若手カメラマンは覗き見たい。   作:水棲リクガメ

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2nd shoot Vol.2 そして光亨は巻き込まれる 〜夜〜

 秀知院学園は全国の優れた頭脳、家柄、才能をもつエリートたちが通う学園だ。

 日本の要人が集うこの学園は、セキュリティも世間一般のそれとは比べものにならない。夜中にちょっとした好奇心で忍び込もうなどと、並大抵の人間が考えてはいけないのである。

 

 そして、早坂愛は並大抵の人間ではない。四宮家に仕える一族として生を受けた彼女は、かぐやの身の回りの世話を一身に引き受ける近侍である。

 主人のかぐやから下される命令を確実に遂行するために、彼女はあらゆる訓練を受けているのだ。

 

 真夜中、あらゆるセキュリティを突破し学園に侵入した早坂は、生徒会室の扉の前に立つ。

 昼間の制服を着崩したギャルでもなければ、折目正しい使用人の姿でもない。スパイ映画さながらに全身をぴったりと覆う真っ黒い服と、顔に装着するはつい最近購入した暗視ゴーグル。

 

 早坂の胸中を満たすのは、かぐやへの忠誠心とこれから遂行するミッションに向け高まる緊張——。

 

 ——ではなく。

 

 なぜ自分がこんなことをしているのかという疑問と徒労感だった。

 

 ◆◆◆

 

 今日は後援会向けの冊子に掲載する写真撮影があるとかで、休日にも関わらずかぐやは早坂を伴って登校。白銀に告白させるため、あれこれと策を弄していたのもいつも通りだ。

 

 そして生徒会室にこもることしばらく。夕方近くなって迎えの車に乗り込んだかぐやは、いつになくご機嫌だった。

 

「撮影の方はいかがでしたか?」

 

 早坂の問いに、窓の外を眺めたままかぐやは答える。

 

「悪くなかったわ」

 

 かなり良かったらしい。

 早坂はよかったですね、とだけ返して口を閉じる。そうしていれば、この主人は勝手にあれこれと喋り始めるのを知っているから。

 

 それから帰りの道中、かぐやは今日の撮影がいかに充実していたか、光亨の撮影技術がどれほど優れているか、写真に写った白銀がいかにカッコよかったか——もとい、いかに秀知院学園生徒会長として相応しく、生徒の模範となる佇まいだったかについて語った。

 

「ちょっと、聞いてるの?」

「聞いてますよ。会長がカッコよかったんですよね」

「違うわよ! 学外の人間が見る冊子なのよ。掲載されている写真の印象はとても大事で——」

 

 隣であれこれ理屈を並べ立てる主人に対して早坂は。

 

 ——めんどくさー。とっとと告ればいいのに。

 

 どうせ両想いなのは確定なのだ。素直に気持ちを口にすれば全てが丸く収まるのは目に見えている。ところがどっこい、生来のプライドの高さが二の足を踏ませて早幾月。

 

 早いところくっついてもらえると、早坂の気苦労もいくらか減って助かるのだが。

 

 そんな早坂の内心を知ってか知らずか、かぐやはべらべらと喋り続けている。

 

「——と、いうわけで今夜よ。学園に忍び込んでデータを回収してきて」

「はい、かしこまりまし…………は?」

 

 かぐやの言葉を右から左へ聞き流していたせいで反応が遅れた。なんだかとんでもないことを指示された気がする。

 

「申し訳ありません、かぐや様。いま、何と……?」

 

 かぐやが顔を顰める。

 

「聞いてなかったの? はぁ、まったく……。もう一度しか言わないわよ? 光亨が撮った会長の写真データが、生徒会のパソコンに入っているわ。今夜、忍び込んで回収してきて」

「…………」

 

 ——嫌だな。

 

 心の底からそう思った。

 

 ◆◆◆

 

 内心はどうあれ、主人の命令を真っ向から跳ね除けられる従者はいない。

 こればかりは早坂も例外ではなかった。

 

