若手カメラマンは覗き見たい。   作:水棲リクガメ

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ようやっと、恋愛頭脳戦、開始。


6th shoot 光亨は戦える? 

 日付が変わる少し前。

 かぐやと早坂と通話を繋ぎ、亨は明日の白銀御行攻略プランの話し合いに参加させられていた。といっても、実際はかぐやが練り上げた計画を聞かされるだけだったが。

 

 亨は電話による形式で助かったと思っていた。

 というのも、再来週の土日に迫った亨の個展に展示する写真の配置を確認する必要があったからだ。

 片手間に話を聞いていたとバレたら、かぐやから何を言われるか分かったものではないが、電話越しでお互いの顔は見えないので何も問題はない。

 

「——というわけで、明日のプランは以上です。早坂は藤原さんをはじめ部外者を生徒会室に近付けないように。光くんは私が合図したら生徒会室に来る。いいですね」

 

 電話越しのかぐやの声。隣に控えているであろう早坂の声が短く「承知しました」と答えた。

 

「光くんも、いいですね?」

 

 念押しするようなかぐやの声。

 しかし亨は賛同の意は示せなかった。

 

「いやよくないでしょ」

「あら、何か問題が?」

 

 さも意外そうなかぐや。否定の言葉が飛んでくるとは思ってもいなかった様子。

 

 亨からすれば、何でこんなまどろっこしいことをするのか、そもそも自分は写真を撮ること以外に大した役には立たないとか、いろいろ言いたいことはあったのだが、まず言いたいことは。

 

「俺の負担が大きすぎるよ。この作戦」

「そうですか?」

 

 明日の放課後、恋愛頭脳戦の最前線たる生徒会室にて、かぐやが展開しようとしている作戦は。

 

 白銀がかぐやを休日のお出かけに誘うよう仕向けるための、かぐやが緻密に組み上げた作戦であるッ!

 

 数日前、亨が保健室に運ばれた日、かぐやは白銀にトラップを仕掛けていた。「亨がかぐやに告白したかもしれない」と思い込ませるためのトラップを。

 そして、その効果は確実に現れていた。あの日からというもの、白銀が妙に挙動不審なのだ。何かをかぐやに尋ねようとし、躊躇するような素振り。これは亨がかぐやに告白したことを受けて、白銀の中に焦りが生じていることに他ならない。

 己の絶対的優位を確信したかぐやは、白銀をさらに追い詰めるべく、次の一手を構築したのだ。

 

 作戦の第一フェーズは、放課後の生徒会室でかぐやと白銀が二人きりになる。その際、白銀が何かしらのアプローチを図ることは明白。おそらくは恋愛を想起させる話題の提起だ。それをのらりくらりと躱しつつ、場が煮詰まってくるのを待つ。

 

 そうなれば計画は第二フェーズ。亨を生徒会室に招集し、かぐやの()()()を届けに来させる。それを見た白銀はこう思うはずだ。「かぐやと亨は、個人的な忘れ物を届けるほど親密な関係である」と。

 これが動揺せずにいられるか? ——否! 亨とかぐやの関係を疑っている状態の白銀は、動揺せずにはいられまい!

 

 ここですかさず第三フェーズ。かぐやが来週の土曜日、高級喫茶店のプレオープンに参加しないかと、亨を誘う。休日に男女が約束をしてお出かけ。これはもうそういう仲と取られても不思議ではない!

 ただし、このかぐやの誘いを亨は断るのだ。空けられない用事があるから、と。ここでかぐや「困りましたね。プレオープン参加用チケットは二枚なので、一枚余ってしまいました」とアピール。

 

 ここまでくれば白銀は、こう言うしかない。

 

 ——四宮、俺を連れて行ってくれ!

 

 四宮かぐやの完全勝利である。

 

 当然、事前の下準備として、来週の土曜日に白銀のバイトのシフトが入っていないことは確認済み。不確定要素の藤原も、その日はボードゲームの試遊会に参加する予定だ。

 

 以前に行った、映画に誘わせる作戦とラブレターを受け取った作戦。この二つを合わせてブラッシュアップし、光亨という新たな手札を加えた上で組み上げたこの作戦に、死角は無い!

