カーテンの隙間から細く漏れてくる柔らかな朝日で、僕はゆっくりと目を覚ます。
まだ半分眠気に侵された頭を覚醒させようと微かに息を吐いた瞬間、腕のあたりに伝わってくる確かな重みと、じんわりとした温もりに意識が引き戻された。
今日もまた、隣から確かな人肌を感じながら、僕は諦めにも似たため息とともに掛け布団を少しだけめくる。
「──朝だよ」
「っん、ふえっ......?」
くぐもった寝起きの声を漏らしながら、僕の腕を抱き枕のようにしてすり寄ってきたのは、帯島だった。
無防備に乱れたショートヘアの間から、少し赤みを帯びた寝起きの顔が覗いている。
いつの日にか、僕が完全に寝静まったのを見計らって、誰かしらがこうしてこっそりと布団に潜り込んでくるようになったんだ。
それも、帯島だけではない。
ある朝は、僕に背中を預けて丸まっている草壁だった。
またある朝は、僕の胸元に額を押し当てて規則正しい寝息を立てている木虎だった。
僕の腕枕で満足そうに微笑んでいる今さんが隣で眠っていることもあった。
最初は、親元を離れて不慣れな共同生活を送るうちに寂しくなったのかと思った。
だからこそ、『自分の部屋のベッドで寝るんだよ』と優しく注意して放置したのだが......それが完全に悪手だったらしい。
注意された翌週には、彼女たちの間で謎のローテーションでも組まれているのか、今もまだこの異常な習慣は続いている。
正直、本気でやめてほしい。
僕だって健全な男子高校生だ。
朝目を覚ました瞬間、至近距離に年頃の女の子の整った寝顔があり、、柔らかな身体の感触が肌を通して伝わってくる状況なんて、色んな意味で心臓に悪すぎる。
もはや慣れてしまった部分はあるけれど、慣れてはいけない境界線というものがあるはずだ。
「帯島、起きて。早くしないと、朝食当番の木虎に怒られるよ」
僕がもう一度、今度は少し強めに肩を揺すると、帯島はパチパチと瞬きを繰り返した。
焦点が合っていなかった彼女の瞳が、至近距離にある僕の顔を捉えた瞬間、カッと目に見えて体温が跳ね上がる。
「──っ!?せ、先輩っ!?」
弾かれたように身体を起こした帯島は、シーツを胸元まで引っ張り上げながら、顔を真っ赤にして後ずさった。
「自分、また......す、すいませんっ!寒くて、つい暖かそうなところに潜り込んじゃって......!」
「そっか。それなら仕方ないね」
この言い訳は今月で3回目だ。
「......ッス......」
耳まで真っ赤にして小さく縮こまる帯島を見ていると、怒る気力すら湧いてこない。
悪意があってやっているわけではなく、ただ純粋に、僕に対する全幅の信頼から無意識に距離を詰めてきているだけなのだと思う。
「いいから、顔を洗っておいで。僕も着替えてすぐ下りるから」
「は、はいッス......!」
帯島はパタパタと慌ただしい足音を立てながら、逃げるように僕の部屋から飛び出していった。
静まり返った部屋で、僕は天を仰ぎながらベッドの上に座り直す。
時計の針は午前6時30分を指していた。
「......今日も頑張ろう」
そう呟きながら、僕は日常が待つリビングへと向かう。
今日は那須隊とのトリオン体でのバスケを撮影する日だ。
閑話
【デート企画第1弾】
「帯島。嫌なら断ってもよかったんだけど」
小型カメラを胸元に固定した神園先輩が、待ち合わせ場所の広場で呆れたように息を吐き出した。
ジーパンに落ち着いた色合いのパーカー。どこにでもいそうな格好のはずなのに、すらりと伸びた長身と端整な顔立ちのせいで、周囲を行き交う人々の視線が嫌でも先輩に集まっていく。
「恋愛とかよくわかんないですけど、この企画が求められているなら、先輩たちの役に立てるならやるだけッス」
背筋をピンと伸ばし、迷うことなく答えた。
広報部隊としてネット上に動画を投稿し始めてから、チャンネルの登録者数は瞬く間に跳ね上がっている。
そして、それに伴ってコメント欄には『メンバー?隊員?とのデート企画をやってくれ』といった要望が山のように届くようになったのだ。
