辛い。しんどい。キツイ。
動画を投稿する度に、チャンネル登録者の数字が右肩上がりに増えていく。
動画の再生回数が伸びれば伸びるほど、僕たちの知名度も跳ね上がり、街を歩けば見知らぬ他人に声をかけられることが日常になってしまった。
「いつも動画見てます!」
「一緒に写真撮ってもらえませんか!」
無遠慮に向けられる好意と好奇の目。遠くからスマホを向けられ、隠し撮りされることも1度や2度ではない。
心底どうでもいい。興味のない他人の好意なんて僕の人生には1ミリも必要ないし、無視して立ち去りたい。
だけど、根付さんから『冷たい対応はしないように。ボーダー全体のイメージに関わる重要なことだ』と念押しされている以上、最低限の愛想笑いを浮かべ、言葉を返さなければならない。
それは僕にとって、耐え難い苦行だった。
関わりたくもない他人に愛想を振りまくくらいなら、舌を噛み切って死んだ方がマシなくらいだ。
さらに僕を精神的に追い詰めるのは、家に帰ったときの光景だ。
本部が用意した撮影用の一軒家。そこで共同生活を送るメンバーたちは、僕の憂鬱や疲労など知る由もなく、リビングで楽しそうに次の動画の企画を話し合っている。
木虎も草壁も帯島も、今さんまでもが、この新しい活動にやりがいを見出しているようだった。それ自体はいいことだ。
でも、巻き込んだ僕が1番モチベーションが低いのが申し訳ない。そのせいで、たまらなく居たたまれない。
だから僕は、逃げるようにボーダー本部の隊室に避難してきた。とはいえ、そこまで長居はできない。今日は今日で動画撮影があるから。
本来なら自分たちの神園隊の隊室で休むべきなのだろうが、今の僕たちの知名度では、ミーハーな礼儀知らずな隊員が群がってくる可能性があるから別の隊室に来ている。
誰の目にも触れず、ただ静かに息を潜められる場所。
「もう、そんなに後悔するならどうして引き受けたの。広報をやるくらいなら除隊するなんて言ってたのに」
そう、風間隊の隊室だ。有難いことに、今は歌歩しかいない。
歌歩はキャスター付きの椅子から立ち上がり、僕のそばまでやってくると、呆れ半分、心配半分の眼差しで見下ろすようにしてそう言った。
「......別に。気が向いただけ」
「嘘ばっかり。気が向いてないから、ここに来たんでしょ」
歌歩は核心を突くようなことを言いながら、僕の隣に座り、頭をポンポンと撫でてくる。
小さい頃から変わらない、少しお姉さんぶった手つき。
普段なら鬱陶しく思って払いのけるところだが、今はその温もりが妙に心地よくて、僕はされるがままになっていた。
「歌歩がドラえもんみたいに僕の悩みを解決してくれるなら、その憶測を当たりにしてあげてもいいよ。まあ、歌歩でも解決できることなら、僕が解決できないことはないだろうけど」
僕は目を閉じたまま、思ったことを素直に話す。
「......もうっ」
その言葉と同時に、頭をペチッと叩かれた。
痛い。手加減というものを知らないのか。
僕が同じ強さで叩き返したら、後で3倍になって返ってくるか、最悪の場合泣かれて面倒な事態になる。
子どもの頃にやり返したら泣かれて怒られた。
だから僕は、少しだけ身体を起こし、彼女の額に向かって素早く手を伸ばした。
「痛っ!」
パチン、と小気味良い音を立ててデコピンで反撃しておく。
歌歩は額を押さえて僕を睨みつけてきたが、その目には怒りよりも呆れの色が強かった。
「......本当に、素直じゃないんだから。強がってばかりだと、いつかポキッと折れちゃうよ」
「僕はいつでも正直だよ」
「どの口が言うの。広報部隊のことも、何か理由があるんでしょ?冬が自分の意思で引き受けるわけないもん」
ギクッと胸が鳴った。
僕の微細な反応を逃さず、歌歩はふっと口角を上げる。すべてを見透かされているような気がして、僕は視線を逸らした。
「まあ、言いたくないなら無理に聞かないけど。でも、あんまり1人で抱え込まないでよ。冬は昔から、変なところで不器用なんだから」
「余計なお世話だよ」
そっぽを向きながらそう答えると、歌歩はまた僕の頭を優しく撫でた。
「辛くなったら、いつでも私のところに来ていいからね。大福くらいは用意してあげる」
「僕が今まで歌歩に作ってあげた大福の数を考えれば、そのくらいして当然じゃない?」
「はいはい。本当に可愛くないんだから」
