双葉の兄になりたいだけの人生だった   作:水羊羹量産計画

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ウマ娘ならケイエスミラクルが好き。
秋服をお迎えできて満足したので初投稿です。




33駅目 亀裂

 

5月26日(木)

 

 

「一葉、双葉を呼んでくれるか?」

「はい」

 

 夕食時、部屋にこもっている双葉を呼びに行くよう佐倉さんに頼まれた。

 調理中で今は手を離せない様子の佐倉さんに背を向けて、奥へ。双葉の部屋の戸を軽く叩く。

 

「双葉、夕飯。コロッケだって」

「要らない」

 

 返事はしてくれた。

 比較的マシな部類の機嫌の悪さをしている。交渉の余地はありそうに思う。

 

「でも、お腹空かない?」

「カップ麺ある。一葉はそうじろうと食べて」

 

 この様子では、今日は難しいかもしれない。佐倉さんのところに戻ろうとしたとき、小さな声がこちらを呼び止めた。

 

「あと、ノート書いた」

 

 少しだけドアを開けて、隙間からノートを差し出してくる。受け取ったらすぐに閉められると思いきや、そんなことはなく、身を翻して部屋の奥に戻った双葉は、いつもカップ麺を入れているレジ袋を漁っている。

 部屋はモニターの明かりだけの通常運転。また少し散らかってきている気がする。

 

「…これ最後の1個だ」

 

 双葉の言う通り、まとめ買いしておいたはずのカップ麺が底をついていた。知らないアイドルの顔がプリントされたカップ麺をじーっと見つめながら双葉が口を開く。

 

「ノート」

「あ、うん」

 

 読め、ということだろう。この間の続きのページを開く。

 相変わらず、双葉から見た母の姿が描かれている。ブランコを押してもらったとか、一緒に蝶を見たとか、当たり障りのない普通の話ばかり。

 

「分かってる。これじゃ駄目」

 

 背を向けたまま、双葉は言う。

 

「駄目ってことはないと思うよ?」

「無理にそういうこと言わなくていい」

 

 無理に言ったつもりもないのだけど。普通の話だって、降り積もれば良好な親子関係だったという根拠にできる。小さなプラスはけしてマイナスではないのに。

 2度も同じようなことを言わせたいわけではないので、大人しく黙ることにした。

 

「わたし、一葉に嫌な思いさせたくない」

「?」

 

 それを言うなら、嫌な思いをするのは双葉の方だろう。

 

「おかあさんのこと好きだったのを、今の一葉が思い出したらつらいだけ」

「…双葉の言いたいことは分かるけど、分からない」

 

 だから、思いついても書けなかったと言いたいのだろう。

 もう通り過ぎたことだ。仮にそうだったとして、こちらから持ち掛けたことを双葉が気にすることはないのに。

 

「そう、分からない。分からないの。一葉には。わたしが、おかあさんを殺したから」

「違う」

 

 反射的に否定して、失敗したと遅れて気づく。否定はするべきでないと言われていたのに、ついやってしまった。

 双葉がこの話題を出した時点で、もう冷静さを欠いているのは明確だった。

 

「違わない!

 だって、覚えてる。全部。遺書に書いてあった。わたしがわがままだったから、おかあさんはおかしくなっちゃった!」

 

 完全に火がついてしまった。

 こうなってからでは、落ち着くのを待つしかない。音量に耳がキーンとして塞いでしまいたいけれど、パニックに陥った双葉が怪我をしたらいけないと細腕を慎重に捕まえる。

 

「わたし、一葉もおかしくしてる…?」

 

 抜け出そうと思えば簡単に抜けられるくらいの力しか入れていないけれど、双葉は手首を拘束されたまま。

 見上げる視線はこちらを見ているようで見ていない。

 

「してない。双葉は何も」

「なら! 一葉がわたしに構う訳ない!」

 

 追い詰められている時の言葉は、追い詰められている時の言葉であって本心ではない。けれど、心にもないことが口から溢れるだろうか。

 

 双葉が冷静さを取り戻したのは、それからしばらく経ってから。

 体感しばらく、だから実際のところはそこまで時間は経っていないのだろうけど。

 

「ごめん。わたし、ひどいこと言った」

「いいよ」

「一葉に嫌な思いさせた」

「だから、いいって」

「いいわけない」

 