今先輩と草壁先輩、木虎先輩の3人で企画会議をした結果、視聴者の期待に応えるために立ち上がったのが、この【各隊員とのデート企画4連発】だった。
自分は神園隊に入ったばかりの新人だ。それどころか、ボーダーに入ってからも日が浅い。
先輩たちのように気の利いた受け答えができるわけでもないし、役に立ててる実感もあまりない。
だからこそ、隊の一員として与えられた任務を断るなんてありえない。
「帯島。一応言っておくけど、そんなにガチガチになってたら、見てる人が僕に脅されて連れ回されてるようにしか見えないでしょ」
「あ、すいません!えっと、なるべく自然体を心がけるッス......!」
「意識して作った自然体は本当に自然体なんだろうか。まあいいや、行こうか」
先輩はひらりと片手を振って歩き出した。
最初の頃、動画配信が始まったばかりの時期は、根付室長からの言いつけを守って、カメラの前では猫を被って愛想笑いを浮かべていた神園先輩。
チャンネルが軌道に乗り、世間の認知度が定着してからは『どうせ素の僕がバレたところで、再生数が落ちるわけじゃないし』と開き直り、動画内でも普段通りの態度をを隠さなくなっていた。
視聴者側も、そんな先輩の飾らない姿や、時折見せる不憫な扱われ方を『自信満々で可愛い』『偉そうだけど頑張ってる』と面白がっている節がある。
「それで、どこに向かうんですか?」
小走りで先輩の隣に並びながら尋ねる。
「ショッピングモール。台本には『お互いの私服を選び合う』とかいう、吐き気のするようなベタな展開が書かれてたからね。適当に服を見て、ご飯を食べて終わらせるよ」
「了解ッス!」
横目でちらりと見上げる先輩の横顔は、陽光に照らされて彫刻のように綺麗だった。
同じ隊室で過ごし、同じ屋根の下で暮らしているはずなのに、こうして二人きりで街中を歩いていると、何だか別の世界に迷い込んだような居心地の悪さと、不思議な落ち着かなさを感じる。
ショッピングモールに入ると、土曜日の昼下がりということもあって、家族連れやカップルで賑わっていた。
「うわ、人が多いな......」
神園先輩があからさまに顔をしかめ、眉間を寄せる。
「先輩、大丈夫ッですか?」
「大丈夫じゃないって答えたら帰ってもいいならそうするけど。そんなことしたら、台本担当に怒られるだろうしなぁ....」
先輩は小さくため息をつくと、私の右腕をすっと掴んだ。
「──えっ?」
引き寄せられるようにして、先輩のすぐ隣に密着させられる。
「離れると迷子になりそうだし、カメラから君が見切れる。ほら、行くよ」
掴まれた手首から、じんわりと温かい熱が伝わってくる。
先輩の行動は、動画の構図を気にしただけの行動に過ぎない。
頭ではそう分かっているのに、掴まれた手首の皮膚が急に熱を持ったように脈打ち始めた。
「......っス」
声が掠れて、まともな返事にならなかった。
それをごまかすように、視線を足元に落とす。
心臓がトクトクと速いリズムを刻み始めているのを、隣の先輩に悟られないように祈るしかなかった。
最初に入ったのは、若い女性向けのカジュアルな服が並ぶショップだった。
きらびやかな照明と、パステルカラーのスカートやワンピース。普段の自分なら絶対に足を踏み入れないような空間に、足が止まる。
「君が着る服を選ぼうか」
「えっ、自分ですか!?先輩の服を選ぶんじゃないんスか?」
「このお店で僕の服を?悪い冗談だ。帯島はいつも動きやすさ重視のズボンばっかりでしょ。たまにはお洒落な服を着てもいいんじゃない」
「うぐっ......」
確かに、自分に可愛い服を着せようと先輩たちに追いかけ回されたことがある。その時に木虎先輩たちも同じようなことを言っていた。
「ほら、これとか似合うんじゃない?」
先輩がハンガーラックから無造作に取り出したのは、落ち着いたネイビーの膝丈スカートと、柔らかな白いニットだった。
派手すぎず、でもしっかりと女の子らしい清潔感のある組み合わせ。
