未来福音 / 瓶倉光溜の事件簿   作:夢科緋辻

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第5話

 カウンターバー『クロシェット』は商業ビルの地下フロアに入っている。

 大通りに面した階段を降りて行くと、蛍光灯が弱々しく照らす廊下に繋がっていた。人の気配がないせいか、未踏の洞窟に迷い込んだような錯覚に陥ってしまう。

 

 革靴の音を響かせながら奥に進み、『クロシェット』と書かれた扉の前に辿り着く。取っ手には“close”の看板。本日は定休日だ。未来視を使った『相談』はバーの定休日に行うらしい。

 

 僅かな逡巡を飲み込んで、私は重たい扉を開けた。

 真っ先に目に飛び込んできたのは六席ほどのカウンターと、奥の棚に並ぶ色鮮やかな酒瓶。ライトを仕込んであるのか、様々な形のガラスが淡い輝きを湛えている。

 

「申し訳ありませんが、お客様」

 

 カウンターの奥。バーテン服に身を包んだ長身の女性がこちらを見詰めていた。

 意志の強そうな瞳が印象的だった。清流に揺れる夏柳を思わせる爽やかさと、研かれた日本刀にも似た鋭さ。整った容姿の裡には、決して他者には侵せない聖域が隠れている気がする。

 

 (すず)(かぜ)(すず)()

 観布子大学の経済学部に通う21歳。容姿についても写真で確認した通りだ。

 

「本日は定休日なんです。また後日お越しいただけますか?」

「あ、いや」

 

 私は後ろ手で扉を閉めながら、店内に視線を彷徨わせる。

 

「相談の予約が、入っているはずだが……」

「……あなたが?」

 

 バーテン服を着た女性の両目が警戒の色に染まる。私の全身に視線を走らせると、不可解そうに眉根を寄せた。

 

 値踏みをされたのだろう。

 ファッションに気を遣え、という末那の言葉を思い出した。私が着ているのは量販店で買い揃えた安物だ。支払いの心配でもしているのかもしれない。

 

「金ならある。ちゃんと用意してきた」

 

 私は鞄をバーテン服の女性に見せる。中には両儀家から渡された軍資金が入っていた。

 初回の相談料は25万円。二度目以降は内容によって金額が変動するらしい。支払いは現金一括のみ。相談の予約についても紹介制であり、一見さんはお断りしているそうだ。本日の『相談』も両儀家がばれないように上手く裏で手を引いていた。

 

「失礼しました。では、こちらで少しお待ちください」

 

 カウンターに座るよう促されたので、私は大人しく従った。

 涼風鈴音は奥の部屋へと入っていく。何か準備でもあるのだろうか。

 

 恥ずかしい話ではあるが、バーに来たのは生まれて初めてだった。物珍しさで視線が動きそうになるのを堪えつつ、私は泰然とした面持ちを維持する。

 

「お待たせしました」

 

 奥の部屋から戻ってきた涼風鈴音が、カウンターの向こうへと移動した。

 

「せっかくです。何か飲みますか?」

「あいにくと、下戸なものでね」

「では、ノンアルコールカクテルで」

 

 バーテン服の女性は慣れた手付きでドリンクを作り始める。

 

 カウンター下の冷蔵庫から取り出したのは果汁100%ジュース。オレンジ、レモン、パイナップルを、氷の入った銀色のシェイカーにそれぞれ同量加える。そこへシロップと思われる液体を少量注ぎ、胸の前で縦に振り始めた。

 その後シェイカーの蓋を開け、カクテルグラスに中身を注ぐ。シャルトルーズイエローの液体がバーのライトを反射して淡く輝いていた。

 

「シンデレラです。どうぞ、ご賞味ください」

 

 目の前のコースターにカクテルグラスが置かれる。注文していないドリンクを口にすることに少しだけ躊躇はあったが、どうやら興味の方が優ったらしい。

 私はカクテルグラスを傾けて唇を湿らせる。途端、口の中に広がる柑橘系の甘味と苦味。初めて体験する不思議な味わいだが、素直に美味しいと感じた。

 

「相談に入る前に、幾つか確認させていただきます」

 

 バーテン服の女性がカウンターの奥で姿勢を正す。

 

「あなたの名前と、紹介者の方との関係性を教えてください」

「私の名前は(かめ)(くら)光溜(みつる)。紹介してもらったのは――」

 