 そう双葉が主張するならそうなのだ。双葉の中で決まっていることを、外から変えるのはとても難しい。

 

「それ、買ってくる」

「…うん」

 

 一つ残っているのだから、今行く必要なんてどこにもない。

 でも、どうしてもこの場にいたくなくて、財布だけひっ掴んで早足で玄関へ。

 

「一葉、何かあったか?」

 

 途中、佐倉さんに声を掛けられる。双葉の叫び声は当然聞こえていただろう。

 少しでいいから放っておいてほしかった。

 

「少し、頭を冷やしてきます」

「夕飯は」

「ごめんなさい、戻ってからいただきます」

 

 きっと夕飯も冷めてしまう。でも、そんなことは関係ない。普通にしていられるうちに、どこかへ行ってしまいたかった。

 

「おい!」

 

 呼び止める声を振り切って、玄関を出た。

 

 

 

 佐倉家を飛び出したからといって、どこに行く当てもない。結局、言い訳に使った買い物をして、夜の四軒茶屋を歩く。

 ひんやりした夜風が吹くたびに、じわじわと後悔の念が浮かんでくる。

 

 馬鹿なことをしてしまった。本当に。

 双葉を傷つけるつもりも、佐倉さんにあんな態度をとるつもりもなかった。こんな風に、出ていくつもりだって。

 うまくいかないことなど、これまで何度だってあった。逃げ出したいと思うことも。でも、こういう形で実行したのは初めてかもしれない。

 

 帰らなきゃいけない。

 帰って、佐倉さんに謝って、双葉は…朝起きたらいつも通りになっていて。それだけのことだ。そうしたら、元通り。

 

 

 

 硬いブーツの音がして、ふと路地を見ると、気だるげな女医が缶コーヒーを片手に歩いていた。もう診療時間は過ぎているからか、いつもよりゆったりしているように見える。

 

「武見先生」

 

 声を掛けると、武見先生はにこりと笑った。親愛と言うよりは、トカゲを見つけた猫みたいな感じだったけど。

 

「あら、夜遊び?」

「見ての通り買い物です」

「そう」

 

 カップ麺で満たされたレジ袋を一瞥して、つまらなそうに頷く。何か小言をもらうかもと思ったけれど、特に何も言われなかった。

 向こうから仕掛けてきたのだし、1回ならいいだろう。

 

「先生は既製品に浮気ですか?」

「残念、今日はもうお邪魔したの」

 

 さらっと躱された。

 もう日が落ちてからしばらく経つのに、追加でカフェインをとって大丈夫なのだろうか。

 

「この間はすみません。何か帰らせちゃったみたいで」

「別にいいわ。

 若者にはタイミングがあるでしょう? その時じゃないといけない、後で取り返せないことが」

 

 別に待てるけど。小さい子ではないのだし。思ったけれど、適当に笑っておく。

 2回目は許してくれないだろう。あまり生意気なことを言うものではない。

 

「マスターと話しはできた?」

「はい」

「そう。

 もしかしなくても、妹さんのことよね?」

「…はい。それ以外ないですし」

 

 疑問の形はしていたけれど断定だった。多少なりとも事情を知っているわけで、何があったか分からずとも推測くらいはできて当然か。

 

「一般的に不登校は時間が解決することが多い、というのは…君には何の慰めにもならないか」

 

 武見先生は自身の医院を指した。

 

「上がりなさい」

「もう閉めたんじゃ…」

「寄り道したかったんじゃないの?」

 

 そうでなければ、見かけても話しかけてこないと思われていそう。そうだけど。

 今のまま双葉や佐倉さんに顔を合わせるのは…気まずい。

 

 ありがたく、上がらせてもらうことにした。

 武見先生の後について医院に入り、勧められるまま待合室のソファに座った。まだ何かしていたのだろうか、奥の診療室から明かりが漏れている。

 

「缶、捨ててくるわ」

 

 空き缶を振って何も音がしないのを確かめてから、武見先生は一度引っ込んだ。裏のゴミ捨て場に向かったのだろう。

 

「それで、今日はどうしたの?」

 

 戻って来てすぐに、武見先生もソファに足を組んで座り、いつものように問いかけた。

 結局そんな感じなんだ。なんだか面白く思えて、少し落ち着いてきた。

 