 

 ……が。

 

「どう考えても俺の負担が重すぎるでしょ!」

 

 作戦の要所では、必ず亨のアクションが引き金となっている。この作戦の流れは、亨が主軸といっても過言ではなかった。

 

「そ、そんなことはないわよ。ねぇ、早坂?」

「そうですね……かぐや様がおっしゃったプランだと、白銀会長の動揺、嫉妬、敵意、全てが光くんに向けられる可能性が高いです。最悪の場合——」

 

 ここで早坂は言葉を切り、それからくすっと笑った。

 

「光くんが会長に刺されるかもしれません」

「ほらぁ! ……ってかいま早坂さん笑ったよね? 俺が刺されるかもしれないって言う時笑ったよね?」

「笑ってません。吹き出しただけです」

「同じだよ! 俺は嫌だよ、こんなデコイみたいな役。早坂さんがやってよ」

「わたしぃ〜、学校ではギャルだしぃ〜、とおるっちの代わりは務まらないってゆぅかぁ〜」

「学校でもそこまで変な喋り方しないでしょ!」

「変とは何ですか、変とは」

 

 かぐやがため息をついた。

 

「あなたたち、いつの間にそんなに仲良くなったの?」

 

 亨は遠い目をした。電話の向こうでは早坂もきっと同じはず。

 

「私たちはピンクの悪魔を退けたんですよ」

「しばらく黒いリボンは見たくないね」

「なに? なんなの……?」

 

 困惑するかぐやをよそに、同調する亨と早坂。ほんの数日前の放課後に勃発した藤原の勘違い(修羅場)を潜り抜けた二人には、戦友のような絆が芽生えていた。

 二人の発言を理解することを諦めたかぐやは、本題に戻る。

 

「とにかく! 会長は人を刺すような異常者ではありません! 仮に刺されたとしても、伝のある病院に搬送しますから安心しなさい」

「そうならないことを祈るよ」

 

 内容はどうあれ、かぐやから言われれば亨に拒否権はなく。半ば事後承諾のような形で亨は首を縦に振った。

 

 明日の作戦についてかぐやは再度念押しをして、会議はお開き。通話が終わる。

 

 あくびを噛み殺しながら伸びをして、さてそろそろ寝ようかと椅子から立ち上がろうとしたと同時に、スマホが震えた。

 通知欄を見れば、早坂からメッセージが届いている。

 

『今日の夕方、手紙を出してきました。写真も入れました』

『いいじゃん』

『少し後悔してます』

『なんでさ』

『幼稚園の母の日みたいで』

 

 亨は吹き出す。早坂は照れているのだ。

 急に手紙を出すのは気恥ずかしいという感情も理解できる。手紙を持った早坂がポストの前を行ったり来たりしてる姿を想像して、亨は笑った。

 自室で良かった。こんなこと想像したとバレたら、きっと半殺しにされる。

 

『ありがとうございました。おやすみなさい』

『おやすみ』

 

 スマホを置いて、亨は今度こそベッドに寝転がった。

 

 明日は恋愛頭脳戦。かぐやは随分と大仰な作戦を打ち出していたが、おそらく普通に告白した方が早い。

 

 ——ま、面白そうだし。

 

 亨の心持ちとしてはそんなもんだった。

 

 ◆◆◆

 

 翌日の放課後。

 

 亨と早坂は、生徒会室の近くに待機していた。

 生徒会室の重厚な扉の向こうには、かぐやと白銀が二人きり。昨晩の作戦会議でいうところの、第一フェーズが進行中のはず。

 頃合いを見計らい、かぐやから亨にワンコールの電話がかかってくる。それが合図となっていた。

 早坂は他の人間が生徒会室に立ち入らないよう、警戒と誘導を担当している。つい今しがた、「かぐやの機嫌が死ぬほど悪い」と伝え、石上を回れ右させたところだ。

 

