若手カメラマンは覗き見たい。   作:水棲リクガメ

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5th shoot 光亨と語りたい

 翌日。

 亨がかぐやを呼び出し何か話したらしい(告白したんじゃね?)、という噂は、亨の心配に反してそれほど広まってはいなかった。

 かぐやといえば秀知院学園全体の注目の的。それを呼び出したのだからある程度のことは覚悟していたが、拍子抜けだった。

 

 実際のところは、噂が大きくなり過ぎないように、かぐやの命を受けた早坂があちこちで火消しや世論誘導を行ったからなのだが、亨は一切知らない。

 

 もちろん一部の耳聡い噂好きたちは、亨を捕まえてコトの真偽を確かめようとしてくるが、そんな人はごく少数だった。

 

「じゃあ、光くんはかぐや様に告白したわけではない……?」

「うん。前に生徒会で撮った写真で急ぎの確認があっただけ」

「そっか……夕陽をバックにかぐや様を巡って会長と殴り合ったわけじゃないのね……」

「俺のことなんだと思ってるの?」

 

 放課後の教室で、クラスメイトの女子からの追及をあしらいつつ、亨は机の上に並べた写真を眺める。

 もちろん白銀の写真ではない。近くに開催される亨の個展で展示される写真たちだ。父の蓮治ほどではないにせよ、亨の実力もそれなりに知られており、名のある写真家も来るだろう。

 それなりのプレッシャーはやはり感じる。

 

 もともと亨は、自分の写真で個展をするのには気が進まないタチだ。しかし父と仲の良い出版社の社長が、いつも猛プッシュしてくるので、仕方がなく受けているだけ。

 あの社長も亨のことを小さい頃から知っているので、毎回どうにも断りきれないのだ。

 

 しかし、今回の個展に向けた亨の心境は少し違う。個展に白銀が来てくれることになっているからだ。

 亨の写真のファンになってくれた白銀は、個展の話をすると是非行きたいと言ってくれた。身内を招待するための優待チケットを渡すと、目を輝かせて喜んでくれたのだ。

 

 個展に友人が来るなんて初めてのこと。自ずと亨のモチベーションも高くなる。

 

「おー、いい写真ですねー」

 

 亨の手元に影が落ちる。顔を上げると、クラスメイトの藤原千花と目が合った。なぜか黒いリボンがついたキャスケット帽を被っていたが、彼女の突飛な言動は割といつものことなので気にしない。

 

「これ全部光くんが撮ったんですか?」

「まあね。次の個展で展示されることになってるんだ」

「さすが、秀知院きってのカメラマン」

 

 すごーい、と目を輝かす藤原。

 亨と藤原はそれなりに仲がいい。クラスメイトということもあるが、藤原の父が、亨の父蓮治のファンであることも大きかった。

 

「個展って言っても小さいよ。駅前の会館の小展示室だから」

「いやいや、開けるだけですごいですよ! 将来的にはお父さんを超えるスーパー写真家って感じですか?」

「いやぁ、さすがにそれは厳しいんじゃないかな」

 

 あの父親には色んな意味で敵う気がしない。

 

「またまたぁ、謙遜しちゃって。夢はでっかく! ですよ」

 

 両腕を広げて「でっかく!」のジェスチャーをする藤原。

 

「藤原さんは将来何になりたいの?」

「総理大臣です」

「でっかいなぁ」

 

 亨と藤原の様子は、まさしく仲のいいクラスメイトが談笑しているといったところ。

 天真爛漫な藤原と、それに柔らかな物腰で応じる亨は、はたから見て微笑ましさすら感じられる。

 

 しかし、亨の胸中では嫌な予感が膨れ上がりつつあった。

 いつにも増して上機嫌な藤原。そしてなぜか被っているキャスケット帽。こういう時の藤原は、大抵突拍子もないことを言い出して周囲を混乱の渦に陥れる。

 嵐の前に風向きが変わるように、火山噴火の直前に動物が逃げ出すように、そんな予感を、亨は無意識のうちに感じ取っていた。

 

「俺はもう行くよ。じゃあね、藤原さん」

 

