若手カメラマンは覗き見たい。   作:水棲リクガメ

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7th shoot 光亨は気にしてない

 初夏というよりは、真夏に片足を突っ込んだような陽気の中、白銀は駅前の会館入り口にいた。

 彼の身を包む学ランは、熱が籠るのでとにかく暑い。ここに来るまでに白銀は汗だくになっていた。

 

「暑い……。私服で来た方が良かったか……?」

 

 恨みがましく太陽を見上げて白銀がぼやく。

 

 白銀は個展というものに行くのは初めてである。それが格式高いものなのか、テーマパークみたいなラフなものなのか、イマイチ判断がつかなかった。

 しかも、今日はかぐやと一緒に見て回ることになっている。先日の恋愛頭脳戦の成り行きで、亨がかぐやのことも誘ってくれたおかげだ。

 過程はどうあれ、男女が休日に約束して二人で出かける。

 

 ——これは実質デート……!

 

 かぐやの隣で歩くのに、場違いな格好はできない。

 

 結果として、白銀はいつもの学ランを選択した。

 

「会長」

 

 呼ぶ声に振り向けば、私服姿のかぐやがいた。

 真っ白なワンピースに黒い薄手のカーディガンを羽織っている。醸し出す雰囲気はまさしく清楚。

 白銀の心拍数が増加する。

 学外でもかぐやと会ったことはあるが、白銀からすればなかなか慣れるものではない。

 

「お待たせしてしまいましたか?」

「いや、つい今しがた着いたところだ」

 

 まるで恋人のようなやり取りに、白銀は唇を噛んで頰が緩むのを耐える。

 

「会長、学ランなんですね」

「あ、ああ。光は友人だが秀知院の生徒でもある。生徒会長としては、我が校生徒の晴れ舞台に相応しい服装をと思って……だな……」

 

 白銀、反射的に見栄を張った。

 秀知院生らしからぬ不器用で見え透いたそれに、白銀は我ながら鼻白む。

 かぐやはきっとこういった場にも慣れているのだろう。彼女の目には白銀が滑稽に映っているかもしれない。

 

 しかしかぐやは、白銀の服装も見栄も指摘しなかった。

 それどころか、

 

「それなら、私も制服を着てくるべきでしたね」

 

 副会長ですから、と楽しそうに笑う。

 

「会場は小展示室でしたよね。さあ、行きましょう」

「お、おう。そうだな」

 

 いつもより眩しく見えるかぐやの顔を、白銀は直視できなかった。

 

 ◆◆◆

 

 会館の一角にある小展示室が、亨の個展の会場だった。小展示室という名がつけられているものの、会場の造りはしっかりしており、名うての芸術家たちが頻繁に個展や展覧会を開いている。

 亨が個展や展覧会に写真を展示してもらうことは初めてではなかったが、ここまで立派な会場だったことはない。

 

 あの光蓮治の一人息子の個展ということもあって、来場者もそこそこ。亨としても悪くない気分。

 

 唯一気に食わない点を挙げるとすれば、個展そのものの名前だった。

 

 『光亨 写真展 〜現実を切り取る至高の業 二代目の天才〜』はさすがにやり過ぎだ。

 入り口に掲げられたいやに凝った装飾の看板を、亨は苦い顔で眺めていた。

 

 個展の主催を担ってくれている知り合いの顔を思い浮かべる。向こうは善意でやってくれているのだから余計にタチが悪い。

 今度からこういった催しをする時は、丸投げは絶対にしないと、亨は心に決めた。

 

「光」

 

 背後から呼ぶ聞き馴染みのある声に、亨は振り返った。

 白銀とかぐやがこちらに向かってくる。学校の外で会うのは初めてだったが、あまり新鮮味を感じないのは、白銀が学ランを着ているせいだろうか。

 

「二人とも、来てくれてありがとう。——白銀くんは何で学ラン?」

「まぁ、特に理由はない。気にしないでくれ……」

 

 重厚な黒に首元で光る純金飾緒はこれ以上なく白銀に似合っているが、いかんせん暑そうだ。

 

「光くん、誘ってくれてありがとうございます。期待してますね」

 

 にっこり微笑むかぐや。しかしその顔にはどことなく圧がある。先日のやらかしは、まだ完全に許されたわけではないらしい。

 

 ぎこちない笑みを浮かべて亨は答える。

 

「もちろん。楽しんでいって」

 

 なあ光、と白銀は触れにくそうな顔をしながら、入り口の看板を指差した。

 

「この個展のスローガン? みたいなのは……」

 