 ふと早坂は思い出したようにカバンに手を突っ込むと、編集者が小説の原稿を持ち運ぶのに使うような大きい封筒を、亨の手に押し付けた。

 

「何これ?」

 

 ずっしりと重い封筒の中には、真っ白なコピー用紙が束で入っているだけ。

 

「かぐや様の()()()です」

「あー、そういえばあったね、そんなの」

 

 気のない亨の返事に、早坂は眉をひそめた。

 

「昨日の話、ちゃんと聞いてましたか?」

「ある程度は」

「困ります。かぐや様のご用命は完璧にこなしていただかなければ」

「俺は近侍じゃないからなぁ。早坂さんはいつもこういうことやってるの?」

 

 早坂は面倒くさそうな、困ったような、複雑な顔をした。

 

「会長のバイトのシフトを調査したり、映画のペアチケット買ったりもしましたね。あ、今回のプレオープンチケットの抽選で戦ったのも私です」

「へ、へぇ……」

 

 転職したい、と肩を落とす早坂の姿は、くたびれたサラリーマンを彷彿とさせた。

 

「あの部屋の中で『好きです付き合ってください』って言えば済むんだけどね」

「言わないでください虚しくなります」

「ごめん」

 

 光のない目で凄まれ、亨は両手を合わせた。

 

「光くんは会長と仲良いんですよね?」

「そうだね。昼飯一緒に食べたりとか」

「かぐや様の味方をして、会長に対して罪悪感とかないんですか?」

 

 早坂の声から皮肉や揶揄の意思は感じられない。純粋に疑問に思っているらしかった。

 

「早坂さん、自分が何を言ってるか分かってる?」

 

 だからこそ、亨は呆れた。前提も前提すぎて、早坂は当たり前のことを忘れてしまっているらしい。なぜそんな風に言われなきゃいけないんだ、と早坂の顔に書いてある。

 

「告白するのが白銀くんだろうが四宮さんだろうが、二人がくっつけばハッピーエンドだよね?」

「まあ、そうですね」

「どっちに告白するよう促したところで、同じじゃない? 味方も敵もないよ」

 

 早坂は目を丸くした。天啓を得たとばかりに。そして頭を抱えた。

 

「私、アホになってる……?」

「まあ、早坂さんは四宮さんの近侍だし、四宮さんの味方っていうスタンスは間違ってないと思うよ?」

 

 震える早坂を慰めていると、亨のポケットでスマホが一度だけ鳴った。かぐやからの合図だ。

 亨が生徒会室の扉を開けば、かぐやの作戦は第二フェーズへ移る。

 

「行ってくるよ」

「ご武運を」

 

 字面だけなら戦線へ赴く兵士とその相棒のやり取りだが、亨も早坂も声が緩みきっているので緊張感はかけらもなかった。

 

「失敗したら後が怖いですよ」

「ここは素直に送り出して欲しかったなぁ」

 

 亨は最前線へと通じる扉をノックした。

 

 ◆◆◆

 

「会長、コーヒー淹れましょうか。インスタントでよろしければ」

「すまんな四宮。頼む」

 

 時間はわずかに遡り。

 生徒会室では恋愛頭脳戦の火蓋が切って落とされていた。

 

 亨がかぐやに告白してフラれ、その後再アタックをしたと思い込んでいる白銀は、しかし未だその結果を知らずにいた。

 何事もなかったのなら問題ない。一度フッた相手が再び告白してきたからといって、かぐやが靡くとは考えにくい。

 問題なのは何かがあった場合。もう少し具体的に言えば、亨とかぐやが交際関係に発展していた場合だ。これは本当にまずい。白銀が必死に積み上げてきた努力が水泡に帰す可能性すらある。

 

 もちろん直接二人に訊くのは論外。そんなことをすれば、白銀がかぐやに好意を抱いているという、あらぬ誤解を受けかねない。

 

 別に怖気付いてるわけじゃあないのだ。

 

『光、お前四宮と仲良いのか?』

『うん。実はこないだ付き合い始めたんだ』

 

 という展開を恐れるあまり、ここ数日まともに食事が喉を通らないとかそんなことはないのである。

 

 そして本日。生徒会室には白銀とかぐやの二人きり。亨とかぐやの関係を明らかにするのは今、この場しかない。

 

 ——今日こそ確かめてやる。四宮と光の関係をッ!