 生徒会室の扉に手を掛け、早坂はため息をついた。かぐやの無茶振りに付き合わされるのは毎度のことだし、夜の学園に忍び込むのだって一度や二度ではない。

 やるべきことは手短に済ませてさっさと撤収。あんまり遅くなると主人の小言に出迎えられる羽目になる。

 

 扉を音もなく押し開け、早坂はするりと生徒会室へ滑り込んだ。

 

 真夜中の生徒会室は言うまでもなく真っ暗で、当然人なんていない。音を立てずに素早く生徒会長の席に向かうと、机に置きっぱなしになっている生徒会室用のパソコンの電源ボタンを押す。

 

 装着していた暗視ゴーグルを外し、起動中のパソコン画面を凝視する。

 ログイン時のパスワード入力を求める画面が表示されるも、そんなものはとうの昔に把握済み。澱みない手つきでパスワードを入力。やすやすとロックの解除に成功した。

 

「さてと……」

 

 持ち込んでいたUSBメモリをコネクターに挿しこみ準備完了。

 

 これがスパイ映画の類であれば、観客もドキドキワクワクのワンシーンになること請け合いだが、残念ながらこれはスパイ映画ではないので、早坂はドキドキもワクワクもしなかった。

 

 目的の写真を求めて、早坂はパソコン内のフォルダを片っ端から開いていく。

 

 生徒会所有のパソコンだけあって、データの量は膨大。中には予算案や生徒の個人情報など外部に見られたらまずいものも多い。

 もう少しパソコンのセキュリティを強化した方がいいかもしれないと思いながら、早坂は手早くフォルダを漁り続ける。

 

「……あった」

 

 作成日は今日、大量の写真が保存されたフォルダに行き当たる。

 開いてみれば、中身は全て白銀の写真。

 

「なるほど。たしかにこれは」

 

 確認がてら数枚の写真を見て、これはかぐやが欲しがるのも無理はないと、早坂はひとり納得する。

 

 光の角度か構図によるものか、普段の白銀の目つきの悪さがなかなか魅力的に映る。醸し出される怜悧で知的な印象は、進学塾の広告なんかにも使えそうだ。

 白銀に恋愛感情を抱いていない早坂ですら、この写真の白銀はカッコいいと思う。かぐやが浮き足立つのも無理はない。

 

 ——とはいえ、こんな真似はもう二度とごめんですが。

 

 たかだか写真を手に入れるくらいで不要なリスクを背負わせないでほしい。

 

 第一、こんなことしなくたって直接頼めばいいのだ。「いい写真ですね、私にも一枚くださいな」と言えば白銀だってNOとは言わないだろう。

 いや、それができればそもそも恋愛頭脳戦なんて起きないか。

 

 早坂は頰を真っ赤に染めてあれやこれや屁理屈を並べる主人を思った。

 

 何はともあれ、目的のデータは見つかった。あとはこれをUSBメモリにコピーしてずらかるのみ。

 

 早坂の手がマウスを操作し写真データのコピーを作成。USBに保存したまさにその瞬間。

 

 ゆっくりと、生徒会室の扉が開いた。

 

 ◆◆◆

 

 今日はいい写真がたくさん撮れたと、亨は上機嫌で帰宅した。

 

 亨の家庭は父と母の三人家族。父の蓮治は著名な写真家な上に当人の気質もあって世界中を飛び回っており、家にいる期間は短い。

 それ故に普段は実質的に亨と母の二人暮らしだ。

 小さい頃からそれが当たり前だったので、亨は特に不満はなかった。生活に不自由は一切していないし、父も出先から小まめに連絡をくれる。何よりも様々なところから父の評判が耳に入ってくることが誇らしくて仕方なかった。

 

 そんなわけで、今日もいつも通り母親と二人で食卓を囲んでいたのだが、その最中、亨は大変なことに気がついた。

 

 生徒会室に忘れ物をしたのだ。

 

