未来福音 / 瓶倉光溜の事件簿   作:夢科緋辻

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第8話

 私――涼風(すずかぜ)(すず)()は、幼い頃に『選択』という行為を禁じられていた。

 私の『選択』は全てお母さんが代わりに行っていたからだ。

 

 仲良くなる友達も、学校に着ていく服も、習い事や趣味も。

 全て、全て、全て――お母さんが決めていた。

 

 勿論、お母さんの決定に逆らうことはできない。

 否定すればヒステリックに怒鳴られるし、酷い時には暴力を振られたり食事を抜かれたりした。大人しく従っていれば機嫌が良かったことだけが不幸中の幸いなのだろう。

 

 私にとっての生活とは、お母さんの顔色に合わせるだけの退屈な作業だったのだ。

 

 お母さんの喜ぶ顔がみたいとか、褒めて欲しいとか、そういう前向きで、歳相応な気持ちがあればまだ救いもあったかもしれない。

 でも、私はただお母さんに怒られたくない一心だった。圧倒的な恐怖による支配の結果、私という人間の意志は次第に薄れていく。それが私に残された唯一の生存戦略だったから。

 

 一方で、お父さんは不器用な仕事人間だった。

 お母さんの操り人形である私にどう接すればいいのか解らなかったのだろう。仕事で家を空けることも多く、子育ては全てお母さんに押し付けていた。

 

 だから、異常とも言える私への教育には一切口を出さない。

 

 晩御飯を抜かれて廊下にぐったり倒れる私を見ても。

 殴られて腕に青痣を付けながら泣きじゃぐる私を見ても。

 気付かない振りをして、そそくさと歩き去っていった。

 

 そんなお父さんだけど、一度だけ気まぐれに教えてくれたことがある。

 どうして、お母さんがこんな風になってしまったのか。

 

 お母さんの人生は失敗だらけだったそうだ。

 

 人間関係も、受験も、就職も、会社内での立ち回りも、結婚も。

 人生のありとあらゆる場面で失敗を繰り返してきた。

 

 だからこそ、自分の娘に関しては失敗したくない。たとえどんな手を使ってでも、娘の人生を成功に導いてみせる――そんな理由だった。

 

 娘の人生の成功によって、自分の人生に価値があったと思い込みたい。

 それが、失敗だらけの人生に残された最後の希望だったのだろう。

 

 お母さんに怒られないよう怯えながら『選択』された行動を繰り返す。ゲームのキャラクターみたいに、プレイヤーであるお母さんの指示に従い続ける。

 

 そんな灰色の日々は、私の心に思い出や記憶を残さなかった。

 小学校に6年通い、私立中学校に3年通う。私の人生に刻まれているのは無味乾燥な情報の羅列。卒業アルバムを眺めてみても、自分がそこに写っていると実感を持つことができなかった。

 

 だけど、そんな日々は唐突に終わりを告げる。

 

 離婚。

 既に崩壊していた家庭だったけれど、遂に行き着く所まで来てしまった。

 

 16歳――私立高校の2年生だった私は、一つの『選択』に直面する。

 

 お母さんか、お父さんか。

 これから一緒に生活する相手を、自分の意志で『選択』することになった。

 

 お母さんは、自分を選びなさいと叫び。

 お父さんは、興味がないのか私と目を合わせようともしない。

 

 不思議と、迷いはなかった。

 自我を奪われたはずの操り人形は、それでもお父さんを『選択』した。

 

 明確な意志を持って、はっきりと、断頭台の刃を下ろすように。

 

 その時、私の胸で渦巻いていたのはドス黒く濁った醜い悪意だ。

 今ならお母さんの尊厳を踏み躙れるという歓喜。16年という歳月によって膨れ上がった憤怒や苦悩が溢れ出し、強烈な反逆心となって体を衝き動かした。

 

 押さえ付けからの解放。

 人生を奪われ続けた私にとって、その反逆は当然の権利の行使だったのだ。

 

 お母さんにとって、私の裏切りは刃物で心臓を刺されることと同じなのだろう。

 

 絶望、激憤、後悔。

 ありとあらゆる負の感情を混ぜ合わせたような表情になって喚き始める。大人の威厳などかなぐり捨てたその姿は、癇癪を起こした子どもと変わらない。そんなお母さんを見て、私は心の中で笑みを浮かべていた。

 