 

 そう。白銀御行は確かめたいのだ。

 

「会長、コーヒーが入りましたよ」

「ありがとう、四宮」

 

 マグカップを傾ける白銀を見、かぐやは内心ほくそ笑む。

 

 ——何とかして私と光くんの関係を暴かなければ。……あなたの考えていることなど、お見通しですよ。会長。

 

 今日この場における白銀の狙いを、そのために取り得る戦術も、かぐやは全て見切っている。

 白銀の亨とかぐやに対する勘違いも、生徒会室に二人きりというこの状況も、常にカフェインを欲する白銀がノンカフェインコーヒーを飲んでいるのも、全てかぐやの手引きなのだから。

 精神状態、事前準備、協力者。全てにおいて、今日のかぐやは白銀の上を行く。

 

 今のかぐやにとって、今日の恋愛頭脳戦は、自作した詰将棋の問題を自分で解いているようなもの!

 

 負ける要素などどこにもなかった!

 

 ——全てを理解した時には、私の勝利(あなたの負け)です。会長。

 

 そう。かぐや様は誘わせたい。

 休日に白銀とカフェでお茶したいのだ。

 

 ◆◆◆

 

 生徒会室の扉を開け、亨は足を踏み入れた。

 

「おお、光か。どうしたんだ?」

 

 奥の席から立ち上がり、片手を挙げる白銀。彼の額には薄らと汗がにじみ、亨と目が合った瞬間には小さく息を呑むのがわかった。

 

 一見すれば、この間の写真撮影の時と変わらない。白銀がいて、かぐやがいて、部外者の亨が入っていく。

 しかし、かぐやの協力者となった亨には、この光景から読み取れる情報が増えていた。

 

 ——白銀くんはすごく緊張してる。俺が入ってきた瞬間、驚いてた。で、四宮さんは逆に高揚してるな。狩りをする時のヒョウがあんな目をしていた気がする。

 

 まだ何も知らなかったこの間の撮影でも、こうして二人の思惑がぶつかっていたと思うと、亨は吹き出しそうになった。もちろん吹き出したら後でかぐやから殺されるので、堪える。

 

 そして亨は、昨晩かぐやから受けた指示を反芻する。

 

『生徒会室に入ってきた瞬間は、光くんが挨拶をするのは会長にだけにして。()()()はダイレクトに私に手渡すの』

『どうして?』

『会長の動揺をさらに大きくするためよ』

『そこまでしなくてもよくない?』

『分かってないのね。会長は強敵なの。少しでも油断すれば手痛い反撃を喰らうのはこっち』

『へー』

 

 このような細かい指示を三十個くらい受けた気がする。ほとんどは右から左へ聞き流していたが、やらなかったら後でいろいろ言われそうなので、とりあえず指示には従うことにした。

 

「やあ、白銀くん。ちょっとお邪魔するね」

 

 白銀に挨拶を返し、亨は足早にかぐやの目の前に。脇に抱えていた封筒を手渡す。

 

「はい、忘れ物」

「あら私としたことが。ごめんなさい。助かりました」

 

 亨から封筒を受け取った瞬間、かぐやが口パクで「棒読み」と文句をつけたのが分かった。

 

 ——しょうがないでしょこんなのやったことないんだから!