 私は(あらかじ)め両儀家が準備した設定を口にする。この辺りの準備は抜かりない。

 

「ありがとうございます。確認は以上です」

「だったら次は、こちらから質問させてもらっても?」

「なんなりと」

「アンタは、本当に未来が()えるのか?」

「――ええ」

 

 涼風鈴音は微笑を浮かべた。

 

「ですが、未来が()えるという表現では語弊が生じます。正しくは、あなたがどんな『選択』をして、その果てにどんな結末に辿り着くか()ることができる、です。より詳細な未来を()る為には相応の情報が必要になりますが」

「……?」

「実際に体験してもらった方が早いですね」

 

 バーテン服の女性は二枚のコインを取り出して、それぞれカウンターに置いた。

 

「右と左のコイン、あなたがどちらのコインを『選択』するか当ててみせましょう」

「そんなの、ただの偶然だと言い張ることもできるが?」

「では、あなたが奇跡だと信じるまで当て続けてみせましょうか。何度でも」

「……いや、一度でいい。それで十分だ」

 

 相手の『選択』と、その結末を()ることができる未来視。

 せっかく能力を見せてくれると言うのだから、まずは相手の土俵に乗ってみよう。まあただ、大人しく従うつもりは毛頭ないが。

 

「どちらのコインにするか、決まりましたか?」

 

 右、と。

 私は無意識の裡で想った。

 

「では、私が指差すのと同時にあなたもコインを選択してください」

 

 涼風鈴音の顔は自信に満ちていた。

 私は迷わずに片方のコインを指差しながら告げる。

 

「私の選択は、右だ」

 

 その瞬間、涼風鈴音の顔が疑問の色に塗り潰された。

 

「……ふざけてるんですか?」

「残念ながら大真面目さ」

 

 宣言(コール)は右。それは間違いない。

 

 だが、私の指が向いているのは左のコイン。

 そして、涼風鈴音が指差したコインは――私から見て左側にあった。

 

「悪いが、アンタの未来視を試させてもらった」

 

 困惑と、疑念。そして、微かな怒り。

 キツく細められていく涼風鈴音の眼差しに対し、私はニヒルに唇を歪める。

 

「アンタは『選択』の結末を映像として()ている。文字通りの未来視だ。私の思考を読んだり、声を聴いたりしている訳じゃない」

 

 涼風鈴音が()た未来の映像は、左のコインを指差して何かを話す私なのだろう。声が聞こえているとすればこんな簡単なトリックに引っかかったりしない。

 

「発動条件は自分の問い掛けに対して相手に『選択』させること。そして、アンタの()る未来は確定していない。私の行動が術者であるアンタの裏を掻いているなら、当事者の行動次第で未来を変えられるはずだ」

 

 相談という使い方を鑑みると、未来を変えることに重きを置いているのかもしれない。

 

「より先の未来を、より細かく()る為には詳細な情報が必要と言ったな。裏を返せば、何も解らなければ未来は()えない訳だ。まあ、コインの『選択』くらいならいつでも()えるんだろうが、それだって私の視線や仕草から推測した結果なのさ」

「……あなた、何者なの?」

「同業者だったんだよ、私も」

 

 唖然と固まるバーテン服の女性に対し、私は吐き捨てるように告げる。

 

「アンタの未来視は『予測』の一種。自らが五感で捉えた情報を捨てずに記憶し、分析して、その結果として訪れる当然の結末を演算する。起こり得る未来の可能性を()っているだけなんだ。精度は桁違いかもしれないが、人間の機能の延長でしかない」

 

 所詮は偽物さ、と呟いた口の中に苦い味が広がった。

 

「私はただのメッセンジャーだ。アンタが未来視を使って、法外な金額を動かしてるって情報が入ってな。この辺りを取り仕切ってる連中が迷惑だと判断した」

「両儀、家?」

「……ああ、そうだ」

 

 正直に言えば、少し意外だった。

 いくら両儀家が地元の名家とは言え、名が通っているのはあくまで裏社会。涼風鈴音の口からその名が出てくるとは思わなかったのだ。

 

「まあ、悪いことは言わない。この辺りで手を引いておけ、アンタは少しやり過ぎた。次にやって来るのは私みたいな半端なチンピラじゃ済まないぞ」

「……参考までに訊きたんだけど」

 

