未来福音 / 瓶倉光溜の事件簿   作:夢科緋辻

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第3話

 未来が()える。

 それを眉唾だと一蹴できたなら、どれだけ生きやすかっただろうか。

 

 残念ながら、この世界は意外と神秘で溢れている。

 例えば、末那の父親は大学を中退して魔術師の助手として働いていたそうだ。しかも、その魔術師は私が事務所兼自宅として使っているビルを拠点としていたらしい。

 

 心躍るファンタジーのように聞こえるかもしれない。

 だが私は、自分の生活する場所がどんな伏魔殿だったのかと戦々恐々している。人並みの生活に憧れる身としては、そんな空想の世界とは無関係でいたいというのが本音だった。

 

 まあただ、相手の能力が未来視だと知って多少動揺したのは事実。とは言え、どうせしょうもないトリックを必要とする偽物に違いない。

 

 低俗な神の劣化品だった私と同様に。

 

「お姉ーさんっ! 少しお話を聞いてもいいかしら?」

 

 片道二車線の県道に、黒いコートを着た末那の声が響く。

 

 末那が事務所にやって来た翌日。

 

 正式に調査依頼を請けた私は、末那と共に観布子南の繁華街に赴いていた。

 JRの駅を中心に栄える昔ながらの歓楽街であり、居酒屋や商業施設が多く軒を連ねている。空に茜色が滲むこの時間帯ではまだ鳴りを潜めているが、もう少し経てば光と音の洪水が夜を遠ざけ始めるはずだ。

 

 末那が話しかけたのは女子高生の三人組。怪訝そうに眉根を寄せていたが、末那の屈託ない笑みに(ほだ)されたのか、次第に空気が柔らかくなっていく。

 

「そこの廃ビルについて、何か知っていることがあったら教えて欲しいの」

 

 末那の人差し指が向けられた方角。車の往来する大通りを挟んだ向かいには、雑居ビルだったと思われるコンクリートの塊が屹立していた。

 使われなくなって久しいらしく、風雨に蝕まれた灰色から生気は感じられない。街の時間に置いていかれ、陰に沈むその姿はまるで放置された遺骸だ。

 

「知ってること……って、言ってもねぇ」

 

 女子高生が困った様子で顔を見合わせる。

 

「そもそも、お嬢ちゃんはどうしてそんなことを知りたいの?」

「えーと、それはですね」

「雑誌の取材ですよ、観布子市の謎を解明するって企画でして」

 

 頃合いを見て、私は末那の背後から会話に加わる。今まで離れた場所で静観していた成人男性の乱入に、女子高生の顔が警戒の色で染まった。

 

「初めまして。実は私、こう言う者でして」

 

 慣れた手付きで名刺を取り出して、胡乱に見詰めてくる女子高生に渡す。

 当たり前だが、書かれている内容は全て偽物だ。紛いなりにも探偵であり、この手の小道具は幾つか用意してある。今回は架空の出版社の記者という設定だった。

 

「あの廃ビル、色々と曰く付きみたいで。雑誌で特集することになったんですよ。この子は、まあ、私の助手みたいなものです。曖昧な噂でも構わないので、何か知っていることがあれば」

 

 私は必死にぎこちない笑顔を取り繕う。

 普段使わないせいで頬の筋肉が引き攣りそうになった。鏡を見れば、きっと出来損ないの人形みたいになっているに違いない。

 

「本当に何でもいいの! わたし、皆さんのお話を聞いてみたいわ!」

 

 一歩前に躍り出た末那が無垢な眼差しで微笑み掛ける。

 すると、一人の女子高生がゆっくりと話し始めた。

 

「そう言えば、クラスの男子が話していたんですけど」

 

 私は女子高生から聞いた情報をキャンパスノートに記していく。

 その間、末那は残りの女子高生と何やら笑い合っていた。鞄に付いていたキーホルダーを話題に盛り上がっているらしい。いつの間にか、私を怪しむ空気すら霧散していた。

 

「貴重な情報をありがとう。参考にさせてもらいますよ」

「じゃあね! 楽しかったわ!」

 

 末那が大きく手を振ると、三人の女子高生は微笑みながら去っていった。

 私は思わず一息付く。全身から緊張感が抜け落ちていった。

 

「……なんだ、末那?」

 

 腰の辺りから視線を感じる。黒いお嬢様が片目を閉じてこちらを見ていた。

 褒めて欲しいと顔に書いてあるが、私は気付かない振りをする。末那がいると聞き込みが捗るのは事実で、実際に私一人で先ほどのような年齢の相手から情報を聞き出すのは不可能なのだが、それを素直に伝えて調子に乗られても面倒だ。

 

「前にも言ったが、誰彼構わず好きになるのは君の悪い癖だぞ。知らない大人を簡単に信用しないでくれよ。最近は物騒なんだから」

「分かってるわよ、それくらい」

 