静かな隊室に、他愛のないやり取りが溶けていく。
.....はぁ、情けない。優しくしてくれるとわかっている相手の元に逃げるのは。
そろそろ戻ろう。これは僕が始めた物語なんだから、逃げずに成し遂げないといけない。
「もういいの?」
「これ以上ここにいたら、歌歩の馬鹿力で撫でられて毛根が死滅しそうだから帰る」
いった。言葉でいえば通じるのに、なんで叩いてくるんだろうか。僕はまたデコピンをしてから、風間隊室のドアを開けた。
家に帰ると、木虎がリビングにいた。まだ次の動画についての話し合いをしてると思ってたんだけど。
「木虎だけ?他の3人は?もう次の動画の会議は終わったの?」
「次は事前に質問を集めて、それに答える動画に決めました。3人は外食に行ってます」
「へぇ、木虎はなんで残ったの?」
晩御飯にしてはまだ時間が早いような気がするけど、混み合う前に行きたかったのかな。
「私まで行ったら、神園先輩が1人になるからです。冷蔵庫に夜ご飯作っておいたので、食べるなら温めますよ」
「今日のご飯当番、木虎だっけ?まあ、少し早いけど食べようかな」
なんか今すぐに食べてほしそうだし。それにしても、今さんもみんなで外食に行くなら連絡してくれればよかったのに。
「では、すぐにお出ししますね」
木虎は少しだけ早足でキッチンへと向かった。その後ろ姿を見送りながら、僕はリビングのソファに腰を下ろす。
静かなリビングには、遠くから聞こえる車の走行音と、キッチンから響く微かな音だけが落ちている。
共同生活が始まってから、この家がこんなに静かになることは珍しかった。
常に誰かが話し、笑い声を上げ、あるいは企画会議とかをしていたから。
数分後、電子レンジの小気味良い音が鳴り、木虎が料理を運んできた。
「お待たせしました。本日の夕食、特製オムライスです」
テーブルの上に置かれたのは、ふんわりとした黄金色の卵に包まれ、真っ赤なケチャップが綺麗にかけられたオムライスだった。
見た目は完璧だ。洋食屋で出されても違和感がないほど、美しいフォルムをしている。卵の表面は艶やかに光り、かすかに立ち上る湯気が食欲をそそる。
「ありがとう。木虎は料理上手だから嬉しいよ」
ちなみに、全員料理上手だった。
料理下手は誰一人としていない。日々の共同生活の中で、食事のクオリティが高いことだけは僕にとって数少ない救いだった。
「ええ、まあ。それなりには」
木虎の返答は少しだけ歯切れが悪かった。彼女は僕の正面に座り、両手を膝の上でぎゅっと握りしめている。
なぜか僕が食べるのを、穴が開くほど見つめていた。食べにくいんだけど。
んんっ?
普段の木虎なら、自分が作った料理の出来栄えに自信満々な表情を浮かべているはずなのに、今日の視線にはどこか落ち着きのなさが混じっている気がする。
まあ、気にしても仕方ないか。
「それじゃあ、いただくよ」
僕はスプーンを手に取り、オムライスの中央に切れ目を入れ、卵とチキンライスをバランスよく掬い上げた。
ふわりと湯気が立ち上る。見た目からは何の変哲もない、美味しそうなオムライスだ。
そのまま口へと運ぶ。
──瞬間、僕の脳の処理能力が完全にフリーズした。
味覚を司る神経が、かつて経験したことのない異常信号をけたたましく鳴らしている。
まず襲ってきたのは、狂っているのではないかと疑うほどの『塩味』だった。
海水でも煮詰めたのかと思うほど強烈な塩気が舌の水分を根こそぎ奪い去り、口内の粘膜が悲鳴を上げる。
塩というよりも、塩の結晶そのものを噛み砕いているかのような破壊力だ。
それに続くのが、脳を揺らすほどの『酸味』と、喉を焼き切るような『辛味』。
チキンライスだと思っていた赤いご飯は、どうやらケチャップではなく、大量のタバスコかデスソース、それに何らかの強烈な酢を混ぜ合わせた狂気の産物らしい。
噛み締めるたびに舌の上で激痛が弾け、鼻の奥をツンと刺す刺激臭が突き抜けていく。
不味い。いや、不味いという次元を超越している。これはもはや兵器だ。人間の胃袋に収めていい物質ではない。
加古さんのハズレ炒飯よりも酷い。
僕は口内の惨状を冷静に分析しながら、視線を正面の木虎に向けた。
木虎は、僕が一口食べた瞬間にどういうわけかビクッと肩を揺らし、何かを期待するような、あるいは怯えるような目でこちらを見つめている。
なぜ、こんな味になったんだ?
