だけど、そんな私を救ってくれたのが
克也さんと出会ったのはバイト先の居酒屋だ。
常連客であり、接客中に言葉を交わす程度の関係。
だけど私の認識は、命を救われたことで一変する。
克也さんの生き方は決して褒められたものではない。それでも仕方のない理由があって、克也さんなりの正義もあった。何より、自分の意志でこの生き方を『選択』していたのだ。
私は自然と惹かれていき、しばらくして克也さんを『選択』する。
克也さんは私の未来視を信じてくれて、相談という利用法も考えてくれた。
最初は克也さんの知り合いの相談に乗る程度で、お金を取っていなかった。いつしか口コミが広がっていき、相談客に社会的な地位のある人が混じるようになったのだ。克也さんが裏社会と繋がっていた為、噂が社会の暗部へと浸透していったのだろう。
克也さんは相談ビジネスを考案して、商売として軌道に乗せてくれた。
いつしか私は、未来視を使った相談ビジネスにのめり込んでいく。
25万円という初回相談料にも関わらずに依頼がやって来る。何度も利用してくれる人も現れ始め、一ヶ月の売上が100万円を越すこともあった。時給1,000円のアルバイトに四苦八苦していた数ヶ月前からは考えられない状況だ。
それに何よりも、多くの人に求められることが嬉しかった。
経営者、政治家、スポーツ選手や芸能関係者。未来視に目覚める前なら絶対に関われなかった存在が、私を頼りにしてくれる。言葉一つで彼らの悩みを解決することもできるし、逆に悪意を持って嘘を吐けば人生をドン底に叩き落とすことだってできる。
圧倒的な全能感。
他者の人生を意のままに操れるという快感。
地の底まで沈んでいた自己肯定感が凄まじい速度で回復していく。
未来視によって、自分以外の何者かに食い潰された人生を取り戻していった。
そして21歳――大学三年生になる頃には、もう普通の女子大生と変わりなかったと思う。所属したゼミで友人もできたし、卒業までの単位取得も予定通り。全てが順風満帆だった。
克也さんとの交際は誰にも話さなかった。克也さんの素性を考えれば無闇に言って回るのは逆効果。克也さん自身も何かあった時に備えて私との関係は秘密にしていた。
唯一、この関係を知っていたのはお父さんだけだった。話すつもりはなかったけど、自宅で一緒にいる所を偶然見つかってしまったのだ。
お父さんは何も聞いてこなかった。
だから、私も何かを伝えることはしなかった。
そんな幸せな生活は唐突に終わりを告げる。
きっかけは克也さんの失敗。
相談ビジネスを始めた後も克也さんは金融業者で働き続けていた。相談客の有無によって収入が大きく上下するため、どうしても安定した収入が必要だったのだ。
だが、相談ビジネスによる突発的な収入が克也さんの金銭感覚を狂わせた。
高級ブランド品や輸入車を購入したり、生活水準が上がったりと、どんどん金遣いが荒くなる。そしていつしか、金の工面に苦労するようになっていた。
困り果てた結果、克也さんは会社の金を横領することを思い付く。相談ビジネスで大金を得た時にこっそり戻せばバレないという理屈だったらしい。
しかし、横領が会社の同僚に見つかってしまった。
それだけではなく、同僚は弱みとして克也さんを脅してきたのだ。
行き詰まった克也さんから全ての事情を打ち明けられた時、私は狼狽した。ただしそれは克也さんに愛想を尽かしたからではない。
命を絶とうとした時に救ってくれたり、相談ビジネスを軌道に乗せてくれたりした恩。恋人として一年以上も時間を共にしてきた思い出。様々なモノが感情となって胸中に去来したが、最も強く心を衝き動かしたのは全く別の想いだった。
克也さんを見捨てることは、彼を『選択』した私が間違っていると証明することになる。