 忘れてきたのはSDカード一つ。撮影中に交換して、生徒会室のテーブルに仮置きしていたのがすっかり頭から抜け落ちていたのだ。

 

 母親には明日取りに行けばと言われたが、あのカードの方にも大事な写真が何枚も入っている。無くなってしまったらそれこそ大事だ。

 

 もうとっくに日も暮れてしまっていたが、いても立ってもいられず亨は家を飛び出して秀知院学園にやって来たのだった。

 

 秀知院学園の夜間セキュリティは並の学校とは比較にならないほど優れており、並大抵の学生が遊び半分で侵入できないことは有名な話だが、亨は並大抵の学生ではない。

 

 これまでの人生の多くを写真に費やして来た男である。当然、一般人が入ることを歓迎されないような場所に侵入したことは一度や二度ではない。

 いい写真を撮るためなら、ちょっとした不法侵入など二の次。これが光亨の倫理観である。

 

 夜の秀知院学園にだって、写真撮影目的で何度も侵入しているのだ。今更恐れることはない。

 警備の目を掻い潜り、難なく生徒会室に到着。

 

 そっと扉を開けて中に入ると、なんと先客がいた。

 

 ◆◆◆

 

 自分以外が入ってくるはずのない生徒会室で、まさかの鉢合わせ。

 

 ほとんど真っ暗の中で、早坂は辛うじて認識できたその男に見覚えがあることに気がついた。

 光亨——たったいま早坂が盗み取った写真を撮影した男。

 

 なぜ亨が生徒会室に、などと考えている暇はない。

 

 早坂と亨は別のクラスで面識はないが、向こうがこちらを覚えていた場合、早坂愛の正体がバレる可能性大。それだけは何としても避けなければ!

 

 今この瞬間、室内の明かりは早坂の目の前にあるパソコンのディスプレイのみ。

 顔を認識される可能性を少しでも下げるため、早坂は最速でパソコンの電源を落とし、暗視ゴーグルを装着。ついでにUSBメモリを引っこ抜く。

 

 再び生徒会室は真っ暗闇に覆われた。

 暗視ゴーグルのおかげで、早坂の視界は良好。光亨(ターゲット)は正確に捕捉可能だ。

 

 ネコ科の肉食獣が獲物を狩るように、早坂は扉の前で呆然としている亨へ肉薄する。

 太もものホルスターに備えていたスタンガンを引き抜き、スイッチを押すとバチバチと火花が散った。

 

「うわっ、ちょ、なになになになに!?」

 

 早坂の右手で火花を散らすスタンガンが、亨の喉元目掛けて振るわれる。

 しかし亨は意外にも機敏な反応で転がるように真横へ避けた。

 

 早坂は知らなかったが、亨は幼い頃から父親に連れられてジャングルの奥地や紛争地域に赴いたことがあった。高校二年生にしてそれなりの修羅場を経験済みなのである。

 

 初撃をかわされたものの、早坂は追撃の手を緩めない。

 

 床に尻餅をついた亨は、苦し紛れの抵抗とばかりに何かを投げつけて来た。そんなもので怯むほど早坂は甘くない。鋭い手刀で飛んできた何かを叩き落とす。足元でガラスが砕けるような音がした。

 

 続けてスタンガンがバチバチと火花を散らした次の瞬間、ボンッという爆発音とともに、早坂の視界は真っ暗になった。

 

 暗視ゴーグルには、強すぎる光にさらされると装着者の目を守るため、自動的に機能を停止するものがある。早坂のものがまさにそれだった。

 

 その強すぎる光の正体は、亨が投げたものに由来する。早坂に襲われた亨は、ポケットのガラス瓶を投げつけた。その中身は閃光粉(せんこうふん)。マグネシウムを主成分にしたその粉末は、燃やすと激しい光を放ち、大昔はカメラのフラッシュに使われていた。

