双葉の兄になりたいだけの人生だった   作:水羊羹量産計画

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シートン動物記ならドミノが好き。
以降、狐ポケにドミノと名付ける化物になったので初投稿です。



23駅目 クオリア

 

 

5月8日(日)

 

 

「その絵本、好きなの?」

 

 僕の隣。銀の長い髪を耳にかけて、新島さんは微笑んだ。

 この年頃の子どもが持つには、幼すぎると思われそうだ。けれど、しばらくぶりに手に取れた宝物を放したくなくて、少し日焼けした背表紙を指で撫ぜる。

 

「母に買ってもらったんです。ずっと、あの人の目に触れないように、とっておいたから」

「そう、大事なものなのね」

 

 けして暇ではないだろうに、こうして気に掛けてくれるのは、過去の彼女と似た状況にあるからか。

 警戒を解くためだろう。はじめに、彼女は自分の話をいくつかしてくれた。他愛もない話が多かったけれど、警察だった父を亡くしてから妹と暮らしているという話も聞いていた。

 

「有罪になりますか?」

「99%ね。あなたのおかげよ。協力してくれてありがとう」

「……はい」

 

 元々、捜査に協力するつもりはなかった。

 叔父の家を出たとて、親のない僕らには他に行く当てなんてないと思っていた。

 何でもない顔をしていればいいと思ったのだ。双葉が安全ならそれでいい、大人になるまでの辛抱だからと。けれど。

 

「この先のことを不安に思うのも、無理ないわ」

 

 言い淀んだ理由を、不安と思ったのだろう。冴さんは、幼い子どもに言い聞かせるように、声の調子を緩めて言葉を紡いだ。

 

「…佐倉さんって、僕はあまり覚えてないです。双葉は大丈夫って言うけど」

「信じられない?」

「そんなことありません。でも、良いのかなって」

「良いから、引き取ると提案があったのでしょう?」

 

 双葉が信を置く相手なら、大丈夫なのは分かっている。

 問題はそこではない。

 僕のやっていたことは、かえって双葉に迷惑をかける事だったのではないか。そういう疑いを棄却できずにいる。

 

「…結局、僕は双葉の重荷なのかも」

「いいえ、それは違う」

 

 新島さんは僕の前でしゃがんだ。

 視線が逃げ場を失って、新島さんを真正面から見つめることになる。

 

「大事なの。何をしてでも守りたいと思うほど」

 

 そうだろうか。

 新島さんはそう言うけれど、このときの僕は素直に頷けなかった。

 

 仮に双葉がそう思ってくれていたとして、僕は双葉に何ができるだろう。……わからない。僕のできることは双葉がもっと上手にできるのに。

 せめて、ちゃんとしようと思った。双葉に守られなくてもいいように、今度はうまくやらなければ。

 

 

 

 目を覚ますと、日はもう高く昇っていた。

 一度、普通に起きたのだけど、休日の睡魔に抗えずに二度寝をしてしまった。これで睡眠負債は帳消しになったと思いたい。

 

 なんだか昔の夢を見ていた気がする。

 あまり良い思い出ではない。けれど、比較的マシな方だったので飛び起きるようなことではなかった。

 夢見の悪さから、気持ちが落ちているのが自分でも分かる。とはいえ、眠れているなら問題ないと前に武見先生が言っていた。なら、まあ問題ないのだろう。

 

 

 あの後、僕らはここに越してきた。

 

 苗字も小学校も変わって、慣れるまでずいぶんかかったのを覚えている。

 佐倉さんは快く衣食住を提供してくれた。母と交友関係があったのは知っていたけれど……それにしても、ただの知り合いの子どもにするようなことではない。

 血の繋がりがあったとて、面倒を見てくれるとは限らないのに。

 

 叔父は、いい意味でも悪い意味でも普通の人だった。

 縁を切ったと思っていた…それも、常に自分よりも優秀だと持て囃されていた姉が、どこの誰とも知れない相手と子どもを作った挙げ句、育児ノイローゼで自殺した。

 そう聞かされて、血縁だからその子どもを育てろと押し付けられて、「はい、そうですか」と簡単に受け入れられるほどの異常性を叔父は持っていなかった。

 

 なお悪いことに、双葉は彼の姉同様、天才に区分される人間だった。

 その利発さは叔父の自尊心を傷つけるのには充分で、けれど幼き日に抱いた姉への憧憬は忘れられず……だから、そうでないもう片方に矛先が向いた。それだけの話。

 

