双葉の兄になりたいだけの人生だった   作:水羊羹量産計画

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GOSICKでは、ヴィクトリカちゃんが好きなので初投稿です。


2駅目 蛹室

 

4月13日(水)

 

 

 球技大会はクソだ。

 運動会とか体育祭とか、お楽しみ会のドッジボールとか大縄跳びなんかも許されない。さっさと滅んで欲しい。

 

 などというと一部の運動好きから顰蹙を買いそうだが、この世には想像を絶するほどの運動音痴が実在するのだ。

 僕にとって体育は心の底から大嫌いな教科だ。長距離走でラスト1周に入ったときに、先にゴールしていたクラスメイトから盛大な拍手を送られた時には、人間の尊厳をここまで傷つけられる授業がこの世に存在するのかと感服したほどだ。

 とにかく、運動能力とかいうほとんど持って生まれたものを数値で評価するのはおかしいし、よしんば評価しても個人内評価にとどめるべきだと思う。当社比頑張ってるんだよこれでも。

 

 とにかく、僕は体育が嫌いだし、体育教師という生物も嫌いである。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いのだ。そこ、職業差別とか言わない。

 そして、この高校の体育教師もまた、僕にとっては憎たらしい奴だった。

 

「キャー! 鴨志田先生!!」

 

 エキシビションマッチなるもので生き生きとしてやがる。自分の発案で自分が一番活躍できる競技を設定して自分が一番活躍して悦に浸っているんだコイツ!

 いや、僕の個人的感情による偏見が多分に含まれているのは否定しないが、鴨志田先生先生すごーいと黄色い声を全身に浴びて満面の笑みを浮かべているのは事実である。

 

 遠巻きにそんな様子を眺めながら、帰宅部三人衆はくだを巻いていた。

 クラスから完全に浮いたのである。僕はあまりに運動ができなくて。芳澤さんは運動ができすぎて。これだから体育的イベントはいけない。ああそう、矢嶋は……よく分からないが、僕らの側に着いてきた。

 

「いやーすごい客寄せパンダっぷりだなあ。これが私立高の宿命か」

「元金メダリストの指導を受けられるって?」

 

 生徒を集められない私立校など潰れるだけ。元金メダリストという看板は大きいのだろう。実際、バレー部目当てで他県から越してくるという話も珍しくない。

 そんな訳で、秀尽学園では体育教師がヒエラルキートップに躍り出るとかいう、この世の終わりみたいなことになっている(主観)のだ。ピンときたから適当に受験した数ヶ月前の自分に考え直せと言いたい。

 

「まあ、いいコーチが重要なのは、どの競技でもそうですね」

「いい選手がそのままいいコーチになる訳じゃないでしょ」

「ごもっとも。けど、樋口さんよ、バレー部は実績があるんだよなぁ」

 

 一番手を付けられないタイプだ。

 そんな事を話しているうちに、エキシビションマッチも終了したらしい。サーブをもろに食らった被害者は引っ込んで、鴨志田先生は相変わらずの笑みでなんか偉そうなことを言っている。

 あいにく聞く耳は持ち合わせていないので、脳内で双葉の可愛かった記憶の再生をして時間を潰す。

 

「あ、そろそろ解散ですね」

「よっしゃ帰宅帰宅! また明日な!」

「やっと解放された……」

 

 これでしばらくは体育的行事とはおさらば。

 模範的帰宅部として、それぞれ家路につく。トリオといいつつ、見事に全員方向が違う。芳澤さんは僕同様、渋谷経由らしいが、今日は新体操の練習だ。

 

 

 駅のホームで電車を待つ。待つ、といっても都会の平日、たった数分だけだ。スマホをいじる人たちの後ろに並んで、この2日間の状況を整理するべく思考だけくるくる回す。

 

 ああ、それにしても。

 あんなのでも金メダルという錦の御旗があれば人気者。まったくもって理解に苦しむ。

 

『才能あるものが礼賛されるのは当然ではなくて?』

 

 余人に届かない声でリャナンシーが囁く。

 彼女は基本的に天才贔屓で、わりと価値基準が狂っている。とはいえ、彼女はあくまで妖精の類、社会生活を送る人間ではないから何の問題もない。

 しかし、もし狂っているのが人間だったらどうなるか。

 