 『現実を切り取る至高の業 二代目の天才』。自己陶酔が過ぎるキャッチコピーに困惑しているのは明らかだ。

 亨は両手を前に突き出し、首をぶんぶん横に振る。

 

「俺が考えたわけじゃないからね! 知り合い、この個展を主催してる人が勝手に——」

 

 早口で弁明を並べ立てていると、展示室から中年の男が早足に飛び出してきた。

 

「亨! ここにいたか」

「堀内さん」

 

 恰幅がいい体をグレーのスーツで包んだこの男こそ、今回の主催者にして、諸悪の根源である。

 突然現れた巨体に首を傾げる白銀とかぐや。

 

「二人に紹介するよ。この人は堀内さん。芸術関係メインの出版社の社長さんで、今回の主催をやってくれた人。で、あのキャッチコピー作った張本人」

 

 亨の文句を堀内はさらりと受け流し、本当のことを書いただけだ、と宣った。

 

「それで、堀内さん。この二人が学校の友人です」

「亨から少し聞いてるよ。堀内だ、亨の親父とは大学の同期でね」

 

 堀内はにっこり笑って片手を差し出す。

 その握手に応じながら、白銀とかぐやも挨拶をした。

 

「お、その飾緒は」

 

 堀内の目が白銀の着けている純金飾緒に向けられる。

 

「そうか、今年の生徒会長は君か!」

「は、はい。そうですが」

「懐かしいなぁ。私も秀知院の出でね。いわゆるOBってやつだ」

「そうだったんですか!」

「当時の生徒会長も全く同じものを着けてたよ。いやはや白銀くんの方がよく似合ってる。あいつとはよくつるんでたが、生徒会長とは名ばかりの不良でな。飾緒を振り回して喧嘩して歩いて回ってたようなやつで——」

 

 口は悪かったが、堀内の瞳は少年のような輝きを宿していた。昔話が熱を帯び始めている。

 

 この調子だと何時間と喋り続けかねないと判断した亨は、話を中断させにかかる。

 

「堀内さん、俺に何か用があったんじゃないですか」

 

 堀内はハッとしてから、きまり悪そうに首筋を撫でた。

 

「すまない、歳を取るとどうにも話が長くなる。——フリーライターが話を聞きたいと言っているんだ。友達と回りたいなら、もちろん追い払うが」

「俺たちのことは気にするな」

「取材の方が大切ですよ」

 

 気にせず行ってくれと、二人は亨の背中を押してくれる。せっかくの休日で二人の間に挟まるというのも野暮だろうと、亨は思った。

 特にかぐやからは、白銀と二人にさせろという圧を感じる。

 

「それじゃ、ライターの人と話してくるよ。二人とも楽しんで」

 

 藪蛇になってもよくない。

 亨は二人に背を向け、会場の奥へ向かう堀内の後に続いた。

 

 ◆◆◆

 

 白銀とかぐやが展示室へ入っていった五分後。

 

 個展の会場のそばにあった休憩スペースで待機していた早坂は、ゆっくりと立ち上がる。亨からもらった優待チケットを片手に、展示室へと入場した。

 もちろん早坂は休日の道楽でここにいるわけではない。かぐやの侍従としての仕事である。

 

 聞くところによれば、亨は芸術界でも多少なりとも名の知られた存在。今回の個展にも何人か芸術家が来るらしい。著名な人間が集まる場所は得てして悪意も集まるもの。もしものために早坂がついていくのは当然の成り行きであった。

 それと同時に、今日のかぐやは白銀と二人でお出かけ。部外者である早坂がいては盛り上がれるものも盛り上がれないと、かぐやが懸念を露わに、もとい駄々をこねた。

 結果、亨が所持していた三枚の身内用優待チケット最後の一枚が、早坂の手に渡ることと相成ったのである。

 

 問題だったのは、どのようにして早坂がかぐやについて行くかだった。

 メイドそのままの姿では目立ち過ぎるし、学校でのギャルモードは論外。いろいろ考えた上で早坂は、四宮家執事のハーサカくんとして、個展に潜入しているのである。

 

 ——意外と広い。

 

 早坂の最初の感想だった。

 

 壁には整然と写真が飾られ、至る所に大人の背丈ほどのパネルも置いてある。

 一介の高校生による個展にしては、規模も大きく客の出入りも多い。亨の写真はプロの世界でも通用するレベルということだろうか。

 秀知院学園にも優れた才能を持つ生徒は多いが、ここまで振り切れている人間もそうはいないだろう。

 

