狼嵜光が特別な犠牲を見つける物語 作:Black Shadow
昔、理凰が熱を出した時によく『おじや』を作って食べさせていたことがある。
女の子は料理が出来ないと駄目だ、なんて言われたことは一度も無かったけど。
それでも、私は小さい頃からエイヴァに頼んでこっそりと料理の練習をしていた。
当時はまだ小学生で、スケートが出来なかった時期もあったので、その分余った時間を他の事に費やす。
もちろん休養がメインではあったが、ベッドで体を休めるだけの生活は退屈以外の何物でもなかった。
そのため、将来の自分の為になるようなスキルであれば何でも身に付けておきたいと思っていた。
最初は、中々上手くいかずに失敗ばかりで、理凰に食べてもらった時の苦笑いは今となっても記憶に残っている。
それが少し悔しくて、絶対に美味いって言わせてやるんだという気持ちになったのがきっかけかもしれない。
だからこそ、空いた隙間時間に練習を重ねて、徐々に上達していったのだ。
スターフォックスFSCに来てからは寮母さんが毎日ご飯を作ってくれて、スケートで忙しい時にはとてもお世話になっているが、休日にはこうして一人で作る場合もある。
去年のジュニアGPファイナルが終わってからも、数週間の時間が空いたことで、気分転換に料理スキルを向上させていたことは誰も知らないだろう。
まあ、まさか。
この男のために作る日が来るとは1ミリたりとも思っていなかったが――。
「か、狼嵜選手。これ、本当に俺が食べて良いの?」
布団の上で体を起こしながら、私に許可を求めてくる明浦路先生。
顔を青ざめながらも、こちらをビクビクとしながら視線を向けてくる。
何をそんなの怖がっているのかは分からないが、とりあえず食べてもらわないと困るのは確かだ。
一応、これでも味見で確認はしたし、マズいなんてことは無いとは思うけど……。
「貴方以外の誰が居るんですか」
「俺、しかいないよな……?」
「明浦路先生にとって、私がわざわざご飯を提供することに違和感があると?」
「そ、そうかもしれない……。いや、だって可笑しいよ!? あれだけ嫌われていたと思っていたのに、急に優しくされると変に勘繰るのも無理は無いでしょ!?」
「ふーん……。なら、この作った食べ物の中に毒が入っていても文句は言えませんね。ここでずっと見てるので頑張って食べてください」
「それ、俺に死ねって言ってるのと同じだよね!? というか、前よりも更に態度が酷くなってない!?」
「さあ? 私には何を言っているのかよく分かりませんが」
そんな会話をしながらも、人差し指を顎に当ててケロっとした表情を見せつける。
病気を抱えている人に不安を煽るようなことをするのは良くないが、明浦路先生を前にするとつい意地悪したくなってしまう。
周りに人がおらず、今は私と彼の二人きりだからというのもあるかもしれない。
それに――。
「明浦路先生には、たくさんの恩がありますから」
「お、恩……? 俺、なんかに?」
如何せん、ここまで来たからには私も覚悟を決めなければいけない。
この人のことは好きじゃないけど、今までたくさん迷惑をかけてしまったという申し訳ない気持ちがある。
それに、私では取り戻せなかった理凰の笑顔を、明浦路先生が戻してくれた。
そのことに対する感謝をしっかりとここで返さなければならない。
「貴方にはいくつか借りがあるということです。理凰を救ってくれたお礼も、結局有耶無耶になってしまったので」
「アハハ。そんなの気にしなくて良いのに。狼嵜選手はどこまで知っているかは分からないけど、あれは理凰さん自身が自分の力で掴み取った結果だから」
「それでもです。明浦路先生には、ずっと迷惑ばかりかけてしまっていますし。なので、これはせめてもの謝礼だと思って下さると幸いです」
「うん……分かった。それなら、ありがたく頂くことにするよ」
そうして、『おじや』を木のスプーンで掬い上げ、口の中に入れる。
一口食べた瞬間、「う、美味い……」と思わず声を零していたため、その後のことは言うまでもないだろう。
先程、朝から食欲無くて何も食べていないと聞いていたため、即興で胃に優しい物を作れないかと考えた結果、定番のおじやで良いかと思ったのだ。
炊飯器で炊くには時間がかかるし、一人暮らしの男性には少し物足りないかもしれないが、冷凍パックのお米を購入しておいて正解だったようだ。
もちろん、ブドウ糖のみでは体の栄養としては十分ではないため、タンパク質や食物繊維等も摂取させねばならない。
そのため、卵やネギも入れて若干味変はしてある。
お茶漬けとは似ているようで、少し異なっている食感を味わっているかもしれない。
「その、狼嵜選手は……料理も上手なの?」
「他人に自慢できる程ではないですね。まあ、基本的なものは大抵作れますが」
「すごいな……。スケート以外にもちゃんと特技があっただなんて」
「それ、裏を返せば私がスケートしか出来ない女だと思ってたってことですよね?」
「いやいやッ!? 全然そんなことは思っていないよ!? ただ、あれだけ犠牲に比重を置いていた子が他のスキルもちゃんと身に付けていたことに、少し意外性を感じていただけで……」
「やっぱり同じことじゃないですか!」
そう言って、いつものように愚痴を言い合いながら時間が過ぎていく。
ここまで関わってきて、だんだんとこの人の事が分かるようになってきたが、一つだけ疑問が払拭出来ない問題がある。
それは、どうして明浦路先生は私とこんなにも似ているのかということだ。
今の会話でもそうだが、この男も私と同じく、スケート以外にも卒なく何でもこなせる力があるのは肌身で感じ取れる。
過去にどういう経緯があったのかは知らないが……。
だからこそ、ここまでスケートに固執する理由が見当たらなかった。
いのりちゃんのコーチになる前は、アイスダンスをやっていたみたいだし。
匠先生が直接指導に入って娘さんとペアを組ませたのも何かしらの縁があってのことだろう。
それ以外のことも、大体は理凰から聞いていたためある程度の知識はあるものの、明浦路先生の全体像を捉えるにはまだ至らない。
ここで直接本人に聞くことが手っ取り早いのはもちろんなのだが――。
「狼嵜選手……そんなにジッと観察されると恥ずかしいんだけど」
「別に良いじゃないですか。こんな可愛い女の子に見つめられるなんて滅多に無いですよ?」
「食べてる最中に人に見られる羞恥心の方が強いからね!?」
「ふふっ。もし苦しかったら、私が食べさせてあげましょうか?」
「それ、もっと恥ずかしいから……。というより、絶対にやっちゃいけない事だから! あんまり大人をからかっちゃいけません!」
そう言って、少し顔を赤くしながらも黙々と食べ続ける明浦路先生。
その姿を見て、どこか心が温かくなるような感覚を覚えた。
それと同時に、この光景がなんだか可笑しくて、思わず笑ってしまったことは許してほしい。
先ほどの、この目の前にいる人の過去については今、聞かないことが正解だと感じた。
私とこの男はあくまでも、生徒とコーチ。
それ以上でもそれ以下でもない関係だからだ。
でも、いつかは聞いてみたいとも思っている。
この人が夜鷹純に気に入られていた理由も、どのような挫折があってここまで来たのかも、まだ狼嵜光は知らない。
しかし、それらの事を抜きにしても、対等な距離で接してくれることに心なしか、私の方も信頼しつつあるのだと実感する。
最初はあれだけ同族嫌悪していたというのに、この気持ちの変化は一体何なのかはよく分からないけれど。
今回の件で、少しだけお互いの関係が変わったような感じがしたのは、気のせいではないと思った。
明浦路先生との距離が少し近づいた――そんな気がした。