未来福音 / 瓶倉光溜の事件簿   作:夢科緋辻

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第12話

 屋上を吹き抜ける風は少しだけ冷たかった。

 私は煙草(タバコ)を口に咥え、ライターの火が消えないように左手を(かざ)す。

 

 天気予報によると、西高東低の冬型気圧配置によって大陸から寒気が流れ込んでいるそうだ。今は薄い雲しか見られないが、今夜未明には弱い雨も降るらしい。

 紫煙を吐き出しながら、服をもう一枚羽織れば良かったと後悔する。

 ここ数日はすっかり秋めいてきた。季節の移り変わりは年々速度を増している。もう何週間か経てば、あれだけ恨めしく思っていた真夏の太陽すら恋しくなるのだろう。

 

 私はコーヒー缶の底でもたれ掛かっている錆びた鉄柵を叩く。カン、カン、と甲高い音が見慣れた街の喧騒に吸い込まれていった。

 

「光溜さん、本当にここが好きなのね」

 

 屋上の扉を開けて、勝手知ったる様子で末那が入ってくる。

 当然の如く無断訪問だが、このお転婆お嬢様にとやかく言っても無意味だった。楽しそうな足取りを一瞥してから、私は煙草(タバコ)を口に含んで先端を赤く燃やす。

 

「疑問なのだけれど、いつも同じ景色を見ていたら飽きないの?」

「これくらいで飽きていたら趣味なんて言わないよ」

 

 喉の奥の痺れを味わいつつ、街の景色を一望する。

 

「間違い探しみたいなものでね。街の変化は意外と早いんだ」

 

 それに私の場合、確認作業という意味合いが強いかもしれない。

 自分が、この街の一部であるという実感を得る為の。

 

 探偵なんて怪しい仕事をしているせいで、どうしたって社会との繋がりは限定的になってしまう。遊びに出ようにもそんな金はどこにもないし、気軽に誘える知り合いもいない。

 だから、こうして街の景色を眺めることで寂しさを紛らわせているのだ。……何と言うか、もう少し人生について真面目に考えた方がいいかもしれない。

 

「ふーん、そう言うものかしら」

 

 乾いた風に流される黒い長髪を押さえながら、末那が私の隣で目を細めた。

 知性と(れい)()さに彩られた横顔は歳に似合わず大人びている。同じ景色を前にしても、少女の瞳には私よりも多くの情報が色鮮やかに映っているのだろう。

 

 それが、少しだけ羨ましかった。

 

 末那は興味を失ったのか、くるりと屋上の鉄柵に背を向ける。

 

「涼風鈴音と杉浦克也だけれど、警察の捜査には協力的みたいね」

「まあ、あの二人にもう抵抗する理由はないからな」

 

 未来視の事件を解決してから既に一週間が経過していた。

 二人の身柄は観布子警察署に勾留されている。既に検察への送致は済んでおり、起訴までは時間の問題とされていた。

 

 当たり前だが、取り調べの最中に未来視なんて言葉は出てこない。涼風鈴音と杉浦克也は職場の同僚を殺した犯罪者として司法で裁かれることになる。

 

 両儀家も二人を大人しく警察に引き渡した。

 組織内外に示しを付ける為、見せしめとして制裁を加える話もあったらしい。だが、実質的な後継ぎである末那の父親が反対したそうだ。

 

「今回の一件、お母様もパパも光溜さんに感謝していたわ」

「有難い話だが、厄介事に巻き込むのは金輪際で勘弁して欲しいかな」

 

 調子に乗って天狗にでもなれば、危ない橋だろうが渡れと命じてくるだろう。

 ただでさえ、流れてくる仕事は泥臭い努力と違法スレスレの粘着調査を要求してくるのだ。そこに命の危険まで加わるとなれば、いよいよ本気で雲隠れを検討しなければならない。

 

「そんなこと言って、本当は楽しかったんじゃなくて? ね、倉密メルカさん?」

「まさか、生きた心地がしなかったよ」

 