 あの家での生活は、少なくとも双葉は安全だった。それに、叔父の考えも全く分からないでもない。だからだろうか、あの時の僕は叔父を許していた。

 気の毒だと思った。身内でなければまだ良かっただろうに、と。

 

「…馬鹿馬鹿しい」

 

 結局、叔父には罰金刑が科された。

 それが全てで、他の余分なものは大事に抱えていても意味はない。

 

 

 

 今日の双葉は不機嫌な日のようで、自室の鍵を閉めていた。

 

 話しかけるともごもごと反応が返ってくるので、起きていることだけ分かる。

 佐倉さんが朝食にラップをかけて部屋の前に置いていった様だけれど、この時間になっても手をつける気配がなかったので、断りを入れて冷蔵庫に入れた。

 

 双葉がこの調子だと、何となく落ち着かない。ここのところ、機嫌のいい日が続いていたのもあって落差を感じる。

 

 双葉を構う用がないので、すっかりやることがなくなってしまった。

 洗濯や掃除も佐倉さんがいつの間にか済ませていたし、前に図書館で借りた本は通学中に読み終わってしまった。

 

「やること……あ」

 

 定期試験の勉強会があった。

 教えることになった手前、全く何も準備せずにいるのもきまりが悪い。鞄にしまいっぱなしの教科書を取り出して、ひと通りテスト範囲に目を通してみる。

 初回のテスト範囲だから、さほど難しいことはやっていない。考えることよりも、そのための材料を覚えることの方が重要な感じで、わざわざ会を開いてまで教えることは多くなさそうに見える。やれたとして数学くらいだと思う。

 

 一回さらうだけで、内容をほとんど覚えられるのはつくづく便利な頭だ。

 こう感じるのは、多分そうでなかった頃の感覚が抜けていないから。おぼろげな感覚を頼りに、どの問題が難しいか順位をつけておく。

 

 こういう感覚が一切ない双葉には、凡人が何に躓くかすら分からないだろうなと思う。

 双葉とほぼ同じ遺伝子で構成されているだけあって、脳の作りも似ているのだろう。おかげで、双葉の見ている世界が分かるときもある。分からない時も多いけれど。

 

『それ、面白いの?』

 

 リャナンシーは、退屈そうに欠伸をしている。

 彼女らのような存在は、肉体を持たないくせに思考も記憶もできるのだから不思議なものだ。

 以前、疑問に思って聞いたときには、『自分で覚えておけないなら、書いておけばいいのよ。そのための本じゃない』などと言っていたけれど、リャナンシーが本を持っているところを一度も見たことがない。

 

「面白くはないけど、やっといたほうが良いと思って」

『ニンゲンは不思議なことに意味を見出すのね』

 

 全ての価値基準が面白いかそうでないかになるあたりが、妖精だなあと思う。

 認知世界で出会うどの伝承上の存在も、快か不快かの二択で世界を見ている節がある。

 そこまで気楽になれたら、何に悩むでもなく幸せに過ごせるのだろうか。

 

 ……人間の命が物質的な体によって成立している以上、それは無理だ。

 体を生かすにはエネルギーが必要で、エネルギーを得るには武器が必要。人間が知恵という武器を失ったら、待っているのは滅亡しかない。

 

「分かり合えそうにないね」

『分かりきっていることよ』

 

 生きている世界が、見えているものが、根底から違うのだ。違うものが分かり合うなんてあり得ない。

 それた思考を修正して、机に向かい直すと、スマホの通知が点滅しているのに気づいた。確認すると、雨宮先輩からメッセージが届いている。

 

“竜司たちにも話した”

“次に行くとき声をかける”

“生徒会長に気をつけて”

 

 メメントスの件だろう。

 明言を避けているのは、多少警戒してくれているからだろうか。

 最後の一文は…よく分からない。唐突に生徒会長というワードが出てきた。しかも、気をつけろ、と。

 

 目をつけられたとか…?

 鴨志田先生の次は生徒会長とは、出る杭は打たれるというのはやはり格言だなと思う。

 鴨志田先生と雨宮先輩たちの間にトラブルがあったのは、多くの生徒の知るところだ。何か弱みを握って脅したのではないか、と思われても仕方ないだろう。

 とはいえ、認知世界のことは実際に行ってみなければ知りようがない。

 

 興味本位なら、向こうが飽きるまで知らぬ存ぜぬを通せばいい。

 そういうのは得意分野だ。

 

 

 

 

5月9日(月)

 

 

 自席に座ると、後ろから肩を叩かれた。振り向くと、嫌にニヤついた顔の矢嶋が、手で半分だけのメガホンを作って手招きした。耳を貸せということらしい。

 

