狼嵜光が特別な犠牲を見つける物語   作:Black Shadow

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狼嵜光の約束(7)

 日本に帰国してから約十日ほど経った。

 スターフォックスFSCに所属している私は、学校帰りにクラブに通いながら寮で過ごしている。

 朝練は週一しかないというのが特徴でもあり、主にここでは陸トレ中心となっているのだ。

 体の細部に負担がなるべく掛からないように、ストレッチと筋トレは欠かさずに。

 また、レイバック時の正しい姿勢を維持する練習や、腰の曲げ方の修正。

 ジャンプフォームの確認と着氷後の重心位置のずれを修正することも一つのメニューとしてこなしていく。

 

 最初に移籍した時は少し戸惑いを感じていたが、しばらくして通い始めたら慣れが来るものだ。

 名古屋からこの東京へと環境の変化が著しかったが、それも順当に適応してきたと言っても良いだろう。

 

 それに、氷上でしか出来ないと思っているものでも、実は地上でたくさんの練習が出来ることはぜひ多くの人に知ってもらいたい。

 

 スケートリンク場で滑ると、患部のダメージと疲労が溜まりやすい傾向があるため、注意深く自分の体と付き合っていくことも大事だ。

 特に成長痛に悩まされて滑ることが出来ない子供には、最適のトレーニング方法と言っても良いぐらい充実した練習を行うことが出来るだろう。

 

 そんなこんなで、放課後。

 この場所に訪れた私はいつものようにスケート用のトレーニングウェアに着替え、靴を履き替えてからリンク場へと足を運ぶ。

 

 幸いなことに、このスターフォックスFCSでは全て貸し切り状態となっているため、他のクラブよりも自由度が高い。

 そのため、ここに通っている他の子達ものびのびとスケートの練習が行える環境となっている。

 

 一応、時間の規定は決まっているため無限に使用出来る訳では無いが、それでも十分なスケート環境がここにはある。

 

 皆が好成績を残せているのも、きっとこのお陰でもあるのだろう。

 

「あ、ピカるーん! こっちこっちー!」

 

 そう思いながら目的地に着くと、ライリー先生の声が耳に届いた。

 音がする方向へとすぐ振り向くと、端のリンクサイド側で手を振りながらこちらに呼び掛けている。

 

 いつも通り明るい彼女ではあるが、今日は一段と派手なテンションで出迎えているなと思った。

 

 少し違和感を感じつつも、ライリー先生の元に近づいた私はふと、リンク場の方へと視線を向ける。

 

 すると、数人の生徒たちが滑っている所を見かけたが、その中に混ざってはいけない人が紛れ込んでいた。

 その人物は大人の男性でもあり、明らかに身長が高く、周りよりも体格が抜きん出ている。

 

 いや、ちょっと待て。ここは少し落ち着こう。

 彼がこっちに来ることは想定内だったが、いくらなんでも早すぎはしないだろうか。

 

 それに、私に一つも連絡を寄こさないで、黙って他の子達にスケートのコーチングをしているのは流石に見逃せない。

 

 まあ、お互いに携帯の連絡先も交換していないから当然と言えば当然なのだが。

 

 それでも、心の中で形容し難い感情というものが生じてしまう。

 

 私だけのコーチになるって約束だったのに。

 すっかりここのクラブでも人気者になっちゃって。

 

 明浦路先生のバカ……。

 

「ライリー先生。アレは一体何なんですか」

「えー。なんのことか分からないナー」

「絶対にわざとですよね」

「ふぅーん? ピカるん、もしかして嫉妬してる?」

「し、してません! それに大体、彼が今日こっちに来るだなんて聞いていませんよ!」

「アハハッ! ごめんごめんっ。でも、私からのスペシャルサプライズってことで許して欲しいな」

「どこがスペシャルサプライズですか……まったく」

 

 そんな会話をしながら、もう一度リンク場へと視線を向ける。

 ただ氷の上に立っているだけなのに、なぜか周囲の人達を惹き付ける力がある。

 

 彼の周辺に漂うオーラが、他の者とは違うことが要因なのだろう。

 

 自分には全く影響しないが、私以外の人は簡単に騙されるのものだから非常に厄介だ。

 

 これからはちゃんと、私が彼の事を『管理』してあげなければならない。

 

 狼嵜光の新しいコーチとして、身の振る舞いという物をしっかりと身に付けさせなければ。

 

「司先生が早くピカるんの状態を見たいからって。引き継ぎ式も無事に終わったみたいだしね」

「いのりちゃん達の方は、もう大丈夫なんですか?」

「ウンウン! まあ、ちょっとひと悶着あったみたいだけど……うん。多分大丈夫だよ!」

「それ、絶対に大丈夫じゃない奴じゃないですか……」

 

 まあ、薄々分かってはいたことだ。

 彼がルクス東山を抜けてこっちに来ることが、いのりちゃんにとってどれだけ負担がかかることか。

 

 それに、彼をあのクラブに誘ったのも、瞳先生だということは知っている。

 

 アイスダンスで全日本に出場し、明浦路先生と共にパートナーとして二人三脚で歩んできたことも。

 

 理凰から散々ビデオで現役時代の動画を見せられたため、嫌と言うほど印象に残っている。

 

 だからこそ、おそらく引き留めておきたかったのだろうと考えられる。

 

 また、この前のジュニアGPファイナルでいのりちゃんを優勝に導いた実績もあるし、あちらとしても納得のいかない気持ちは当然あるのだろう。

 

「でも、一年間だけの契約だから。ピカるんもきっと、その期間で彼から得られる物があるはずだよ」

「前々から思っていましたが、ライリー先生って明浦路先生の事、高く買ってましたよね。何か理由でもあるんですか?」

 