 

 一応視線だけで抗議をするが、伝わったかは怪しい。

 

「光は四宮に忘れ物を届けに来たのか?」

「うん、そうなんだ」

 

 白銀はさも意外そうに眉を上げた。

 

「珍しいな、四宮が忘れ物とは」

 

 かぐやは困ったような笑みを浮かべて見せた。

 

「恥ずかしながら、うっかりしていました。ごく個人的な書類だったのですが、無いと困りますから。ありがとう、光くん」

「あ、うん。全然、気にしないで」

 

 さりげなく半歩ほど亨に近付き、かぐやはにこりと微笑みかけてくる。この世の男子が例外なく胸キュンしてしまうであろう、天使の如き微笑み。

 ただし、かぐやの内心を知っている亨は、別の意味で胸がドキドキしていた。

 

 かぐやの呼び出しを受け生徒会室に入り、亨が()()()を手渡し、かぐやがお礼を言う。状況は全て昨晩かぐやが話した通りに進行している。

 しかし亨は内心首を傾げる。こんなことで白銀が動揺するのだろうか。というか、こんなことを続けて白銀とかぐやの仲は進展するのだろうか。

 

 亨は白銀を盗み見る。

 生徒会長の席にゆったりと座り、コーヒーのマグカップに口をつける様は、まさしく秀知院学園生徒会長の風格。

 やはりこんなことで白銀が動揺するはずないのだ。

 

 視線を外そうとした瞬間、亨は気付いた。マグカップを持つ白銀の手が、ほんのわずかに震えていることに。常に被写体をくまなく観察し、その特徴やわずかな変化に気付ける亨の観察眼をもってしてようやく判別できる程度に。

 

 ——動揺してる!? 嘘でしょ、こんなので!?

 

 亨は目を剥いた。

 我が校きっての秀才、全校生徒の模範たる白銀御行が、クラスメイトが想い人に忘れ物を届けただけで手をぷるぷるさせている光景に、むしろ亨の方が動揺していた。

 

 しかし亨は知らないのだ。白銀は亨がかぐやに告白したと勘違いしていることを。

 

 ——な、なんということだ……! 俺の中では疑念が確信に変わりつつあるぞ! 四宮と光の親密さは俺の想定を上回っている! まずい……まずいぞこの状況はッ……!

 

 さっきから手足の感覚がない。白銀の焦りっぷりは、亨の見立てをはるかに超えていた。

 

 クラスメイトではない亨がかぐやの個人的な忘れ物を届けに来た。しかも生徒会室に入った時、亨は白銀には挨拶したが、かぐやには挨拶もなく親しげに歩み寄っていた。

 これらの振る舞いは、亨とかぐやの仲が一定以上であることの証左。

 

 それに加えて忘れ物を受け取った時のかぐやの態度。

 妙に亨との距離が近くはなかったか。藤原を相手にしている時でさえ、あそこまで親しげだったことはない。

 

 光の一挙手一投足が。そして、かぐやの発する一言一句が。二人の関係を裏付ける根拠となって、白銀の心に突き刺さる。

 

 白銀はマグカップを机の上に置いた。胃のあたりがきりきり痛む。コーヒーを飲むどころではない。

 

 そしてこの状況は全てかぐやの計画通り。白銀はかぐやの張り巡らせた糸に絡め取られつつあった。

 

 一歩、また一歩と近付いてくる勝利の足音に、かぐやは喜びを噛み締めていた。

 

 ——ここまでは順調。光くんの演技も、言いたいことはありますが及第点でしょう。……もう頃合いですね。王手です、会長。

 

 かぐやの計画はついに第三フェーズに入る。

 

「あ、そうでした。光くん、少しいいですか?」

 

 かぐやは自分のカバンに手を入れる。

 同時に亨も察した。かぐやの計画が完遂されつつあることに。かぐやと白銀の様子からして、高度な心理戦が行われているのだろう。どの辺が高度かは、亨にはさっぱりだったが。

 

 数学者が難解な数式を解いているのを横から眺めているような心持ちで、亨はかぐやのアクションを待った。

 これからかぐやのカバンから登場するのは、高級カフェのプレオープンチケットが二枚。かぐやはそのうちの一枚を差し出して言うのだ。「一緒にいかがですか」と。そして亨はそれを断る。「ごめん、その日は予定があるから」と。

 

 そしたら亨の役目は終わり。あとはかぐやがいい感じに白銀を丸め込んで勝利(?)を手にする。

 