 避けようのない災禍からは距離を取るのが一番。間違ってもそれに抗おうとしてはいけない。勇気と無謀は違うのだ。

 

 立ち上がろうと亨は机に両手をついた。そしてその手を、藤原はむんずと掴んだ。

 

「どうしたの?」

「光くんに聞きたいことがあるんです」

 

 藤原の太陽のように明るい満面の笑み。それに反して、亨の右手を掴んだ藤原の両手は、獲物を捕らえた猟犬の前足のようだった。

 

「悪いんだけど、急いでてさ。明日に——」

「かぐやさんに告白したんですよね」

 

 藤原の曇りなき目は、それはもうキラッキラ。

 

 ——よりによって一番めんどくさそうなのに絡まれた!

 

 「告白したんですか?」ではなく「告白したんですよね」という断定形で来るあたりが面倒くささに拍車をかけている。

 

「藤原さん、誤解だよ。この前、学内で撮った写真について確認を取ってただけだから」

 

 今日も何回か口にした言い訳(嘘ではない)。並大抵の人間はこれで引き下がるが、藤原千花は並大抵の人間ではない。

 亨の言葉を笑い飛ばすと、勝ち誇った顔で宣言する。

 

「そんなちゃちな言い訳に、このラブ探偵チカの目は誤魔化せませんよ!」

 

 ——なんだ、ラブ探偵って。

 

 意味不明ではあるが、藤原がキャスケット帽を被っている理由は分かった。推理は的外れもいいところである。

 

「そんなこと言われたってしてないものはしてないよ」

「むぅ、強情ですね……。シラを切ろうったってそうは行きませんよ! 私以外にもみんな、光くんがかぐやさんに告白したと確信しているんです!」

 

 藤原の堂々たる佇まい。亨は、もしかしたら自分は、自分の知らないところでかぐやに告白していたのではないだろうかとすら思えてきた。

 

「みんなって誰さ?」

「マスメディア部の二人とかです!」

 

 確かかぐや狂いの二人組だ。アレらが推理の根拠となっていることに亨は一抹の苛立ちを覚える。

 というか、亨がかぐやに告白したなんて話を聞いたら、あの二人は血反吐を吐きながらブチギレているだろうに。

 

「他には?」

「え」

()()()()確信してるってことは、他にもいるんでしょ? 教えてくれたらその全員の前でちゃんと説明するよ」

「…………」

 

 黙り込んだ藤原は、視線を上下左右に彷徨わせる。

 

「そんだけ!? 今時の小学生でももうちょっと賢いゴネ方するよ!?」

 

 正論でぶん殴られた藤原は、ぎりぎりと歯軋りした。恨めしそうに亨を睨みつける。

 

「光くん、隠さなくたっていいじゃないですか。分かりますよ、恋心を人に打ち明けるのは恥ずかしいものです。でもこのままでは何も解決しません。勇気を出して打ち明けて! ラブ探偵チカがズバッと解決です!」

 

 亨の強情さに嫌気が差した藤原は、亨がかぐやに恋している前提で話を進め始めた。ごり押しである。

 亨は己の顔が引き攣るのを自覚した。

 

「あのね、藤原さん。あんまりしつこくされると、さすがの俺も怒るよ」

「うぐぅ……」

「生徒会の仕事はいいの? 白銀くんとか困ってるんじゃない?」

「それは大丈夫です。今日は書記の仕事ないので」

 

 なんと間の悪い。

 

 押し問答が煮詰まってきたところで、藤原が何か思いついたような顔をして口を開いた。

 

「じゃ、じゃあ。光くん。今から私が言う言葉に『はい』って、一言返事をしてください! それだけ! それだけでいいので!」

「何を言って——」

「(仏語)光くんは、かぐやさんに、恋をしています。そうですね?」

 

 外交官を母に持つ藤原は、五カ国語を不自由なく話せるマルチリンガルである。亨が分からないであろうフランス語で質問し、はいと言わせる。石上あたりが罵詈雑言を浴びせること請け合いの作戦。

 方法や過程などどうでもよかった。今の藤原は、亨がかぐやに恋していると言質を取ることだけが目的と化していた。

 

 そんな姑息なトラップを仕掛けられた亨は。

 