 早坂が瓶を叩き割ったおかげで閃光粉が舞い上がり、スタンガンの火花で引火したというわけだ。

 知り合いの古い写真屋から譲り受けたものだったが、亨自身こんな形で役に立つとは思わなかった。

 

 唐突に視界を奪われた早坂は、暗視ゴーグルをむしり取る。

 その直後、パチンと音がして部屋が明るくなった。亨が照明を点けたのだ。暗闇から光の下へ引きずり出され、早坂は反射的に目を細める。

 

「あれ、君は隣のクラスの……」

 

 困惑する亨の声。

 

 ——まずい、バレた。

 

 早坂の額に冷や汗がにじむ。

 

 必死に思考をフル回転させ、次に己が取るべき行動を見定める。

 一つ、このまま脱兎の如く逃げる。

 二つ、光亨を亡き者にして口封じ。

 三つ、事情を話して交渉を試みる。

 

 一つ目は一番シンプルだが、亨が今の出来事を誰かに喋った瞬間一発アウト。

 二つ目は一番確実だろう。四宮家の力があれば殺人一つくらい無かったことにできるかもしれない。だが、かぐやにまでリスクを背負わせる上に、早坂は人を殺したことがないので、上手くいくか分からなかった。

 三つ目は最も不確定要素が多い。主人の弱みを晒すことになる上、亨の性格によっては事態がより面倒なことになり得る。

 

 しばし迷った末に、早坂は。

 

「隣のクラスの早坂愛です」

 

 とりあえず名乗った。

 

「あ、そうそう、早坂さんだ。選択科目で一緒だったよね——って違う!」

 

 亨、迫真のノリツッコミ。

 これは話が通じるかもしれないと、早坂は一縷の希望を見出す。

 

「俺が聞きたいのは、どうしてこんな所でスタンガン振り回してんのかって話!」

 

 どうしてと問われれば、それはもちろん——

 

「——どうして、なんでしょうね……」

 

 早坂は力なく肩を落とす。

 胸の奥が虚しさで満たされていく。どうして自分はこんなアホみたいなことをやっているんだろう?

 

 うつむき意気消沈する早坂に、亨は心配そうに声をかける。

 

「な、泣いてるの……?」

「泣いてはいませんが、泣きたいかと訊かれれば答えはYESです」

「そっか……気をしっかりね……」

 

 落ち込む少女を励ます少年。聞こえだけは立派なラブコメなのだが、状況が異様過ぎてトキメキもへったくれもない。

 

 亨は手近な長椅子に早坂を座らせ、自身もその横に腰掛けた。

 今のところ早坂に害意は無さそうなので、取り敢えず話を聞いてみることにした。

 

「それで、早坂さんはこんな所で何をしてたの?」

 

 アクションスパイ系の映画から飛び出して来たような格好。スタンガンも持っていたし、身のこなしも一般女子高校生のそれではなかった。

 そもそも亨が知っている早坂は、もっとこう、きゃぴきゃぴしていた記憶がある。いわゆるギャルと呼ばれるタイプの人間。

 見覚えのある早坂愛と、今目の前の早坂愛のイメージが上手いことつながらなかった。

 

 何も答えぬ早坂に、さらに質問を重ねる。

 

「なんかパソコンいじってたよね。何してたの?」

「……写真を、入手しようと」

「写真……俺が撮ったやつ?」

 

 早坂が小さく首を縦に振る。

 

 なぜそんなことを。そもそもどうして写真がパソコンにあることを知っていたのか。あの場にいたのは亨と白銀、そしてかぐやの三人だけだったはず。

 

 しばし考え、亨は一つの結論を得た。

 

「早坂さんは白銀くんのストーカーってこと?」

「はぁ!?」

 

 亨、とんちんかんな結論を導き出す。

 

 早坂は思わず声を荒げた。

 

「違う! そもそもこれは、かぐや様が——」

「かぐや様? 四宮さんのこと?」

「あっ」

 

 動揺した早坂、口を滑らす。

 

