若手カメラマンは覗き見たい。 作:水棲リクガメ
次の授業は移動教室だったので、亨は廊下を歩いていた。
決して長くない休み時間の大半をカメラに充ててしまっていたので、亨は少し足早に歩いている。
向かい合う形で、廊下の向こうからかぐやが歩いてくるのに気が付いた。知らない仲ではないので、亨はすれ違うタイミングで声をかける。
「やあ、四宮さん」
かぐやは、日向ぼっこをしている猫のようにふにゃりと笑った。
「ごきげんよう、光くん。今日はとってもいい天気ですね」
「そうかな?」
亨はちらりと窓に目を向けた。曇りである。厚ぼったい雲に覆われた空は、お世辞にもとってもいい天気とは言えなかった。
口元に手を当て、かぐやは小さく笑う。
「そんなの心の在り方次第なんですよ。あの真っ白な雲を見て。生クリームみたい……」
ふふふ、とたおやかに笑うかぐや。
どう見たって様子がおかしい。
今にも宙に浮き上がりそうなくらい、ふわふわしている。言葉を選ばずに言うのなら、アホっぽい。
「四宮さん、何だか楽しそうだね。なんかいいことあった?」
亨が訊くと、かぐやはさらに笑みを深めた。
「うふふ。あったといいますか、これからあるといいますか……」
体をぐにゃぐにゃさせながら、かぐやは答えを濁す。
「そう。よかったね……」
「そうなんです! えへへ」
困惑する亨をよそに、四宮かぐにゃは、体をぐにゃぐにゃさせたまま去っていく。
——白銀くん関連かな、多分。
そう結論付け、亨は小走りで次の授業へ向かった。
◆◆◆
その夜。亨の元にかぐやから電話がかかってきた。
「明日、何の日だと思いますか?」
ぽやぽやした声で、かぐやが開口一番そんなことを質問してきた。
亨は思わず苦い顔をした。カップルや夫婦間で交わされる危険なやり取り上位にランクインするやつである。間違えたり忘れたりして相手の機嫌を損ね、禍根を残した結果、破局を迎えた話は枚挙にいとまがない。
まさかその質問が、かぐやから飛んでくるとは思わなかったが。
亨は思考を巡らせる。
かぐやの誕生日ではないだろう。亨はかぐやの誕生日を知らないし、そんな会話はしたこともない。何かしらの記念日を設けられるほど、亨とかぐやの関係は深くない。
「ごめん、分からないや」
「ダメねぇ、光くん。明日は会長の誕生日ですよ」
「あー。白銀くんの……」
そういえば、白銀と誕生日の話はしたことがなかった。まさか明日だったとは。
「俺も何か準備しようかな」
「ダメよ。明日は私が、会長と二人きりで誕生日のお祝いをするんですから」
なんと、ダメと来た。しかも白銀本人ではなく、かぐやからである。
男同士だと大々的に友人の誕生日を祝う習慣がないことも多いから、亨もそこまで祝いたいというわけでもないので、特に何も思わなかったが。
「四宮さんだけでお祝いするの? 生徒会メンバーじゃなくて?」
「ええ。会長は素直じゃないから言わないけど、私に祝って欲しいのですよ」
お可愛いこと、とかぐやは小さく笑う。
「へー。それで、四宮さんが白銀くんの誕生日を祝うのと、俺に何の関係があるの?」
まさか、そんな自慢みたいなことのために、わざわざ電話をかけてきたわけでもないだろう。
「実は、会長にサプライズがあるんです」
「サプライズ……」
「その仕込みを光くんに手伝ってくれないかなと思いまして」
悪い提案ではない。せっかく誕生日を知ったのに、何もしないというのも引っかかる。友人の誕生日を直接でなくとも祝えるというのは、なかなかにいい話だ。
「うん。いいよ」
「ありがとう。お願いしますね」
「それで、俺は何をすれば——」
亨の声は、電話の向こうから聞こえた早坂の声に遮られる。
「あっ、こら、かぐや様! 光くんを巻き込んじゃいけません!」
聞き分けのない子供を叱るような声だった。
「いいじゃないの。早坂一人でアレを運ぶのは大変でしょう?」
「あんなもの光くんに見せたら、後で絶対後悔しますよ!」
「どうして? ただのケーキでしょう?」