「(仏語)いいえ、俺は四宮さんに恋愛感情もなければ、告白もしていません」

「んなっ……!?」

 

 予想外の流暢な返答。しかもフランス語。思わずたじろぐ藤原に、亨は畳み掛ける。

 

「(仏語)この学園でマルチリンガルは珍しくないよ。俺の父さんは世界中で写真を撮ってるし、俺もそれについて行くことだって多いんだから」

 

 思いついた会心の策をあっさり無効化された藤原。万策尽きた彼女が、喉の奥から絞り出すように放った一言は。

 

「この卑怯者っ!」

「どの口が言うかっ!」

「じゃあなんですか! 光くんはかぐやさんとアレしたいとかコレしたいとかもないんですか!?」

「ないよ。さっきからそう言ってるでしょ」

「それじゃつまんない!!」

 

 藤原、ついに本音を漏らす。

 

 ——めんどくせぇ!!

 

 亨は心の中で叫んだ。

 

 おそらく藤原は、亨のかぐやに対する恋慕を認めるまで止まらないだろう。もういっそのこと認めてしまえば楽になるのでは、とまで思えてくるが、もしそうした場合の後が怖い。

 まず間違いなく藤原を中心に噂が広まるだろう。なんだかんだで顔が広い藤原のことだ、その範囲は同学年の一部に収まるはずがない。別の学年、下手すれば中等部にまで。

 学園内には少なくない人数のかぐやのファンがいる。一介の写真好きの男子生徒がかぐやに告白したとなれば、西部劇のWANTEDポスターよろしく亨は追いかけ回されることになるだろう。

 そして何より怖いのは、四宮かぐや当人である。

 

『光くん、先日の一件があってなお、私に迷惑をかけるのですね』

『違うよ四宮さん! これは悪気があったわけじゃ……」

『この期に及んでまだ言い訳を重ねるつもりですか?」

『そ、そんなつもりじゃ』

『早坂』

『御意』

 

 ザクリ(刺され)スパン(斬られ)バタン()

 光亨の人生は幕を下ろす。

 

 実際は、噂が立つことを承知でかぐやはトラップを組んでいたので、亨がかぐやの怒りを買うことはない。

 しかしそのことを一切知らない亨は、ただただ己の命の危機を感じるばかりだった。

 

 亨の命が脅かされている(と、亨は思い込んでいる)ことなど露知らず、藤原の追及、もとい言質取りはさらにエスカレートしていた。

 

「さぁ、光くぅん。Repeat after me! 私は……かぐやさんを……愛しています……!」

 

 ——付き合いきれない……。

 

 放課後の教室に誰も残っていないのは幸運だった。こんなところ誰かに見られたら恥ずかしくて学校に来られなくなる。

 

 ——かくなる上は……!

 

 藤原に拘束されていない左手で、窓の外を指差す。

 

「あ! 見てよラブ探偵! あんなところにUFOに乗ってディープキスしてるカップルが!」

「ふぇっ!? どこですか!?」

 

 動揺した藤原の拘束が緩む。その隙を見逃さず、亨は腕を引き抜き自由の身となると、荷物を引っ掴んで教室を飛び出した。

 

「あっ!? 光くん汚い!」

「今のに引っかかる藤原さんもどうかと思う!」

 

 教室を飛び出した亨は、昇降口を目指して疾走する。校外に出ればさすがの藤原も追ってこないだろう。

 

 階段を三段ずつ飛ばす勢いで駆け降り、昇降口のあるフロアに到着。

 

 人気のない廊下を駆け抜けて、次の十字路を曲がれば昇降口、というところで、その曲がり角から一人の女子生徒が現れた。

 

「ごめん、ちょっとどいて!」

 

 亨の声に気付いた女子生徒がこちらを振り向く。次の瞬間、キッと目尻をつり上げると、両腕を広げて亨の進行方向に立ち塞がった。

 亨は慌てて急停止。前につんのめりそうになりながらも、何とか接触を回避した。

 

「ちょっと、あぶな——」

「廊下は走らないでください!」

 