「お前も隅に置けないなぁ」

「何のこと?」

「うちの美人生徒会長が、お前のこと聞いてきたぞ」

 

 普通に直球で来た。

 人を使わずに自ら調査をするタイプだったか。気をつけろと言われていたのもあって、少し身構えてしまう。

 

「ちなみに、何を聞いてきたの?」

「うん? 悩んだり孤立したりしてる生徒はいないか、だとさ。仕事熱心だよな」

「それクラス全体でって話では?」

「いや、それがさ、お前は名指しだったぞ。悪いことした先輩?と付き合いがあるのかって」

 

 そんなこと俺に聞かれてもな、とか何も知らない矢嶋は呑気なことを言っている。どうも、件の生徒会長は生徒会の活動の一環という体で、話を聞き回っているらしい。

 他学年にも関わらず、クラスのことを把握している人間に聞き取りをしているあたり、しっかり下調べをしていそうだ。

 

「あと芳澤さんも?

 あー…じゃあ、狙いはその不良か。意外だなぁ、あんなに真面目な感じなのに…いや、逆にか? 仕事にかこつけて?」

「下世話」

「樋口には早い話だったわ、失礼失礼」

「その台詞が一番失礼だよ」

 

 妄想で噂を作るな。

 やってることがほとんど裏掲示板の連中と同じだ。そう思ってくれていたほうが都合がいいけど。

 

 それはそれとして、芳澤さんも雨宮先輩と関わりがあったのか。

 噂をすれば、芳澤さんがやってきて、矢嶋によって話の輪に加えられた。

 

「…という訳よ。芳澤さんは、その先輩に心当たりある?」

「あ、はい。雨宮先輩のことですね。以前助けていただいたことがあって」

「モテそうだった?」

「え、ええと? 格好いい人だと思います…?」

「なるほど」

 

 矢嶋は神妙な面持ちで頷いた。

 何を言っても藪蛇になりそうで、沈黙を貫くことにする。

 

「隣同士なのに、それぞれ別に知り合った共通の先輩がいるなんて、どこか不思議な感じですね」

 

 芳澤さんは、特に何を気にするでもなく無邪気な笑みを見せた。

 

 

 

 昼休み。

 うっかり教室から出たのが間違いだった。待ち構えていたのだろう、上級生に呼び止められた。

 

「佐倉くんだよね、少しいいかな?」

 

 新島真。

 秀尽学園の生徒会長、ご本人様の登場だ。

 彼女とは直接話したことはないけれど、姉の新島…冴さんから少しだけ話を聞いているし、生徒の前で話しているのを何度か見かけているから顔も知っている。

 

「生徒会長、ですよね?」

「そう、生徒会長の新島真。

 少しだけ時間を貰ってもいい?」

 

 耳に焦げ茶色の髪をかけて、生徒会長はにこりと微笑んだ。

 雨宮先輩たちのことを睨んでいると思ったのに、こちらに来るとは。外堀を埋めてから、ということなのか。

 

 通行の邪魔になるからと壁際に誘導される。壁を背に、すぐ横に収まった生徒会長の顔を見上げた。

 

「突然ごめんね。

 生徒会の活動で、生徒に悩みや不安がないか話をよく聞こうって話になって、色々な人に声をかけてるの」

 

 それらしい台詞がよく出てくるものだ。あるいは、実際そういうキャンペーンをやろうと、生徒会で正式な手続きを踏んでいるかもしれない。

 

「そうなんですね。でも、悩みとかそういうのは特に」

「ああ、いいのいいの。初対面の人に急に言われて浮かぶようなものでもないでしょうし」

 

 話を終わらせようとした気配を察知して、生徒会長は先回りをした。簡単に逃げられないよう、対策くらいは練っているか。

 

「何ていうのかな。

 知り合いになっておけば、いざ困ったことがあったときに話せる相手が一人増えるでしょう? そういう活動なの」

「…地道ですね」

 

 ここで無理に逃げるのも難しいか。あきらめて、いくつか話をした。

 得意な教科はあるか、趣味は何か、学校は楽しいか、僕に佐倉さんが聞くみたいな質問のラインナップだ。うわべだけのやり取りを数回繰り返したあと、生徒会長が本題に切り込んだ。

 

「ああ、そうだ、君には聞きたいことがあったの。雨宮君っていったっけ。あの転校生と仲がいいの?」

「たまに話す程度です」

 

 生徒会長らしく、人が良さそうな感じの振る舞いだ。

 けれど、言葉ひとつ聞き逃すまいとしているのだろう、両の目は油断なくこちらを観察している。

 

