「いけない、遅刻しちゃう! 森のくまさんを追いかけてたらこんな時間に……」
トレセン学園に入寮してまだ1年もないウマ娘、デアリングタクトは山を急いで駆け下りた。
山奥育ちの彼女にとって、山と森はすべて故郷のようなもの。
兎を追い、小鮒を釣り、熊と戯れているうちについ授業のことを忘れていた。
街に戻り、山での戦利品を入れたリュックサックを背にステップを踏みながら信号が赤から青に変わるタイミングを見計らっているところ。
トレセンの先輩、超×9負けず嫌いのウマ娘アーモンドアイが話しかけてきた。
「あらタクト! もしかして遅刻しそうなの? 学園の道は覚えてるかしら」
「アイ先輩! はい、大丈夫です。……あれ、もしかして先輩も遅刻ギリギリですか?」
「ええ、ラブに格ゲーで勝つためにゲーセンで特訓してたら夢中になっちゃって! どっちが速く学園につくか勝負しましょう。信号と法定速度は守ってね!」
「わかりました! 先輩相手でも負けませんよ」
ウマ娘の走る速度は人智を超える。故に一般路上では自動車のように法定速度が設けられている。
2人とも真面目な性格なので交通ルールを守って人に決してぶつからない様に走りながらもポジション取りなどを駆使して先頭争いをしていたが、校門を先に通り過ぎたのは先輩のアーモンドアイだった。
「さすがアイ先輩……勉強になりました」
「タクトこそ、もうポジション取りが身につき始めてるじゃない! あなたとはいずれ公式レースで走るかもしれないし、その時が楽しみだわ」
「はい……いつか追い抜いてみせます!」
2人共いずれはティアラ三冠を戴くウマ娘、まだ少しだが授業開始時間に余裕はあった。
とはいえ、ほとんどのウマ娘は授業を受けるためもう教室にいる。
そんな中━━3人のウマ娘が、タクト達とは逆に校舎から出てきていた。
「そこのお2人、道を開けてくださる? ぶつかってしまうといけませんわ」
そのうち1人が話しかけてくる。既にティアラ三冠を達成し、ジャパンカップやドバイレースでの優勝を果たした剛毅なる貴婦人・ジェンティルドンナだ。
「もしかして先輩方……これからティアラ関係のイベントですか?」
アーモンドアイが尋ねる。何故ならその両隣を歩いているのは初代ティアラ三冠にして完全三冠制覇を成し遂げたメジロラモーヌに、常に2番人気に甘んじながらも全てのティアラを喰らい尽くしたスティルインラブだからだ。
しかし、ジェンティルはその質問には答えなかった。
「貴女もレディなら、質問に質問で返すものではなくってよ。それとも━━跳ね飛ばしてしまってもよろしくて?」
「あら、熱心なのね。普段なら何も言わず押し通るのに」
「ああ、いけません……授業をフケてお出かけなんて……後輩にも優しくしないと……」
ジェンティルドンナが校門までの道をまっすぐ練り歩く。進行方向にはアイとタクトがいるが、どかなければ言葉通り跳ね飛ばすのだろう。
「ごめんなさい、すぐどきま……」
「ジェンティルさん、せっかくならお出かけ前にアイと手押し相撲で勝負しませんか? スティルさんの言い方だと、時間はありますよね。本当に私を跳ねられるか、試してください」
「アイ先輩!?」
タクトはすぐにどこうとしたが、アイはむしろ両手を構えて手押し相撲の体勢をとった。ジェンティルの態度がアイの負けず嫌いを刺激してしまったのだろう。
「へえ……私を知っていて挑むと。なら受けるしかないわね。その可愛らしいお手を砕いてしまったら、ごめんあそばせ?」
しかし、よりにもよってウマ娘の中でも剛力自慢のジェンティルに勝負を挑むとは。
ジェンティルはまるでペアダンスで手を取るように優雅にアイの両手を握ったが、明らかに厚みが違う。同じウマ娘、女性らしい手つきでもジェンティルのは筋肉量が凄まじい。
「面白い子ね。普段の貴女よりずっと。そう思わない、スティル?」
「いけません、今すぐ保健医を呼ばないと……あの子、掌も心も折れてしまいます……」
ラモーヌとスティルはジェンティルが即座に勝つと思っているようだ。否、今のトレセン学園にいる誰が見てもそう思うだろう。
しかし、タクトはこう考えていた。アイ先輩ならあるいはジェンティル先輩にも負けないかもしれないと。
「3.2.1……始め」
「んぐぐぐぐっ……………………! ま、負けないわ……!!」
眉一つ動かさず手を押すジェンティルに対し、アイは早速全身全霊の力を込めて顔を赤くしながら押している。
やはり圧倒的な差に見えたが、意外にも10秒経ってアイは一歩も下がらなかった。まだ春と言うには寒い中汗を流しながらも、あのジェンティルドンナ相手に力比べで拮抗している。
「少し見くびっていたようね。……お詫びをしますわ」