 ずっと疑問に思っていたこと。

 あの金メダリストで実力の頂点に辿り着いた彼女が、明浦路先生のことを執着している理由を知りたかった。

 

 単純に、彼を実力として認めているのか。

 それとも、コーチとしての実績を称えているのか。

 

 もしくは、別の何かなのか――。

 

「ピカるんが、それを聞くんだ?」

 

 妖艶な笑みを浮かべて、そのセリフを聞いた時。

 

 モヤっとした感情が膨らんだような気がした。

 

 最初はただの気のせいかと思った。

 でも、彼女の表情を見てしまったからには、そうではないと脳が判断してしまっていた。

 

 そもそも、夜鷹純と明浦路先生を比べること事態、間違っていると思っていた。

 

「欲しい物は何でも手に入れる。でも、一度取りこぼしちゃったものは何が何でも手に入れたい。そんな感じだよ」

 

 ライリー先生は普段見せないような、大人の風格をここで示してくる。

 

「明浦路先生のこと……かなり気に入っているんですね」

「ふふ。当たり前だよー。じゃないと、こんなに乙女な顔しないもん」

 

 選手としても。コーチとしても。一人の男性としても。

 

 全ての観点から、この人は明浦路先生に好意を抱いているのだろう。

 

 それに、ライリー先生もあの男の能力には既に気づいている。

 

 私と同じ『鷹の目』を持ち合わせているため、他の人の滑りを一瞬で記憶出来ることを高く評価しているようだ。

 

 彼のスケーティング技術に文句を付けるつもりはないけれど……やはり素直に気に食わないなという気持ちが表に出てしまう。

 

「ライリー先生。私もちょっと滑ってきますね」

 

 そう一言だけ告げると、ライリー先生は快く頷いてOKサインを出す。

 

 体の状態はかなり回復し、前に痛めた足首も完全に治ったようだ。

 

 前回のジュニアGPファイナルでは少し治療が遅れてしまったために、ある程度セーブして滑らなければいけなかったが……。

 これからは問題なく実力を発揮することが出来るだろう。

 

 それに、今年の大会には出場することはもう無いため、年が明けるまでは軽い調整で体を慣らしていく方針だ。

 

 無理にここでジャンプ練習を入れることはせず、しばらくは基本的なスケーティングの練習を行う。

 

 体を休めることも大事だが、一度感覚が鈍ってしまうと取り戻すまでにかなりの時間がかかる。

 そのため、なるべく負担のかからない形で練習した方が良いだろう。

 

 そんな風に思いながら、早速氷の上に場所を移すと――。

 

 ようやく彼がこちらに気づいたのか、私の方に視線を向けて近づいてきた。

 

 軽やかな滑りを見せながらやってきた彼は、少しやつれた表情で出迎える。

 

「お久しぶりです、明浦路先生。随分とお疲れの様子ですね」

「あはは……。最近、ちょっと用事が立て込んでてね。狼嵜選手の方こそ、体はちゃんと休めた?」

「はい。おかげさまで。怪我の具合を感じさせないほど調子は良いみたいです」

「それは良かったよ。でも、無理だけはしたらダメだからね? 君の場合、ちょっとオーバーワークな所があるから」

 

 ジュニアGPファイナルから一度も話していなかったため少し気まずくなるかと思ってはいたが、どうやら杞憂だったようだ。

 

 まあ、この人は細かいことは気にしなさそうだし、こちらとしてはある意味やりやすいのかもしれない。

 

「分かってますよ。それより、契約の正式な手続きはもう済ませたんですか?」

「うん、大丈夫! ちゃんと終わらせてきたよ。って言っても、たったの一年限りだけどね」

「私にとっての一年はとても貴重です。なので、ちゃんとその間は全部責任取ってくださいよ?」

「ウッ。君は相変わらず手厳しいな……。これからちゃんとやっていけるかが心配になってきた気がする」

「まさか、自信無いんですか? ジュニアGPであれだけ私の事、めちゃくちゃにした癖に」

「ちょっ!? か、狼嵜選手!? 誤解を招くようなことをここで言わないで欲しいんだけどなぁ!?」

「ふん。そんなの知りませんっ。大体、貴方という人はいつもいつも――」

 

 そうブツブツと文句を言いながらも、明浦路先生は私の言葉を全部受け止めてくれる。

 

 理由は分からないが、この人の前になるとなぜか子供っぽくなってしまう。

 

 相手が大人だからと言って、何を言っても許されることでは無いのは理解しているけれど。

 

 それでも、この人だけは。

 明浦路先生だけには、素の自分を見てほしい。

 

 そう思ったからこそ、敢えてこのような態度を取っているのかもしれない。

 

 でも、勘違いだけはしてはダメだ。

 

 決して、この男と馬が合うわけではない。

 

 ただ、自分を変えてくれるきっかけを明浦路先生が作ってくれたからに過ぎないだけであって、それ以上の関係ではないからだ。

 

 だからこそ、ここはしっかりと線引きをしておかなければいけない。

 

 いのりちゃんの元へ、彼が何事も無く戻れるように。

 

 そして、これから先。

 狼嵜光が誰の手も借りずに、一人で歩けるようになるまで。

 

 この男の手をずっと握り続けよう。

 

 強くなるために、信じる理由を――今この瞬間作るのだ。

 

 

 

「二人とも、なんか思ったより呼吸合ってる……?」

 

 こうして、外側から様子を見ていたライリー先生が、珍しく目をパチクリさせながらそう呟いたのは、また別の話。

 

 

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