トリプルティアラの二つ目、オークスでアーモンドアイが勝利してから約一週間後。
狩人ウマ娘、デアリングタクトは休養明けのアイと併走を行っていた。
「はあっ、はあっ、はっ……アイ先輩、ありがとうございました……今の走り、心に刻み付けます」
「こちらこそありがとうタクトちゃん、良い勝負ができたわ! 秋華賞に向けて、気持ちを入れなおせる」
タクトはしっかり準備をして万全の状態でアイを仕留めにかかった。だがアイは休養明けのウォーミングアップでその走りを躱し、先頭を駆け抜ける。
この併走を頼んだのはタクトだ。オークスを勝利したアイの走りを間近で喰らって、己の地肉にするために。
アイはタクトに水を渡しつつも今後の走りにいて語る。
「トリプルティアラまであと1つ……でも、ティアラでもクラシックでも最後の1つで思わぬウマ娘が覚醒することはよくあるわ。絶対にトリプルティアラを取って世代の頂点になって……ジャパンカップで上の世代にも勝つ」
「クラシックの時点で、ジャパンカップに挑むつもりなんですね……流石です」
アイは桜花賞とオークスを勝ってもいっさい慢心していない。秋のGⅠに向けて闘志を燃やして遠くを見つめている。
その目線の先にはキタサンブラックとシュヴァルグラン、サトノクラウンが一緒に走っているのが見えた。
「キタサン、多謝! 悪いわね、併走に付き合ってもらっちゃって」
「気にしないでクラちゃん! 公式レースは引退したけどイベントにはまだまだ出るし、自主トレは欠かせないからね!」
「引退は少し寂しいけど……キタさんと走れるのは、やっぱり楽しいから。僕からも、ありがとう」
「シュヴァルちゃんもクラちゃんもジャパンカップに出るんだよね? 応援してるよ。セイヤッ、ソイヤッ、わっしょーい!」
キタサンブラックはクラシック三冠路線のステイヤーにして菊花賞を初めGⅠを7勝した現在最強格のウマ娘。
去年の有マ記念において公式レースの引退を発表し、みんなの愛バになったことはトレセンの誰もが知るところだ。
キタサンを、アイは燃える瞳で見つめている。
「キタサン、今日もいい走りね。全く衰えてない」
「アイ先輩は、キタさんの事お好きですよね」
「ええ、好きよ。人柄も、ウマ娘としての走りも大好き。捕まえたくて仕方ないわ」
堂々と言いきった。去年の有マの時点でアイはまだジュニア期。キタサンに勝つことは負けず嫌いのアイにとっての大目標だったことをタクトも知っている。
だがキタサンの引退によって、少なくとも公式レースでそれは叶わぬ夢となった。逃げきられてしまったのだ。
「三冠目でも奇跡なんて起こさせない。起きても勝たせない。ジャパンカップでキタサンの世代にも勝つ。そして私は、七冠すら越えて伝説になってみせる。そうすれば……」
「アイ先輩……」
アイは最後まで言わなかったが、気持ちは痛いほど伝わってきた。アイがキタサンを見る目は恋する乙女であり、勝利への愛を奪った恋敵への目でもあったから。
しばらくキタサン達を見つめていると、向こうも走りでこちらに近づいてきて━━ふと、キタサンとアイの目があった。
「あっ……」
「ふっー……」
アイが出走の構えを取る。キタサンはスッと体を反転してアイに背を向けた。
「タクトちゃん、また明日ね!」
「クラちゃん、シュヴァルちゃん、お先に失礼するね!」
ドンッ! と地を蹴る音がして、さながらレース本番のように同時にスタート。逃げ上手の大将と完璧で究極の負けず嫌いによる追いかけっこが始まってしまった。
「你好、タクト! 今日もアイさんと走ってたのね、デビュー前なのによくついていってるわ」
「あんなに強いアイさん相手に自分から併走を挑んでるなんて……尊敬するよ」
「クラウンさん、シュヴァルさん。こんにちは。既に偉大な結果を出しているお2人に比べたら私なんて……ほんの未熟者です」
クラウンとシュヴァルとは一緒に授業を受けることもあるが、レースにおいては2人とも昨年GⅠを勝利している先輩だ。コース上ではタクトも恭しく頭を下げる。
「トレーニングはどうする? アイさんの代わりに私たちが併走の相手をしてもいいけど……」
「でもタクトさん、かなり疲れてる……よね」
アイとの併走で全力を使い果たしている。今2人と併走してもついていける状態でないのはタクト自身わかっていた。
「お気遣い感謝します。また今度挑ませて下さい。お二人を仕留……勝負するのには相応の準備をしないと失礼ですから」
「ええ、また全力でやりましょう。タクトがクラシックの頃には私たちも公式レースからは引退してそうなのが惜しいけど……トレーニングなら付き合えるわ」
「アイさんとはジャパンカップでぶつかるかもしれないんだよね、既にあれだけの走り……でも、僕だって姉さんやジェンティルさんのように連覇してみせる」
「その意気よシュヴァル! キタサンは引退したけど私たちの世代の意地、見せてやりましょう」
2人はタクトに手を振って走っていく。
タクトも今日はトレーニングを終えることにして、ある場所に向かうことにした。
「アイさん、また速くなってたなぁ。今はスタミナで振り切れてるけど、いつか捕まっちゃうかも。オークスの2400もしっかり走れてたし……ジャパンカップでもいい走りをしそう」
人気のない校舎裏で、キタサンブラックは息を整えていた。
アイとキタサンの追いかけっこはこれが初めてではない。毎回キタサンが逃げきった後校舎裏のこのあたりに避難してくるのを以前タクトは偶然見つけたのだ。
(キタさんはまだ私の接近に気付いていない……今なら狩れる?)