流石にジェンティルも驚いたようで、余裕ある貴婦人の目から絶対の力を誇る強者の目に変わった。
しかし、もうアイはいっぱいいっぱい。これ以上自分の能力を超えた力比べを続ければ、トレーニングにも響くかもしれない。
そう直感したタクトは、ジェンティルがより力を込める直前の殺気を察知し、下から無言の手刀でジェンティルの腕を跳ね上げ、2人の手押し相撲を中止させた。
「タクト!? まだ、勝負はついてない、わ!」
「ごめんなさい先輩方! でももう……私達授業に行かないと遅刻しちゃうと思って」
タクトが2人に頭を下げる。ジェンティルはタクトから手刀を受けた場所をちらりと見て、楽しそうに微笑んだ。
「そうね、まだレースで確固たる強者の証明をしていないうちは、大人しく学問にも励むべきだわ。アイさん、タクトさんにお礼を言うことね。それと一応保健室で診てもらいなさい。かなり無茶をしていましたから」
「そう、ね……ありがとうタクト、ジェンティルさん。いい経験が出来たわ。でも次は勝つ……!」
ジェンティル達はアイとタクトを少し迂回して校門を出た。その先には、緑色の高級車が停まっており、3人は平然と乗り込む。
「待たせたわね、トレーナー。少し後輩と話をしていたの」
「構わないが……その手首の跡、どこかぶつけたのか?」
「ええ、後輩とね。怪我にはならないから安心なさい。今後の楽しみが増えたとだけ言っておきますわ」
ジェンティルドンナは運転席のトレーナーへ心底楽しそうに話した。そのトレーナーは何故か運転席がミチミチになるほど大きな着ぐるみ姿だが、彼特有のスキルにより運転に支障はない。
「ふふ、出かける前に今日一番愉快な事が起きたのではなくて?」
「あの子達の力……いずれ果実が美味しく実ったときは……いえダメよ、抑えなければ……!」
後部座席に座るラモーヌとスティルもそれぞれ楽しげに先ほどのことを口にした。
ジェンティルはご機嫌にトレーナーに問う。
「トレーナー、トレーナー。答えてちょうだい。この世で最も美しい冠を持つウマ娘は誰?」
「それはもちろん、ティアラの三冠を持つウマ娘だよ。ここにいるジェンティルのようなね」
「ふふ、その通り。アイさん、タクトさん、こちら側まで到れるかしら?」
「あ、それと一番愛らしいはウマ娘アストンマーチャンでよろしくお願いします」
「はいはい。この私を担当しながらトレーナーも大概強情ですこと」
そんなやり取りをしながら車が発進しようとした時、アイが保健室に行くのを見送ったタクトが車の窓をノックした。
ジェンティルのトレーナーが窓を開けると、突然3匹の兎が飛び込んできた。
さすがのティアラ三冠組もギョッとしていると、タクトが無邪気かつ尊敬のこもった声で言った。
「ティアラの先輩方! これ、昨日山で獲ってきた兎の肉です、よかったらお昼ご飯にしてください! またいつか、私とも勝負してほしいです!」
よく見れば、兎は手足を縛られ食肉として加工済みのものだった。山育ちのタクトにしてみれば立派なご馳走だ。
ジェンティルとラモーヌは驚きつつも平静を保っているが基本大人しく気の弱いスティルは━━弾けた。
「嗚呼、何と言うあふれる野性味!! 今ここで……この兎も、貴女のことも喰らってしまいたいっ!」
「ふふ、獰猛なこと。普段よりは面白いけど」
「よりによって私の車内で豹変しないでくださる? ありがとうタクトさん、もう車が出ますから下がりなさい」
「はい! 行ってらっしゃい!」
タクトは手を降って、発進する車を見送った。
そして一人になった後、心底ワクワクして呟く。
「獲りたいなぁ。あの先輩達みたいに、いつかティアラの冠を全部。それから……」
今のデアリングタクトは立派な先輩達を尊敬する礼儀正しい後輩ではなく。
兎だろうと小鮒だろうと熊だろうと容赦なく獲物を狩る狩人の目をしていた。
「いつかレースで狩りたいなぁ。同じティアラ三冠の先輩も、クラシック三冠を取るようなウマ娘でも、凱旋門に出るような外国のウマ娘達も全部。狩りたいなぁ……」
そんなタクトの物思いは、キーンコーンカーンコーンというトレセン学園の始業チャイムによって中断された。ハッと我に返り、時計を確認するがもう遅刻確定だ。
「ああっ先生に謝らないと……コンちゃんにもまた笑われちゃう……!」
赤面しながら急いで校舎に入るデアリングタクトのトレセンでの生活は、まだまだ始まったばかりだ。これからたくさんの先輩たちと関わりながら、彼女はティアラ路線へと駆けていく。
pixivにも同時投稿しています。自分の書くタクトちゃんはちょっと某ジャンプの狩人少年のイメージが混じってます。
シリーズ化したらティアラ路線及びおひんば組の話が中心になりそうな気がします。