狼嵜光が特別な犠牲を見つける物語   作:Black Shadow

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狼嵜光の約束(5)

 ジュニアGP。フリープログラム当日の朝。

 太陽が眩しく光る今、少しだけ心が落ち着く気分になる。

 ホテルの自室からカーテンを開けると、西洋風の街並みが視界に入り、思わず綺麗だなと感じてしまう。

 自分も、あんな風に全体を明るく照らせるような光になりたいなという願望が過去にはあった。

 

 昨夜はいのりちゃんが1位を飾り、無事にSPが終了した。

 彼女は私よりも滑走が後だったため、色々と精神的に影響を与えてしまったのではないかと勘繰ったが、やはり氷の上では別人だった。

 

 3回転ジャンプのコンビネーションや、得意のステップシークエンスでもレベル4を獲得。

 特に一番不意を突かれた最後の『3A』でも、綺麗に着氷して周囲の観客を魅了させた。

 

 構成は私と似たような感じではあったが、やはり彼女の方が特別だったということだろう。

 

 その他のフライングシットスピン等も問題なく評価されたため、スコアは73.21という自己ベストを更新。

 小学5年生からスケートを始めた子が、まさかこの数年間でトップレベルの選手になるだなんてことは、ほとんどの人が予想出来なかったはずだ。

 

 しかし、私は確信していた。

 彼女とあの場所で出会った時から、自身が抜かれるのは時間の問題だということに。

 

 そして、それが現実として起こった今。私はどのような気持ちで彼女と向き合えば良いのか。

 いくら時間をかけても、核となる答えはもちろん返ってこない。

 

 完璧に滑り終えた後、いのりちゃんが満面の笑みを浮かべながら明浦路先生の所に駆け寄った時。

 

 もし、自分がいのりちゃんだったら。

 最初から、あの先生が私のコーチだったら。

 

 今よりも、幸せな未来が訪れていたのだろうか。

 

 そんな醜い事を頭の中で考えてしまった自分に嫌気が差す。

 

 何度考えても過去が覆らないことは分かっている。理解している。

 ただ、自分が今まで払ってきた犠牲が全て無駄になってしまうとなると、すぐに受け入れろというのは無理な話だ。

 

 人生全てをスケートに懸けた代償として、この結末を迎える可能性を否定出来なかった自分が憎い。

 

 そして、今の狼嵜光は希望を無くしてしまったと。

 周囲の皆にそう思われても致し方ない話だ。

 

「はぁ……。なんか、気持ち悪い」

 

 そうため息を吐きながら、独り言でそう呟く。

 いつもよりも早く目が覚めてしまった私は、身支度を整えてランニングシューズに履き替える。

 

 海外では日本と違い、気温が異なるため、12月となった今でも外の蒸し暑さが体に染み渡るのだ。

 だからといって、ここでうっかりして薄着を着用してしまうことは少し危険だ。

 

 肌の露出をなるべく抑えつつ、日焼けしない程度の服装で良いだろう。

 

 幸いなことに、どんな状況にあっても良いように服はたくさん持ってきている。

 

 本来であればもう少しコンパクトにまとめた方が良かったのかもしれないが、気分転換の意味も込めて、少し外の空気を吸うには丁度良い。

 

 ライリー先生にはちゃんと午前中は自室で休むことを言われているが、少しぐらいの我儘は許してほしい所だ。

 

 周囲を気にしながら物音をなるべく立てないようにして、部屋からそっと出る。

 

 もしここで知り合いの誰かに見つかったりでもしたら、きっと大変な騒ぎになるだろう。

 

 軽い足取りでエレベーターに行き着き、中に入って一階のボタンを押すと、ウィーンという閉まった音と共に下に下がると同時に重力が増す感覚を生じる。

 

 早く外の空気を吸いたいなと思いながら、エレベーターの扉が開くと、ロビーには意外な人物が居た。

 

 まだ皆が寝ているであろう時間帯に、一体何をしているのだろうか。

 しかも、ここ最近。会いたくないタイミングであの人と遭遇している気がする。

 

 まあ。勝手に部屋を出て散歩しようとしている私も私だけど。

 

「おはようございます。明浦路先生」

「わわッ!? って、狼嵜選手!? なんでこんな時間に……?」

 

 後ろから声を掛けると、案の定、明浦路先生はびっくりした表情で私の方へと振り返る。

 顔を見てみると、昨夜はあんまり眠れなかったようだ。

 