 お母さんは考えられる全ての方法で私の親権を取り戻そうとする。でも、私は頑としてそれを拒否し続けた。上手くいかない度に、お母さんは酸欠に喘ぐみたいに発狂していたそうだ。

 

 そして遂に、私は解放される。

 お母さんの自殺という幕切れによって。

 

 遺書はなかった。

 突発的で、衝動的な、高所からの飛び降り自殺。

 

 私が初めて下した『選択』は人を殺すことになった。

 だけど私は、その知らせを聞いて気分がスカッと晴れたのを覚えている。今までの鬱憤を清算できた昂揚感(カタルシス)に心が快哉を叫んでいたのだ。

 

 もしかしたら、この瞬間だったのかもしれない。

 命を奪うという行為に対して抵抗を感じなくなったのは。

 

 お母さんと別れてから、お父さんとの二人暮らしが始まった。お父さんが仕事を変えた為、二人で観布子市に引っ越すことになったのだ。

 

 とは言え、関係が改善することはない。

 必要最低限の意思疎通はするけど、そこに雑談は生まれない。血の繋がった赤の他人。親としての愛情を感じたことはなかったけど、生活費や教育費を出してくれたのはせめてもの償いだったのかもしれない。

 

 お母さんから解放された私は、しかし思うような人生を送れなかった。

 今まで全ての『選択』をお母さんに委ねてきたのだ。主体性はなく、常に誰かの指示を待つ人形。受け身で、無気力で、世間知らずで……お母さんの指示がないと友達すら作れなくなっていた私に、手を差し伸べてくれる人はいない。

 

 高校生活も、私の心に何かを残すことはなかった。

 目立たず、何も成さず、時の流れるままに。誰の記憶にも残ることなく、ただ呼吸だけを繰り返すだけの存在。最早それは机や黒板といった背景と何ら変わりなかったと思う。

 

 大学進学を『選択』したのも、お母さんの呪縛が残っているから。

 

 良い大学に入って、一流の企業に就職して、最高の旦那と結婚しなさいと。

 幼い頃から心に刻まれたその呪いに、逆らうことができなかったのだ。

 

 私は、大学進学を機に自分を変えようとした。

 

 自分の意志で『選択』しようと心に決めて。

 普通の大学生になって、普通の生活を送る為に。

 

 普通――そう、普通でいいのだ。

 お母さんの命令への反逆は、そのままお母さんの呪縛を解くことになる。

 

 だけど、待っていたのは失敗の連続。

 人間関係も、アルバイトの業務も、サークル活動も。

 

 失敗、失敗、また失敗。

 思春期を自我のない操り人形で過ごした私は普通の大学生にすらなれなかった。心が必要な水準まで成長していない為、大人の集団に一人だけ子どもが迷い込んだみたいになってしまったのだ。

 

 大学に入学してからの一年間は本当に辛かった。

 無力感に心が苛まれて、自己肯定感は地の底まで堕ちていた。

 

 未来が()えるようになったのはそんな時。

 20歳、大学2年生の初夏。

 

 未来の()え方を伝えるのは難しい。

 誰かに『選択』を問い掛けると、唐突に白昼夢が如く視界が切り替わる。そこに私の意志は介在しない。途轍もない速度に早回しされた映像が眼球を通して脳に叩き込まれ、ほとんど一瞬で意識が現実に引き戻されるのだ。

 

 映像の内容は相手の『選択』と、その先でどんな結末を迎えるのか。

 

 だから正確に言えば、私は未来を()ている訳ではない。

 映像という媒体で脳に叩き込まれた情報を、あたかもその場で見てきたように認識しているのだ。映画の内容を思い出す行為に近いかもしれない。『選択』に関係する情報が多ければ、より詳細な未来の光景を、先の時間軸まで、映像として()ることができた。

 

 私は錯乱した。

 頭がおかしくなったと本気で思った。

 

 相談できるような友人はいないし、意を決して訪ねた病院でも門前払い。精神疾患だと突き返されて途方に暮れてしまった。

 

 私は、自分のことが気持ち悪かった。

 普通の生活を送れないどころか、普通の人間ですなくなってしまったからだ。

 

 お母さんに思春期を奪われて、大学では訳の分からない力に目覚めて……自分の意志とは関係なく、何者かに人生を食い潰されている気分だった。

 

 希望を失った私は、自ら命を絶とうとする。

 

 だけど。

 そんな私を救ってくれたのが(かつ)()さんだった。




第9話は2025年3月17日(月)19:00投稿予定です。
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