双葉の兄になりたいだけの人生だった   作:水羊羹量産計画

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ロード・エルメロイⅡ世の事件簿ならライネスがすき。
なお、弊カルデアには居ないので初投稿です。




31駅目 記憶のよすが

 

 

5月23日(月)

 

 

 記憶とはなんだろう。

 母のことを思い出す参考にと思い、図書館で記憶に関連した本を借りた。

 

 脳に保存された情報であるならば、記憶は神経細胞の状態によって生み出された極めて物理的な事象のはずだ。

 本によれば、脳の神経回路の発達は小学校高学年くらいで大人と同じくらいに発達するのだという。

 それまでてんでバラバラにあった神経細胞が、回路として似た者同士の纏まりを形成することにより、スムーズに記憶にアクセスできるようになるらしい。一つ思い出すと芋づる式に似たようなことを思い出すのもこのためだ。

 

 三歳くらいまでの記憶は、ないのではなく思い出せないだけという説が有力。

 脳内言語がない状態では、見たもの、聞いたもの、嗅いだもの……それらはタグ付けされることなく、思い出すためのトリガーがない状態で保存されているとか。

 

「……納得いかない」

 

 はじめから脳内言語を持っているはずの転生者(仮)なのにしっかり幼児期健忘があるのはどういうことだろう。

 前世の記憶は前世の脳に保存されているから、思い出すのは無理だろうけど、今生になってからのことは覚えていてもいいのに。

 脳内言語の再獲得……脳神経の物理的なつながりが生まれるまで、通常の発育発達と同様の時間が必要なのだろうか。

 

 双葉はどうだろう。

 双葉は幼い頃のこともしっかり覚えている。

 脳内言語を獲得してから、記憶を改めて分類し直したのだろうか。それか、母語とは別に自分の記憶を体系化できるほどの脳内言語を生み出した、とか。

 もしくは、単に言葉で覚えていないか。見たまま、聞いたまま、嗅いだまま、情報を圧縮することなく優秀なメモリに書き込んでいたりして。天才だし。

 

 思考が逸れた。

 やはり、物質的なもののみによって記憶が形成されていると考えるのは無理がある。

 前世の記憶と思しき出所不明の知識や、肉体に寄らない情報の保存を可能にしている妖精などの存在…そういったものも説明可能な、もう一つ高次の概念が必要なのではないか。

 

 

「今日の本は一段と難しそうだし、これから降るな」

「どういう理屈?」

「お前の読んでる本占い」

 

 矢嶋は知らないうちに訳の分からないことを始めていた。今までも占われていたのだろうか。

 

「なにその…なに?」

「今や一大ブームなんだわ、俺の中で。結構当たるんだぜ。新宿の何とかってねーちゃんにゃ及ばないがな」

 

 人生が楽しそうで何より。

 

「てかさ、その本面白いの?」

「面白くはないかな。興味深くはあるけど」

 

 別にエンタメではないので。自分は読んでいて楽しいけど、一般受けはしないだろう。語り口が少し硬いし、注釈多いし。

 

「じゃ、役立ちそうな感じ?」

「うーん、まあ。人体の仕組みが分かるから。仕様が分からないものを操縦するのは難しいでしょ」

「頭でっかちだなぁ。習うより慣れろって言うじゃん」

 

 その辺で矢嶋は興味を失ったようで、最近バズっている動画の話を始めた。

 もとより本の中身には一切関心がなさそうだったし、話のとっかかりにしたかっただけらしい。面白さがすべての基準でいいのだろうか。

 

 

 

 家に帰ると、今日は双葉が出迎えてくれた。

 

「おかえり」

「ただいま」

 

 作戦会議のチャンスだ。

 せっかく協力者になってくれたのだし、これからの方針は固めておきたい。

 

「今日は部屋に行っていい?」

「うん」

 

 ぱしっと腕を掴まれて引っ張られる。このまま連れて行くつもりのようだ。仕方ないので途中で鞄を自分の部屋に放って、そのまま双葉の部屋へ。

 散らかり具合はまあまあ。足の踏み場が辛うじて残っているくらい。尖ったものと丸いものに気をつけて

 双葉は椅子の上にあぐらをかいている。僕もクッションに座った。当然ながら、認知世界と違ってバグっていないので安心。

 

「遊ぶ?」

 

 疑問形だけど、一緒に遊ぼうという意味だ。コントローラーを渡された。

 

「遊ぶけど、その前に」

「真面目な話の気配を察知」

 

