未来福音 / 瓶倉光溜の事件簿   作:夢科緋辻

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第4話

 その裏路地に、茜色の陽光は差し込まない。

 繁華街から一本奥に入っただけで辺りは一足早く夜を迎えたみたいだった。細く、暗く、長い通路は常闇に繋がる参道。現世の喧騒は遠のき、時間が停止したような静寂に溺れている。

 

「ふんふーん♪」

 

 ビルの合間に生まれた異世界に、末那のご機嫌な鼻歌が響く。

 社会の陰である裏路地でも不思議と少女は馴染んでいた。きっと上流階級の社交界でも、小学校の教室でも、自然と溶け込んでしまうのだろう。少女を取り巻く世界の方がカタチを変えてしまうから。

 

「いらっしゃい。ちょいと寄ってくかい、お兄さん」

 

 裏路地の袋小路に反響する、(しゃが)れた老婆の声。

 歳は70を超えているだろうか。恰幅の良い体付きに、胡散臭さを助長する数珠やネックレスの数々。厚ぼったい黒ローブ姿は、まるで森の奥で大鍋を掻き回す魔女そのものだ。机の上に置かれた水晶玉が、淡いガスランプの灯りを吸収している。

 

「こんにちは、おばさま! 遊びにきたわ!」

「おや、誰かと思えば嬢ちゃんかい。よく来たね」

 

 観布子の母は頬の皺を深くした。慈愛に満ちた表情だ。光をほとんど映さない瞳を細めて、駆け寄ってきた末那の頭を優しく撫でる。

 

「バアさん、そろそろ引退した方がいいんじゃないか? その様じゃ、帰省してきた孫を可愛がってるようにしか見えないぞ」

「ふん、アンタはいつも一言多いんだよ」

 

 占い師は心底鬱陶しそうに私を睨め付けた。つば広の帽子から垂れる黒いヴェールの向こうで、唇だけが赤く歪んでいる。

 

「元気そうで何より。客入りもそこそこみたいだな」

「お陰様でね。全盛期には程遠いが、まあ楽しくやらせてもらってるよ」

 

 観布子の母は、今から約15年前に一世を風靡した辻占い師だ。

 特に悲劇の回避には定評があった。占い師の言い付けを守った人は悲劇を回避して、反対に助言を聞き入れなかった場合は例外なく悲劇に直面している。

 

 勿論、プラシーボ効果を利用したインチキ占いなどではない。

 

『予言』の未来視。

 

 何の情報もなく、相手の未来を当てる剥き出しの異能。

 大抵の未来視は偽物だが、このバアさんだけは本物だ。

 

 正直、ゾッとする。

 

 親しい人でも、嫌いな奴でも、知らない他人でも。

 何の条件もなく平等に悲劇という結末が()えてしまうのだ。救いたい、あるいはもっと辛い目に遭わせたい。そんな風に自分の感情が揺さぶられるだけではなく、救えなかった相手に対しても不必要な負い目を感じてしまう。

 

 未来を()ってしまえば、今の行動にも影響が出る。周りの人と同じ感覚や尺度で生活を送ることはできなくなるだろう。自分だけが異物のように感じてしまうから。

 

 現在(いま)を生きることができなくなる――それが、未来を()ることの弊害。

 実際に私は、バアさんのように正気を保ったまま社会と関わり続けられなかった。

 

 ただその異能も歳には勝てなかったのか、近頃はほとんど何も()えなくなったらしい。視力すらも失いかけている。それでもこうして占い師を続けているのは、人の身に余る異能を社会の役に立てたいと思っているからだそうだ。

 

 その妙な責任感のせいで、私は多大な苦労に直面することになる。

 

 8月の夜、私は両儀家から依頼を請けてバアさんに裏路地からの立ち退きを命じた。

 時代に取り残された占い師に居場所はないらしく、警察への通報や抗議が増えてきたそうだ。その対応として、治安維持という名目で街の掃除を押し付けられたのだ。

 

 何てこともない簡単な仕事。

 

 だがその予定調和を狂わせたのは、やはり無理やりついてきた末那だった。バアさんを好きになった末那が、占い師を辞めさせたくないと駄々を捏ね始めたのだ。

 私は死ぬ想いで末那の母親を説得。その結果、繁盛とまではいかないまでも観布子の母を盛り立てる羽目になった。

 

 私は仕方なく観布子の母のホームページを作成。同時にポスターやチラシもばら撒いて、とにかく占い師としての知名度を上げようと試みた。

 