それだけは、絶対に認める訳にはいかない。
私は『選択』を間違えない。
お母さんみたいに失敗しない。
だから、克也さんを助ける為に奔走した。
まずは相談ビジネスで作った人脈を利用して後ろ盾を確保。克也さんが働くのは両儀家の下部組織であり、敵対する『龍宮』系列の組織に匿ってもらえることになったのだ。先方の幹部が私の未来視の相談客であり、話が円滑に進んでくれた。
だが、ネックになるのは同僚の存在。
横領という明確な弱みを握られているため野放しにはできない。龍宮が私達を受け入れる条件もこの事件を穏便に清算することだった。
だから、私が殺した。
龍宮から横流ししてもらった拳銃を使って。
相手の『選択』と、その結末を
当事者が行動を変えれば未来は変わるが、裏を返せば、行動を変えなければ必ず
そして、その未来に私自身の姿が映っていた場合。
相手が行動を変えない限り、私の行動は未来視の映像の通りに『確定』される。
その特性を利用したトリックを使った。
拳銃を構えて、右に避けるか、左に避けるか、相手に問い掛けるのだ。
その後は
同僚の殺害は予定通りに実行できた。
後はほとぼりが冷めるまで潜伏し、頃合いを見て龍宮に保護してもらえばいい。計画通り、警察に疑われているのは克也さんだけだった。私は可能な限りいつも通りの生活を送るように心掛けた。
だけど、看過できない事態に陥る。
未来視を使った相談に招かれざる客がやって来たのだ。
同僚を殺した直後の相談客であり警戒していたのだろう。違和感を覚えた私は、少し言葉を交わしてからバーの奥の部屋へと移動する。護衛役として待機してもらっていた克也さんに『選択』を問い掛けた。
相談が終わったら、すぐに家に帰るか、バーの掃除をするか。
しかし、何も
未来を
何かある――少なくとも、普通の相談客ではない。
ここが引き際だと、そう確信した。
克也さんとの関係は秘密にしているが、それだって完璧ではない。私が怪しまれた結果、今回の殺人事件の真相に辿り着かれる展開も想定できる。ほとぼりが冷めるまでなどと、悠長なことを言っている暇はなかった。
私は『選択』を間違えない。
お母さんみたいに失敗しない。
瓶倉光溜の思惑や、どこまで私の情報を掴んでいるかは不明だ。ならば、逃走の時間を稼ぐことがこの場で最も効果的な『選択』になる。
私はノンアルコールカクテルに薬を盛った。そして、相談に乗る振りをして情報を引き出そうと試みる。瓶倉光溜が両儀家の回し者だと知った時、自分の判断が正しかったと確信した。
腹が立ったのは、瓶倉光溜が屁理屈で私の未来視を否定きたことだ。元同業者か知らないが、見下すような態度が癇に障った。
意識を失った瓶倉光溜を拘束してバーに放置する。
私は自宅に戻って衣服や化粧品など準備を終わらせた。そして夜の10時頃、観布子市から電車で一時間ほど離れた場所で別行動していた克也さんと合流する。克也さんには龍宮との交渉や車の用意をお願いしていたのだ。
車での移動中に電話が入る。相手は龍宮だ。
克也さんの交渉が上手くいって、私達の逃亡を正式に手伝ってくれると申し出があった。まずは一度合流したいとのことだったので、午前0時の待ち合わせに向けて目的地を変更する。
龍宮との合流場所は郊外にある大型パチンコ店の跡地。立体駐車場の五階フロアだ。目撃されることを避ける為、人気のない場所を選んだのだろう。
克也さんの運転する車で、私達は立体駐車場の五階フロアへと到達する。
人の営みから外れたせいか、巨大なコンクリートの塊からは全く生気が感じられない。一台の車も停まっていないフロアは寒々としていて、わずかな物音でも遠くまで響きそうだった。差し込んでくる月明かりだけが薄い影を伸ばしている。