「…………今のナシで」

「無理があるなぁ」

 

 ◆◆◆

 

 ことの経緯を早坂はぽつりぽつりと語ってくれた。

 

 四宮かぐやと早坂愛は主従の関係であること。

 それを隠すため、早坂は学校ではギャルとして振る舞っていること。

 「相手から告白してくるなら交際してやらんこともない」という考えのもと、白銀に告白させるためかぐやが策を弄していること。

 今回、亨が撮影した写真の出来映えがあまりにもよかったので、どうしても手に入れたくなったかぐやの命令のもと、早坂がここにいること。

 

 とりあえず、亨が指摘したのは。

 

「言ってくれれば写真なんかいくらでもあげるのに」

 

 あまりにも正論だった。事情を話してくれればこっそり譲ることもできるし、口止めされれば口外だってしない。そのくらいの分別は亨だって持ち合わせている。

 

「そんなこと頼んだら、まるでかぐや様が会長のこと好きみたいな風に見えるじゃないですか」

「だって好きなんでしょ? 早坂さんの話からして」

「あれは、ほぼ確実に両想いでしょうね」

「じゃあ告ればいいじゃん」

 

 これ以上ないほどの正論にぶん殴られ、早坂は頭を抱えた。

 

「それができれば私はこんな苦労をしていません……!」

 

 心の奥底から響く、魂の叫び。

 

「もしかして四宮さんって結構アホ……?」

「やめてください。あんなんでも大切な主人なんですから」

「自分で『あんなん』って言ってるじゃん……」

 

 ひと通り呆れたところで、亨はとある可能性に思い当たった。

 

「もしかして、俺の立場って相当まずいんじゃない?」

 

 かぐやと白銀を中心に渦巻く恋愛模様、それに加えて早坂の正体。ただの写真好きな男子高校生が手にしていい情報なのだろうか。

 

 早坂はにこりと微笑んだ。普段なら亨は迷わずカメラに収めようとしただろう。

 しかし、この状況からしてその微笑みは一切のポジティブな印象を与えてこない。ラッパを構えた天使が浮かべる微笑み。例えるならそんな感じだった。

 

「映画なら、『お前は知り過ぎた』と銃で撃ち抜かれるところでしょうね」

 

 亨の背筋がぞくりとした。早坂の目が笑っていない。マジのやつだ。

 

「冗談じゃないよ! 悪いけど俺は帰るから。今日、俺たちは会ってないし、明日からもこれまでと変わらない、お互いの名前も知らない同学年の生徒。じゃ、そういうことで!」

 

 何事にも越えてはいけないラインというものはある。今がそれだ。引き返すならここ。何も知らないフリをして回れ右。

 

 慌てて立ち上がろうとした亨の喉元に、冷たく硬い感触。早坂の右手に握られたスタンガンだ。

 

 早坂の左手にはスマホ。見せつけてくる画面はちょうど着信中の表示。相手の名前は四宮かぐや。亨の頬を冷や汗が伝う。

 

「今回の私の任務は失敗です。もしこのことが知れたら私の首も危うい。なので、光くん。私はあなたに賭けます」

「言ってる意味が分からない! もうこれ以上関わるのは——」

 

 早坂はスマホを持った左手の人差し指をそっと唇に当てた。「喋るな」のジェスチャー。

 

 そして、画面をタップしてスピーカーモードにすると、電話に出た。

 早坂が何か言う前に、電話口から鋭い声が響く。

 

「遅い! 何をやってるの?」

「申し訳ありません、かぐや様。少々手こずりまして」

「写真は手に入れたんでしょうね」

「ええ。しっかりと」

「ならいいわ。早く戻って来なさい。夜に女性が一人で出歩くなんて危ないのよ」

 

 亨は早坂の口元がもごもごと動いたように見えた。「どの口が」とか「誰のせいで」とか言っているのかもしれない。

 

「それとかぐや様、お耳に入れておきたいことが」

「何よ?」

 

 早坂が亨に目配せする。なんだかとっても嫌な予感。

 

「新しい協力者です。どこで知ったのか、かぐや様が会長を告らせるために腐心なさっているということで、是非協力したいと言っています」

 

 顔色一つ変えずにいけしゃあしゃあと宣う早坂。

 これには亨もたまらない。

 

「そんなこと一言も——」

 

 首元のスタンガンに力がこもり、ぐりぐりと押し付けられる。

 

 ——早坂さん、やり方が汚い!!