 恐らく、いのりちゃん関連であることは簡単に想像はつくが、敢えてその事は聞かないことにする。

 

「そんなに寝ぼけた顔で居ると、女性にモテませんよ」

「ウッ……。またも痛い言葉を」

「私の我儘。全部受け止めてくれるんじゃ無かったんですか?」

「いや、これがいのりさんだったら全然OKなんだけど。狼嵜選手の場合はちょっと……」

 

 そう言いながらうなだれる明浦路先生。

 きっと、コーチ関連の話で色々と揉めている最中なのだろう。

 

 それもそのはずだ。

 こんな大事な時期にあの人からお願いをされたのだから。

 

 断るに断り切れなかったのだろう。

 

 ちなみに、この件に関してはごく一部の人しか知らないようにされている。

 

 まあ、SPが終了した後にいのりちゃんと会った時に、少し言ってしまったけれど。

 

 遅かれ早かれ、事実は先に知っておいた方が良い。

 

 仮に、こんな事で今日行われるFPに影響が出ようものなら、彼女はその程度のレベルということになるのだから。

 

「いのりちゃんには、もう私から伝えておきました」

「ああ……。昨夜、その事で彼女に泣きつかれて大変だったよ」

「怒らないんですね」

「大人としては、だけどね。でも、一人の人間としては君に言いたいことは山ほどある」

「そうですか。それなら見捨ててくれても良いんですよ。貴方が居なくても、私は何ともないですし」

 

 そう言いつつ、狼嵜光は彼に対して、敢えて強気の姿勢を取る。

 なぜこのような言動を取るのか。

 

 それはきっと、第三者側からすればたまったものではないだろう。

 でも、これは私とこの人にとって、大事な手続きみたいなものだ。

 

 契約交渉として、一方的に大人が決定して子供がすんなり頷く世の中ほど、理不尽なことは無い。

 

 だから、私は必ず否定し続けなければならないのだ。

 

 この人が私のコーチになるだなんてことは、許されないことなのだと。

 

「狼嵜選手は、多分勘違いをしているんじゃないかな」

「勘違い?」

「うん。俺はいのりさんをずっと応援するし、これからもあの子のコーチをやり続けることに変わりはないよ」

「そんな事は知ってます。だから、先ほどの言葉の通り、私の事に構う必要なんか無いと――」

 

 言い切る前に、明浦路先生は首を振る。

 否定の意思を示した後に、こちらを真剣な目で見つめてくる。

 

 一体、自分に対して何を伝えようとしているのだろう。

 

「本当だったら、今日のFPを見てから覚悟を決めようと思っていたんだ。でも、昨日の狼嵜選手の滑りを見て、俺にも決心がついたよ」

 

 その表情で。その安い言葉で。

 この男は、狼嵜光の心を動かすことが出来ると思っているのだろうか。

 

 ああ。分からない。ほんとに理解出来ない。

 

 明浦路司という人物が、全く分からない。

 

 この前までは何となく、自分と同族だと思って接してきたのに。

 

「そうですか。それなら良かったです。貴方はいのりちゃんのサポートだけに集中して下されば結構ですので」

 

 今、目の前に居る人は、真面目に向き合ってくれて。この手を放さないでくれて。

 

 こんなの、絶対に違う。

 貴方はいのりちゃんのためだけに、コーチとしての使命を果たさなければならない。

 

 彼女を、金メダリストにするために、これからもずっと支えていかないと駄目なのだ。

 

 こんなどうしようもない私の事なんか、全部投げ出して放っとけば良いのに。

 

 だから、これ以上は絶対に駄目だ。

 

「今の君は、全部嘘で作られたモノだって。俺は知ってるよ」

「詭弁。そんな言葉で私が動揺するとでも?」

「しないだろうね。でも、1人で居る時はそんなに強くないんだってことぐらいは分かるよ」

「実際に見たことも無い癖に、随分と流暢に私の事を語れるんですね」

 

 ああ。そっか。

 この人には、バレてたのか。

 

 私はちゃんと、悪役を演じていたつもりだったのにな。

 

 昨日のSPで、敢えて回転不足にしたり、敢えて痛みの表情を演出したりして。

 本当はもっと上手く滑ることが出来たのに、敢えて嘘の演技を織り交ぜて。

 

 そうすれば、きっといのりちゃんが私の所に駆けつけてくれるのは、最初から織り込み済みで。

 