木虎がこんなミスをするだろうか?いや、しない。
几帳面な性格からして、塩と砂糖を間違えるなどというベタなミスすらあり得ない。
味付けが意図的に狂わされているとしか思えない。
もしかして、これは僕への嫌がらせなのだろうか。
思い当たる節がない。僕ほど良い先輩はいないはずだ。広報活動に巻き込んでしまったという負い目はあるが、それに対するささやかな復讐だとしたら、いささか殺意が高すぎる。
僕がここで『不味い』と吐き出し、彼女を怒鳴りつけることは造作もないことだ。
だけど。
僕の脳裏に、ふと過去の記憶がフラッシュバックした。
両親が共働きで、いつも1人で冷たいコンビニ弁当を食べていた幼い頃。どうしても手作りの温かいご飯が食べたくて、見よう見まねで一生懸命に作った不格好なハンバーグ。
親が帰ってくるのを楽しみに冷蔵庫に入れておいたのに、翌朝、それはキッチンの三角コーナーに無惨に捨てられていた。
あの時の、心臓を直接握り潰されたような絶望と悲しみ。自分が精一杯の思いを込めて作ったものが、一口も手をつけてもらえないまま生ゴミとして処理されたあの冷たい光景。
手作りされた料理を拒絶される痛みを、僕は誰よりも知っている。
たとえこれが故意の嫌がらせであったとしても、木虎は『僕のために』このオムライスを作ってテーブルに並べてくれたのだ。
出された手料理を不味いと言う理由だけで残すこと。捨てること。それだけは、僕の矜持が許さない。
加古さんのハズレ炒飯だって、僕は完食してきたじゃないか。今回も、気合いでどうにかなる。
僕は胃からせり上がってくる拒絶反応を精神力で押さえ込み、表情筋を完全に固定した。
「......うん。美味しいよ」
僕が真顔で咀嚼し、ごくりと喉の奥へ流し込んでそう言うと、木虎の目が見開かれた。
「えっ......?あ、あの、神園先輩......?本当に、美味しいですか?」
「ああ。卵の火の通り具合も絶妙だし、ライスの味付けもパンチが効いていて個性的だ。君の新しい一面を知れた気がするよ」
僕は嘘に嘘を重ねながら、二口目、三口目とスプーンを進める。
一口食べるごとに寿命が数日縮んでいくような感覚に陥るが、絶対に顔には出さない。
視線は常に斜め下へと固定し、舌の感覚を極限まで遮断する。これは訓練だ。この世に食べ物はこれしかないと思うことにしよう。
「そ、そんな......信じられません......」
木虎はなぜか右耳のあたりを手で押さえながら、ブツブツと呟いている。
なんだろう、情緒不安定?それとも僕の味覚がおかしいと本気で疑っているのだろうか。
疑問に思いながらも、僕は黙々と拷問のようなオムライスを胃の腑へと流し込んでいく。
コップの水を飲めば辛さが口全体に広がる危険性があったため、水分すら摂らずにただひたすらに完食を目指した。
額から冷や汗が滲み出ているのが自分でもわかるが、平静を装う。
そして数分後。
僕はついに、皿の上のオムライスを完全に平らげた。
「ごちそうさま。少し多かったけど、残さずいただいたよ。木虎が僕のために作ってくれたから」
スプーンを置き、精一杯の涼しい顔を作ってみせる。
木虎は完全に言葉を失い、おかしなとのでも見るような目で僕を見つめている。
「......あ、あの、神園先輩。お腹の具合は......」
「ん?全然問題ないよ」
僕が平然と答えると、木虎は再び右耳を押さえ、何かを聞き入るような仕草をした後、ひきつった笑みを浮かべた。
「そ、そうですか!......あ、あの!実は、オムライスだけじゃなくて、特製のスープも用意してあるんです!今すぐ持ってきますね!」
「えっ、いや、もうお腹いっぱいだから......」
僕が制止するより早く、木虎は弾かれたように立ち上がり、キッチンへと駆け込んでしまった。
待ってくれ。このオムライスの後にスープ?悪い予感しかしない。
どんな化学兵器が出てくるというんだ。
僕の胃はすでにタバスコと塩の集中砲火を浴びて瀕死の状態だというのに。
数分後、木虎が運んできたのは、見た目からして禍々しい液体だった。