タクトはキタサンに話しかけようと思ってこの場所に来たのだが……ここでタクトの脳裏に閃きが走る。
今なら、不意打ちでキタサンを後ろから捕まえられるのではないか?
(もちろん、こんなことしたって走りで勝ったことにはならない……けど、アイ先輩が一度も捕えたことのないキタさんを……)
タクトは礼儀正しく理性的だが、狩りへの好奇心が膨れ上がると止まらない幼さもある。
獲物を狙う狩人のように淡々と、だけど悪戯好きの子供のように燦々と、抜き足差し足忍び足でキタサンに近づいていく。
(ここまで近づけばキタさんといえど逃げきれないはず、仕掛けるなら……今!)
「やっぱりアイさん……まだ怒ってるよね。あたしが引退したこと……」
タクトが仕留めにかかる直前の呟きに。足が止まる。
だが言葉の意味を聞く前に校舎の一室、理科準備室の窓から強烈な光が差してきた。
その窓が開く音がして、ますます強い光がタクトとキタサンの目を眩ませる。
「これはこれは! 相変わらずの逃げ上手だねぇキタサンくん!!」
「タキオンさん!? なんで部屋ごと光ってるんですか!?」
「おおっともう一人初めて会う顔もいるね、私の名前はアグネスタキオン。なんでも知ってる偉大なウマ娘さ!」
「眩しい理由の方を聞いてるんですけど……ってタクトちゃん、いつの間に後ろに!?」
「見つかっちゃいました……後ちょっとで捕まえられたのに」
「あたし狙われてたの!?」
光り輝く科学者と幼き狩人にツッコミが止まらないキタサン。
「この部屋に近づく足音は探知してるのに一切反応しなかったからねぇ、見事な足取りだ。今度実験していいかな?」
「噂には聞いてましたが、本当に光っておられるのですね。私にできる協力なら喜んで」
「いやぁスイープくんから聞いていた通り従順で良い娘じゃないか。ちなみにいつも光ってるのはトレーナーくんの方で今のは実験の暴発だからそこは誤解のないように頼むよ」
タクトは窓から元気よく喋るタキオンに恭しく頭を下げた。
眩しくて顔はよく見えないがタキオンは頷き、キタサンに話を戻す。
「キタサンくん、君が引退してからゆっくり話をしたことはなかったが、本当に後悔はないのかい? 走ろうと思えばまだまだ走れたはずだろう? 私と違ってね」
アグネスタキオンは、デビューしてから4戦4勝で皐月賞を制覇したがダービーを前に事実上の引退をした。走れていれば無敗のクラシック三冠もあり得ただろうウマ娘だ。
引退後は後進ウマ娘の育成、主に因子継承の解明や発展に大きな影響を与えている。ティアラウマ娘として名高いダイワスカーレットがタキオンをとても慕っているのはタクトも知るところだ。
そのタキオンの問いに、キタサンは堂々と答える。
「……はい、迷いはありません! タキオンさん風に言うならこれがあたしのプランA。逃げが勝ち、逃げて勝ちです! あたしの元気な足と歌で、これから走るウマ娘達に笑顔と元気を与えてみせます!」
「ハッハッハ! テイオーくんに引退しないでと泣き、スイープくんに振り回されて走っていた君が随分立派なことを言うようになったじゃあないか!」
腹を抱えて大笑するタキオン。しかし決して嘲笑ってはいない。キタサンの成長を認めているのは伝わってきた。
「それで、スイープくんが今の君相手なら因子継承に付き合ってあげてもいいと言っていてね。まぁそっちの先輩として言っておくが覚悟しておきたまえよ。彼女、ああ見えて教育熱心だからさ」
「存じてます! あたしもスイープさんにはたくさんお世話になったし……でもそっか、引退してあたしも因子継承した後輩を直接お助けするんですね」
「クラシック路線ウマ娘はどちらかというと背中を見せるというか、全体のリーダーや指揮をやることが多いがね。キタサンくんなら上手くやるだろう。いずれ君を親のように慕うウマ娘たちも出てくるだろうさ。私や……ステイゴールドくんのようにね」
引退してもファンの多いウマ娘は枚挙に暇がなく、親のように慕われているウマ娘も数多くいるが、その中でもステイゴールドは両方の意味で特別だ。
放浪癖を持ち戦績も順風満帆ではないが、根強いファンやトレセン屈指の個性派ウマ娘たちからも愛さずにはいられないとさえ言わしめる彼女は引退したクラシック路線ウマ娘の理想系と呼べるかもしれない。
そう、キタサンブラックは引退してそちら側に行く。行ってしまう。
「待ってください! キタさんは……本当に、もう公式レースに戻るつもりはないのですか?」