 気分が昂揚していたのは否定しないが、あれは一時の気の迷いだ。しかも、後から思い出して恥ずかしくなる類の。深夜テンションだと思ってくれればいい。

 私は慎ましやかで堅実な生活を送りたいのだ。綱渡りみたいな経験は今後も極力避けて通りたいというのが紛れもない本音である。

 

 で、あるならば。

 きっと、ここから先の話はするべきではないのだろう。

 

「それで末那、確認したいんだが」

 

 それでも、頭の中で浮遊する可能性を組み立てずにいられない。

 つくづく難儀な星の下に生まれたものだ。

 

「君は何か、私に隠し事をしていないか?」

 

 ぱちくり、と。

 黒い少女は長い睫毛を(しばたた)かせる。

 

「あら、どうしてそう思うのかしら?」

「根拠は三つ」

 

 私は短くなった煙草(タバコ)を缶コーヒーに入れた。

 

「一つ目は君が私を助けようとバーに踏み入った時だ。秋隆氏がバーの扉の鍵を解錠した訳だが、君達は一体どこでバーの鍵を手に入れた?」

 

 休日の、しかも夜という時間。

 店舗を管理する賃貸会社やバーの店主(オーナー)に働き掛けるにしては対応が早過ぎる。私が監禁されていた時間や末那が異変に気付いたタイミングを考えると、正攻法では辻褄が合わない。

 

「二つ目はバアさんの様子だ。私が涼風鈴音の話をした時、少し違和感があった。あの時は深く踏み込めなかったが、この件について何か知っている風だった」

 

 黒いお嬢様は何も答えない。

 ただ、青い瞳が嬉しそうに輝いている。

 

「三つ目はあのバーだ。涼風鈴音が相談所として利用していた訳だが、普通あり得ないだろ。あんな大金が動く闇商売の為に、バーの店主(オーナー)が場所を貸すとは思えない。何か事情があると考えた方が自然さ」

 

 実際のところ、これが最初に気付いた違和感。あとは連鎖的に発想が繋がっていったのだ。

 

「決定的だったのは、あのバーの名前だな」

「クロシェット、だったかしら?」

「そう。調べてみたらピンと来たよ。フランス語で『鈴』を意味するそうだ」

 

 (すず)(かぜ)(すず)()

 (クロシェット)

 

 この二つに関連性を見出すのは何も荒唐無稽な話ではない。

 

「ここから先は私の推測も混じる。あくまで情報を組み立てただけに過ぎない」

 

 私は街の眺望から視線を外して、末那の隣で錆びた鉄柵に背中を預ける。

 

「クロシェットの店主(オーナー)は涼風鈴音の関係者だ。最も高い可能性は一緒に暮らしている父親か。肉親が店主(オーナー)だとすれば、涼風鈴音が自由にバーを使えた理由にも納得がいく」

 

 ただの知り合いが店主(オーナー)なら、わざわざ涼風鈴音の名前に由来する店名にはしないだろう。店名が偶然そうなったと言い張るのは少し不自然だ。

 

「バアさんが何か知っている風だったのは、バーの店主である涼風鈴音の父親が占いに来たから。その時に『予言』の未来視で今回の事件を()ったんだ」

 

 開店前のバーを提供していたのだから、父親は涼風鈴音の怪しい商売を知っていたはずだ。勿論、それが犯罪に繋がっていることも。

 

 娘を犯罪者にはしたくないから警察には相談できない。かと言って、見て見ぬ振りにも限界がある。そう考えた父親は藁にも縋る想いでバアさんを頼ったのだ。

 観布子の母の本業は悲劇の回避に特化した占い師。他でもないこの私が知名度を上げて、遠のいていた客先が戻るように仕向けていた。父親の耳にも噂や評判は入っていたのだろう。

 

「事件の結末を()たバアさんは父親からバーの予備鍵(スペアキー)を受け取っていたんだ。事件解決に必要だと()って。それを君が受け取ったと考えれば辻褄が合う」

 

 バアさんがどこまで事件の結末を()ていたかは解らない。だが少なくとも、私や末那が重要な役割を果たすことは()っていたのだろう。

 

「……おばさまには、秘密にしておくよう願いされていたのだけれどね」

 