 察しのいい双葉は、はじめから何のために部屋に来たかくらい予想していたのだろう。

 

「ふたりで、おかあさんの本当を探すんだよね。わたしはどうすればいい?」

「まずは、覚えていることを書き出そう。で、後で関連するものとかを結びつけて、全体像…母さんがどんな人だったのか推測する」

 

 これは、改めて母についての普通の記憶を作ろうという試みだ。

 おそらく通常の方法で保存されていない双葉の記憶を、外部に一度出力してから、不純物を除いて、通常行われる関連づけをする。普通なら特に意図せずに完成するものだろうことを、手間を掛けて再現する。

 

「よくある研究手法だな」

 

 先行研究…はないから、方法だけ真似ることにした。すでに効果を上げている例があるなら、それに習うべきだ。

 

「一葉は、成功しそうって思う?」

「ただの予想けど、うん」

 

 正解だけ提示される例の勘というよりは、順当に他の手を検討してダメそうだと思ったから出た結論だから、うまくいく確信はない。

 けれど、双葉には母についての認知の歪みがあることは間違いないし、全く目がないわけではない。

 

「思い出話か……」

「やめたければ、やめてもいいから」

「ううん。やめない」

 

 ぶんぶんと首を横に振る。想定よりもしっかりした返答だった。

 双葉だって、進んで嫌な思いはしたくないだろうに。

 

「一葉が必要って思ったんでしょ。

 それに、おかあさんのこと思い出してほしい」

 

 双葉がそんなことを考えていたなんて知らなかった。聞いてもいないのだから当たり前だ。

 

「そしたら…」

「そしたら?」

「……うれしい」

「そっか」

「うん」

 

 言って、はにかんで笑った。

 

「あのね、それならいいものある」

 

 双葉はくるっと椅子を回してモニターの方を向き、何処からか真新しいノートを取り出して見せびらかしてきた。双葉の部屋にノートなんてあるとは思っていなかったので少し驚く。

 ……驚くことばかりだ。

 双葉については知らないことの方が少ないと思っていたけれど、そうでもないのかもしれない。

 

「紙でやるの?」

「おかあさんはノート、よく作ってた。

 約束ノートも、わたしがおかあさんのノートを羨ましがったから作ってくれた」

「そうだっけ。双葉が頑張れるようにって作ったとばかり」

「それもある」

 

 はじめに書くのはノートの話に決めたようだ。これまたどこからかボールペンを出してノートに書き込んでいる。

 ペンに関しても使われているのを見たことがない。よく見たらフェザーマンが上についているから、グッズとして買ったはいいけれど、日の目を見なかったものだと思われる。

 

「後でまとめるときに時系列にしたいから、できれば日付も書いておいて」

「うん。書けたら出す。約束ノートとおんなじ」

「母さん、返事書いてたよね。夕飯の後、毎回。うっすら情景だけ覚えてる」

 

 絵か写真みたいに、明かりに照らされた母の横顔とノートが思い浮かぶ。

 

「ふふふ。じゃあ、おかあさんみたく一葉も返事書いて」

「返事って言われても…」

 

 当時の母がどんなことを書いていたかまでは、双葉の宝物入れに眠る実物を見ないと分からない。

 双葉は首を傾げた。

 

「悩むことか?

 何でもいい。覚えてることとか、思い出したこととか、感想とか」

「あまりにもノイズでは?」

「わたしが読みたい」

「分かった、書く」

 

 母のような返事を期待しているのではなく、母とやり取りをしていたときみたいに返事が返ってくることを期待していたのか。

 記録としては正確でなくなるけれど、まとめるときに弾けばいいか。それに、歪められた記憶が書かれていたとき、その場で指摘…というか、誘導ができるといい。

 

「できた」

 

 ノートとペンを渡された。この場で書けということか。

 ゲームのコントローラーを脇において、ノートのはじめのページを開くと、思った通り約束ノートを作ってもらったときの思い出が書いてあった。日付だけでなく、時刻まで書いてある。

 元々は母の研究ノートのあまりから作ったから、表紙には絵も写真もついていないものだったけれど、それが大人っぽいと双葉が喜んでいたのを思い出した。

 こういうことを追記すればいい。さっそく書き込んだ。

 

「うふふ」

「嬉しそうだね」

「これ、宝物入れに仕舞う。特別」

 

 早々に宝物判定を受けた、最初のページ以外新品のノートは双葉に回収された。角を指でなぞって、鼻歌なんか歌っている。

 少しすると満足したようで、宣言通り宝物入れになっている段ボール箱にノート仕舞い込むと、休止中だったパソコンを弄ってゲームを立ち上げた。

 