 凛とした、堂々たる声が響く。

 彼女が着けている腕章が亨の目に留まる。そこには「風紀委員」の文字が。読んで字の如く、学校内の風紀を司る委員会。当然、廊下を走っていた亨は捕まる。

 

「ごめん、いま急いでるんだ。次からは気をつけるから——」

 

 風紀委員の横をすり抜けようとするも、彼女は意外にも機敏な動きで、亨の行手を阻んでくる。

 

「そんなこと言って、また走るつもりでしょう。ダメです、廊下は走ってはいけません。曲がり角でぶつかったりしたら大怪我をするかもしれないんですよ」

 

 紛うことなき正論。この場における悪者は完全に亨の方である。

 

「あなた、二年生ですよね? 廊下は走らない、こんな当たり前のことを一年生に言われてどうするんですか」

「うっ」

 

 なんと、この女子は後輩らしい。言葉のナイフが亨の心に突き刺さる。

 

「あ、光くん、いた!」

 

 ここで亨の背後から今現在の天敵の声がこだました。

 

「げ、藤原さん」

「えっ、藤原先輩?」

 

 廊下の向こうから藤原が走ってくる。そして人差し指をこちらに向けて叫んだ。

 

「あっ、そこの子、そいつ捕まえてください!」

「は、はいっ」

 

 目の前の風紀委員の両腕が亨の方に伸びてくる。

 

「なんで応じるっ!?」

 

 咄嗟に身を翻し、すんでの所で腕から逃れる。

 藤原はもうすぐそこまで迫っていた。

 

 昇降口にダイレクトに向かったのでは追いつかれると判断した亨は、十字路を昇降口とは逆の方向へ曲がった。

 

「くっ、逃げ足の速いやつです。あなたは正門前で待機していてください。奴は必ず捕まえないといけません!」

「え? あ、は、はいっ!」

 

 藤原が指示を飛ばす声と、それに元気よく返事をする風紀委員の後輩の声が、背後から聞こえた。

 なんで関係ない人を巻き込むのか。そもそもなんで藤原の指示に従おうとするのか。言いたいことは山ほどあったが、何より重要なのは、一番の逃走経路である正門が塞がれてしまったこと。

 

 ——藤原さんは、なんでこんな時に限って頭が回るんだ!?

 

 内心で悪態をつきつつ、亨は藤原を撒くべく校内を走った。

 

 ◆◆◆

 

 写真を芸術作品として扱うなら、それによって引き起こされる情動は、鑑賞者に委ねられなければならない。スポットライトを浴びながら、大衆の前でその作品を滔々と語る必要のある写真は芸術とは言えない。芸術家は作品で語る者たちのことであって、言葉を使わなければ語れないのならそれは芸術家ではない。

 ただし、写真は絵画や音楽といった芸術とはまったく異なる性質を持つことを忘れてはならない。それは複製と固定だ。写真というものを突き詰めていけば、それはあくまで現実世界の複製であり——

 

 

 パタンと音を立てて、早坂は読んでいた本を閉じた。

 

 放課後。生徒会室そばの花壇横にあるベンチは、本日の早坂の待機ポジション。生徒会室には、かぐやと白銀、そして石上がいる。かぐやに呼び出された時にすぐ駆けつけられるようここにいるが、さっさと帰りたいというのが本音だった。

 

 亨の父、世界的写真家である光蓮治。彼の写真集はそれこそ莫大な量だ。四宮家の力を持ってしても全てを集めるには相当な時間がかかるだろう。しかし、それとは反対に蓮治の人柄や経歴を知ることのできる、自叙伝やエッセイ、評論の類は全くといっていいほど見つからない。

 

 ようやく見つかったのも、早坂がいま手にしている写真集の最後に数ページにわたって記された『光蓮治にとって写真とは』という後書きのようなものだけ。

 有名になると様々なメディアでの露出が増えてくるものだが、光蓮治は例外らしい。

 文の内容から読み取れる、芸術に対する確固たる価値観、もとい強火の思想のようなものを見るに、生粋の芸術家気質の人間なのだろうと、早坂は結論づけた。

 

 亨の父は写真家として世界中を飛び回っており、日本で家族と過ごすのは年に数回だけなのだという。

 早坂の母もまた仕事が多忙であり、滅多に会うことができない。

 