 少し離れた位置に、かぐやと白銀が並んで立っているのが見えた。

 壁に飾られた一枚の写真を指差し、何か話している。入ったタイミングから考えると随分スローペースだ。少しでも二人の時間を伸ばそうとしているのかもしれない。

 

 早坂は二人から遠すぎず近すぎない距離感のまま、周囲の写真を眺める。

 亨の撮った写真は何度も見ているが、大半はかぐやのために撮られた白銀の写真ばかりだった。

 

 写真家の個展と聞くと、大自然の風景や伝統的な遺跡なんかをイメージしていた早坂だったが、意外にもそんなことはなかった。

 展示の多くは街中で撮られたものだった。毎日毎日飽きるほど見た、というか当たり前すぎて見てすらいないような街並みの写真。

 

 真っ赤なテールランプが並ぶ真夜中の幹線道路。

 雑踏極める朝の駅のホーム。

 電車の窓から見上げる、クリスマスツリーみたいなビル。

 行き交う人々の足に揉まれる空き缶。

 電線に行儀よく並ぶスズメ。

 己を解体する重機に覆い被さろうとする廃墟。

 

 見たことがある光景なのに、なぜか新鮮で。初めて見るはずなのに、自分が写真の中に在るような。

 

 不思議な感覚に囚われつつ、早坂は気付いていた。

 

 かぐやと白銀が全くと言っていいほど動いていないことに。先ほどから桜並木のベンチで昼寝をする猫の写真から一切動いていない。

 よほどその写真が気に入ったのかと、会話を盗み聞きする。

 

「猫だな」「そうですね」「暖かそうだな」「晴れてますもんね」「桜が綺麗だな」「会長は今年お花見には?」「忙しくてな」

 

 早坂は察した。せっかくの休日にプライベートで会うのだから少しでも長く時間を稼ごう、という二人の魂胆を。

 結果として、亨の写真をダシに繰り広げられる中身のない会話。

 

 ——早よ進め……!

 

 追い抜かさないように気を付けていても、相手が止まっているならそれにも限度がある。

 自分が不自然に立ち止まってしまうと目立つかもしれない。

 

 結局早坂は、かぐやと白銀を追い抜き、順路を少し進んだところで止まった。

 

 展示室の奥まった所で、亨が数人の大人に取り囲まれているのが見えた。一瞬タチの悪い客に絡まれているのかと思ったが、どうもそうではないらしい。

 ICレコーダーのようなものを亨に向けている者もいれば、亨が何か喋るたびにペンを動かす者もいる。

 

 ——取材か。

 

 それなりの規模の個展だ。取り上げるメディアがいても不思議ではないだろう。

 芸術関係、地方紙、あるいは地域の広報かもしれない。

 

 早坂が見るともなく見ていると、どうも亨に落ち着きがない。取材班を相手に緊張している様子。

 以前、会話の中で亨が「俺はカメラを向けるのは得意だけど、向けられるのはどうも苦手なんだよね」と言っていたことを思い出す。

 

 程なくして大人たちの輪は消えていき、亨一人が残された。疲れた顔でため息をつき、亨は展示室の奥へと向かっていく。

 知らない仲ではないのだから、一言くらい挨拶してやろうと思い立った早坂は、足早に亨を追いかけて声をかける。

 

「光くん」

 

 声をかけられた亨がびくりと肩を跳ねさせ、ゆっくりと振り返った。

 

「すみません。取材でしたら後ほど時間取りますんで、その時に」

 

 明らかに気疲れした声色だ。

 早坂の男装に気付いていないらしい。

 

 早坂は掛けていた伊達メガネを外して見せる。

 

「私ですよ」

 

 少しの間、亨は困惑した様子だったが、目の前の少年の正体に思い至ったらしい。

 

「ああ! 早さ——」

 

 慌てて早坂は唇に人差し指を当てた。何かの拍子に白銀に気付かれたらまずい。

 

 亨は早坂に歩み寄り、声をひそめた。

 

「来てくれたんだね、ありがとう。でも何でそんな格好を?」

「会長に気付かれたら面倒ですので」

 

 ああそうか、と亨は頷き、早坂の全身を眺める。

 

「すごいな。全然気が付かなかった」

「四宮家の執事、ハーサカです」

「また安直な名前を……」

「ちなみにハーバード大を飛び級で卒業したということになっています。知的な感じが出てるでしょう?」

 

 くいとメガネを持ち上げる早坂。

 亨は肩をすくめただけだった。

 

「設定かなり盛ったね。——でも、本当にすごいよ。言われなきゃ早坂さんだって分かんない。本物のスパイみたいだね」

「……まあ、あながち間違いでもないですよ」

 

