狼嵜光が特別な犠牲を見つける物語   作:Black Shadow

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狼嵜光の約束(11)

 明浦路先生は、私とすごく似ている。

 そんな風に感じたことは、何も今に限ったことでは無い。

 

 一度見たことをすぐ記憶し、過去の映像を辿りながらそのまま実行に移す。

 

 色々な経験を何度もしている彼からしたら、私という存在はどう認識されているのだろう。

 いのりちゃんのライバルとして、ずっと前を走り続けてきた者を度外視することは無いはずだ。

 

 でも、彼は常にあらゆる人を平等に見ている。

 誰かを特定に贔屓することもせず、また特別視することもしない。

 

 周りの人との関係を崩さず、無意識に序列を乱すその様は、当時の私からすれば嫌悪感以外の何物でもなかった。

 

 幼少期から鴗鳥家で育ってきた私は、不自由な生活を強いられたことは無い。

 むしろ、裕福な家庭に拾われたのだから当然のことではある。

 

 しかしながら、理凰と仲良く出来なければあの家に住むことも難しかった。

 

 今になって、理凰とはそういう柵無しの関係ではあるが、子供の時は『大人の力関係』を常に観察してしまうものだ。

 

 昔からの癖で、もうすぐ中学3年生にもなろうかと言う時にこんな事を言ってしまうのは少し大人げないかと思ってしまうが。

 

 とにかく、そんな環境で長年居た身としては、明浦路司という人物はイレギュラーそのものだった。

 

 どうしてこんな人が周りから好かれているのだろうと疑問に感じたこともしばしばあった。

 弱さや傷を一緒に請け負いながら闘っているはずなのに、表には絶対に出さないその姿が、無性に腹が立った。

 

 だから、この人なら何を言っても良いんだという一種の甘えが生じてしまった。

 

 狼嵜光の素を曝け出せる相手は、『明浦路司』なのだと。

 どんなに罵詈雑言を吐いても、我儘を直接ぶつけても問題無いのだと。

 

 だが、大人だからと言って、無限に心が広いわけではない。

 

 自分にとって気に入らない事を言われてしまえば、誰だって言い返したくなるものだ。

 明浦路先生も、一人の人間だということを認識した上で、私は心の中で反省した。

 

 次に会った時にはちゃんと面と向かって謝罪しようと。

 そう何度も心の中で自覚しているのにも関わらず、中々口から言葉として出てくれない。

 

 そんな自分が醜く、いつまで経っても子供なんだなと思う。

 駄目な私が変わらなければ、頑固な性格を改善できないかもしれない。

 

 だからこそ――。

 

「違う景色が見れるかもしれないと思ったんです」

 

 そう言いつつ、彼の手を取りながら氷上を滑る。

 曲かけはもちろんしておらず、二人で一緒に滑っている形だけのアイスダンス。

 クラブの人達からは好奇な視線で注目を集めてしまっているが、今それは関係ない。

 

 大事なことは、目の前にいる彼に対して、私の素直な気持ちを伝えること。

 それが何よりも今やらなければいけないことなのだ。

 

「どうですか、コーチ。私と滑って見ての感想は」

 

 先程から戸惑っている明浦路先生に対し、私は柔らかな笑みで浮かべる。

 相手の体温が皮膚から神経を辿って脳に伝わる。

 冷たい私の手を、明浦路先生が温かく癒してくれる。

 

 それだけが、今の狼嵜光にとっては必要なことで。

 この人なら、自身を任せられるという安心感があって。

 

「この前も言いましたよね。私には、貴方に恩があると」

 

 心の底から声を発して、彼に告げた言葉。

 思い返せば、あの時は手で口を塞いだり、目に水をかけたりと大胆な行動を取ったなと今では感じる。

 

 他の人には絶対に行わないあの態度と行為は、全てこの人の前だけで行った事実でしかない。

 

 理由として、私の最大のライバルであるいのりちゃんには、もっと頑張って貰わないといけなかったから。

 

 学校も、家族も、コーチとの時間も全部かなぐり捨てて。

 あの冷たくて、孤独な世界で生きる夜鷹純のように。

 