 声音が変わる。

 バーテン服の女性は、感情を押し殺した瞳で私を見詰めていた。

 

「目を付けられた原因はお金かしら? 未来視を使っていたことじゃなくて?」

「さあな。その辺りは興味がなくてね」

 

 私の仕事はあくまで両儀家の意向を涼風鈴音に伝えること。仮に涼風鈴音が警告を無視したとしても、それは私に関係のないことだ。

 

「ただ、個人的な意見を言わせてもらえば」

 

 純粋な老婆心から、と言い切れるほど私は出来た人間ではない。

 だが、涼風鈴音を見てかつて同業者だった私にも想うところがあった。

 

「能力で金儲けをするのはお勧めしない。いつか絶対に異能に溺れて、ヒトとしての道を踏み外す。その先に待っているのは真っ当な生活に戻れない半端な人生だけだ」

「……半端な人生、ね」

 

 涼風鈴音の眼差しに、憐憫の情が混じった。

 

「それは、あなたの実体験かしら?」

「残念ながら。まあだからこそ、私がここに来る羽目になったんだが。アンタがそこまでして金を稼ぐ理由は知らないが、この『選択』は間違っている。引き返せる内に戻るべきだ」

「ねぇ、元同業者さん」

 

 バーテン服の女性が腕時計に視線を落とす。

 

「未来視を失って普通の人間に戻って、あなたはどう感じたの?」

「……そうだな」

 

 ちくり、と胸に疼痛が走った。

 

「未練がなかった、とは言い切れないな。あの力は、私を特別にしてくれたから。だが納得はしている。未来は()えなくてもいい。不出来な私は、今を生きるだけで精一杯さ」

「そう――私は納得なんてできないわ、絶対に」

 

 涼風鈴音が私を睨み付ける。

 その視線を、明確な敵意で尖らせながら。

 

「敗北者の思考ね。あなたは、能力者としても半端者だったのよ。だから未来視を失ってもヘラヘラしていられる。私は違う。未来視という能力に自信と誇りを持っているの。この力と共に私は生きていく。私の『選択』は間違いなんかじゃない、絶対に」

「……そうかい」

 

 私の役目はここまでだ。

 議論は無駄だと判断して、私は椅子から立ち上がる。

 

「ならせいぜい、その言葉が嘘にならないよう頑張――っ!?」

 

 視界が、揺れる。

 いや、私の体が足元からふらついているのだ。強烈な酩酊感。内臓に直接アルコールを注入させられたような不快感が鎖となって全身に絡み付いてくる。

 

「……なんだ、これはっ」

 

 テーブルの上には飲みかけのカクテルグラス。

 カウンターの奥で、バーテン服の女性が邪悪に微笑んでいた。

 

「未来は()えなくてもいい、だったかしら?」

 

 何か、カクテルに盛ったのか……?

 そう思い至った時には、しかし既に体の自由が効かなくなっていた。

 

「理解できないわ、未来は()えた方が良いに決まってるじゃない。事実として、あなたは今にも倒れそうになっている。未来視を持っていた頃ならこんな失敗はしなかったはずなのに」

「く、そ……っ」

 

 テーブルに手を付くが、それだけでは平衡感覚を保てない。耳の奥で爆発する心臓の鼓動音。額から吹き出した脂汗が不快に肌を湿らせる。

 

「私は『選択』を間違えない。お母さんみたいに失敗しない」

 

 それはまるで、呪詛めいた呟き。

 

「望む未来を得る為には、正しい『選択』をする必要があるの」

 

 店の奥の部屋へと繋がる扉が開く。

 

 入ってきたのは、金属バットを片手で握った大柄な男だ。

 だらしなく伸ばした金髪に、街を歩いているだけで職務質問を受けそうな三白眼。脳の記憶を司る部分が刺激される。どこかで見覚えのある外見だが、思考が痺れていて思い出せない。

 

「悪いけど、しばらくここで眠っててちょうだい。私の『選択』を正しくする為に」

 

 一体、何が起きている?

 動けない私の目の前で、金属バットだけが鈍く照明を反射していた。

 

「あなたは『選択』を間違えた――ただ、それだけよ」

 

 そして、容赦なく。

 金属バットが振り下ろされる。




第6話は2025年3月14日(金)19:00投稿予定です。
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