「土曜日、一緒に登校していたでしょう? いろいろ噂もあるし、いやいや付き合わされているんじゃないかと思って」

 

 朝に矢嶋の話を聞いた時から、何となくこうなるんじゃないかとは思っていた。

 協力させられていると思われていたか。…いや実際に協力関係は結んだのだけど。

 

 姉の優秀さを考えると、下手に嘘やごまかしをすると、後から追求される可能性が高い。

 どこまで知られているだろう。

 冴さんが職務上の機密を漏らすとは思えないから、やや複雑な佐倉家の事情までは知らないはず。まあ、知っていても、初対面では知らないふりをするしかないだろうから同じことだ。

 少し声の調子と視線を落とす。

 

「色々あって、今は保護者が同じなんです」

「ごめんなさい、もしかして聞いちゃまずかった?」

 

 という言葉を引き出せたら、こちらのもの。

 ダメ押しに、なるべく言いたくなさそうに聞こえるよう間を取って、一言。

 

「…別に、隠していることじゃないですし」

 

 後は会うたびに少しよそよそしくしておけば、積極的に関わってこなくなるだろう。

 罪悪感につけ込むのは、申し訳ない気持ちもあるけれど、面倒事を避けるにはこれが一番手っ取り早い。

 

「もういいですか?」

「あ、うん。何かあったら、生徒会がいつでも相談に乗るから」

 

 それじゃあね、と軽く手を振って生徒会長は去っていった。

 

 何だったのだろう。 

 土曜日の登校時のことを知られていたということは、その前から張っていた訳で。単なる興味というには、気合が入りすぎている。

 

 あの件について、詳細を知りたい人間がいる、とか?

 

『…動向を見張りましょうか? 誰かに頼まれたなら報告をするはずよ』

 

 同じ結論に達したのだろう、姿を現したリャナンシーが耳元で囁く。長い金色の髪が視界の端で揺らめいた。

 

 確かに、またとない機会かもしれない。

 母の命を奪った誰かを見つけたいのであれば、何もかもかなぐり捨てて繋がりを手繰るのが正解だろう。

 

 でも、それは目的ではない。

 

『躊躇うことはないわ。ここはもう異界と重なっていないのだし、お守りもあるもの』

 

 たどり着いて何になる。また、双葉が太陽の下で笑うようになるとでも?

 そうでないなら、知ることには然程意味がない。

 

『あなたを傷つけたニンゲンがいるのなら、私が呪ってあげる』

 

 それは駄目だ。

 妖精は理解が及ばないことを言うわりに変に正直者なところがある。本当にやりかねない。

 首を横に振ったのを見て、リャナンシーはつまらなそうにため息をついた。

 

 

 

 放課後は、勉強会という名の面談待ちの時間になった。

 珍しく帰宅しない帰宅部トリオで机を囲んだ。矢嶋はどこから出したのか、お菓子をいくつも机に並べている。勉強会というより、誰かの誕生日パーティーみたいな様相だ。

 

「それで、洗い出しは済んだ?」

「……少しは?」

 

 ほぼやってないなこれ。丸々一日あって何をしていたんだか。

 机上のお菓子の群れから想像がついていたけれど、勉強に対するモチベーションはないと見て間違いない。言い出しっぺがこの感じでいいのだろうか。

 

「やったところまででいいから、分からなかったの教えて」

「古文全部……」

「それは覚えて」

 

 土曜日にも同じようなことを言ったと思うのだけど。

 

「何覚えたらいい?」

「単語と活用と話の流れが分かってれば何とかなるんじゃない?」

「全部じゃん」

「今までサボってた結果でしょ」

「えーん」

 

 雑に泣き真似をして、矢嶋は古文の単語帳とにらめっこし始めた。完全に個人競技だ。これなら勉強会である必要はない。

 何かと理由をつけて、駄弁りたかっただけだろう。

 

「芳澤さんは?」

「はい。数Ⅰだと、この辺りが…」

 

 まあいいか。

 高校生らしいことをして時間を過ごすのも平和的でいい。それに、こういうのは今の時期しかできないことだ。

 トリオを結成したはいいものの、いつも忙しい芳澤さんは輪から外れがち。矢嶋もそれを気にして勉強会を開いたのかも知れない。

 

「芳澤さん、古文のノート見せて……」

 

 ノートが目的かもしれない。

 

 

 

 

 

一葉の読みですが、私は一葉という文字列として捉えているので音は問いません。何を当てても正解です。 気になるのであれば決めましょう。投票で多かったのが公式見解ということで、よろしくお願いします

  • カズハ
  • ヒトハ
  • イチヨウ
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