 早坂がちらりとかぐやの方を確認すると、二人はようやっと猫の写真の隣に移動したところだった。

 

「正直、ここまでの規模だとは思っていませんでした」

「主催してくれた知り合いがノリノリでさ。ありがたいけどちょっと落ち着かない」

「いい個展だと思いますよ。キャッチコピーはちょっとアレですけど」

「あんな恥ずかしいのが付けられるなんて知ってたら、丸投げはしなかったよ……」

 

 頭を抱える亨は、本当に困っているようだった。

 

「いいじゃないですか。実力を評価してくれる人がいるのは」

「まあね。ちょーっと買い被りすぎな気もするけど」

 

 そう言いつつもはにかむ亨は嬉しそうだった。

 

「思えば光くんの写真をちゃんと見たのは初めてです」

「そうだっけ? 結構見せてたと思うけど……あ、そっか。早坂さんに見せてるのは白銀くんの写真ばっかだ」

「かぐや様がお世話になっております」

 

 わざとらしくこうべを垂れる早坂に、亨が吹き出す。

 

「いやいやそんな。四宮さんたちの様子はどう?」

「告白前の中学生みたいです」

「想像できちゃうな……」

 

 二人でくすくすと笑う。

 

 プライベートで友人と談笑する時間は、早坂にとってはあまり多いものでもない。悪い気はしなかった。

 

「まあ仕事ついででもゆっくり見てってよ」

「そうさせてもらいます」

 

 それでは、と早坂が立ち去ろうとしたその時、男の声が割って入った。

 

「やあやあ、『二代目の天才』こと光亨くんじゃないか!」

 

 四十代くらいのひょろりとした男が、軽薄な笑みを浮かべて歩み寄ってくる。

 早坂は一瞬、ほんの少しだけ眉をひそめた。男の声が明らかに悪意と棘を内包していたからだ。亨の方を見れば、少し表情を曇らせている。

 

 それでも亨はいつもの調子で挨拶を返した。

 

「和田山さん。わざわざ来てくださったんですね」

「そりゃあ来るさ。かの光蓮治のご子息の個展とあらばね」

 

 和田山という男は、早坂の方をちらりと見た。

 

「お取り込み中だったかな」

「いえ、学校の友人です」

「そうかそうか、友人ね……」

 

 早坂は和田山の目付きに見覚えがあった。幼い頃から時々目にしていた、かぐやに嫉妬や悪意を持って近付くやつらが、どうやって恥をかかせてやるかを考えている時の目だ。

 

「いい友達だな。休日()()()()来てくれるんだから」

「ええ、まあ……」

 

 嫌味な物言いに亨は曖昧に頷く。

 

 和田山の顔が早坂の方を向いた。

 

「亨くんの写真とはなかなかお目が高いね。実は私も写真を飯の種にしてるんだ。今度私の写真も見に来て欲しいな、アマチュアの写真ばかりでは少々退屈だろうし」

 

 和田山の吐いた露骨な毒は、亨を動揺させるのには十分な効果を発揮したらしい。

 

 早坂は薄く笑みを浮かべて和田山の言葉を受け流す。

 

「いずれ機会がありましたら」

「是非ともそうしてくれ」

 

 和田山は早坂から視線を外すと亨に向き直った。

 

「会館の売店で君の写真が売っていたよ。ポストカードに写真集とは、なかなか結構なことだ」

「贔屓にしてくれる人がいるので。ありがたいです」

「せっかくだからね、私も一枚買ったんだよ」

 

 和田山が一枚のポストカードを取り出す。展示もされている猫の写真だ。

 

「君には余計なアドバイスかもしれないが、この猫を被写体にするなら構図の取り方はもう少し工夫の余地があるように見えるね」

 

 和田山の声は必要以上に大きい。周囲の何人かはこちらを見ている。和田山が公衆の面前で亨に恥をかかせようしていることは明白だった。

 

「この角度で撮影するなら、もう少し寄り目で撮って、余白は少なくした方がいい」

 

 和田山はすかし見るように亨の写真を眺めると、おもむろにその内の一辺を折り紙でもするかのように折り畳んだ。

 

 うつむいた亨の口元がぴくりと痙攣する。

 

 以前、かぐやが亨の写真をトリミングした時は、結果として亨を傷つけることにはなったものの、そこに悪意などはなかった。

 だが目の前にいるこの男は違う。写真を台無しにして亨を傷つけるためだけにこんなことをしているのだ。

 

 早坂は呆れた。歳下の同業者相手にここまでのことをするやつがいるのかと。

 