「アレがただのケーキですか」
電話の向こうから聞こえる言い合いの声。亨は少し不安になった。かぐやは何をするつもりなのだろう。
「あ、光くん。明日はよろしくお願いしますね。詳しいことは早坂の方から連絡させます」
「ああ、うん……」
「ちょっ、かぐやさ」
通話が切れる。
思い返してみると、かぐやと電話をして落ち着いて終わった試しがほとんどないな、なんてことを思った。
◆◆◆
翌日の昼休み、亨は早々に教室を抜け出し、早坂と待ち合わせている正門へ向かった。
昨晩の早坂とのメッセージのやり取りを見返す。
『手伝わなくても大丈夫です』
『手伝わせてよ。話聞く限り大変そうだし』
『アレを光くんに見せるのはちょっと』
『そう言われると余計に気になる』
『それじゃあ昼休み正門に』
『了解』
妙に早坂が亨の協力を渋っているのが引っかかる。いつにも増して面倒なことを言いつけられているのかもしれない。
不安があるのは事実だが、早坂と一緒の時間を過ごせるなら、事情が何であれ、亨に断る選択肢はない。
正門に着くと、人目につかない位置に早坂が佇んでいた。
その横には、台車に載せられた大きな箱。子供の背丈くらいはあるだろう。
「来てくれましたか」
安堵と不安が混じった表情で早坂が言った。
「そりゃ約束したからね。……それで、その格好は?」
早坂は制服姿ではなく、青みがかった作業着を着ていた。同じ色のキャップを目深に被り、金髪はほとんど隠れてしまっている。
同じような作業着を、早坂が亨に差し出す。
「制服の上からこれ着てください。清掃員のフリして生徒会室にこれを運び入れます」
早坂は大きな箱を軽く撫でる。それに向けられる視線は恨みがこもっているように見えた。
物陰で手早く作業着を着ながら、亨は早坂に問う。
「その箱は何?」
「ケーキです」
「ケーキ」
「はい」
かぐやの言っていたサプライズとはバースデーケーキか。ただ、大きすぎやしないか。ケーキの他にもいろいろ入っているのかもしれない。
作業着を着た亨は軽く腕を回す。
「キツくないですか?」
「いや大丈夫」
早坂は頷くと、台車の持ち手に手をかける。
「人気のないルートを通って、手早く運びますよ。崩さないように気をつけて」
「分かった」
清掃員に扮した二人は台車を押して、学園に足を踏み入れた。
勝手知ったる学園なので、迷うことはありえない。亨は毎日のように学園の至る所で写真を撮っているし、早坂もかぐやの指示に応えるため、学園の細部まで頭に叩き込んでいる。
昼休み、人目につきにくい経路を選択するのは容易だった。
「光くんが来てくれて安心しましたよ。私一人では正直キツかったです。色んな意味で」
台車を押しながら早坂はそんなことを言った。
「役に立てて嬉しいよ。ただ、ケーキ運ぶことになるとは思わなかったけど」
亨は台車に引っかかりそうな小石を蹴飛ばしながら言った。
「あとで箱の中身見たらひっくり返ると思いますよ」
「それは、楽しみというか、不安というか……」
好きな人の誕生日を祝いたいという、かぐやの気持ちは分かる。
巻き込まれた早坂としては複雑な心境だろうが。
「そう言えば、早坂さんは誕生日いつなの?」
「……いつだと思います?」
——はぐらかされた。
せっかくなら祝いたかったのだが。
「光くんは、いつですか?」
「いつだと思う?」
「……春っぽい気がします」
「かもね」
「教えてくれないんですか」
「早坂さんが教えてくれたら教えてあげるよ」
じっとこちらを見つめてくる早坂から亨は顔を背ける。
ちょうど生徒会室に到着した。扉を叩く。
中から返事はなかったので、そっと細く扉を開ける。照明は消えており、中は無人だ。
亨が大きく扉を開けると、早坂が素早く中へ滑り込んだ。
台車から箱を降ろし、慎重に箱を開封する。
「…………」
亨は言葉を失った。