 認知訶学。

 死の間際まで母が研究していたそれによれば、人間の認知と世界は往還するという。

 この理屈を一部を切り取ってみるなら、人間の認知……『それをどう思うか』が現実世界を塗り替える可能性があることになる。例えば、僕が体育教師というものを鬼だと認識したら現実の体育教師にも角が生えてくる、というような話。

 現代科学に正面から喧嘩を売るスタイルの学問未満である。

 

 だが昨日、僕は実際にそれを体験している。

 城だ。

 あれは、現実世界と重なった誰かの認知世界。誰かが心のレンズを通して見ている景色だ。あれほどの規模で歪んでいるなどまともではない。

 そして、おそらくその認知世界の持ち主は鴨志田先生だろう。現実世界でも偉そうだし。確証はないが確信はある。

 

『私も同意するわ。あなたは見ていなかったみたいだけど、あの男の肖像画があったの。とびっきり偉そうなのが』

 

 認知訶学において、認知世界は現実世界からも影響を受ける。こちらの方が理解しやすい考えだろう。

 

 自分の部屋を想像してみればいい。

 机の形、パソコンの位置、カーテンの色、それらをありありと想像できるのは、それまでその景色を繰り返し見てきたから。現実にはそこにいなくても、現実のその場所を脳内で再現できる。

 もちろん、現実世界で母親による片付けイベントが発生して、自分が知らないうちに叡智な本が机の上に置かれていたとしても、それを知らない限り、認知世界の叡智な本は隠されたままだ。

 つまり、現実世界のあらゆる刺激を受けて認知世界は形作られる。ここまでは現代科学の範囲内の話だ。

 

 認知訶学はもう一歩踏み込む。複数人の認知からなる集合的無意識、そこから汲み上げられた概念が個に変化を与えるのだ、と。

 

『それで、どうするの?

 今日は城に入れなかったわね』

 

 そう、今日は城に迷い込むことはなかった。認知世界なんて、普通、人が歩いていけない場所だから当たり前ではあるのだけど。

 そもそも昨日は、なぜ城になんて着いてしまったのだろう。

 雨宮先輩の発言から、一昨日も城に入れたらしい。昨日と一昨日は迷い込む条件が揃っていたということだろうか。雨宮先輩が五体満足で帰ってきている以上、化け物に遭遇しなくて済んだのだろうけれど、危ないことこの上ない。入れないならその方がいい。

 

『代わりにいつもの駅には……いかないのね』

 

 この東京では、集合的無意識は駅の形をしている。現実の駅とは少し違う、赤黒く無限に続くように見える線路と停車場の集合体だ。

 そして、そこには人間の無意識下の姿(しかも、誰かが考えるその人像まで混ざっているキメラだ)や、神話、伝承の存在に溢れている。

 

 リャナンシーもその一部。

 幼い日の僕は、彼女と例の駅で出会い、生命力の供給を対価に仲魔となる契約を結んだ。

 当時の僕はリャナンシーの伝承を知らなかった。リャナンシーを知っていたのは、他のたくさんの誰か。彼女は彼らの認知を支えに存在を保っていて、しかし僕の求めでその力を振るう存在になった。

 この現象もまた、認知訶学が示す『人間の認知と世界の往還』が正しいことの裏付けである。

 そして、これを利用すれば、

 

 

「一葉か?」

「雨宮先輩。先輩も今帰りだったんですね」

 

 と、そこで後ろから声をかけてきたのは雨宮先輩だった。

 ちょうどホームに滑り込んできた電車に乗り込み、扉とイスの角に収まった。今日はいい位置が取れた。雨宮先輩は相変わらず何を考えているんだかわからない顔で、窓越しのホームに視線をやっている。

 

「先輩は新しい学校に慣れました?」

「それを一葉が言うのか」

「新入生はみんな同じスタートラインでしょう。先輩の噂は僕の耳にも入ってきているので」

 

 もはや尾ひれが本体の噂ばかりだけれど。どうも出どころは学園の裏掲示板らしいが、リアルでも口さがない生徒たちの間で悪評が盛りに盛られている。

 試しに覗いた裏掲示板では、暴力事件の件だけでなく(それが割れているのも問題だが)酒だの薬物だの殺人だの、思いつく限りの犯罪行為が先輩のやったこととして列挙されていた。