 和田山は折り目のついた写真を亨の眼前で見せつける。

 

「どうかな、このくらい余白を削った方が迫力が出るだろう」

「……そう、ですね。……参考にします」

 

 いっそ滑稽なくらい、亨の声は震えていた。

 

 和田山はにんまり笑って、その写真を亨の手に握らせる。

 

「お父さんの方にもよろしくと伝えておいてくれ」

 

 それだけ言うと、和田山は踵を返し去っていく。

 

 その姿が見えなくなってから、亨は長々と息を吐いた。

 怒りと悲しみが籠った目で台無しにされた写真を見つめてから、うつむいたまま亨はぼそりと言った。

 

「ごめん。嫌な気分にさせて」

「別に。あの男と何かあったんですか?」

「昔、写真の展示会で父さんと一悶着あったらしいんだ。父さんに相手にされなくなって、少し前から俺に絡んでくるようになった」

「随分とご立派な器をお持ちのようでしたね」

 

 早坂の皮肉に亨はうっすら笑みを浮かべる。

 

「写真の実力は本物の人だよ。特に生き物の写真はね」

 

 亨は写真についた折り目をそっと撫でた。

 

「てっきり暴れるかと思いました」

「この前のアレは……ごめん。この個展を主催してくれた人にはお世話になってるし、早坂さんもいたし。関わりのある人に恥かかせるようなことはしないよ」

 

 さて、と気合を入れるように亨は自身の頰を張った。

 一転していつもの柔らかい笑みを浮かべて見せる。

 

「もう行くよ。案内もしたかったけど、この後まだ取材させてくれっていう人がいるからさ」

 

 不自然に明るい声。無理をしているのは見なくたって分かる。

 

 早坂の目に映る亨が、少し前のかぐやと重なって見える。

 優れた才能を持つ者は、得てして悪意に晒されやすい。そしてそれを何食わぬ顔で受け流さなければならない。

 どんな天才だって人間だ。どんなに平気な顔をしていても、悪意を正面から受ければ当たり前に傷つく。

 とても理不尽だと、早坂は思う。

 

 早坂は自分のことを、友情に厚い方だとは思っていない。義憤に駆られやすいタチだとも思っていない。

 

 それでも言わずにはいられない。

 

 だから早坂は背を向けた亨の腕を掴んだ。

 

「どうしたの?」

「光くんの撮った写真と手紙をマ——母に送った話はしましたよね」

「うん」

「返事が来ました。また写真を見せてくれと書いてありました」

「それはよかった」

「それと、今回の個展もいい写真ばかりです」

「ありがとう」

「ショベルカーが廃墟を壊している写真、割と気に入りました」

 

 亨が吹き出した。

 

「あれね。早坂さんが気に入るならあれかなって思ったんだ」

「いい勘してますね」

 

 少し困ったように亨は視線を落とした。

 

「早坂さん、腕が痛いかも」

「すみません」

 

 無意識のうちに力が入っていたらしい。早坂は慌てて亨の腕を離した。

 

 早坂に掴まれていた腕をさすりながら、亨は少しだけ頰を赤くして言った。

 

「ありがとう早坂さん。もう大丈夫だ。気にしてない」

「ならいいです」

「それじゃ、ゆっくり見てってよ」

「はい」

 

 今度こそ亨は去っていった。いつも通りの軽やかな足取りで。

 

 ◆◆◆

 

 帰り道。送迎の車内で早坂は隣に座るかぐやに訊いた。

 

「いかがでしたか、個展は」

「悪くなかったわ」

 

 かぐやはいつもより三割増で浮き足だっている。かなりいい時間を過ごせたらしい。

 

「早坂の方は? 光くんと話してる時、変な男に絡まれてたように見えたけど」

 

 この主人には敵わないと早坂は思った。なんだかんだで自身の周囲はしっかり見ていたらしい。

 

「ちょっとしたいざこざはありましたが、問題はありません。光くんも気にしていないようですから」

「あの後すぐに、光くんの腕を鷲掴みにしてたでしょ。男装しててよかったわね。いつもの格好だったら目立つことこの上ないもの」

 

 この主人、思ったよりがっつり見ていたらしい。

 会話は聞かれていないはずだが。早坂的には結構クサいことを言ってしまったような気がしていたので、聞かれていないことを願う。

 

「そうだわ、今日の個展でいくつか会長について入手できた情報があるの。次の揺さぶりにも使えるはずよ」

 

 ——多分聞かれてないな。この感じは。

 

 車に揺られながら、次の戦略をあれこれ思案するかぐやの独り言を、早坂は黙って聞いていた。

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