「逃げてきたんです。双葉とうまくいかなくて」

 

 僕と双葉の間にあるのは、一般的な兄妹の仲の良さとは違うもの。依存関係かと言われれば、まあそうなのだろう。

 けれど、単純な言葉で片付けるには少し質が違うように思う。

 

「思いつくこと、何をしても届かないんじゃないかって」

 

 思えばずっとそうだ。

 決定的なところでは、何も通じ合ってなどいない。合わせようとしたところだけが噛み合っている。誰より近くにいるのに。

 

「双葉に友達ができたんです」

「ふぅん」

「文字だけの繋がりで、会ったこともなくて」

 

 でも、自分よりも何でも話せる相手だ。

 

「だからなんですかね、先生が前に言ってたジェラシーみたいな?」

 

 双葉を芳澤さんに奪われたみたいに思ったのだろうか。

 それで、双葉と話してうまくいかなかったから耐えられなくなって逃げ出した、とか。今までと違うことなんてそのくらいしかない。

 

「双葉のこと分からないって思います」

 

 分からないものは、怖い。

 いや、そんなはずない。双葉は守るべき対象であって、他の誰より大切にすべき相手だ。

 

「ごめんなさい、要領を得なくて。

 ええと、ふたりで母のこと書き出そうとしてるんです。双葉もやる気になってくれて。でも、傷つけたくないって言われて…」

 

 何をしているかも知らずに、こんなことを聞かされていては困るだけだ。

 けれど、今の纏まらない脳内では、事情を話すのもうまくできそうになくて、結局それ以上何も言えないまま。

 

「うまくいかなかったら運が悪かった、うまくいったらあなたのおかげ」

「応援団か何かの理屈ですか?」

「救急救命。

 応援団は、負けたら応援団のせいになるじゃない」

「そういう話でしたっけ」

 

 少し違う気もするけれど。

 武海先生は少し声のボリュームを落とす。 

 

「おかしな力が働いて、なかったことになっているけど、本来なら医療が介入するべき話よ」

「医療…」

「信用できないか」

 

 端的に言えばそうなる。

 双葉をああしたのは、少なくとも警察を影響下に置ける存在だ。仮に、いま双葉を医療の手に委ねて、もしそうした介入があったら守り切れるのだろうか。今度こそ双葉は完全に壊れてしまうかもしれない。

 

「意思があっても実際難しい面もあるかな。

 小児の精神を診られるところは、本当に数がないの。優れた医者なんてのは日本で数人くらい」

 

 あくまで個人的な感想だけどね、と武海先生は付け加える。

 

「ま、専門家はたくさんの人を診てきているけれど、妹さんのことを一番知っているのは一葉くんでしょう?」

「それはそうですけど…」

 

 もう少し上手くやれたんじゃないかと思うことばかりだ。

 自分以外の誰かのほうが、いい。

 

「僕は双葉におかしくされたんですって。でなければ、自分に構う訳ないって」

 

 いつも、双葉の言うことは矛盾している。

 そばに居てほしいけれど、自由にしていてほしい。思い出してほしいけれど、思い出してほしくない。

 

「そう見えてたってことです」

 

 助けたいけれど、助けたくない。

 もし、自分もそうだったら、それはどんなにひどい裏切りだろう。

 

「君にとっては、妹を助けることよりも、どう思われるかの方が重要なの?」

「…いいえ」

 

 そんなものを認めていいはずがない。

 自分勝手な押しつけでも、最終的に双葉のためになれば、それが一番の正解だ。

 

「なら、気に病む必要はないわ。

 治療だって、必ずしも患者の同意が得られるわけじゃない。患者が未成年の場合は家族の意思が尊重される」

「それだと僕じゃなくて佐倉さんの意思ってことになりません?」

「そうね」

 

 そうらしい。

 まあ、でも。ふたりでやってこうなるくらいなら、はじめから佐倉さんにも協力をお願いする方がよかった気はする。考えてもいなかったけれど。

 もっと周囲を信頼するべきだと芳澤さんも言っていた。

 

「お邪魔しちゃってすみません、もう帰りますね」

「そう。お大事に」

 

