうとして、足腰から力が抜けたのを記憶している。
足元がフッと抜けてしまったかのように力が抜ける嫌な感覚が、脳裏にこびりついている。
私は確かに死んだ……となれば、これは?
死ぬ間際に見ている夢にしては、妙に現実味がある。
痛みもあり、微かな肌寒さもあり、それをどうにか改善しようと見慣れない中型の箱型の道具が吐き出す暖かい風も感じる。
幻……というやつか
何時だったか、受付嬢が読んでいた書物の内容の一部を覗き見た事がある。
生きるか死ぬかの凌ぎ合い。日々それに明け暮れるからこそふとした拍子に気になる、死ぬとは何ぞやという疑問。
生きているのだから死ぬのは当然。ならば、その当然迎えることになる死とは何なのか。
それをどうにかして解き明かそうと小難しい論理をこねくり回している内容に軽い目眩を感じた彼女の目を引いた、こんな一節がある。
臨死体験をした人物から話を聞き、それを書物を構成する一部として編集したもの。
『幻を見た。見たことの無い美しい花畑と、そこを流れる小川を見た』
個人差はあるとして、どうやら死に瀕すると美しい幻覚を見ることがあるそうだ。
こんなこと本当にあるんですかね相棒!なんて聞いてくる受付嬢の小憎たらしい顔を思い出し、彼女は軽く苦笑い。
相棒相棒と言ってはいたが、随分とまぁ振り回されたものだ。
一人で突っ走って惨爪竜に絡まれ、一人で行動して恐暴竜の背に乗り、こういってはあれだが何もしていないのに私達の成果だと便乗され……それはもうアレやコレやと振り回された苦い記憶が蘇る。
「ッ」
懐かしくも苦々しい記憶を思い返していた彼女の耳が、見慣れない中型箱型道具の暖かい風を吐く以外の音を聞き取る。
匂いや音は新大陸を生き抜く上で周囲の情報を集める為にも決して軽視出来ない大切な要素であり、渡る以前より各地を転々としては自身よりも強大な存在と渡り合って来た彼女は特に肥えている。
ギシ…ギシ…ギシ……ギシ…
聞き慣れないが、音の間隔から足音であろうという察しは付いた。
大きくはない。ジャグラスやケルビといった小型と分類される中でも取り分け小型である生物よりも更に小さく、二足歩行。
人間の足音だ。ギシギシとなっているのは床材が上を歩く人間の重みによって軋む音か、と見当を付ける。
「…………」
どうする。ブンブジナ寝入りで誤魔化すか?
寝たフリをして切り抜ける、という選択肢が浮かぶも直ぐにそれを破棄する。
ナシだ。恐らく悪いやつではあるまい。
肉体に異常はなく包帯とガーゼによる処置の痕跡も見られる。助けてくれた人物、と考えるのが筋だろう。
考え事に耽りミラボレアスについて思い出す中で頭は冴えを取り戻し、肉体も本調子では無いが動かせる。
武器を手放した時点で狩人としては三流も良いところだが、それでも新大陸を生き抜いた狩人には変わりない。
仮に助けた人物が何かしらの見返りを求めてきたとしても殴り返してやる。それくらいの気力は湧いていた。
身の丈を遥かに超え重量も相当なモノである得物を右腕一本奪われようとも振り回せる鍛えられた肉体と、黒龍を超越したという自信も彼女を支えている。
真っ向から挑む。
黒龍がそうしたように、己も真っ向から臨むとしよう。
肉体を覆っていた布の上へとあぐらをかき、息を殺して足音の主が来るのを待ち構える。