姿を現したケーキは、そびえ立つ、という表現が適切だろう。クリームで繊細な細工が施され、至る所に豪華な飾りが散りばめられているそのケーキは。洋菓子店が店のショーウィンドウに広告用で置くような、もしくは結婚式で華々しく入刀するために使うもののような。
少なくとも高校生が同級生の誕生日に贈るものとしては、規格外。かぐやは何をどう考えてこれを準備することを決めたのだろう。
「生徒会室はいつから結婚式場になったの?」
「落ち着いてください。これはバースデーケーキです」
「童話の魔女が住んでるお菓子の家とかじゃなくて?」
「青い作業服のヘンゼルとグレーテルはちょっと夢がないですね」
亨は作業服の内側に隠していたカメラを引っ張り出した。
「写真を撮ろう。早坂さんちょっとケーキに並んで」
「人を物差し代わりにしないで欲しいですが」
口ではそう言いつつ、早坂はケーキの横に立った。無表情のまま、ピースサインを作る。
過ぎたるは猶及ばざるが如しを完璧に体現したバースデーケーキを前に、亨も早坂もおかしくなっていた。
遠近感がおかしくなりそうな光景を写真に収め、亨と早坂はカメラのディスプレイを覗き込む。
「光くんもひどいですね。かぐや様の黒歴史を写真に残すなんて」
「そんなこと考えてもみなかったよ。あとで大判サイズでプリントしてあげるね」
これを準備している時のかぐやの心境を思うと、何というか、こう、お可愛い。
「どう思いますか?」
「まず、重いよね。いろんな意味で」
早坂は深く頷いた。
「これ見た白銀くんは、引くんじゃないかな」
早坂はため息をついた。
「四宮さんには悪いけど、普通に恥ずかしいね」
早坂はうなだれた。
「止めなかったの?」
「止めたところで止まる人じゃありません」
「そうだね……」
昨日の昼、妙に浮き足立っていたかぐやの姿を思い出す。心ここに在らず、平たく言えばアホっぽくなっていたあのかぐやなら、こうなっても不思議でない気がする。
「これホントにあげるのかな」
「どうでしょう。かぐや様、肝心なところでへたれますからね。上手くいくといいんですが」
思うところはあるが、外野がとやかく言っても仕方ない。
亨と早坂は、巨大なケーキを棚に隠し、生徒会室を後にした。
◆◆◆
夕方。
校舎が茜色に染まった中、亨は生徒会室前にやって来た。白銀の誕生会の成否が気になっていた。
生徒会の扉の前には二つの人影。
顔を真っ赤にしてへたり込むかぐやと、その頭を優しく撫でる早坂がいた。
亨と目が合った早坂が、力強く親指を立てた。
どうやらサプライズは上手くいったらしい。
早坂にもたれかかりながら、覚束ない足取りでかぐやが歩み寄ってくる。
「上手くいったみたいだね」
「ええ。本当によく頑張りましたよ」
早坂は愛しい妹を見るような目でかぐやを見ている。
「会長、喜んでくれるでしょうか……」
自信なさげに呟くかぐや。
「当然。今頃きっと転げ回って喜んでるよ!」
「そ、そうよね。……そうだったらいいのですけど」
満足そうにかぐやが微笑む。
他ならぬかぐやからの誕生日プレゼントだ。白銀が喜ばないはずがない。
「あとは残ったケーキを回収して処理するだけです。光くん、手伝ってくださいね」
早坂の言葉に「もちろん」と亨は頷き、はたと気付く。
残ったケーキを回収して
「ねぇ、四宮さん。ケーキってどのくらい残ってるの?」
「ええと、会長に食べていただいたのは、一切れで……」
一切れ。あの巨大なケーキのうち一切れ。その残りを処理するとは、どのように……?
湧き上がる嫌な予感は、おそらく杞憂ではないだろう。
「四宮さん、サプライズが成功して本当によかった。それじゃ、俺はこれで」
回れ右した亨の腕が、後方に引っ張られる。
早坂の手が、がっちりと亨の手首を掴んでいる。好きな人に触れられるのは嬉しいのだが、今この状況においてはそうも言っていられない。
「どうしたのかな、早坂さん」
「光くん、夕食まだですよね。お腹空いてません?」
「いや今はあまり食欲がなくて」
「ダメですよ。食べ盛りなんですから」
早坂の瞳が告げている。
——逃さねえぞ、この野郎。
と。