 初めて亨の父の話を聞いた時は多少の親近感を覚えたものだが、どうも亨は父親に会えないことを全く苦に思っていないらしかった。

 早坂からすれば理解できない。寂しくはないのだろうか。いや普通は寂しいはずだ。そうでなければ、まるで早坂がマザコンみたいではないか。

 

 ——光亨め……。

 

 理不尽な苛立ちをこの場にいない亨にぶつけていると、ポケットの中のスマホが震えた。

 電話は亨から。

 連絡は基本的にこちらから用事がある時だ。亨の方から連絡してくるということは、何かあったのだろうか。

 

 嫌な予感がしつつもとりあえず電話には出る。

 

「はい」

「あ、早坂さん! ごめんちょっと助けてほしくて! まだ学校?」

 

 亨の声は明らかに切羽詰まっていた。何か面倒ごとに巻き込まれているのは確からしい。

 くだらない話だったら絶対切ってやろうと心に決めて、早坂は続きを促す。

 

「学校にいます。どうしたんですか?」

「俺が四宮さんに告白したっていう誤解が一部に広まってるみたいで」

「ああ、そうですね。まあ仕方ないですよ。いずれ収まります」

 

 主人のかぐやからの命令で、その噂は二年生のごく一部に留まるように調整していた。早坂の計算では数日もあれば完全に鎮火するはず。

 

「その噂が藤原さんの耳に入った。ラブ探偵チカとか言ってたかな。それで、いま追われてるんだ!」

 

 ——F(藤原)かぁ……。

 

 早坂は目元を覆った。

 一応、藤原は友人ではあるものの、実際のところ早坂からすれば天敵同然だった。あの予測不可能性と、変なところで発揮される勘の鋭さに、いくつものミッションを失敗に追い込まれている。

 

「さっきからずっと逃げてんだけど藤原さんおかしいよ! こっちが隠れた場所すぐに見つけてくる!」

「よく分かります……」

「それによく知らん後輩まで協力させてるし!」

「めっちゃ分かります……」

 

 はっきり言って関わりたくはなかった。不用意に首を突っ込んだらどんな火傷を負うことになるか分からない。

 かと言ってここで亨を見捨てるのも得策とは思えない。暴走する藤原を放置すれば、かぐやの方にまで火の粉が飛んできかねない。

 

「生徒会室そばの花壇に来てください」

「分かった」

 

 ◆◆◆

 

 亨が早坂に言われた場所に到着したのは、それから五分と経たないうちだった。

 

「対象Fはどこから来ますか?」

 

 亨を見つけるや駆け寄ってきた早坂が鋭く問う。

 

「F…? 藤原さんなら多分俺の後ろから来ると思う」

 

 亨はたった今自分が飛び出してきた校舎の陰を指差す。

 

「彼女は私が誘導します。光くんはあっちの花壇の方に」

「助かった。恩に着るよ!」

 

 早坂に言われた通り、亨は花壇の陰へ滑り込む。

 見ると、早坂はたった今亨が来た方、すなわち藤原が来るであろう方へと歩いていき、やがて死角に入って見えなくなった。

 

「とりあえず、ひと安心……」

 

 額の汗を拭って、安堵のため息をつく。

 

 藤原の追跡力は、なぜか凄まじかった。猟犬並みと言ってもいい。

 亨の逃走経路をなぜか先回りし、隠れた場所はことごとく看破された。最終手段として男子トイレに隠れようとしたところ、その隣の女子トイレから出てきた時は、さすがの亨も悲鳴を上げた。

 ホラー映画の殺人鬼に追いかけ回されているような気分だった。

 

 この無意味な逃走劇を経て亨が確信したのは、藤原を敵に回してはいけないということ。

 

「早坂さん、無事だといいけど……」

「無事ですよ。疲れましたが」

「うわぁっ!」

 

 なぜか背後から現れた早坂に思わず飛び上がった。

 肩で息をしながら、早坂は恨みがましそうな目で亨を見る。

 

「書記ちゃんだけならまだしも、風紀委員までいるとは聞いてませんでしたけど?」

「風紀委員……あの子まだついてきてたんだ」

 