 このジュニアGPという大きな大会を踏み台にして。全部犠牲にして。

 

 でも、そんな中でも。多分この人には見抜かれていて。

 

 その事に、どうしようもない虚しさと、自分に対する怒りが感情として胸の中に込み上がってきて――。

 

「貴方に、私の何が分かるんですか」

 

 どうせ、聞いたって何も分かるはずが無い。

 

 私の苦しみを理解しているのは、私だけ。

 

 それが例え、親友であっても。家族であっても。

 全て同じことだ。

 

 だから――。

 

「これ以上、踏み込んで来ないで」

 

 強く、一言だけ拒絶する。

 明確に言ってしまえば、大半の大人は納得する。

 

 そして、自分が嫌われているのだと察する。遠慮する。

 

 だが、この目の前にいる男は、決して見捨てたりなんかしない。

 

 本心を言わせようとしてくる明浦路先生のことが嫌い。

 

 それを予め知っている私自身も、もっと大嫌い。

 

「確かに、今この瞬間は何も分からないかもしれない。でも、これから少しずつ、狼嵜選手のことを知っていこうと思ってる」

 

 そんな言葉で信用なんか絶対にしない。してはいけない。

 私はこれまでの人生の中で、たくさんの大人を見てきた。

 

 つい最近まで、金メダルを取る約束をしてくれた夜鷹純にも見捨てられて。

 過去には、自分の本当の両親にも捨てられて。

 

 信頼してきた人たちは、次々と私を見限ってくる。

 

「この私が、その程度で納得すると思いますか。第一、明浦路先生はいのりちゃんを裏切っているんですよ?」

「それは猛省しているよ。でも、彼女と約束したのは、俺が四六時中コーチをやり続けることじゃない」

「貴方が離れることで、彼女の心に傷がついたとしてもそんな事が言えるんですね」

「それでいのりさんが大きくダメージを負うのなら、こんなバカみたいなリスクは取らないよ」

 

 傷つくことも考慮に入れている。

 だが、彼も相応の人生を懸けている。

 

 また、命を削っていることに対して、何の躊躇も無いことに戸惑いを感じた。

 

「代わりのコーチは……もう決まっているんですか?」

「ああ。俺がいのりさんを直接見れない間は、洸平先生と瞳先生が見てくれるから大丈夫。それに、遠隔で毎日報告は受けるようにお願いするから」

「こんな生意気な子供を、本当に明浦路先生が面倒見てくれるんですか?」

「一年間だけだけどね。その期間は、貴方にだけ全力でサポートする」

 

 条件付き契約。

 たったの一年だけ、私だけのコーチを行ってくれる。

 

 その契約が切れれば、彼はいのりちゃんの居る場所へと戻るのだろう。

 

 もちろん、補佐としてライリー先生も今まで通りやってくれるそうだが、実際の所は詳細を聞かなければ分からない。

 

 だが――。

 

「私をそんな短い期間で、本当に変えてくれるんですか?」

 

 たった一つの願望。

 たった一つの希望。

 

 それが、例え。また裏切りにあったとしても。

 

 私自身を、嘘で作られた自分自身を、この人が変えてくれるのであれば。

 

「約束する。必ず君を、いのりさんのライバルとしてこれからも羽ばたけるように。そして、誰もが認める天才のスケート選手なんだってことを、改めて皆に証明するよ」

 

 私の肩に手を置いて、一言一言に重みと責任を持ちながら、明浦路先生は訴えかける。

 

 お互いの視線が交錯する。

 

 体の内から熱が籠る。心が徐々に熱くなる。

 

 全身が燃え盛るような、燃え尽きてしまうような。

 

 そんな感覚に思いやられてしまう。

 

 心の中で拒絶反応を起こすも、体が言うことを効かない。上手く制御できない。

 

 どうしてこの人は、勝手に私の所に踏み込んでくるのだろう。

 全く分からない。本当に信用できない。

 

 でも、なぜか安心する。

 

 ずっと傍にいても、不思議と心が安らぐ。

 

 それと同時に、心臓の音がトクン、トクンと小さく鳴り始める。

 

 今までに感じたことのない感情が、シグナルとなって脳に流れる。

 

 そこで、初めて気づいた。

 いや、気づいてしまった。

 

 ああ。なんだ。

 

 そういうことだったんだ。

 

 私にとっての希望の光は、きっと夜鷹純じゃなくて。いのりちゃんでもなくて。

 

 『この人』だったのだと――。

 

 

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