「実は、ある喫茶店のプレオープンチケットが手に入ったんです。来週の土曜日なのですが、光くんの都合が良ければご一緒にいかがですか?」

 

 事前に決められたやり取りに従って、亨は機械的に返答する。

 

「ごめん、四宮さん。来週の土曜日は外せない都合があってさ。行けないんだ」

「あら、そうなんですか。残念です」

 

 ショック(とカフェイン不足)で上手く回らない頭で、白銀は二人のやり取りを眺めていた。

 

 ——それはそうだ。光は来週の土曜日に個展があるんだ。四宮からの誘いでも応じるにはいかんだろう。

 

 亨の個展は白銀も楽しみにしていた。優待チケットをもらっているから優先的に入場できる上、無料だ。恋敵の個展に参加するというのも複雑な気分だが——。

 

「ん……?」

 

 何かがおかしい。矛盾している。何だろう、この違和感は?

 

 分泌されたアドレナリンが白銀の脳に鞭を打つ。白銀の思考が研ぎ澄まされる。

 寝不足でコンディション不良だった白銀の脳裏に、今日の、いやここ数日の出来事における奇妙な点が浮かび上がる。

 

 数日前、偶然亨がかぐやを呼び出す所を目撃し、偶然保健室で亨がかぐやに告白したかもと疑いを抱き。それから数日思い悩み寝不足の今日、偶然かぐやと生徒会室で二人きりで、偶然かぐやが忘れ物をし、偶然それを届けに来た亨と遭遇する。

 ここまで偶然が重なれば、そこに作為的なものを感じずにはいられない。

 

 そして今、かぐやが亨を誘ったくだりもおかしい。亨の写真が展示される個展、いわば彼の晴れ舞台。仮にかぐやと亨が深い関係にあるのなら、かぐやがそれを知らないはずはない。友人の白銀を誘ったのだ。亨がかぐやを誘わないはずがない。

 

 猛烈な勢いで組み上がっていく白銀の推論。

 

 一方、亨から誘いを断られたかぐやは、これ見よがしに困った顔をした。

 

「チケットは二枚あるのですが、このままでは一枚余ってしまいますね……」

 

 その言葉には答えず、白銀はおもむろに立ち上がると、かぐやのティーセットが置いてある棚、正確にはそこに並ぶインスタントコーヒーの瓶をさりげなく確認する。

 

 そして、白銀は一つの結論を得た。

 

 亨がかぐやに告白したと見せかけ、白銀を寝不足に陥れ、生徒会室に二人きりの状況を作り、ノンカフェインコーヒーを白銀に飲ませ、亨に忘れ物を届けさせ、亨に休日の外出に誘うことで白銀の動揺を誘う。

 

 ——謀ったな、四宮ッ!!

 

 白銀御行は看破した。幾重にも周到に用意されたかぐやの罠を!

 

 普段であればこの程度のことは一瞬で見破っていたが、亨がかぐやに告白したという勘違いから寝不足になり、十全のパフォーマンスを発揮できていなかった。

 かぐやの策略を見破るきっかけは来週土曜に開催される亨の個展。まさか白銀を追い詰めた要因である亨が、白銀が危機を脱するための鍵になるとは。

 勝負というのは分からないものである。

 

 ——大方、余ったチケットを見せびらかし、俺に「連れて行ってくれ」と情けなくおねだりさせる算段だったのだろう、四宮ッ!

 

 持ち前の鋭い眼光で、白銀はかぐやを睨みつける。

 しかし、かぐやの涼しい表情は揺らがない。

 

 ——気付いたようですね。でももう遅いですよ。会長は私と休日に出かけられるチャンスをみすみす逃せるはずはないッ!