 知らないから、よく解らないから、恐れられてしまう。

 なら、既知で当たり前の存在にしてしまえばいい。

 

 どうやらその目論見は成功しているらしく、怪しい老婆が出没するという通報や抗議はほぼ無くなった。義理は果たしたといっていいだろう。ここから先はバアさん自身の問題だ。

 

「それでおばさま、今日はちょっと占って欲しいことがあるの」

「ああ、構わないよ。女の子はいつでも無料さね」

「じゃあ、早速。今のわたしでお母様を倒せるかどうか占ってくださいな」

 

 占い台に両手を付いた末那を見て、私は思わず眉間を押さえてしまった。

 

「お母様ったら、私が気付いてるって知りながらパパとイチャイチャしてるの。きっとパパを奪い取ろうとするわたしへの当て付けだわ。でも目の前で指摘するとパパが困るだろうし……」

「それは、中々にヘビーな状況さね」

 

 苦笑いを浮かべた占い師が、水晶玉に両手を翳した。

 

「うーん、今はまだちょっと無理そうだね。何をしても勝てる未来は()えないよ」

「そうなのね、残念……あーあ、早く大人になりたいわ。子どもって本当に退屈」

 

 肩を落とした末那が、形の良い眉を曇らせる。

 子どもの冗談だと笑い飛ばせれば良かったのだが、残念ながらこのお嬢様は本気で言っている。母親の方も全て理解した上で泳がせているからタチが悪い。何も知らないのは当事者である父親だけだった。

 

「それで、おまえさん」

 

 口紅に彩られた老婆の赤い唇が怪しく持ち上げられる。

 

「アンタもあたしに聞きたいことがあって来たんだろ? なんだい、また随分と面倒なことに巻き込まれてるみたいじゃないか!」

「嬉しそうに言わないでくれ、気が滅入ってくる……まさかとは思うが、何か()えたのか?」

「いや、何も」

 

 含みのある笑みを浮かべたまま、老婆は首を横に振る。

 

「おまえさんだって知ってるだろ、あたしが力を失いつつあるってことを」

「まあ、そうだが」

 

 それにしては確信めいた言い方が引っ掛かったが、末那の前で露骨な嫌がらせをすることはないだろう。私一人の時なら平気な顔で嘘も()くだろうが。

 

「まあいい。それで、クロシェットというバーを知ってるか? この先にあるドラッグストアの向かいのビルの地下に入ってるカウンターバーだ」

「さあね。あたしが知らないってことは、最近できた店なのかね」

「店員の女性が、未来視を使って金を稼いでいるらしい。しかも、相談料として数十万って金を動かしてる。金額が金額だからな、両儀家としては大きなトラブルに発展する前に辞めさせたいそうだ。調査の手始めとして、私が鉄砲玉に選ばれた訳さ」

「そいつはまあ、何とも皮肉な話で」

 

 くつくつ、と観布子の母は喉を鳴らす。暗闇の底で不気味に瞳を細める姿は、まさしく街談巷説で語られる現代の妖怪そのものだ。

 

「これから私は相談者を装ってその店員に会いに行く。だから、その前にアンタの意見を聞きたい。アンタなら、どういう風に未来視の能力者と対峙する?」

「どういう風に、ね……おまえさん、その店員をどうするつもりだい?」

「どうもしないさ。私はただ、両儀家の意向を伝えるだけだよ」

「……そうかい。ま、なるようになるか」

 

『予言』の未来視を持つ老婆は、真面目な顔になって占い台の上で両手を組む。

 

「未来視という異能が、その人間の人生観にどんな影響を与えたか」

「……?」

「別にこれは、能力者に限った話じゃないんだけどね」

 

 占い師は何十年という年月を感じさせる様子で水晶玉に手を翳した。

 

「家庭環境だったり、才能だったり、人間関係だったり……人間ってのは有りとあらゆるモノから影響を受けちまうんだよ。結局はその影響がどんなカタチで発露するかってだけの話でね、未来視だってその一要素でしかないのさ」

 

 サッカーの才能があれば、プロ選手として活躍する人生を選ぶかもしれない。

 幼い頃から料理をしてきた人は、飲食店を経営するようになるかもしれない。

 

 では。

 未来視という異能を発現した人間ならば?