 

 部外者の亨に早坂が内情をべらべらと喋ったのは、事情を把握させて協力者に仕立て上げるためだったのだ。

 今更気付いたがもう遅い。亨はかぐやと白銀の恋愛頭脳戦に巻き込まれることが決定付けられたのだ。

 

 電話先のかぐやはこちらの状況など知りもせず、早坂とのんきに会話を続ける。

 

「待ちなさい。それじゃあまるで、私が会長に告白されたがってるみたいじゃない。会長から告白され交際をせがまれれば、応じるのもやぶさかではない、それだけの話です」

 

 ——うわめんどくさ。

 

 早坂から先ほど話は聞かされていたが、ここまでこじらせているとは。

 

 亨の心の声が漏れていたのか、早坂は、どうだ見たか、とばかりにドヤ顔を浮かべている。

 

「失礼しました、かぐや様。つまり、ですね、あー……会長からかぐや様に対する好意は見え見えなのに、告白をしないとは何ともじれったい男だ、是非とも会長の背中を押す手伝いをやらせてくれと、えー、そういうわけですね、ハイ」

 

 よくもまあ、ないことないことすらすらと喋れるものだと、亨はある意味感心してしまった。

 

「そ、それは、殊勝な心がけね。人を見る目は確かなようです。だけどその者は信用に値するの? ただの無能は邪魔になるだけよ」

 

 恋は盲目とはよく言ったものである。かの有名な四宮家に生まれ、秀知院学園きっての才女こと四宮かぐやが、大真面目なトーンでポンコツなことを言い出すとは。

 

 亨は正直ちょっと面白くなってきていた。

 

 早坂は唇の端を持ち上げ、堂々と言い放つ。

 

「戦力としては期待できます。件の光亨くんですよ」

 

 電話口から、かぐやが息を呑む音が聞こえてきた。

 

 早坂がスマホを亨の方へ差し出してくる。

 口パクで「余計なことは喋るな」と伝えてきたので、こくりと頷き電話口に向かって声をかける。

 

「こんばんは、四宮さん。昼間はどうも」

「ええ、光くん。私に協力をしてくれるというのは、本当?」

 

 一つ間違えれば一巻の終わり。亨は慎重に言葉を紡ぐ。

 

「もちろん。前々から白銀くんが四宮さんに好意を向けていることには気付いていたんだ。中々進展しないのもなんだかなぁと思っていたんだよ」

「そうなの」

「そりゃそうさ、白銀くんは少し意地っ張りなところがあるもんね」

 

 気を良くしたらしいかぐやは、昼間よりも饒舌に話し始める。

 

「そうなのよ! 向こうから告白してくるのなら、こちらとしても四宮に相応しい男として教育する準備をしてあげてもいいというのに、会長はいつまでも強情で——」

 

 立板に水とはまさにこのこと。マヌケは見つかった、と言い換えてもいいかもしれない。

 

 この調子なら、この状況を切り抜けられそうだ。亨と早坂は安堵の息を吐き、胸を撫で下ろす。

 

「でもね、光くん」

「何かな?」

「私はあなたをまだ完全に信用できないのよね。早坂の話も随分と急なものだったし」

 

 急に声のトーンが落ち着くかぐや。亨の胸中を嫌な予感が駆け巡る。

 

「私が一番危惧しているのはね、早坂が写真データの回収をミスって、こちらの事情が全てあなたにバレてしまっている可能性なのよ」

 