「あの......本当に、自分がこれを着るんスか?」
「着てみなよ。試着室、あそこ空いてるから」
有無を言わさない先輩の視線に押され、自分は着替えを受け取って試着室のカーテンの中へと逃げ込んだ。
鏡に映る自分を見る。
短い髪に、小さな身長。こんな私がスカートなんて履いて、笑われないだろうか。変だと思われないだろうか。
今まで一度も気にしたことのなかった自分の体型や容姿が、急にひどく不相応なものに思えてきて、手元が小さく震える。
けれど、先輩がわざわざ選んでくれたのだ。無駄にするわけにはいかない。
意を決して着替えを済ませ、恐る恐るカーテンの隙間から顔を出した。
「......先輩」
暇そうに壁にもたれかかっていた神園先輩が、顔を上げる。
その黒い瞳が、じっと私を上から下まで見つめた。
心臓が破裂しそうだった。秒針の進む音が聞こえるんじゃないかというくらい、沈黙が長く感じられる。
「......どうですか。やっぱり、変ッスよね......?」
耐えきれずに俯きかけた私に、先輩は平然とした声で言った。
「変じゃないよ。よく似合ってる」
「え......?」
「帯島は姿勢がいいから、そういうラインの服を着ると綺麗に見える。普段のボーイッシュな感じも悪くないけど、こっちの方がずっと可愛いらしいよ」
お世辞を言う時の声じゃない。そもそも、先輩は心にも思ってないことは嫌々言うからわかりやすい。
だから今の言葉は、神園先輩が本心からそう思っていることを証明していて、私の顔は一気に沸騰したように熱くなった。
『綺麗に見える』
『可愛いらしい』
先輩の口から紡がれたその言葉が、頭の中で何度も何度も反響する。
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるように痛い。どこか泣きそうになるくらい嬉しい。
「あ、ありがとうございます......ッス......」
視線を泳がせながら、必死にスカートの裾を握りしめる私の姿を、先輩は不思議そうに眺めていた。
「顔が赤いけど。試着室の中、暑かった?」
「あ、暑かったッス!すっごく暑かったッス!」
「そう。じゃあ、それ買っていくから着替えておいで」
「えっ、先輩が買うんですか!?」
「広報の経費で落ちるから気にしなくていいよ。それに、僕が買わないと動画で叩かれそうだし。ほら、早く」
動画を回しているところで隠すことなくそう言えるのはすごいっス....
カーテンが閉まった瞬間、私はその場にへたり込みそうになる膝に力を込めた。
鏡に映った自分の顔は、耳の先まで真っ赤に染まっていた。
服を買った後、自分たちはモールの中にあるカフェに入った。
ここでも動画の企画として、『カップル限定のパフェをシェアして食べる』という指令が今先輩から下されていたのだ。
目の前に運ばれてきたのは、ガラスの器から溢れんばかりに盛り付けられた、色とりどりのフルーツとソフトクリームの山。
てっぺんにはハート型のクッキーが二つ、仲良く並んで刺さっている。
「......量が多い。まあでも、2人分と考えたら丁度いいのか?」
「じ、自分がたくさん食べますから!先輩は少しつまむだけで大丈夫ッス!」
「いや、いいよ。僕もちゃんと食べる。けど──」
先輩は長いスプーンを手に取り、器の端から一口分のアイスを掬い上げた。
そして、何を思ったのか、それをそのまま私の口元へと差し出してきたのだ。
「えっ......?」
「ほら、台本に書いてあったでしょ。カメラに向かって見せ場作らないと、後で皆から怒られるの僕なんだから」
至近距離に迫るスプーン。
先輩にとっては、ただの台本の消化。
なのに。
私の心臓は、耳元で鐘が乱れ打たれているかのように激しく鳴り響いていた。
喉がからからに乾いて、息がうまく吸えない。
「帯島?溶けちゃうんだけど」
「あ......」
促されるまま、私は震える唇を小さく開いた。
ひんやりとした冷たいアイスが舌の上に広がる。