 武見先生はひらひら手を振った。

 何がお大事になのだか。完全にいつもの台詞が口をついて出たというような感じだ。

 

 

 

 武海内科医院を出てすぐのところで、佐倉さんに出くわした。

 

「おい、一葉!」

「っ、…」

 

 耳慣れた声の、耳慣れない大声に驚く。逃げられるとでも思ったのだろうか、肩をぐっと強く掴まれた。

 捜しに出てきてくれたらしい。寄り道をしている間に結構な時間が経ってしまっていた。

 

「帰るぞ」

「はい」

 

 手を引かれて歩く。掴まれた肩がじくじく痛い。

 心配をかけて、たくさん捜させてしまった。佐倉さんは無言のまま歩いている。謝らないと、と思っていたのに。

 

「ごめんなさい」

 

 やっとの思いで絞り出した言葉に、返事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 親子が帰途につくのを確認してから、建物内に戻る。

 保護者に連絡を入れておいて正解だった。作業のお供にと自販機で購入した缶コーヒーが思わぬところで役に立った。

 

「…、はー、やめやめ」

 

 新薬開発の続きは一旦中断することにした。

 難易度の高い調合や再現性の低い現象と向き合うとき、最後は祈りやまじないの領域になる。ジンクスによれば、こういう日に続きをするべきではない。

 

 彼のことは、長年の引っかかりの一つだ。助けるべき相手だった、当時の自分が力及ばず届かなかったうちの一人。

 

 心ここにあらずといった様子でふらふらと歩いていると思ったら、声をかけてきたときにはすっかりいつもの調子。気を抜いているときは分かりやすく顔に出るくせに。あれでは、彼の母親も苦労したに違いない。

 追及の一つもなければ、平常通り振る舞うのは目に見えていた。

 

 

(……仲直りはしていないまま)

 

 入院後初めての妹との面会、その時に彼らは大喧嘩をしたという。

 実際見ていたわけではなく詳細は分からないけれど、こちらの耳にも届くくらい看護師たちの間で噂になっていた。

 

 保護されたときから、同年代に比べて一歩引いて物事を見ている大人びた子という印象だったから、それほどの大喧嘩に発展するとは思ってもいなかったから、非常に驚いたのを覚えている。

 

 いや。大人びた、という表現は適切ではない。

 母親や妹と会いたがるということもなく、その身に降りかかった災難を、はいそうですかと受け入れるような……思えば、少しの乖離があったのだと推測できる。

 

 それで、何があったのか翌日聞いてみたら、彼の中で全てなかったことになっていた。

 それ以外は何も変わった様子はなく、妹との面会だけを忘却したのだ。

 

 何かがあったのは間違いない。

 彼にとって母親を喪ったという知らせ以上に意味あることが。

 妹の方が覚えていて、その何かが万一にも彼に伝わらないようにしていたというなら、彼による状況説明についても理解できる。

 

(……妹にどう思われるか、か)

 

 本来、それは親に向けるものだ。庇護者に気に入られることで、自分の生存を有利に運ぶ本能的な発想。

 何事もなければ母親と結ばれるはずだった情緒的なつながりは、無慈悲な現実によって途切れた。代わる適切な庇護者、結びつく相手がないまま宙ぶらりんになった紐は、妹のそれと絡まっている。

 

 それでいて、彼は妹を助けることを望んだ。否、妹を助けようとする自分を。

 優れた妹と、そうでない自分。事実かどうかは関係ない。降り積もる劣等感の中で、良い兄として振る舞えるだけの精神の安定を得るには、心理的な優位性の確保が不可欠だったと考えるべき。

 彼が妹を助けようとする自分でいなければいられないのなら、行くも返すも地獄。

 

(…自覚させる? 今の彼に?)

 

 とてもできない。

 薄々感づいていて、なお蓋をするほどだ。妹だって躊躇するだろう。

 けれど、もう長くは持たないだろう。いっそ、もっと馬鹿に産まれていればよかっただろうに。

 

 また一つ、ルブランに行く理由が増えてしまった。

 

 

一葉の読みですが、私は一葉という文字列として捉えているので音は問いません。何を当てても正解です。 気になるのであれば決めましょう。投票で多かったのが公式見解ということで、よろしくお願いします

  • カズハ
  • ヒトハ
  • イチヨウ
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