 観念した様子で口を開いた末那が、高く透き通った秋の空を仰ぐ。

 

「光溜さんが一人でクロシェットに行った後、おばさまに言われたの。今夜は遅くまでここにいるって。その言葉がバーの予備鍵(スペアキー)を持っているという意味だと気付いたのは、随分と後になってからだったけれど」

「じゃあ、私の推測は」

「お見事、全て正解よ」

 

 どこか誇らしげに、末那が告げた。

 

「もう一つ白状するとね、両儀家に涼風鈴音の情報を持ち込んだのも彼女のお父様。おばさまにそう助言されたみたいよ。娘が人を殺したことも薄々勘付いていたんでしょうね」

「だからこそ、あのタイミングで動くことを決意できたんだろうしな」

 

 涼風鈴音の父親がどんな想いで行動を起こしたかは分からない。

 バーの店名に娘の名前を使っていたり、娘を救おうと動いていたりするのだから、悪意はないはずだ。父親としての愛情……などと片付けてしまうのは少し陳腐だろうか。

 

「それで、光溜さん……おばさまのことを、悪く思わないであげて欲しいの」

 

 末那の声に、悄然とした響きが混じる。

 

「事件のことを話せなかったのは理由があるからで、私達を傷付けるつもりは――」

「分かってる、分かってるから。末那、そんなに辛そうな顔をしなくてもいい」

 

 食い下がろうとする少女の頭を、私は優しく撫でた。

 

「私が自ら涼風鈴音を止めようと思い立つ為には、一度バーで敗北する必要があった。あの敗北がなければ、私は涼風鈴音に深く関わろうとしなかったはずだ」

 

 倉密メルカを名乗って涼風鈴音の前に立つことは絶対になかった。

 そうなれば、観布子の母が『予言』する悲劇の回避には至らない。

 

「バアさんは、何も知らない私をバーに行かせる必要があったんだ。直接的な情報を何も伝えずに、私の行動を誘導する必要がね」

 

 だが、おそらくこれは表向きの理由。

 

 ――もとから未来ってのは無いんだ。無いものには手が出せない。

 

 脳裏を過ったのは14歳の夏の記憶。

 短刀(ナイフ)を片手に近づいてくる殺人鬼の勝ち誇った笑み。

 

 ――未来ってのはあやふやだから無敵なんだ。

 

 未来が()えなくなった今となっては非常に耳の痛い指摘だった。

 結果として、私は今回の一件で未来の都合に振り回されることになった。かつて、『測定』の未来視で数多の未来(けつまつ)を造ってきたこの私が、だ。

 

 だから、なのだろうか。

 

 ただの人間が未来に立ち向かうには限度がある。未来視の真似事もほどほどにしておけよ、と。そんなバアさんの声が聞こえてくるのは。

 

 今も未来視と共に生きる大先輩から、未来視を失った愚かな後輩への忠告。

 あるいは、未来が()ない状態で社会に溶け込もうと足掻く私への激励。

 

 何にせよ、食えないバアさんだ。

 

「光溜さん、やっぱり探偵に向いてるわ」

 

 末那の顔が真夏の太陽のように明るくなっていく。

 

「私が? 探偵だって?」

「ええ。パパも言っていたけど、わたしも今そう直感したわ!」

 

 否定しようとも思ったが、あながち的外れではないかもしれない。

 

 未来視が現実(いま)を組み立てて、未来(けつまつ)を『予測』する行為ならば。

 推理は証拠(かこ)を組み立てて、真実(いま)を導き出す行為と言える。

 

 確かに、両者には似通っている部分があった。

 

 どんな現在(いま)が、どんな未来(けつまつ)に繋がるのか感覚的に掴めるのだから。

 集めた証拠(かこ)が、どんな真実(いま)に繋がるか『予測』することも可能だろう。

 

「……ふふっ」

 

 口許を綻ばせた私を、末那が意外そうな眼差しで見詰めてくる。

 

「光溜さん?」

「いや、何でもない。私もまだ、自分に期待できるのかと思ってね」

 

 未来視を失ってから、私の自己評価は常に地の底に食い込んでいた。

 どうせ何かを為すことなんてできない。達観して、諦めて、目を逸らして……自らを端役だと決め付けることで自尊心を保ってきたのだ。

 