「じゃ、遊ぼう」

「うん」

 

 切り替えが早いのは双葉のいいところだ。たまに周りがついていけないけど。

 

 

 

 

5月24日(火)

 

 

「思い出してほしい、か」

 

 僕は、双葉の記憶を再構成することでスフィンクスの消滅を狙っている。

 けれど、そんな事情を知らない双葉は、本当の母を探すのを目的としつつも、この研究を通して、僕に母のことを思い出してもらうことも期待している。思い出したら嬉しいからと。

 そう言われてしまっては、可能なかぎり応じたい。こちらも何か思い出す努力ができたらいいと思う。

 

 今まで僕が母の話を避けていたから、双葉は気を使って言わないでいたのだろう。何だか申し訳ない。

 返事を書いてほしいと言われたけれど、本当に返事をするだけでは不十分な気がする。

 

 いっそ僕もノートを作って双葉からの返事を得るのはどうだろう。

 書いていくうちに次々思い出すかも知れないし、間違って覚えていることは修正してもらうのもいい。双葉の記憶力にかかれば、ノート一冊で終わるような記述の量では済まないのだから、冊数が増えることは問題にならない。余っているノートを一冊そっちに回そうか。

 

 記憶に関しては、認知訶学以外にもその元となった心理学が専門に取り扱っている分野だ。後は脳科学とか。

 後者に関しては伝手が一切ないので、ひとまず心理学の方をあたろう。

 

 もちろん、スマホの電源は落としておく。なんか格好悪いので。

 

 

 

 保健室の中で、丸喜先生がのんびりしている。

 通路側を向いて座っているから、外にいる僕にすぐ気づいて軽く手を振った。今日は一人のようだ。

 

「失礼します」

「やあ、佐倉くん。また来てくれたんだね」

 

 ドアが開けっぱなしになっている保健室に入って、前来たときと同様に椅子に座った。

 丸喜先生は飲み物を出してこようとして、冷蔵庫を覗いている。

 

「何か飲むかい? ジュースはリンゴとぶどうとオレンジ。あとはお茶だね」

「なら、ぶどうでお願いします」

「僕はリンゴにしようかな…いてっ!」

 

 閉めるときに指を挟んだらしく、悲鳴が聞こえた。

 両手にジュースを持った状態で、どうやったら挟めるのか謎だ。

 

「先生も運動音痴なんですね」

「君も螺旋階段を踏み外すタイプだったり?」

「まあ…はい……」

 

 こんなことで分かり合いたくなかった。

 

「机の上の、好きに食べていいよ」

 

 お菓子を勧められたので、手近なところにあった幸福そうなせんべいを選んだ。甘じょっぱい。

 

「前回の助言は役に立ったかな?」

「はい。ありがとうございました」

「それはよかった」

 

 色々な生徒を相手にしているだろうに、丸喜先生はこちらのことをきちんと覚えていた。

 背といい髪色といい目立つから、他人から覚えられることは多いけれど。

 

「あの、また聞きたいんですけど…忘れたことを思い出すコツとかありますか」

「君はどうも技術的なことを聞いてくるね。

 ぱっと思いつくのは、取っ掛かりを用意することかな」

 

 やはり、その方法になるか。双葉が書いたことを見て思い出すとかだ。自分の宝物入れを掘り返してもいいけれど、参考になりそうなものは僅かだ。

 

「特に嗅覚情報は記憶を呼び起こしやすいみたいだよ」

「匂いか…」

 

 難しいことを言われてしまった。

 もう、当時の家もなければ、母の持ち物もほとんど処分済みな訳で。匂いといえばカレーだけど、それで思い出すようなことは最初から忘れていないと思う。

 

「今回はあまり参考にならなかったみたいだね」

「いえ」

 

 全てが解決する答えを求めて来たわけではない。とはいえ、何かの足しになればと思っていたのも事実。

 少しの落胆を汲み取ったようで、丸喜先生は苦笑した。

 

「心理学は銀の弾丸にはなり得ない。人の心が読めるようになったり、劇的に変えたりするものではないんだ」

「…知っているつもりです」

「なら余計なお世話だったかな」

 

 僕には事情は分からないけど、と丸喜先生は前置きをした。

 

「もし、それが忘れたくて忘れたことなら、無理に思い出さなくてもいいんじゃないかい? 忘却は心を守るための一機能だからね」

 