 末那は唇を尖らせる。

 

「大体、わたしだってちゃんと人を選んでいるわ。人を見る目には自信があるんだから」

「へぇ、こんな私と一緒にいるのに?」

「光溜さんに、わたしをどうにかする度胸はないでしょ。あ、それとも」

 

 青い瞳に、挑発の光が踊る。

 

「わざわざ訊くということは、甘い言葉でも期待しているのかしら?」

「余計なお世話だ。10歳の子どもに頼るほど落ちぶれちゃいないよ」

 

 私はキャンパスノートを鞄に入れると、末那の視線を振り切って歩き出す。

 未来視を使うと予想される女子大生――涼風鈴音は繁華街にあるカウンターバー『クロシェット』で働いているらしい。訪問の段取りは両儀家が整えてくれたので、その時間までにもう一つ仕事を片付けておきたかった。

 

「光溜さん、そこに段差があるから気を付けて」

「……ん、ああ。わかった」

 

 いつの間にか、私の右側を歩いていた末那から指摘を受ける。私は言われた通り劣化して盛り上がったアスファルトを乗り越えた。

 

 私の視界は、右側半分が欠けている。

 12年前に未来視の能力を失った時、同時に右目もその機能をなくしたからだ。

 

 末那が不思議と介助に慣れているので理由を訊ねたところ、だってパパも右目が利かないから、とのことだった。何でも、過去に事件に巻き込まれて負傷してしまったらしい。確かに末那の父親は前髪を伸ばして右目を隠している。

 

 全国チェーンの居酒屋や怪しげなマッサージ店の前を進んで行くと、大型パチンコ店が見えてきた。近づくと、入口前のガードレールに腰を預けていた男性が反応する。

 

 暴力団で任侠を全うする由緒正しき黒服。

 彼を見れば誰もがそう思うだろう。実際に、両儀家に引き抜かれるまでは下部組織のヤクザだったのだから。

 歳は40代半ば。一目で暴力に慣れていると分かる屈強な身体付きに、彫りの深い顔立ち。それでいて亡霊のように暗く、物静かな佇まい。漆黒のスーツや黒いサングラスという格好も相まって、彼の周囲の往来には不自然な空白が存在していた。

 

「末那お嬢様」

 

 黒服――(すずり)()秋隆(あきたか)氏は低い声に少しだけ険を滲ませる。

 

「勝手な行動は慎んでください。どれだけ心配を掛けているかご存知なんですか?」

「心配なんて必要ないわよ。光溜さんと一緒にいるんだから」

 

 光溜さんも何か言いなさい! と青い瞳が強烈に私を見詰めてくる。私は無視を決め込んだ。サングラスの奥で細められていく秋隆氏の眼光に逆らう気はない。

 

「大体、秋隆もパパも心配性なのよ! 少しはお母様を見習って欲しいわ」

 

 ぷいっ、と末那は顔を横に向けた。

 

 秋隆氏は両儀家の使用人であり、同時に末那の教育係を務めている。

 そもそもとして、両儀家はこの辺り一帯を取り仕切る暴力団関係の名代。文句の付けようもない名家だ。末那は御当主様夫婦が授かった一人娘であり、その結果として時代錯誤も甚だしいお嬢様教育を受けていた。

 

「秋隆さん、頼まれていた聞き込み調査の結果です」

 

 私は鞄からキャンパスノートを取り出して、秋隆氏に手渡した。

 

「あの廃ビルに関してですが、大した情報は集まりませんでした。偶然にも事件現場に選ばれた、そう判断するべきでしょうね」

 

 廃ビルに関する情報収集。それが、片付けておきたい仕事だった。

 

 三日前、あの廃ビルで殺人事件が発生した。

 被害者は両儀家の下部組織の一員。聞いた話では、拳銃で撃ち殺されたらしい。争った形跡はなく、使われた銃弾も一発のみ。自らが治安を維持している……と主張する土地で身内が殺されたとあり、両儀家も独自で捜査をしているという訳だ。

 

 秋隆氏は軽くキャンパスノートに目を通してから、小さく息を吐き出した。

 

「警察も同じ見解のようです。捜査に進展もないと聞いています」

 

 さらりと警察の内部情報が出てくるから驚きだ。地元の名代として警察とも良好な関係を築いているのだろう。

 

「犯人は依然として逃走中。警察も動いていますが、未だに行方は掴めていません」

 

 秋隆氏は一枚の写真を取り出して、私に見せてきた。

 写っているのは軽薄そうな見た目の青年。だらしなく伸ばした金髪に、子どもなら泣き出しそうな三白眼が特徴だろうか。何にせよ、私と同じで吹けば飛ぶようなチンピラだ。

 

「警察と我々が、殺害犯の最有力候補と睨んでいる人物です。被害者とは職場の同僚で、金銭関係でトラブルを抱えていました。名前は――」

「えーと、秋隆さん。これ以上は……」

 