しばらく待っていると、時間通りに一台のバンがやってきた。私は克也さんと一緒に車を降りて出迎える。
バンから降りてきたのは数人の屈強な男。全員が黒いスーツを着ている。表情は険しく、物々しい雰囲気。今にも荒事に発展しそうな殺気すら覚えた。
連絡してくれた龍宮の協力者――ではない。
猛烈な危機感に反応し、私達は二人揃って逃げ出した。
車に戻ろうと考えたけど、乗り込む隙に捕まると悟って諦める。車に近かった克也さんは無理やり乗り込もうとしたところで黒服に取り押さえられていた。
残りの黒服が私を追い掛けてきたので、慌てて真っ暗な非常階段へと飛び込む。
四階の駐車エリアへ繋がる扉は閉まっていた。目に付くのはスプレーによる落書き。私は転がるような勢いで三階の踊り場まで降りるが、そこで下の階から足音が響いてくる。鉢合わせを避ける為に三階の駐車フロアへと方向転換した。
広々としたフロアに人の姿はない。
背後に追手の気配を感じ、急いで車用のスロープへと走り出した。可能な限り足音を殺しながら二階の駐車フロアを進んでいく。
フロアの端の方に放置された資材やゴミ袋などが固められていた。隠れるには丁度良い物陰だ。這々の体で滑り込んで、荒い呼吸を両手で必死に抑える。
二階フロアに降りてきた黒服だったが、どうやら私を見失ったらしい。物陰には目もくれず、一階の駐車フロアを目指してスロープを走って行く。
安堵に胸を撫で下ろしつつ、酸素を取り込む為に痛む肺を酷使する。どっと全身から汗が噴き出して、瞬間的に体温が上昇した。
一体、何が起きている?
いや、考えるのは後にしよう。まずはここから逃げ出す必要がある。
当然、一階フロアには見張りがいるだろう。非常階段も車用スロープも使えない。だからと言ってここに留まっていれば見つかるのも時間の問題だ。
何か当てがあった訳ではないが、視線は無意識に明るい方に吸い寄せられる。
この立体駐車場は各フロアの側面を囲む壁が低い。外の明かりや空気を取り込む為だろう。せいぜいが私の胸までの高さで、天井までの約一メートルには遮る物が何もなかった。でなければ、電灯もない暗闇の中を彷徨うことになっていたはずだ。
ふと、視界に入ったのはパチンコ店の敷地を囲う雑木林。敷地との境界を示す
二階フロアの高さは約3メートル。
飛び降りられない高さ、ではない。
それにこの角度なら立体駐車場の出口とは反対側であり、見つかる可能性は一気に低くなる。まさか私が二階フロアから飛び降りるとは考えないだろう。
少し離れた位置から荒々しい足音が響いてきた。黒服が戻ってきたのだ。
迷っている暇はない。
私は物陰から飛び出して壁を乗り越える。そのまま、意を決して飛び降りた。
胃を引き絞る浮遊感と、刹那の後悔。
舗装されたアスファルトへ無事に着地――できなかった。無様に転がって衝撃を逃していくが、全身を強く地面に打ち付けてしまう。
口の中に広がる血の味。打撲や擦り傷はあるが、動けなくなるような怪我ではなかった。私は勝利を確信して走り出す。このまま
「雑木林に紛れ込めば逃げ出すことができる、か?」
鼓膜を揺らす誰かの声。
思わず私は足を止めてしまった。
「なんだ、図星か? ここまで『予測』通りだと流石に拍子抜けだな」
「あなた、は……」
一人の青年が立体駐車場の陰から月明かりの下に歩み出てくる。
卑屈そうな顔付きに、荒事とは無縁な長身痩躯。相変わらず量販店に投げ売りされた安物の衣服を着ているが、数時間前とは違って眼鏡を掛けていた。そのせいか、気怠げな雰囲気の中でも眼差しだけは鋭い光を帯びている。
「倉密メルカ」
青年は右手で眼鏡の位置を調整すると、皮肉げに口許を歪めた。
「未来視を失った――哀れで惨めな元同業者さ」
第10話は2025年3月18日(火)19:00投稿予定です。