狼嵜光が特別な犠牲を見つける物語   作:Black Shadow

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狼嵜光の約束(6)

「お前、やっぱスケート舐めてるだろ」

 

 ジュニアグランプリ・ファイナルのFPが終了して翌日。

 パリのシャルル・ド・ゴール国際空港にて、ある人物の声が耳に響き渡る。

 

 この時点で誰からのセリフなのかは容易に察するが……。

 過去にも同じような言葉を投げかけられた記憶があるため、少し罪悪感が表に出てしまう。

 

 しかしながら、試合に欠場するも失敗するも、全ては最終判断を行う選手本人の責任だ。

 今回のジュニアGPファイナルでは初めて結果が振るわない形となってしまったが、それは大会に出る前から覚悟していたこと。

 

 今更、誰に何と言われようとも、この世界は実力が全てであることは理解している。

 

 フィギュアスケートというものは、氷の上でしか評価されないのだから、至極当然の話だ。

 

 だが――。

 

「何のことでしょうか。もう少し具体的に言ってもらわないとよく分かりませんね」

 

 私、狼嵜光は敢えて否定する。

 以前の自分であれば、素直に彼女の言うことを聞き、そして場の空気を読むことに徹していたはずだ。

 

 この目の前にいる女性、『岡崎いるか』という人物は非常に不器用な性格を持ち合わせていながら、弱者に対して優しい所がある。

 そんなことに気づいたのは、何も今に始まったことでは無い。

 

 ずっと前に出会った時から、人の内情を読み取れる私からすれば彼女は優しすぎると思っていた。

 去年シニアに移行したにも関わらず、こうしてジュニアの大会まで足を運んでくれていることも要因の一つであると考えられる。

 

 今でも表向きは狼嵜光の事を嫌っている傾向にはあるが、内心では心配して気にかけてくれているのだろう。

 

 彼女のスケートに対する価値観は、自分とは少し異なるものの、尊敬の念を抱いていることに変わりはない。

 

「とぼけんな。昨日のFP、どうして棄権した?」

「ライリー先生と相談して決めました。次の大会に備えて、ここで無理する必要は無いと判断しただけです」

「嘘付き。本当は体にボロが出てるのを隠してるだろ」

「疲労があったことには否定しませんが、故障はしてませんよ」

「なってからじゃ遅いっつーの」

 

 コツン、とおでこにデコピンを喰らわせられた私は思わず「痛ッ……」と声を上げて悶える。

 もう少し手加減はしてほしかったが……。

 

 ここは彼女なりの愛情だと受け止めることにしよう。

 

 エアポートラウンジで待機している私の隣が空席だったため、そこに居座る。

 

 店で菓子パン等の食料でも購入したのか、片手には袋を持ち歩いていた。

 

「お腹、空いてるんですか?」

「朝飯。食わないとすぐ体重減るから」

「アハハ……。スポーツ選手って大変ですよね。太り過ぎても痩せすぎてもダメですし」

「お前も同じだろ。体重制限があるから分かってるとは思うけど」

「まあ、そうですね」

 

 そんなありきたりな会話をしながら、窓ガラスの向こうにある機体が次々と空へと飛んでいく光景を見る。

 

 飛行機みたいに、自由に空を飛べたらどれ程心地良いことか。

 空が氷の上よりも冷たいのだとしたら、一度空中に身を投げ出して感覚を味わってみたいとも思った。

 

 だけど、これからの私は無理して犠牲を払うことは少なくなっていくのだろうと予感している。

 

 本当であれば、昨日のFPも滑る予定ではあったのだが……。

 冷静に考えて、今の体のコンディションで出場しても悪化するだけだと判断し、結局取りやめになった。

 

 ライリー先生には無理強いをして一昨日のSPに出場させて貰ってはいた。

 しかし、ある程度セーブした状態で滑ることを条件にされたため、あのような中途半端な形となってしまったのだ。

 

 結果的にいのりちゃんにも心配させたし、応援して見に来てくれたファンの人達にも申し訳ない気持ちで一杯だ。

 

 だからこそ、来年はもっと元気一杯に滑れるように、今はしっかりと休息を取らなければいけない。

 

 そんな風に思いながら隣の彼女に顔を向けると、こちらにずっと視線を向けていたことに気づく。

 どうやら自分は少しボーっとしていたのか。

 

 いるかちゃんは私の事を観察していたようだ。

 

「今思ったんだけどさ。お前、彼氏でも出来たの?」

「え……? ど、どうしてですか?」

「顔の表情とか目の色とか。SPの時とは全く別人になってる」

「そんなことないですよ。いつも通り、私は普通です」

「ウザッ。普通じゃないから指摘してるんだよ。大体、そんな風に取り繕ったって意味無いし」

「取り繕ってません。大体、私に彼氏なんて居ませんよ。急に変な事聞かないでください」

 

 なるべく意識しないで今日を迎えてきたというのに、どうしてここで掘り返されるのだろうか。

 

 というより、私……。そんなに表情に出るほど分かりやすいのかな。

 

 昨日、明浦路先生と話してから、ずっと心臓の鼓動が収まらないのは事実だ。

 

 FPに出場出来なくなった原因は、彼のせいでもある。

 

 ずっと体に熱が帯びた状態で、氷の上でどうコントロールすれば良いのか、全く分からなくなってしまったのだ。

 

 結局、あの後部屋に連れ戻された私は、そのままベッドにダイブして枕元で顔をうずめる羽目になった。

 

 あの人のことを頭の中で想像するたびに、顔が赤くなったことは誰にも言えないことだろう。

 

 でも、これは絶対に好意の代物ではないことは自覚している。

 

 明浦路先生のことは今でも嫌いであることに変わりはないからだ。

 