 私が曖昧な笑みで言葉を制すると、秋隆氏は大人しく口を閉じてくれた。

 暴力団関係の殺人事件など、小市民である私が首を突っ込むべきではない。正式な依頼でないなら、余計な情報など知らない方が身の為だ。

 

 探偵と言えば聞こえは良いだろうが、私の正式な立場は両儀家専属興信所の所長だ。

 

 今回の聞き込みはまだマシだが、法律の境界上で反復横跳びを強制される素行調査や、忍耐や虚無感と友達になれる長時間の張り込みなど、いつもはまともな仕事が回ってこない。

 まあそもそも、私には小説の探偵のような華麗な推理など到底不可能だ。物語の端役としては、やられ役や噛ませ犬にならないよう立ち回るだけで精一杯である。

 

「もう、光溜さん!」

 

 末那の眼差しが呆れと怒りの色に染まる。

 

「そんな逃げ腰でどうするの! いつまで経っても万年金欠の貧乏探偵ままじゃない!」

「あいにくと、可能な限り楽をして生きたい性分でね」

 

 頬を膨らませる末那から目を逸らす。

 汗を掻いて働けるような性格ならこんな人生を送っていない。苦労して何かを得るという行為は私の価値観に反するのだ。不幸にも、そう言う生き方を思春期に学んでしまった。

 

 秋隆氏はキャンパスノートを閉じると、泣く子も黙る強面を私に向ける。

 

「では、確かに情報を受け取りました。報酬はいつもの口座に」

「お願いします」

「それと、末那お嬢様。もう夕方ですし、そろそろ家に帰りますよ」

「いやよ、まだ帰りたくないわ!」

 

 末那が小走りで私の背後に回り込む。

 

「わたし知っているのだから。オトナがみーんな夜更かしだって」

 

 べーっ、と末那が私の腰から顔だけ出して可愛らしい舌を覗かせる。

 頼むから、私を盾に使うことはやめていただきたい。ほら、秋隆氏の眉間に深い谷間が生まれている。

 

「それに! せっかくここまで来たのだから、おばさまに会いに行きたいわ。出掛ける前にパパからも気に掛けるようお願いされたし。それじゃあ、善は急げということで!!」

 

 タタタ、と忙しない様子で末那が走り去っていく。

 遠ざかる少女の背中を見送ってから、恐る恐る正面に向き直った。

 

「まったく……あのお転婆には困ったものです」

 

 意外にも。

 そこに鬼のような剣幕はなかった。口許に滲むのは陽溜まりにも似た優しさだ。

 

「教育係としては不本意なのですが……光溜殿、末那お嬢様を頼みます」

「頼むと言われても、私では何も……」

「御当主様に婿殿がいたように、お嬢様にも家の外に居場所が必要なんですよ」

 

 御当主様――末那の母親か。確か、秋隆氏は末那の母親の教育係も務めていた。

 

「御当主様のように直截(ちょくさい)ではないが、末那お嬢様も不思議な力を持っている。あの奔放さを収める器として、両儀の家では広さが足りていないのでしょう」

「その奔放さによって、私は毎度の如く貧乏グシを引いているんですがね」

「そう毒突かないでください。ちゃんと報酬を多めに振り込んでいるはずです」

「……まあ、それはそうですが」

 

 生かさず殺さず、といった具合だが。

 とは言え、私には文句を言う筋合いはない。普通の生活に馴染めず、唯一の友との思い出まで失わない為に、首が回らなくなるまで借金を重ねたのは私なのだから。

 

 だが、債権者の元締めが12年前に私の右目(のうりょく)を殺した殺人鬼の生家であり、その娘が私名義で出版した絵本のファンだったのは何の偶然か。

 この因果がなければ、今頃私は日本どころかこの世にいないかもしれない。考えようによっては、両儀末那は私の命の恩人ということになる。何とも不思議な縁だ。

 

「末那お嬢様は、人をよく見ている」

 

 秋隆氏は踵を返すと、振り向きざまにサングラスの奥で両目を和ませる。

 

「誰彼構わず好きになりますが、本当に最後の一線はなかなか越えさせない。そんなお嬢様がここまで懐いているんだ。もっと自信を持つべきです」

 

 心優しき黒服は繁華街へと消えていく。昭和の歌謡曲がよく似合いそうな後ろ姿だった。

 

「光溜さーん! 何してるの、置いていかれたいの!」

 

 道の先で、末那が腰に手を当てながら眉根を寄せている。

 私は頭を掻きながら、気怠げに歩き出す。

 

 末那の気まぐれに振り回されるのは癪だが、今回ばかりは便乗させてもらおう。なにせ、これから会いに行くおばさま――観布子の母と呼ばれる占い師は。

 私が知る限りで唯一、本物の未来視の持ち主なのだから。




第4話は2025年3月12日(水)19:00投稿予定です。
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