甘くて、滑らかで、でもそれ以上に、先輩が握っているスプーンが自分の口元に触れているという事実だけで、頭が真っ白になりそうだった。
「......どう?美味しい?」
「は、ひ......おいひい、ッス......」
呂律が回らない私を見て、先輩はふっと口元を緩めた。
「帯島って、見てて飽きないね。リアクションがいちいち素直で可愛らしいよ」
──ドクン、と。
胸の奥で、何かが決定的な音を立てて弾けた。
息が止まる。
「素直すぎて心配だから一応言ってあげるけど、悪い男に引っかかったらダメだよ」
世界から音が消え去って、私の目の前には、ただ目の前で優しく笑う神園先輩の姿だけがあった。
厳しい言葉を投げかけられながらも、誰よりも自分の成長を信じて、お願いすればどれだけ遅くても二人きりで特訓に付き合ってくれた。
『才能のない人間に構うほど、僕は優しくないからね。期待してるよ、帯島』
そう言って、軽く笑いながら私を認めてくれた先輩。
自分は、ずっと先輩を『尊敬』しているんだと思っていた。
先輩のような強い隊員になりたい、先輩の役に立ちたい、先輩に認められたい。
その気持ちのすべてを、向上心だと思っていた。
でも、違う。
こんなに胸が熱くなるのは。
こんなに視線が外せなくなるのは。
全部、全部──
(私......先輩のことが......)
私は、神園先輩のことが好きなんだ。
その答えに行き着いた瞬間、鼓動は速さを増した。自覚してしまったら、もう後戻りはできない。
今までのように、ただの後輩として、無邪気に先輩の背中を追いかけることなんて、もう二度とできなくなる。
「帯島?急に黙り込んでどうしたの?もしかして、頭が冷えてキーンってきた?」
先輩が心配そうに私の顔を覗き込んでくる。
その綺麗な瞳に、赤く染まった自分の情けない顔が映っているのが見えた。
「な、なんでもないです!」
私は慌ててパフェにスプーンを突き立て、口いっぱいにアイスを放り込んだ。
冷たさで頭がキーンっとする。でも、そうでもしないと、今すぐにでも心臓が口から飛び出してしまいそうだった。
「そんなに焦って食べなくても、誰も奪わないよ。ん、いや、カップル限定メニューだから僕が奪うのか....?」
先輩は呆れたように笑いながら、パフェを少しだけ口に運んだ。
その顔を盗み見ながら、自分は小さく拳を握りしめた。
この人は、自分の気持ちになんて気づかないだろう。今はそれでいい。
木虎先輩も草壁先輩も、今先輩も、きっと私と同じように、神園先輩に惹かれているはずだ。
私なんかが太刀打ちできる相手じゃない。
それでも
──諦めるなんて選択肢は出てこなかった。
日が暮れかけ、自分たちは帰路についていた。
胸元につけていた小型カメラはすでに電源が落とされ、今日の『デート企画』としての撮影はすべて終了していた。
夕焼けに染まる道を、二つの影が長く伸びて並んでいる。
「......やっぱり、こういう企画はあまりやりたくないね。人混みは疲れるし。ああ、あと3回もあるのか」
先輩が両手を首の後ろで組みながら、ため息を吐いた。
「神園先輩、お疲れ様でした。あの、今日は......付き合ってくれて、ありがとうございました」
私が立ち止まって深く頭を下げると、先輩も足を止めて振り返った。
「お礼を言われる筋合いはないよ。帯島が今回の企画を引き受けたのと同じく、僕も断らなかった。それだけだから」
「先輩」
「ん?」
夕日を背負った先輩が、少し首を傾げる。
私は紙袋の取っ手をぎゅっと強く握りしめ、自分でもわかるくらい真っ直ぐに、先輩の瞳を見つめた。
「自分───神園隊に入って、本当によかったッス」
「まあ、僕が率いる隊だからね。んー、急にどうしたの?」
先輩は少しだけ虚を突かれたように目を丸くし、それから気恥ずかしそうに視線を逸らした。
「早く帰るよ」
「はいッス!」
大きく返事をして、自分は大好きな人の背中を追いかけて走り出した。
この気持ちは、まだ誰にも言わない。
いつか自分がもっともっと強くなって、先輩の隣に胸を張って立てるようになったら。その時に伝えよう。この気持ちを。