 何か変な誤解を与えていそうに思った。

 そういう特別なことではなくて、単純な時間経過で記憶が薄れているだけだ。その理屈なら、最も忘れたいことに分類されるだろう、あの日のことを覚えているのはおかしい。

 

「困りごとがあるなら、気軽に話してくれていいんだよ。無理にとは言わないけど、そのために僕はここにいるんだし」

「はい」

 

 とは言ったものの、後が続かない。

 

「あはは、難しく考えないで。そうだな、恋バナでもする?」

「言い出しっぺからするものですよね」

「……やめとこうか」

 

 話題を変えてもらってなんだけど、そんなにしんなりするならテーマに挙げなければいいのに。

 丸喜先生が数日存在を忘れていた葉物野菜みたいになってしまったので、別の話題を考える。

 

 そういえば一つ、疑問に思っていたことがあった。内容が内容だから、他の人に聞かれることのないよう少し声のボリュームを落とした。

 

「丸喜先生って、ここに来る前から芳澤さんのカウンセリングをしてたんですよね」

「よく知ってるね。守秘義務違反をした記憶はないんだけど」

「本人から聞きました。同じクラス…というか隣の席ですし、よく話すので」

 

 芳澤さんのカウンセリングをしたというなら、現状をどう思っているのだろう。

 将来の破綻は避けられない。双子とはいえ、簡単に相手に成り代われるはずもないのだから。そうなったとき、何か手を考えているのだろうか。

 

「恋バナかな?」

「違います」

 

 わざとらしくすっとぼけないでほしい。そういう話の流れじゃないことくらい分からないはずない。

 

「彼女、今普通じゃないですよね」

「と言うと?」

「亡くなったお姉さんのように振る舞っていることです」

 

 これにはかなり驚いた様子だった。これに関しては、本人から聞いた、という範疇には収まらない情報だからだ。

 

「調べたのかい?」

 

 丸喜先生は少し非難するような口調で問う。

 後ろめたさからこう感じているだけかも知れないけど、少なくとも和やかな空気感ではなくなった。

 

「性分で。褒められたことじゃないのは分かっています」

「詳細を本人から聞いたわけではないんだね。なら、僕の口から具体的なことは何も言えない」

 

 仮に、詳細を聞いていたことにしたら何か話してくれただろうか。

 ないだろうなと思う。守秘義務で話せないからなのか、どうもこの話題には触れてほしくなさそうだ。

 

「あのままでいいと思えません」

「…真実が必ずしも救いになるとは限らないんじゃないかな」

 

 今の芳澤さんは、救われるために真実でないことを信じている?

 亡くなった姉のように振る舞っているのではなくて、自分が姉で亡くなったのは妹の方だと思いこんでいる、みたいな。

 それが救いになる状況には、一つ心当たりがある。

 例えば、自分のせいで相手が死んだ、とか。

 

「佐倉くんは、芳澤さんのことを心配しているんだね」

「心配というか……膨らんでいく風船を見ていられない、みたいな…?」

 

 仮に。仮に、自分のせいで双葉が死んだとしたら、普通でいられるとはとても思えない。芳澤姉妹にそのまま当てはめられることではないかもしれないけれど。

 

「怖い?」

「怖いですよ。だって、何もしなかったら死んじゃうかもしれないじゃないですか」

 

 母がそうだったみたいに。

 少しでもまずいと思ったなら、何か行動に移らなくては。何かあった後では遅いのだから。

 

「…何もできないかもしれませんけど」

「成果は一旦置いておいて、人に手を差し伸べるのは間違いなく良いことだと僕は信じているよ」

 

 良くなろうとする人は良い人、に近い理屈だ。助けられたかに関係なく、助けようとすることが良いことだと。

 そう思っていなければ、仕事として沢山の人の心を扱うことなんてできないのかもしれない。

 

 芳澤さんのことだけでなく、人の心を扱う仕事は結果が伴わない場面に溢れているはず。

 普段から双葉と関わっているから分かる。気持ちというものは厄介だ。梃子でも動かないこともあれば、簡単に話が進むこともある。今まで通用していたことが突然うまく行かなくなることも珍しくない。

 

「だから、先生はカウンセラーをやってるんですか?」

「そうかもね」

 

 丸喜先生はなんてことのないように言うけれど、並大抵のことではないと思った。

 

 

 





話数のズレを修正しました

一葉の読みですが、私は一葉という文字列として捉えているので音は問いません。何を当てても正解です。 気になるのであれば決めましょう。投票で多かったのが公式見解ということで、よろしくお願いします

  • カズハ
  • ヒトハ
  • イチヨウ
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