音は次第に大きくなる。接近してきている証拠だ。
外と室内を隔てている正方形の枠に薄い紙を取り付けた扉の向こうに人影。
やや背が曲がっているのかそれとも小柄なのか、少し小さく見えるその人影が何やらモゾモゾと動いたかと思うと、その扉が静かに開かれる。
前者か……立派な髭だ。
立派な白髭と白眉毛を蓄えた老人が、起き上がっている女性を見てギョッとしている。
かと思えば顔を逸らして何やら叫んだかと思うと、女性の前まで駆け寄ってきた。
高齢な見た目と相反する機敏な動きに女性はギョッとするが、そんなのお構い無しとばかりに老人は口を開く。
「無理をするでない! まだ傷口は塞がっておるまい! 寝ておれ!」
聞き慣れない言葉のはずなのに、何故か理解が出来た。
無理?と老人の言葉に一瞬困惑したが右腕のことを思い出して納得する。
手当をしなければならないほどの怪我をしており右腕が無い、こんな相手が起き上がっているとなれば気を揉むのも無理からぬこと。
とはいえ、この程度の傷はモンスターを相手取るとなれば珍しいことでは無い。
鍛え上げられた防具に身を包もうとも完全には受け止めきれない牙や爪によって、何度傷付けられたことか。
「……?」
この程度問題ない、そう言おうとしたが声にならない。
口は開いているのだが、そこから言葉が出てこない。
多弁な方では無かったが、他の狩人と協力してクエストに望む際は喋っていたのだから話す機会が無くて声が出ない、なんてことはありえない。
喉が焼けたか?
考えられるとすれば黒龍との殺し合いにおいて何度も浴びせられた火炎による声帯の損傷。
煌黒龍のように五属性全てを操るのではなく純粋な火炎のみで禁忌の存在として君臨するとなれば、直撃を避けたとて無害では済まされない。
治せるのか。それを試すためにも、彼女には今必要なものがある。
気遣いを無視して立ち上がる彼女に老人 川神鉄心は再度ギョッとさせられる。
その傷で立つというのか!?
2日間に渡ってしんしんと降り続けている大雪によって真白に彩られる多摩大橋を歩いていた鉄心の目の前に、彼女は血だらけで落ちて来た。
全身は傷だらけ。落下の際に体を何度も打ち付けて作った傷ではなく、大小様々な鋭利な何かに切り付けられたような傷。
顔やむき出しの背中には火傷跡もあり、鍛えられた肉体と合わせて相当な修羅場を潜り抜けていることだけは鉄心にも理解が及んだ。
右腕に関してはもっと悲惨だ。巨大な獣に食い千切られたかのように肩口付近の皮はズタボロとなり、骨も噛み砕かれていた。
全身の出血や負傷具合、目の前に落下してきた際の落下音から判断しても、目覚めて早々に立ち上がれるとは思えない。
「……」
驚愕している鉄心の前で、女性が次の動きをする。
左手人差し指を伸ばしたかと思うと空中に長方形を描き、それを掴むような動作をすると腰の近くまで持って行く。
彼には心当たりがある。傷の手当の為に脱がせた見慣れない衣類の中に、見慣れない小道具が詰め込まれたポーチがあった。
「あの道具入れのことかのぅ?」
女性は彼の言葉に頷く。
途端に、彼の姿が掻き消えた。俊敏な動きで部屋を飛び出していったのではなく、文字通りその場で消えたのだ。
霞龍か爵銀龍の子孫か?