次はカメラの回っていないところで、デートをしてほしいって。大好きだって。
夕暮れの風が、火照った私の頬を優しく撫でて通り過ぎていった。
地下の訓練室で行われた【トリオン体でバスケやってみた】企画の撮影が無事に終了した。
これでようやく今日の撮影はお開き──そう思って息を吐き出した僕の耳に、声が聞こえてきた。
「せっかく来てくれたんだし、もうひとつくらい動画を撮っていかない?」
言い出したのは、我が隊の優秀極まりないオペレーター、今さんだった。
誰も反対はしなかった。
こっち側としては、動画のストックはあればあるだけありがたい。撮り溜めをしておくに越したことはないのだ。
那須たちの方も、なぜか理由は知らないけれど妙に乗り気だった。特に那須は、病室での退屈な療養生活の反動なのか、前のめりだ。
トントン拍子に話が進み、やることは『かくれんぼ』に決まった。
ルールは極めてシンプル。
一軒家の敷地内ならどこに隠れてもいい。制限時間は15分。
鬼はじゃんけんの結果、日浦に決まった。
小型カメラを各所に設置し、鬼にもカメラを装着させる。
一般的なかくれんぼのルールに加えて『ゲームが始まってからは隠れる場所を変えてはいけない』という縛りが追加された。
まあ、ここまではよかった。
平和なバラエティ企画として、何一つ問題なかった。
問題が起きたのは──僕が隠れた、その直後だ。
日浦がリビングで『もういいかい!』と数を数え始めたのを聞きながら、僕は2階にある自分の部屋のクローゼットへと滑り込んだ。
服が押し込まれているだけの、何の変哲もないクローゼットの薄暗い隙間に身を潜め、扉を細く閉めた瞬間、バタバタと廊下を走る慌ただしい足音が響いてきた。
そして、勢いよく扉が開かれた。
「──ご、ごめん!もう時間なくて......!」
飛び込んできたのは、熊谷だった。
「わっ、ちょっと熊谷──」
僕が制止の声をかける間もなく、熊谷と彼女の背後からもうひとつの影が滑り込んでくる。
「すごい。3人とも神園くんの部屋のクローゼットを選ぶなんて偶然だね」
バタン、と音を立ててクローゼットの扉が完全に閉ざされる。
「──ルールさえなければ隠れ直すのに」
暗闇の中で僕は呟いた。
そう、熊谷と那須が、僕と全く同じ場所を隠れ場所に選んだのだ。
広い一軒家だぞ。
1階には客間もキッチンもあるし、2階にだって空き部屋やベランダ、他のメンバーの個室だってある。
それなのに、なぜピンポイントで男子である僕の部屋の、それもクローゼットに2人が雪崩れ込んでくるのか。
偶然?
いや、絶対に違う。
那須のあの得意げな顔を見る限り、僕が2階に上がるのを見て後をつけてきた可能性が高い。
そして熊谷は、そんな那須を止めようとして巻き込まれたクチだろう。思えば、僕がクローゼットに入ってるのに2人とも驚いてなかった。
それにしても、2人がここに来たお陰で、クローゼットの中はぎゅうぎゅうのすし詰め状態だ。
そこそこの大きさのクローゼットに高校生が3人。当然ながら、常に身体は隙間なく密着している。
僕の背中はクローゼットの奥の壁に押し付けられ、左半身には熊谷の肩と太ももが、右前には那須の華奢な身体がぴったりと張り付いていた。
少し動くだけで、衣擦れの音とともに柔らかい感触が容赦なく伝わってくる。
「......ちょっと、2人とも。いくらなんでも近すぎるんだけど」
僕はできる限り声を潜めながら文句を言った。心臓に悪い。
暗闇に目が慣れてくると、至近距離にある2人の輪郭がぼんやりと浮かび上がってくる。
「し、仕方ないでしょ......!バレちゃうから声出さないでよ」
熊谷が僕の耳元で囁く。吐息が耳を掠めて、ゾワリと背筋に衝撃が走った。
待ってくれ。
狭い空間に閉じ込められたせいで、シャンプーの爽やかな香りと、微かに汗ばんだ熱気が鼻腔を直撃してくる。
健全な男子高校生の理性に対する、あまりにも無慈悲な拷問だ。まあ、僕は全然耐えれるけど。耐えれ....るか?