 

 かぐやと白銀。二人の視線が絡まり合う。

 

 不敵な笑みを浮かべてメンチを切る二人を、亨は交互に見やる。

 

 ——なんか、雰囲気変わったな……。

 

 白銀が亨に向き直る。

 

「残念だったな、光。せっかくの誘いだったのに」

「えっ、あ、うん……」

 

 やることも終わったので、ぼうっとしていた亨。唐突に白銀に話を振られ困惑する。

 そんな亨にはお構いなしに、白銀は話し続けた。

 

「来週の土曜日は個展があるもんな」

 

 タイミングが悪くて残念だ、と白銀は亨の肩をぽんぽんと叩く。

 

 ここで亨は首を傾げる。個展はある。これは本当だ。白銀にも身内用の優待チケットを渡している。

 問題は日付の方だ。

 

「再来週の土日だったと思うけど」

 

 そんな亨の言葉に白銀は口をあんぐり開けた。

 

「おい、光。来週の土曜だぞ?」

「えっ、いや、そんなはずは……」

 

 お前ってやつは、と呆れながら白銀は、学ランのポケットから紙切れを引っ張り出す。この間亨が渡したチケットだ。

 日付を確認すると、開催日は来週の土日。

 

「自分の個展の日を間違えるなよ……」

 

 苦笑いで肩をすくめる白銀。

 

「いやぁ、写真は撮ったけど運営は知り合いに丸投げしてたから……」

「展示された写真の主がいなきゃ話にならんだろ」

「ホント、おっしゃる通りで……」

 

 気合いを入るように、白銀は亨の背中をばしっと叩く。

 

「楽しみにしてるからな」

「うん。任せて」

 

 もう少しで大恥をかくところだった。危ない危ないと、息をついた亨が顔を上げると、白銀の肩越しにかぐやと目が合った。

 

「…………ッ!!」

 

 ぎょろりと見開かれた双眸。瞳孔は開き切って光はなく。絶対零度の鋭い視線は、それだけで亨を八つ裂きにせんばかりの威圧感。

 メドゥーサという見たものを石にする神様がいるという。それがどのような能力なのか、亨は理解した。

 

「……光くん」

「はいっ」

「個展を開くんですね。知りませんでした」

「言ってなかったからね……」

「来週の土曜日、だったんですね」

「そう、だね」

「日付、勘違いしてたんですね」

「お恥ずかしい限りだよ……」

「喫茶店のプレオープンと同じ日ですね」

「すごい偶然だよね……」

 

 もし生まれ変わった時、自分はまたカメラを手にするのだろうかと、亨は思った。そうであったらいいなと思った。

 それと、人の恋路をおじゃんにするようなドジを踏まない人間になれたらいいなとも思った。

 

「ねぇ、四宮さん。個展の優待チケットあと二枚あるんだけど、もしよかったら、その……来ま、せんか……?」

 

 ◆◆◆

 

 電話の向こうから、早坂の押し殺した笑いが聞こえてくる。

 

 夜の自室で、スマホを前に亨は頭を抱えていた。

 

「四宮さん、怒ってたよね?」

「帰路につくなりずーっと頬を膨らませて、さっきまでは枕殴ってましたよ。今しがた寝落ちしましたが」

 

 生徒会室のあの場はすぐに解散となったが、かぐやはずっと、亨をあの眼で穴が空くほど見つめてきていた。

 

「俺、殺される感じかな」

「光くんは白檀と桂皮、どちらが好みですか」

「早坂さんには線香選びよりも擁護の方向で動いて欲しいんだけど」

「こればかりは光くんの自業自得です」

 

 返す言葉もなかった。

 やはり亨にはこういう謀事は向いていない。写真を撮るだけしか能のない男である。

 

「チケットはどこで渡せばいい?」

「明日の昼休み、校舎裏で」

「分かった。……それじゃまた明日ね」

「はい」

 

 通話を切ろうとして、思い出したように早坂が付け加えた。

 

「とりあえず、休日に会長と出かける約束をするという目的は果たされました。かぐや様も楽しみにしていらっしゃいます」

 

 亨の心が少し軽くなる。

 

「本当?」

「——と、言ってあげられたらよかったんですが」

「おい」

 




カメラバカに恋愛頭脳戦の主軸が務まるはずなかった。
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