新大陸には存在が確認されていないが書物で把握している姿を消したり瞬時に移動する能力を有する古龍の名前を浮かべていると、消えた老人がお目当てのブツを携えて再び現れる。
対人戦闘の経験は皆無だが、こんな身のこなしを見せ付けられれば老人が相当な強者であると理解するくらいは狩人の彼女にも出来た。
狩人にとっての必需品の一つ、アイテムポーチ。
老人から受け取った女性は布団の上に座り込み、ポーチを開けて緑色の液体が入っている瓶を取り出すと躊躇いなく封を開けて口を付けた。
「なっ…傷が……」
緑色の液体を飲み込む度に肉体の傷が癒える光景に鉄心は目を見開く。
瞬間回復とは違う。気を用いている様子が見られない。
あの液体には瞬時に傷を癒す能力があるとしか考えられないが、そんな飲料や薬を彼は聞いたことが無い。
心臓も止まりかけていた重症人がぐびぐびと勢いよく飲み物を飲む光景も異質だが、逆再生を見せ付けられているように治癒されて塞がっていく光景も同等かそれ以上に異質であった。
「……はァ」
ハチミツを混ぜたことで回復能力が飛躍的に高められている狩人の必需品の一つ、回復薬グレートは問題なくその効力を発揮した。
肉体に刻まれている傷は即座に癒え、食い千切られた右肩からの痛みもかなり軽減されている。
本来であれば原材料である薬草の持つ苦味が強く表に出てくるのだがそれをハチミツを加えることで中和しつつ、回復能力の強化も同時にこなしている。
痛みが和らいだ事で開放感に似た感覚がありため息を吐いた女性が、自分を見つめる老人の間抜けな顔に気付く。
なんじゃ…あの飲み薬は……
有り得ない。
ただの飲み薬を飲んだだけで瞬時に傷が癒えてしまうなんて、現代医療を真っ向から嘲笑うかのような代物だ。
百代が得意とし、それ故に精神面や技術面でのアラを生じさせてしまっている瞬間回復とて気をかなり消耗するというデメリットがある。
それこそ百代のようなデタラメな存在でもない限り、何度も瞬間回復を使用すると気が枯渇してしまう。
それに対して自分の目の前で女性が使用した飲み薬は、服用すれば無くなるというごく当然のデメリットに目を瞑れば即座に治癒を行えてしまう規格外の代物。
気を増幅させる効果があり傷の手当を早めたのかとも思ったが、女性からは気そのものが感じられない。
薬学の知識にはやや疎い鉄心でもコレがどれだけ異常な代物なのかは理解が及んだ。
「〇〇△□□××◎?」
空から落ちて来た件といい重症から直ぐに立ち上がった件といい、出会ってまだ数日であり且つ人外魔境川神に住まう彼の中でも既にイレギュラーな存在になりつつある女性が言葉を放つ。
聞き取れなかった。
英語やイタリア語に近しい響きのように感じなくもないが、そのどちらとも微妙に異なる。少なくとも日本語的な響きが含まれないのは確かだ。
「…すまぬ。上手く聞き取れんかったわい。もう一度頼めるかのぅ?」
「〇〇△□□××◎?」
「ダメじゃ全く分からぬ!」
どうやら鉄心が放つ言葉は理解出来ているようだ。
もう一度頼む、と言った返事として全く同じ響きのフレーズが放たれたことから一方的な言語の理解が生じているのは分かった。
とはいえこれではコミュニケーションが成り立たない。一方的に言語の理解が成立していても、それが双方的でなければ意味が無い。
言語が通じていないみたいだな
女性も発語は可能になったものの、言語が通じないという新たな壁に直面しているのを頭を抱える老人の姿から理解していた。
彼女もまた困惑している。
自分の言葉は理解されないのに相手の言葉が理解出来るというのは、初めて屍套龍と遭遇した時に感じたものとは別ベクトルの気味の悪さがある。
なら他の手段だ
困惑しても、諦めはしない。
彼女は新大陸に渡る以前より各地をさすらっては未知のモンスターとの死闘を演じ、新大陸や渡りの凍て地を己の手と足と頭で解析して突き進んできた狩人。
壁に当たっても挫ける所か、それを乗り越える為の術を見つけ出そうと燃え上がるタチだ。
久しぶりの感覚だ…楽しめそうだな
未知の場所を己の手で知り、理解を深め、馴染んで行く。
新大陸に渡った時を思い出させる感覚に笑みが溢れる。
これが夢か現実か、今はまだどうでも良い。
黒龍討伐という偉業を成し遂げ力尽きたはずの導きの蒼い星は、己の知らぬ世界での生活に心が踊るのを隠せなかった。