 面識のないはずの、それも先輩である亨をそこまで追い回すとは、恐ろしい執念である。

 

「藤原千花と伊井野ミコ……二人同時はさすがに骨が折れます」

「ああ、あの一年生、そんな名前なんだ」

 

 学園での早坂は、校則ギリギリのところまで制服を着崩している。あのお堅そうな風紀委員からすれば、まさに目の敵だろう。

 

「ホント助かったよ。ありがとう」

「この貸しは大きいですからね。お忘れなきよう」

「覚えとくよ」

 

 さて、と早坂は自分の荷物を抱えて歩き出す。

 

「どこいくの?」

「ここも安全とは言えません。場所を移します」

「そんなモンスターパニック映画じゃないんだから」

 

 ふと亨は早坂が小脇に抱えた書物が目に入った。

 亨の父蓮治の写真が収められた写真集だ。そしてそれは数ある写真集の中でも少し特殊なもので。

 

「『発禁処分』のやつだ」

 

 含み笑いを交えて言うと、早坂は怪訝そうな顔で振り返る。

 

「図書室で普通に借りれましたけど」

「あー、発禁処分っていうのは言葉のあやで……」

 

 話せば少し長くなるし、今日はもう学園内を徘徊して写真を撮るのも難しいだろう。早坂と雑談するのも悪くないかもしれない。

 

「場所変えて話そうか」

 

 ◆◆◆

 

 亨から自販機のジュースを一本献上された早坂は、亨を連れて生徒会室からほど近い空き教室に落ち着いた。

 

「四宮さんから連絡とか来てた?」

「いえ、今のところは。ただいつ来るかは分かりません」

「大変だね。いいの? 俺と話してても」

「まあいいですよ。暇だったし」

 

 目の前でペットボトルに口を付けていた亨は、ふと何か思い立ったようにボトルを机の上に置くと、カメラを構えてその周囲をぐるぐる回り始めた。

 

「何やってるんですか?」

「何かいい感じにならないかなって」

 

 飲みかけのペットボトルを撮っていい感じになるのだろうか。早坂にはよく分からなかった。

 亨の奇行をずっと眺めていても面白くないので、早坂は本題に入らせるべく抱えていた本を見せつける。

 

「これ、どうして発禁処分なんですか? 中も見ましたが問題はなかったと思います」

 

 掲載された写真は早坂が見ても分かるくらいにいいものばかりだった。風景や人物、動植物など被写体に統一性はなかったが、そこに写された光景は否応なしに何かしらの感情を呼び起こしてくるような気がした。

 これが発禁処分というのは勿体無い、というのが早坂の感想。

 

 中身はね、と亨は頷く。

 

「後書き、読んだ?」

「途中までは」

「どうだった? いいよ、正直に言ってもらって」

 

 『光蓮治にとって写真とは』と見出しがつけられた後書きの文章を思い出す。光蓮治という男の価値観や、現代芸術に対する批判がこれでもかと凝縮されたあの文章は、なんというか、こう——。

 

「中二病の黒歴史ノート……みたいな……」

「ぶっ、ははははははっ!!」

 

 ぽつりと呟いた早坂の言葉に、亨は腹を抱えて笑った。

 

「すみません、言葉が過ぎました」

「いや、いいんだ、くくっ、その認識が正しい。今の聞いたら父さん膝から崩れ落ちるよ……ふふっ」

 

 笑い過ぎて流れた涙を拭って、亨は続ける。

 

「その後書き、まさしく父さんの黒歴史なんだ。出版社におだてられて調子乗って書いたやつ。後になって恥ずかしくなったんだろうね、増刷の許可も出さなかったし、もう売れちゃったやつも隙を見つけては買い取ったり譲ってもらったりして自主回収してる」

「それで、『発禁処分』」

「そういうこと。母さんは今でも擦ってる。喧嘩の時の切り札としてね」

 

 ここで早坂は、光亨の素性を調べた時に、光蓮治が書いた文章がほとんど見つからなかった理由に思い当たった。

 