 大本はともかく、複数人で書き込んでいるあたりは公立中学校以下の治安だなと思いました、まる。

 

「友達はできた」

「あの金髪の彼でしょう?」

「そうだ」

 

 彼は彼で有名人だ。

 名前は坂本竜司。教師相手に暴力沙汰を起こしたとかいう噂がある。実際のところ何があったのかは分からないが、退学になっていない時点で噂の大部分は尾ひれだろう。

 

「そういう一葉は?」

「帰宅部トリオを結成しました。全員方向が違うので今は一人ですけど」

 

 なんか友達できなかったやつの言い訳みたいだな。一応、芳澤さんと矢嶋は友達にカウントされるはずだ。多分。

 

「部活には入らないのか?」

「そこに費やせる時間と体力がないですから」

「もし両方あったら何かやりたい?」

「まあ、やりたいかもしれませんね」

 

 運動部は論外として、文化部に入るのは悪くないかも。

 

「けど、やらなきゃいけないことがあるので」

 

 双葉を構うより大事なことなんてない。結局そこに落ち着くがゆえの万年帰宅部なのだ。

 

 

 

「お、一葉。おかえりー」

「ただいま」

 

 双葉はベッドに寝転びながらスマホを弄っていた。もちろんただのスマホではない。僕のと同様、色々と双葉の手が入っている特製のおもちゃだ。

 双葉は昨日と打って変わって、機嫌がいい。パタパタと足を振っている。

 

「ふふふ、今日はカレーだぞ」

「知ってた」

 

 家に入ったときから、なんなら玄関から香辛料のいい匂いがしていた。佐倉さんの作るカレーは絶品だ。喫茶店ルブランの人気メニューであり、僕らにとって唯一の母の味でもある。

 ごろんと転がって仰向けになった双葉がスマホ越しにこちらへ視線を送る。ベッドに収まりきらなかった長髪が端からサラサラ流れ落ちた。

 

「一葉、とってきて。一緒に食べよ」

「うん」

 

 佐倉さんと食べよう、とか。

 双葉も来なよ、とか。

 言ったところで双葉は聞かないし、というか、多分そうしたくてもできない。だから、せめて双葉の求めに応じるだけ。

 

 佐倉さんに断りを入れて、2人分のカレー持って双葉の部屋に戻る。

 この部屋は双葉を守る繭のようなもので、いつの頃からか佐倉さんも入れてもらえなくなった。僕は今のところ締め出されずに済んでいる。

 

「もらってきたよ」

「ありがと。あ、そのルー多めのやつがいい」

「知ってる」

 

 いただきます、ベッドに座ってリスみたく頬張る双葉。隣に座ってもたぶん許してくれるだろうけど、前に持ち込んだクッションに座った。手が空かないから片手でいただきますをして、カレーを口に運ぶ。うん、美味しい。

 

「12日ぶりだ。毎日カレーがいいのに」

「さすがに毎日は……まあいけるけどさ」

「だよな!」

「佐倉さんに悪いよ。いろいろ手を変え品を変えやってくれてるし」

「遠慮するなって、前にそうじろうが言ってた」

「多分そういう意味じゃないと思う」

 

 その前ってのも、この家に来たばっかりくらいの頃のことだろうに。

 双葉の前で迂闊なことを言うと、一生それを引き合いに出されるのだ。忘れることを知らない双葉にとっては昨日も十年前も同じだから。

 

「ごちそうさま!」

「早くない?」

「こう、カレーを前にすると早く食べなきゃってなる。ならない?」

「なるけど、本能に乗っ取られすぎ」

「一葉も人のこと言えないし」

「それはそう」

 

 スプーンが止まらなくなる魔力があるので仕方ない。いつの間にか自分のカレー皿も空になっていた。双葉の皿も回収して、自分のものと重ねる。

 と、ベッドから降りて、猫みたいな仕草で双葉が隣に擦り寄ってきた。

 

「一葉、なにか悪巧みしてるでしょ」

「まあ多少ね。なに? またメジエド業したくなった?」

「んー、そういうのじゃない」

 

 こっちの件に双葉を関わらせるつもりはない。

 単純に危ないので。たぶん僕もリャナンシーなしで、となれば無事では済まない。

 