 私の事を何でも見透かして、心を読み取ってくるあの先生のことは、やはり信用できないと感じた。

 

 それに、昨日のあれは……そう。

 

 最低限、私のコーチとして一年間だけ、務め上げることに許可しただけのこと。

 

 契約の手続きとして、狼嵜光が明浦路司という人物を特別に容認し、あの人からスケートを教わることに同意しただけの話。

 

 それ以上もそれ以下でもない。

 

 だから、昨日感じたあの一瞬のドキドキは、きっと気のせいだったのだ。

 

 この私が、あんな特別な感情を抱くことなんて、あるわけがないのだ。

 

 そうに違いない。そうでなくてはいけない。

 

 この気持ちの正体を、私は決して認めるわけにはいかない。

 

 もし、狼嵜光があの人のことを本当の意味で認めたとするならば、その時は――。

 

「ふーん。その反応。やっぱ居るんだ」

「い、居ませんってば。今日のいるかさん……なんかしつこいですよ?」

「今のお前。いのりに似てるから、ついからかいたくなるんだよ。我慢しな」

「そんなこと言われても困ります。まあ、いのりちゃんのことを可愛がる気持ちは凄く分かりますけど」

 

 上手く話題を逸らせることに集中する。

 ここで、明浦路先生のことを聞かれては、後でまたややこしいことになることは間違いない。

 

 そういえば、彼女がいのりちゃんに甘えていることは周りでも有名な話だ。

 

 私も、二人で話している姿をよく見かけるため、少々嫉妬することもある。

 

 いのりちゃんの隣ポジションは私だけだと思っていたのに、ここにも新たに刺客が現れるとは。

 全く。彼女も隅に置けないなと思った。

 

「昨日、圧倒的一位を勝ち取ったアイツに対して、悔しくないの? お前ら、一応ライバルなんだろ」

「いのりちゃんが優勝したことに対しては、素直に嬉しいという気持ちですね。でも、全力で闘うことが出来なかったのは辛いです」

「なら、もうちょっと自分を大切にしろ。自己管理の出来ない奴に、結果が付いてくるわけがないんだから」

「的確なアドバイス、ありがとうございます。いるかさんには助けられてばっかりで……本当に申し訳ないです」

「チッ。そう思うなら最初からそうすれっつーの。これ以上心配かけさせんな」

「はい。肝に銘じておきます」

 

 そうして、いるかちゃんが朝食を全て食べ終えた後に席を立った所で、こちらから別れの挨拶をして礼をする。

 

 少しは仲良くなれたと思っていたんだけど……。

 最後は無視して去って行ってしまったため、そういう所も含め、やはり彼女らしいなと思った。

 

「色んな人に、迷惑かけちゃったな」

 

 率直な気持ち。今の私が出来ることは限られている。

 それに、いのりちゃんには一昨日、SPの後に少し意地悪なことを言ってしまった。

 

 原動力となり得る核を失ったことに気づいた後、彼女に気持ちの変化が起こるのか。

 また、大切なモノを犠牲にすると確定した時、どのような演技を行うのか。

 

 それを知りたくて、あのような我儘な言葉を投げかけたのだ。

 

 今となっては反省しているが、あの時に選んだ自分の選択は間違っていなかったのだと感じる。

 

 冒頭の4回転サルコウから軽々と成功させ、GOE+4以上の出来栄えを維持していく化け物っぷりには思わず息を呑むほどだった。

 普通、フリーでは後半に行くにつれてジャンプの成功率は下降していくものだが、いのりちゃんは全ての構成を完璧に成功させる。

 

 彼女が去年まで苦手としていたルッツも、調子が上がってくるにつれて徐々に良くなった。

 本人の努力はもちろんのことながら、ずっと傍で見守ってきた明浦路先生の力も相当大きいだろう。

 

 ここで認めたくは無いが、やはりあの先生はコーチとしては優秀な部類に入る。

 そう認めさせる程、いのりちゃんの演技は凄まじく、そして綺麗なスケーティングを周囲に魅せることが出来た。

 

 昨日のキスアンドクライでいのりちゃんが泣いていた光景は、今でも頭の中で浮かび上がるぐらい印象的だった。

 

 きっと、あの子は何度失敗しても、受けた傷を浄化させてこれからも勝利の道へと突き進んでいくことだろう。

 

 それを確信した時には、自分も負けてられないなと強く思った。

 

 だから――。

 

「いのりちゃん……待っててね」

 

 次は、私が貴方を追う番だ。

 

 そのトップの座でずっと待ってて欲しい。

 

 追われることがどれほど苦しくて辛いのかは、私が一番良く知っている。

 

 氷の上でしか認められないこの世界で、どれだけ過酷な道が続いているのかも一番理解している。

 

 もしかしたら、これから失う物が増えるかもしれない。

 

 特別なモノを犠牲にすることだって、あるかもしれない。

 

 でも、くじけずに前を向いて歩いていければ、絶対に大丈夫。

 

 今度は私が挑戦者で。いのりちゃんが王者で。

 

 これから先。私は私のペースで、焦らずに。

 確実に階段を上っていこう。

 

 これまでの狼嵜光は、もうここには居ない。

 

 私は、もう希望の光なんかにならなくたって良い。

 

 これ以上、無駄な犠牲なんか払わなくたって良い。

 

 だからこそ。

 これからは、新しい『狼嵜光』として、生まれ変わらなければいけない。

 

 そのためには――。

 

「どうか、私を見捨てないでくださいね」

 

 今頃、いのりちゃんの隣にいるであろう『彼』に向けて、静かに呟く。

 

 昨日の出来事が、嘘の世界に巻き込まれないことを、強く願う。

 

 そして新しい景色を、どうか私に見せてほしい。

 

 そんな願望を抱きながら、一人の少女は心に誓ったのだった。

 

 

 

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