「俺のこと調べてる時、父さんの書いた評論とかエッセイが出てこなかったの変に思ったでしょ?」

「気付いてたんですか!?」

「毎日写真撮って駆けずり回ってる町だからね。見慣れない人がいたら嫌でも気付く。まあ、四宮さんのこと知った時にはこういうこともするだろうなって思ってたから」

 

 気にしてないよ、と亨は手をひらひらさせた。

 

「とにかく、その本がトラウマになって文章の類は一切書かないって心に誓ってるみたいなんだ。まさかそのトラウマが秀知院の図書室にまで眠ってるとは思わなかったけど」

 

 面白いから言わないでおこう、と笑っているあたり、亨もなかなかいい性格していると早坂は思った。

 

「お父さんは今どちらに?」

「んー、どうだろう。こないだ来た手紙にはアルプス辺りにいるって書いてあったけど。何とかブルグ大聖堂の写真も入ってたな」

 

 持ってくればよかったよ、と肩をすくめる亨。

 父親がどこにいるかも分からないのに、全く気にする素振りはない。

 

「心配にはならないんですか?」

「そんなには。さすがに紛争地域とかに行って音信不通になられると少しは心配になるけどね」

 

 亨の言葉は、ある種の達観が入っているようにも聞こえる。早坂からすれば考えられない価値観だ。亨と比べると自分が子供っぽく思えてくる。

 早坂は次の体育祭に母親が来れるかどうかで一喜一憂しているというのに。

 

「早坂さんも、お母さんが仕事忙しいって言ってたよね」

「まあ、そうですね」

「やっぱり会えないと寂しい?」

 

 早坂の頬にうっすら朱が入る。

 

「べ、別に寂しいわけじゃ……!」

「ごめん、ごめん。変なこと言った」

 

 椅子から音を立てて立ち上がった早坂を、どうどうと手振りで宥める亨。

 

 動揺を誤魔化すようにジュースをあおる早坂を見て、亨は言った。

 

「連絡取ってみたら?」

 

 亨の提案に、早坂は首を横に振る。

 

「忙しい人ですから。電話に出れないことも多いし、メールだっていつ確認できるか——」

「いやそうじゃなくてさ。手紙送るんだよ」

「手紙?」

 

 きょとんと首を傾げる早坂に、亨は得意げに説明する。

 

「俺の父さんも近況報告は手紙なんだ。電話もメールも使えるのにさ。でも手紙はやり取りがスローペースでしょ。メールとか電話だとすぐ返さなきゃってなるけど、手紙は個人のペースでもいいから。——まあ、父さんの受け売りだけど。それに——」

 

 言葉を切った亨は、目にも止まらぬ速さでカメラのレンズを早坂に向けると、シャッターを切る。

 亨のカメラに、ペットボトルを片手にぽかんとした早坂の顔が収められた。

 

「——写真も一緒に渡せる」

「なっ、今すぐ消して!」

 

 早坂は慌てて亨のカメラに手を伸ばすが、亨は器用にその手をかわす。

 

「次に白銀くんの写真を渡す時、今の写真もプリントして一緒にあげる。そしたら手紙に入れればいい」

「私は手紙書くなんて一言も言ってない!」

「どうしても嫌なら消すけど……」

 

 すぐに消せ、と言おうとしたが、早坂はその言葉をうまく口に出せなかった。

 

 代わりに口から出たのは。

 

「他の人に見せたら殺します」

「気をつけるよ」

 

 亨は朗らかな笑みを浮かべた。

 

 次の瞬間、空き教室の扉が音を立てて開かれた。現れたのはピンクの髪に頭頂部の黒リボン。先ほど亨と早坂を混乱に陥れた藤原が、開け放たれた扉の前で口をあんぐり開けている。

 キャスケット帽はどこへやったのか、その手には一抱えありそうな巨大サイコロと、ピカピカ光る一本の剣。

 

 教室内の時間が止まった。

 サイコロと剣が床に落ち、ゴトッと間抜けな音を立てた。

 

 藤原は左手で亨を指差した。

 

「二股男……」

 

 藤原は右手で早坂を指差した。

 

「泥棒猫……」

 

 藤原は満面の笑みを浮かべた。

 

「修羅場っ……!」

「「違うッ!!!」」

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