 認知世界で生身の人間が人ならざるものに殺されたら、現実でも死ぬ。それは随分前に、手ごろな虫を例の駅に連れ込んで実験済みだ。

 逆も多分そう。認知世界の自分を殺されたら、現実世界の自分も死ぬ。こっちは試していないけれど、認知訶学の理屈からしてほぼ間違いなくそうだ。

 

「ちゃんと帰ってきて」

「うん、うまくやる」

 

 つまり、完全犯罪が可能ということ。

 この研究をしていた母が突然死したのも、認知世界の仕組みを利用された可能性が高い。母の死後、研究が何者の手に渡ったのかは分からない。そもそもどこから湧いて出た研究なのかも。

 それでも、これがこの世のルールであるというのならば、いずれ誰かに発見されてしまうのは仕方のないことだったとはいえ、一部のものだけが認知世界を知る現状のままでは、絶対ろくなことにならないのが目に見えている。

 

 この件に深入りするということは、命を懸けるということ。

 

「ごめんね、一葉」

「双葉が謝る必要なんてない。僕が勝手に僕のやりたいことをやるだけなんだから」

 

 そんなこと、はじめから承知だ。

 けれど。

 

「……違う。怖くなった」

 

 ぎゅうと、控えめに袖が握られる。簡単に振り払えそうなくらい。

 けれど、続く言葉くらい予想がつくから、皿は一度床に置きなおす。

 

「一葉も死んじゃうかもって。

 最近物騒だから、ほら、精神暴走事件とか」

 

 精神暴走事件。

 ここのところ、続けて起きている事件群。何の前触れもなく心の制御ができなくなる、というか茫然自失となるというか、そういう話だ。確かそのせいで、何日か前にも地下鉄の脱線事故があった。

 これも、きっと認知世界と無関係ではない。母の研究がそういう使われ方をしている可能性がある。

 

 双葉は目と耳を塞いでいても、ちゃんと分かっている。

 

「どこにもいかないで。なんて、言ったらわがままだからって思うけど、でも、怖い」

 

 震える声が、今にもこぼれそうな雫が、壁に絡みつく蔦のように僕の手足を縛るのだ。

 双葉を守らなくてはならない。

 他の誰も、双葉を守らなかった。

 

「また、わたしが……惑わしちゃいけない。けど……ちがう、おかあさんを」

「双葉」

 

 ぶつぶつと言葉にもならないような音を口の端から零しながら双葉は背を丸める。

 こうなった双葉に言葉は届かない。ここではない何処かを見つめ、姿も見えない何者かに許しを請うのだ。

 表向き、母は育児ノイローゼになり自殺したことになっている。

 

「わたしが、いけないんだ。……わたしが…おかあさんを殺した」

「双葉、聞いて。お願いだから」

 

 違う。

 けれど、双葉の中ではそう認知されている。

 そのように大人たちの手で歪められた。子どもさえ丸め込んでしまえば、それが真実になるから。

 全ては認知訶学の秘匿のため。

 

「わたしが、おにいちゃんからおかあさんを盗ったんだ…!」

 

 僕はその場に居合わせなかった。

 母と出かけていた双葉と違って、僕は体調を崩していて家にいたから。その日、すぐに双葉は大人に連れて行かれて、やや遅れて僕も病院に『保護』された。

 僕は母の育児放棄の証拠にされるだけで済んだけれど、双葉は違う。聞き取りという名の洗脳を、安全圏にいた僕の分まで受けたのだ。双葉と再会したのはずっと後。

 そのときには、もう、双葉は正しく記憶を思い出せなくなっていた。

 

「……ごめん、わたし、また一葉を困らせた」

 

 しばらくして、双葉の手から力が抜けて、床にだらりと垂れた。

 先の冷え切った両の腕を取って、鏡写しの顔で笑いかける。うまくできなかったみたい、鏡の顔はくしゃりと歪んだ。

 涙をごまかすようにぐりぐりと腹に押しつけられた双葉の頭を髪の流れに沿ってそうっと撫ぜる。されるがままの双葉が、やがて何でもなかったように振る舞うまで、僕は静かな蛹室に留まるしかなかった。

 

一葉の読みですが、私は一葉という文字列として捉えているので音は問いません。何を当てても正解です。 気になるのであれば決めましょう。投票で多かったのが公式見解ということで、よろしくお願いします

  • カズハ
  • ヒトハ
  • イチヨウ
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