 かぐやの頭のキレ具合は半端ではない。当たり前の話だ、並の頭脳で秀知院学園生徒会副会長が務まるはずはないのだから。

 

 この短時間のやり取りでかぐやが思い至った推測は、ほとんど正解。

 

 亨の心臓がうるさいくらい早鐘を打つ。見れば早坂の顔も青ざめていた。

 

 綱渡りの綱がいつの間にか蜘蛛の糸になっていたらしい。

 ここからかぐやを納得させるお話を組み上げることはできるだろうか。追い詰められたネズミの如く、亨は活路を探す。

 

 助け舟を出したのは早坂だった。

 

「かぐや様、実はですね。以前から光くんとは交流があったんです。常日頃から彼は言っていました。かぐや様と会長の仲を取り持ちたいと」

 

 早坂、嘘に嘘を塗り重ねる。

 そもそも、亨は早坂の名前ですらつい先ほど知ったばかりである。

 

 嘘を突き通すのは茨の道だ。情報がどんどん複雑になり、ボロも出やすくなる。が、今の亨にはこの嘘にしがみつく他に道はない!

 

「実は今日、生徒会室に忘れ物をしちゃってね。こっそり取りに来たところを早坂さんに見つかっちゃって。ボコボコにされたよ。痛いし()()()で散々だった」

 

 次の瞬間、早坂の肘鉄が亨の脇腹に突き刺さった。

 

 通話に声が乗らないよう、亨の耳元に口を寄せた早坂が、怨嗟をにじませ囁く。

 

「女性に向かって重いとはなんですか」

「しょうがないでしょ、説得力出さなきゃいけないんだから」

 

 電話口から怪訝そうなかぐやの声。

 

「で、ボコボコにされてどうなったの?」

 

 早坂が答える。

 

「気絶した彼をみて、私は『使える』と思いました。()()()()()彼の人柄はよく分かっています。写真以外なんの取り柄もないけど、写真のことなら信用できる、と」

 

 今度は亨が早坂の肩を小突いた。

 囁き声で苦言を呈す。

 

「随分と人聞き悪いこと言うじゃないか」

「あなたを『使える』と思わせるためです」

 

 少し間を置いて、かぐやの声が聞こえてくる。

 

「なんだか違和感はあるけど、まあ早坂の判断ならそう悪いこともないでしょうね」

「全てはかぐや様のために、です」

 

 今回ばかりはどちらかと言えば自己保身だろうに、とは思ったがそれは亨も同じこと。

 

 亨はさらにたたみかける。

 

「四宮さん、もし良かったらなんだけど、今日撮った写真だけじゃなくて、これから白銀くんの写真を撮るたびに四宮さんに譲ろうか」

 

 亨は即物的なメリットを提示して、思い切り踏み込んだ。

 

「普段はこういうことしないんだけど、四宮さんのことは尊敬してるし、何より会長の日々の健康や身だしなみは、副会長としても気になるところでしょ?」

 

 亨は勢いに任せて心にもないことをべらべら喋る。

 全てはこの窮地を脱するため。知り過ぎてしまった己を守るには、メリットを提示して味方と判断してもらうしかないのだ。

 

 しばしの沈黙。

 電話口の向こうで、かぐやは何を考えているのだろう。

 

「…………そう、分かりました。これから仲良くしましょうね、光くん」

 

 亨は拳を振り上げた。

 助かった。嵐は去ったのだ。

 

「では、かぐや様。すぐに戻ります」

「ええ、待ってるわ」

 

 通話終了。

 亨と早坂は、へなへなと椅子にもたれかかった。

 

「助かったんだよね……?」

「ええ、これで光くんの当面の命は保障されました。私の来月分の給料も……」

 

 忘れ物を取りに来ただけなのに、とんでもない冒険だった。

 

「とりあえず、これからよろしく。早坂さん」

「活躍を期待しますよ、光くん」

 

 光亨、恋愛頭脳戦参戦決定。

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