 

「銃が悪いんじゃなくて、撃った人間に問題があるってのは有名な話さね。引き金に指を掛ける理由を明らかにせず、罪を裁くことができないこともね。紛いなりにも絵本作家であるアンタなら、私の言いたいことが解るだろ?」

「まあ、な」

 

 誰にだって相応の物語がある。

 主役として、あるいは端役として、今に至るまでの経緯や葛藤がある。

 

 だから、未来視という見えやすい要素ばかりに気を取られるな。

 人間の本質は、根源は、もっと深い場所に沈んでいるのだから。

 

 それは占い師として何百、何千という剥き出しの感情に対峙した果てに辿り着いた境地。未来視なんて要素が小さく感じられるほどの醜悪な人間性を味わってきたのだろう。

 

「おまえさんは未来視を持っていた先輩なんだ。少しくらい後輩の面倒を見ても、まあバチは当たらないんじゃないかい?」

「遠慮しておくよ。半端なチンピラでしかない私に、誰かを救うことなんてできやしない。私はその後輩と違って社会の害にすらなれないんだから」

 

 素っ気なく告げると、微かに老婆の表情に憂いの色が浮かんだ気がした。

 

『予言』の未来視に対して、若い頃のバアさんがどんな感情を覚えていたのかは知らない。

 強制的に他人の未来(けつまつ)()ることで、自分の意志とは無関係に現在(いま)を食われ続ける人生。それが幸せだったと思えるほど私は楽観的ではなかった。

 

 普通の人間とは明確に異なる在り方を強制されながら。

 それでも尚、真っ当な精神で社会に関わり続ける。

 

 果たしてそれは、どれだけの覚悟を要することなのだろう。何を失い、どれだけのモノを諦めて、代わりに得たモノはあったのだろうか。

 

 異能に溺れ、ヒトとしての道を踏み外し、半端なチンピラに成り下がる。

 そんな中途半端な人生を歩んでいる私には、到底想像もできない生き方だ。

 

「参考になったよ、バアさん。ありがとう、視野が広がった」

「そりゃ良かった。それから、これは観布子の母としての忠告だよ」

 

 黒いヴェールの向こうで、光を失った瞳に力が宿る。

 

「おまえさん、くれぐれも無理だけはしちゃいけないよ。引き際を誤らないことだね」

「やめてくれ、アンタに言われるとシャレにならない」

「大丈夫よ、おばさま!」

 

 大人しく話を聞いていた末那がぐっと両手を握る。

 

「光溜さんに何かあっても、わたしが助けてみせるんだから!」

「その気持ちは嬉しいが、末那、ここから先に君の出番はないよ」

「そんな!? なんでよ、光溜さん!」

「流石にここから先は子どもの出る幕じゃないだろ。私じゃ体育会系の相手はできないし、万が一の時に君を守ることができない」

「大丈夫よ、自分の身くらい自分で守るから!」

 

 そう言うと、末那は黒いコートの内側から何かを取り出した。

 

 黒い、棒状のプラスチック。

 実物を見るのは初めてだが、それが何であるかはすぐに直感できた。

 

 ばぢぃっ!! と。

 およそ数十万ボルトの紫電が、路地裏の薄闇を弾き飛ばす。

 

「……末那、それをどこで?」

「お母様から貰ったの。本当はお母様と同じ短刀(ナイフ)が欲しかったのだけれど、わたしにはまだ早いからって代わりに……あ、パパには内緒にしてね! 絶対に怒られるから」

「……、」

 

 呆れて言葉も出ない。

 私は深く溜息を吐くと、戦意に満ちた表情の末那から目を逸らした。

 

「何にせよ、末那、君はもう家に帰るんだ。この先は大人の時間さ」

「まあ、今日の光溜さんは強情だわ」

「秋隆さんに迎えにきてもらうように連絡しておくから、それまでここで大人しく待っているように。バアさんもちゃんと見張っててくれ」

「あいよ。アンタもせいぜい気を付けな」

「安心してくれ、逃げ足には自信がある」

 

 むーっ、と眉尻を持ち上げる末那に背を向けて、私は裏路地を歩き始める。

 

 私の役割は涼風鈴音に両儀家の意向を伝えること。

 ただ話を聞くだけだし、いざとなれば尻尾を巻いて逃げてやればいい。

 

 それに両儀家から事前にもらった情報によると、涼風鈴音は極めて真っ当な女子大生だ。強いて言うなら、家庭環境が少し特殊だろうか。母親と死別し、現在は父親と二人暮らしらしい。

 何にせよ、何か特別な事情を抱えているとは思えない。暴力が必要になる事態には陥らないだろう。身構える必要なんてない簡単な仕事だ。

 

 社会の陰に気怠げな足音が響く。

 ビルの隙間から覗く空は藍色で、夕焼けの向こうに夜が混じり始めていた。




第5話は2025年3月13日(木)19:00投稿予定です。
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