 全てを犠牲にして、スケートだけに集中させる環境を作っていれば、現実は違っていたはずだろうと。

 

 でも、勘違いしていたのだ。

 明浦路先生は、私とは全く違うやり方で。

 

 夜鷹純がこれまで歩んできた道を否定することと同じく、犠牲等というモノを払わせることもせず。

 

 彼女があそこまで明浦路先生の事を信頼していたのは、ちゃんとした理由があったからなんだ。

 

「狼嵜選手は……俺の事を過大評価し過ぎだよ」

「なぜですか」

「自分は、昔からそんな慕われるような人間なんかじゃないから」

「私以外の人には皆から好かれているくせに、生意気ですね」

「それ、逆で取ると君からは全く好かれていないということになるんだけど!?」

「ふふ。まあ、そうですね。私はあなたの事が大嫌いなので」

「うぐっ。狼嵜選手に直接言われると心のダメージが……」

 

 そう会話をしながらも、少し明るい表情を浮かべながら隣を滑る彼。

 確かに、最近の私はこの男に対して甘い評価を下し過ぎているのかもしれない。

 

 事実を述べているだけなのに、それを肯定しないところも明浦路先生らしいと思った。

 

 でも、私のコーチになったからには、彼にも変わって貰わないといけない部分がある。

 

 『いのりちゃんのコーチ』とは、全く異なる明浦路司という人物を私は欲しているのだ。

 

 今までは、仮初めの関係で。お互いに本音で言い合える場面が中々無くて。

 おそらく、いのりちゃんの方もそうだったはずだ。

 

 これまで何度もすれ違ってきて、思うように行かなかったことも多々あったことだろう。

 

 私と夜鷹純の関係性も、似たようなものだったのかもしれない。

 

 それに、この人と出会って、これまでずっと引っ掛かっていたこともある。

 

 いつまで経っても変化しないその『呼び方』に、私は心のどこかで変わってほしいと願っていた。

 彼から変えてくれたら、私だって考えてあげなくもないというのに。

 

 本当に大事な時だけは鋭いくせに、こういう部分は鈍感な人なのだ。

 

「前から指摘しようと思っていたことなんですが……その呼び方。どうにかならないんですか?」

 

 本当は、この人がコーチになったあの日から言おうと思っていた。

 でも、己のプライドから中々言い出せないでいた。

 

 こんなことを自分から言い出すなんて、まるで狼嵜光がそう望んでいるかのように捉えられてしまうから。

 

「か、狼嵜選手……?」

「い、今までの借りを返すには丁度良いと思っただけですから。勘違いはしないでください!」

「う、うん! それは分かってるから大丈夫だよ。確かに、これは俺が悪かったかな」

 

 そう言いつつ、少し緊張した面持ちでこちらに視線を向ける彼。

 いのりちゃんの時は、最初はどういう呼び方だったのだろうか。

 

 私と同じく、名字で呼ばれていたのかは全く分からない。

 

 彼女に聞けばすぐに解決するかもしれないが、そんなことも考える暇は無かった。

 

 この時。私は初めて呼ばれたその瞬間を今でも覚えている。

 

 高鳴る鼓動とともに、上昇する心拍数が体の中を廻っていた。

 

 彼の抱えている悩みを、その重荷を少しでも取り除いてあげられるように。

 本音で、素の姿でお互いが言い合えるような関係をこれからも築いていけるように。

 

 そして、狼嵜光が、再びスケートの頂点に立つためにも、この人の力が誰よりも必要だった。

 

 だからこそ、気づいてはいけない感情が心のどこかで存在する。

 

 返しきれない程の借りをまた作ってしまったのもあるかもしれない。

 いのりちゃんに申し訳ないと思う気持ちと、己の甘えが生じてしまった気持ちが入り交ざっていたかもしれない。

 

 だけど、彼との関係が、この日を境に一気に変化したことは、私達以外で誰にも気づく人は居なかった。

 

 私にとっての希望の光が、『司先生』であることを完全に自覚するのは、まだ先の話。

 

 

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