だからこそ、タクトは引き留めるように待ったをかけてしまった。
幼い我儘だとわかっていても、アーモンドアイとキタサンブラックが本気で公式レースを走る姿が見たい。アイのキタサンに勝ちたい気持ちが報われて欲しい。そう願わずにはいられない。
キタサンは少し申し訳なさそうな顔をしたが、やはり返事に迷いはなかった。こうしたことを言われることへの慣れすら感じる。
「うん……ごめんねタクトちゃん。きっとこれが、あたしにとってのスターの引き際。ドラマチックな歴史の通り。ウマ娘や人間さんたちに笑われても、切なくても……いいんだよ」
「笑ったりなんかしません。キタさんの蹄跡は歴代ウマ娘の誰にも劣らないものです。ただ……アイ先輩は……」
タクトはアイの気持ちを知っている。キタサンに勝つことを目標にジュニア期を走って、クラシック期を向かえる前に逃げきられてしまったアイの怒りと悔しさを感じている。
キタサンは初めて言葉に迷ったあと、タクトの目からは逃げずに答えた。
「実はね、アイさんとは約束したんだ。確かにあたしは逃げきったけど……もしアイさんがトリプルティアラを取ったりGⅠ七冠を越えたり、とにかくあたし以上の勝利をしたら……その時は負けを認めるって。内緒だよ?」
「そんな約束を……だからアイ先輩は、あんなに必死に……」
トリプルティアラは絶対に取る。最後の1つで奇跡なんて起こさせない。ジャパンカップでキタサンの世代にも勝つ。アイが繰り返していた言葉の本当の意味をタクトは理解した。
「アイさんならあたしとの約束がなくても勝ちは譲らないと思うけど……今でも見つけると必死に追いかけてくるのは、約束を忘れるつもりがないってことなのかな」
「はい、絶対そうです。ただもしそうなっても、キタさんは負けを認めるのではなく……アイ先輩の勝ちだと、誉めてあげてください。きっとそれが、アイ先輩が一番欲しいものだと思います」
キタサンが呆気に取られた顔をした。
アイは相手を負かしたくて勝負をしているのではない。誰よりも勝利を愛しているから真剣勝負をするウマ娘だ。
だからキタサンの事も、アイから逃げた相手を負かしたいためにその約束をしたわけではないはずだとタクトは思う。
「そうだね……タクトちゃんにも約束するよ。アイさんの勝利をきちんと認めるって」
「はい、そうしてあげてください。アイ先輩には秘密ですよ」
「うん! 2人の約束━━」
「ふゥん? 黙って聞いていれば誰か忘れてないかね君たち」
「「あっ」」
そういえば上でタキオンが聞いていた。我に返った2人がタキオンにも内緒にするように頼むと笑って快諾してくれた。
「さて……ではキタさん、改めてお手合わせ願えますか?」
「えっ。タクトちゃん、そのナイフ何?」
話が終わったので、改めてタクトはお手製の木製ナイフを構え直す。
「タキオンさんの光で中断されましたが、狩りの途中だったのでこの際最後までやろうかと……」
「さすがアイさんが特別視する後輩……! 狙った相手を逃すつもりがない……!」
とはいえ不意打ちならともかく正面から狙われて逃げきれないキタサンではない。余裕をもって逃げ始めようとすると、正面に見慣れた魔女の帽子が現れた。
「キタサン! 今度アタシが面倒みる子がいるんだけど、アンタに憧れてるみたいなの。魔力継承の儀式について教えてあげるからついてきなさい!」
「スイープさん!? 今はアイさんとタクトちゃんの相手をしててちょっと……」
「んまっ、自分が引退したからって現役中やデビュー前の子にまで粉かける気!? そんなの許さないわ、アタシが一から教えてあげるから覚悟しなさい!」
「そういう意味じゃないよ!?」
「キタさん……お覚悟!」
前門のタクトと後門のスイープの両方から追い詰められ、咄嗟に横っ飛びで逃げ出すキタサン。
アイを振り切った後なのに衰えないスピードで逃げていく姿は生粋のステイヤーにしてまさしく逃げ上手の大将だった。
「ハッハッハ! 頑張りたまえキタサンくん。例え我々の歩みがどこかの世界の教科書通りに進んでいるのだとしても━━こうして語り合い歴史を紡ぐことができるのは私たちだけなのだから!」
引退後のキタサンが逃げ上手の大将やってるところが見たくて書きました。
ステイゴールドも正式に登場したり次シナリオは無人島でデアリングタクトの独壇場になりそうな気配もあって今後も楽しみです。