「熊谷、もう少し左に寄れない?僕の腕が完全に君の胸に──」
「なっ......!?ば、バカ!変なこと言わないでよ!これ以上左になんて寄れないから!」
暗闇の中でも、熊谷の顔が一気に沸騰したのが分かった。
そういいながら熊谷が身をよじるようにして離れようとするが、足元がもつれて逆に僕の胸板へと倒れ込んでくる。
「くっ......」
「ご、ごめん......!」
「動かないで。余計に密着するから」
「う、うん......」
熊谷はおとなしくなったが、その代わり、彼女の心臓の音がトクトクと異常な速さで僕の胸に響いてくるようになった。
これだけでも精神的にキツイのに、右側の那須が追い打ちをかけてくる。
「ふふっ、神園くん、もしかして照れてる?」
那須が僕の顔を下から覗き込むようにして、悪戯っぽく微笑んだ。細い指先が、僕のパーカーの裾をきゅっと掴んでいる。
「さあ、どうだろうか。それより那須、君の体勢、僕の足の上に完全に座ってない?」
「だって、狭いんだもん。神園くんの膝、ちょうどいい高さなんだよ」
悪びれる様子もなく、那須は僕の太ももの上にすっぽりと体重を預けてきた。
女の子特有の甘い匂いと、しなやかな身体のラインが、容赦なく僕に押し付けられている。
「退いて。重くはないけど、精神的に重傷を負いそうだから」
「だーめ。動いたら見つかっちゃうでしょ?」
那須は小さくクスクスと笑いながら、さらに距離を詰めてきた。額が僕の鎖骨あたりに触れそうな距離だ。
「ねえ、神園くん」
「......なに」
「【デート企画】楽しかった?」
左隣の熊谷の身体が、ピクリと強張るのが伝わってくる。うん、なんで?
「まあ、楽しいか問われれば楽しかったと思うけど」
「帯島ちゃんとパフェ食べてる時の神園くん、すっごく優しそうに笑ってたもんね」
「ああ、うん」
「木虎ちゃんや草壁ちゃんとも、、今さんとも楽しそうだった」
那須の囁き声には、微かに拗ねたような声色が混ざっている。
「私たちとも、やってくれるんだよね?あのメッセージ、嘘じゃないよね?」
「需要があれば可能性は無くはないかもね。基本的にはないって言ったはずだけど」
「もう、往生際が悪いなぁ」
那須が僕の胸元に顔を埋めるようにして、小さく息を吹きかけてきた。
「絶対やってもらうから。逃がさないよ、神園くん」
このまま話を続けたらまずい気がする。
逃げ出したい。
今すぐこのクローゼットの扉を開けて、「見つかりました!」と自分から日浦に白旗を揚げたい。
まあ、流石にそんなことは出来ない。そんなことをした理由を説明しないといけないから。
とにかく耐えるしかない。
あと10分。日浦がこの部屋に来て、この扉を開けてくれるまで、僕は地蔵になるんだ。
「......2人とも、頼むから静かにして。日浦の足音が聞こえる」
タタタッ、と階段を駆け上がってくる軽い足音が聞こえる。
日浦だ。
救世主がやってきた。早くこの部屋に来い。そしてこの不健全極まりない空間を終わらせてくれ。
足音は廊下を進み、僕の部屋の前でピタリと止まった。
ギィ、と部屋のドアが開く音がする。
クローゼットの中の空気が、一瞬で張り詰めた。
熊谷が息を呑み、那須が僕のパーカーを握る手に力を込める。
カチャリ、と小さな足音がクローゼットへと近づいてくる。
──助かった。
音を立てながら、クローゼットの扉がゆっくりと開かれた。
「あ、見つけまし.....た?もしかして、邪魔でした....?」
「よく見つけてくれたよ、日浦。君にはクッキーをお土産に持たせてあげよう」
本当に助かった。
帯島
那須
熊谷
コメントがモチベになります!ありがとうございます!