本来ならコンソメかポタージュあたりが出てくるはずのスープ皿には、泥水のように濁った液体がなみなみと注がれていた。
「こちら、『特製ヘルシースープ』です。栄養満点ですから、絶対に飲んでくださいね!」
木虎の声は少し震えていた。彼女の表情には、明確な罪悪感と、それを上回る何らかの使命感が入り混じっている。なんの使命感だ。
僕はスープ皿を覗き込んだ。
青汁のような強烈な青臭さに加え、ツンと鼻を突くお酢の酸烈な匂い、さらには得体の知れないスパイスの香りが混ざり合っている。
「......木虎。本当に、これを僕に飲ませるつもり?」
僕は静かに問いかけた。
「は、はい!先輩の健康を第一に考えて作ったんです!残すなんて言わないですよね?」
逃げ道を塞ぐような言葉。
僕は覚悟を決め、スプーンを使わずにスープ皿を両手で持ち上げた。
ちびちび飲めば確実に心が折れる。一気に流し込む。それが唯一完食できる道だ。
口に含んだ瞬間、オムライス以上の地獄が到来した。
青汁の苦味、大量のお酢による喉を焼くような酸味、さらに溶け切っていない何かのダマが喉にへばりつく。
強烈な臭みが鼻腔を抜け、反射的に涙腺が刺激される。
今まで食べてきたものの中でダントツでまずい。
僕は必死に堪えた。呼吸を止め、ただ飲み込むことだけに集中する。こんなもので僕は死なない。
大丈夫。食べれないものは入ってない。そう自分に言い聞かせながら、気道に流し込むような勢いで飲み込む。
ゴクリ、ゴクリと音を立てて、僕は泥水スープを飲み干した。
「......ぷはぁ。ごちそうさま」
空になった皿を置き、僕は静かに口元を拭った。
「ど、どうでしたか......?」
木虎は明らかに動揺していた。自分で飲ませておいて、その反応はどうなんだろうか。
「健康に良さそうな味だったよ」
木虎はその場にへたり込みそうになるのを必死に堪えていた。
「し、信じられない......」
その時だった。
「──もう限界ッス!!これ以上は見てられない」
リビングの扉を乱暴に開けて帯島が飛び出してきた。
「......え?みんな、外食に行ってたんじゃ......」
僕が呆然としていると、その後ろから草壁が手に持っていた小さなプラカードを掲げた。
そこには『ドッキリ大成功!?』という手書きの文字が躍っている。
「か、神園先輩......!ごめんなさい!これ、動画の企画だったんです!」
草壁がネタバラシを始めた。
「動画の企画......?」
「はい......『神園隊長に超絶不味い手料理を食べさせたらどうなるか』っていうドッキリ企画で......部屋のあちこちに隠しカメラを仕掛けて、私たちが裏でモニタリングしてました」
「あのオムライス、塩と砂糖を間違えた上に、タバスコとデスソースを隠し味に入れて......絶対に一口で吐き出すと思ったのに......!」
木虎が申し訳なさそうに頭を下げる。
まあ、なるほど。今回の件はドッキリの企画だったのか。つまり、僕に対する悪意や嫌がらせではないってことだ。
「その、神園くん、大丈夫?」
「ドッキリで一安心ですよ、今さん」
僕はホッと安堵の息を吐いた。
「......どおりで酷い味だったわけだ」
「神園先輩!?」
帯島が駆け寄ってくる。僕の顔色が相当悪かったのだろう。
「......まっず」
ドッキリの企画で不味い料理を出すのは構わない。いや、構うわ。二度と受けたくないドッキリだ。胃が悲鳴を上げているのがわかる。
「そんなに無理して食べなくても......」
木虎がそんなことを言ってくるけど、それは無理ってものだ。出された手料理は理由がない限り残さず食べる。
「まったく、悪戯好きな隊員を持つと隊長は苦労するよ」
向けられたカメラのレンズに向かってそう言い残し、僕は静かに目を閉じた。
今回の件が、【神園と木虎は出来ている】と嫌なバズり方をし、それに触発され他のメンバーとのカップリングまで出来上がることを知らない。
今回の件は──カプ厨を大量に生み出すこととなった。
三上さん
ワートリはあんまり需要ないのか...?