それは誰かの為の物語。
子供の頃に読まれる物語であり、大人になって思い返す物であり、無数の姿がある存在。
「──っらぁ!!」
本からページが破れて霧の中へと溶け込む。
速攻も速攻である。
「一応言っておくが下手に契約しようなんて言う慈悲は考えるなよ。お前達の心に応じて姿を変える英霊だ。ややこしい状況が更に面倒になる」
アンデルセンが頭を掻きむしりながら話す。
「勿論、です!!」
マシュが盾をナーサリーライムへと放ち、モードレッドとジギルが重なるように剣を振るう。
──しかし、童話の化身。誰かの為の物語は歌う。
幾重にも重なる斬撃の光に裂かれ、霧へと還ったはずの紙片。
それが次の瞬間には、幼女となったナーサリーの身体へと舞い戻り、無数のページが組み合わさり、一冊の巨大な魔導書を形作る。
「もっと、もっとお茶会をしましょう?」
幼き少女のソプラノが、濃霧の奥から幾重にも反響した。
直後、周囲の空間がぐにゃりと歪む。煤けたロンドンの街並みが、まるで絵本の挿絵を乱雑に切り貼りしたかのような、狂気的なお茶会の情景へと変貌していく。
「チッ、固有結界か! いや、これは──」
「先輩、敵の魔力出力が急上昇しています! 気をつけて!」
マシュが叫び、盾を構え直したその足元から、今度は巨大なトランプの兵隊たちが泥のように湧き出してきた。
数、性質、そのすべてがこちらの認識を揺るがし、精神を摩耗させる。ナーサリー・ライム──彼女は実体を与えられたとなれど、物語としての本質は現在。
対峙する者の心が、恐怖が、そのまま刃となってこちらに跳ね返ってくるのだ。
「ぐっ、キリがねえ……! おい、そこの青白え作家! こいつの終わらせ方を知ってんなら、早く言いやがれ!」
モードレッドが迫り来るトランプの群れを大剣で薙ぎ払いながら、苛立ちを爆発させる。その横で、ジギルが荒い息を吐きながら、内なる衝動を必死に抑え込んでいた。この精神を汚染する結界は、彼にとって最も相性が悪い。バトルフィーバーの力で漸く抑え込めている程だ。
アンデルセンは懐から出したペンを苛烈に走らせながら、吐き捨てるように声を張り上げた。
「ハッ、童話の結界を破る方法など一つしかあるまい!『めでたし、めでたし』と、物語の最後のページに特大の結びを書き加えてやることだ! どれほど美しく、あるいは残酷な絵本であろうと、読者が本を閉じればそこで夢は終わる!」
「なるほどな……! 要するに、これ以上ページをめくらせる前に、根こそぎ叩き潰せってことだろ!」
モードレッドの足元から、赤い雷光が爆ぜる。その魔力は、おとぎ話の夢想を焼き尽くす現実の暴力。
「ジギル、マシュ! 道をあけろ! ──そのふざけた絵本を、ここで絶版にしてやるッ!」
「はいっ!」
「……了解、しました……ッ!」
マシュが全霊を懸けて盾を突き出し、トランプの防壁を文字通り粉砕する。生じたわずかな空白へ、ジギルが残る力を振り絞って踏み込み、魔導書を空間ごと切り裂いて固定した。
「──『我が麗しき父への叛逆(クラレント・ブラッドアーサー)』!!」
赤き雷霆が、狂ったお茶会の空間を真っ二つに裂いた。
直撃。概念の核である魔導書が、激しい閃光とともに内側から爆散する。
「あ……ああ……。楽しかった、お話が……終わっちゃう……」
霧の彼方で、少女の幻影が寂しげに微笑み、消えていく。
狂った色彩は、煤煙たなびく元のロンドンの夜へと静かに溶けていった。