「生まれて初めて言われたが、どうやら私には意外な才能があるのかもしれない」

 

 才能、とは少し違うだろう。可能性に気付くと組み立てたくなる。そんな衝動に似た指向性が、私の思考には残響のように揺蕩っているのだから。

 

 未来視の後遺症、と表現するのが妥当か。

 

 だったら観布子の母を参考にして社会に貢献するのも一興だ。未来視なんて異能を私に押し付けた運命への皮肉にもなると考えれば、俄然やる気も出てくる。

 

「こんな私にも価値があるのなら、せめて労働で人類社会に還元するべきだ。なら、売れない絵本作家など辞めてしまって探偵業に専念し――」

「それはダメ!」

 

 (まなじり)を吊り上げた末那が私の上着を掴んで叫ぶ。

 

「ダメよ、光溜さん。それだけはわたしが許さないから」

「じょ、冗談だよ。私だって、作家業を辞めるつもりはない」

 

 凄まじい剣幕に押されて、思わず後退りしそうになる。

 

「そもそも、だ。末那、君はそんなに私の絵本が好きじゃないだろ」

「ええ、そうね」

 

 何の躊躇いもなく即答した。

 

「処女作以外はまったく評価できないわ。いい、まったくよ。資源の無駄使いを恥じるべきね。どうしてあんな駄作を生み出せるか理解に苦しむくらい」

「……なら別に、私が筆を置いても構わないだろ」

「嫌よ。そんな結末は悲しいじゃない」

 

 末那はゆっくりとした足取りで私の正面へと移動していく。

 

「あのね、光溜さん。わたしはね、創作ってすごい偉業だと思うの」

「偉業とは、また大げさな」

「いいえ、正当な評価よ。世間にとっては駄作でも凡作でも、誰かにとっては人生を変える傑作になることもあるんだから。それは(ころ)すよりも遥かに難しくて、苦しくて、尊い奇跡だわ」

 

 憧憬、尊敬、そして羨望。

 込み上げる感情を丁寧に紡ぎながら、末那は眩しさに目を細めるように微笑んだ。

 

「だって、そうじゃない?」

 

 陽光(ようこう)(おど)る青い瞳が、真っ直ぐに私を見上げる。

 

「――生きているなら、神様だってつくってしまえるんだから」

 

 不思議と、その言葉は私の心を揺さぶった。

 しばし茫然としてから、込み上げる笑みを唇に乗せる。

 

「……そうか。そうだな」

 

 屋上の扉の方へと視線を向ける。

 

 そこには小さなゴミ箱が一つ。

 空になったコーヒー缶を持ち上げて、慎重に狙いを付けた。

 

 右目には、もう未来は映らない。

 それでも――右手を振り上げて、コーヒー缶を放り投げる。

 

 力の加減を誤り、想定よりも遠くに飛んだコーヒー缶が奥の壁に当たった。甲高い音と共に回転して、そのまま綺麗にゴミ箱の中へと吸い込まれていく。

 

「こう言う未来も、まあ、悪くない」

 

 望んだ未来ではないかもしれない。

 誰もが羨み、幸せに満ちた終わりではないのかもしれない。

 

 それでも、私が生きているのは掛け替えのない現在(いま)である。

 

 きっと、そうやって思えるようになったことが。

 私にとっての福音なのだろう。

 

「それじゃあ末那、少しばかり手伝ってもらおうか」

「手伝う? 何を?」

「新作絵本の執筆だよ。アイデアが浮かんでね」

 

 私名義で出版された処女作『吸血鬼の涙』は、今は亡き友人が私をモデルにして描いていた。

 その成功事例にあやかって、キャラクターにモデルを用意するのはどうだろうか。

 

 都合の良いことに、モデルにするに値する少女が私の隣にいるのだから。

 

 私が歩き出すと、末那が楽しそうな足取りで追い掛けてきた。

 

 もうじき冬がやって来る。

 今年の冬は例年よりも暖かくなると、私の左目(いま)が告げていた。

 

 

 了

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