電脳コイルならイサコが好き。
そろそろメガネの販売をして欲しいので初投稿です。
「ただいま」
家に戻っても双葉が玄関まで出てくることはなかった。寝ているか、何かに夢中になっているか。
双葉の部屋の前を通るとき、キーボードの音が聞こえて、起きていることはわかった。
はっきりさせる。
僕が双葉に望んでいること、双葉が僕に望んでいることを言葉にする儀式が必要だ。幼い頃とは差異が大きくなりすぎた。
「双葉、入っていい?」
「んー…好きにしろー」
気もそぞろな感じで返事が返ってきた。双葉は暗がりの中で何らかのコードを書いている。
中身は分からない。よく読めば分かるかもしれないけれど、人に見せることを一切想定していないからか、一見してかなり可読性の低い代物になっていた。
体裁を整える前にとりあえず脳内のものをすべて出力しておくのは昔からだ。打ち込むのすら思考速度と比較して遅すぎるのかもしれない。モニターの文字列はそのまま双葉の脳内を示しているみたいだ。
「一葉も遊ぶ?」
「今はいいかな」
「じゃ、何しに来た?」
回転椅子をくるっと回して、双葉はこちらを見上げた。画面の光に照らされて、ただでさえ白い肌が青白く見えた。
「双葉の考えが分からないから、教えてほしい」
「?」
分からないことが分からないという顔をされた。
「一葉は目的を達した。後は好きにしていい」
「好きにって」
「わたしか、芳澤か。その話でしょ?」
双葉が無言でいつものクッションを指さした。座れとのご命令だ。少しくたびれてきている。そろそろ買い替えどきかもしれない。
「うん。だけど、決めたいって思わないし、それ以外を全部切り捨ててるのも分からない」
「決めないことはできない」
「どうして。
前にも言ったけど、飯塚さんのあれはただの煽り文句でしょ。双葉が気にすることじゃない」
双葉はほんの僅かに目を見開いた。双葉の中で、こちらが何に困惑していたのか、やっと合点がいったらしい。
「ふたりとも学校が好きじゃなかった。
一葉が学校に行くのは、わたしと外界を繋ぐため。もう必要ないこと」
一瞬言っていることが理解できなくて、頭の中で反芻した。もう必要ない? 学校に行くこと自体が?
そんな話をしていたつもりはなかった。けれど、この様子を見るに双葉は初めからその話をしているつもりだったみたい。
つまり、双葉は僕の今後の身の振り方を色恋の選択肢と重ねて問うていた訳だ。
「いや、そうはならないでしょ」
「一葉は勉強を習う必要なんてない。わたしもそうだ。自分でできる。行く理由がない」
双葉が自由を取り戻したら、当然のように学校に行くと思っていた。
…いや、本気で思っていたわけではないのだけど、そうならいいとぼんやり思い描いていた夢想を否定されてしまったのが、たまらなく嫌だった。
「必要がなくても行くのは楽しいから。……違った?」
「だけじゃないよ。楽しいと思うこともたくさんあったけど、その先を考えたら、高校は行っておいたほうがいいと思うから」
「行かなくても高卒認定は取れる。……一葉が学校を楽しいって思えてよかった」
わたしには関係ないけど、と言外に言われた気がした。
双葉の中での学校生活は小学生時代で止まっている。忘れる機能のない双葉は、いくつになっても、学校とはあの小学校の続きにしかならない。それは当然の話だ。当然の話だけど。
楽しいことだけじゃない。理不尽も、不思議なことも、面白いこともある。双葉にも、同じ経験をして欲しかったのかもしれない。
「わたしはわたしで生きていく。一葉はわたしから自由になったこと、もっと喜んでいい」
「やめてよ」
なんだか力が抜けてしまう。
双葉本人から、こう突きつけられたのが、思ったよりもショックだったらしい。
「芳澤ならいいぞ。芳澤はいい子。一葉が芳澤√を選ぶならわたしは許す」
少し前までなら確実に嘘と分かった発言を、今の双葉は平然と放った。
気を引こうとか、逃さないようにしようという意図が一切なさそうに思えてきて、内心焦りが募っていく。
「双葉にも、こっちに来てほしい」
「わたしは行けない」
「ルブランでは、」
芳澤さんや矢嶋と話もできたじゃないか。言いかけて、やめる。
あそこは汽水域だ。
僕も佐倉さんもいる。最悪何かあった時に逃げられる目のある場所。家と社会との境界だった。
「わたしの前の一葉と、友達の前の一葉は別の顔をしてる」
結局、双葉は家にいる。
外に出られるようになっても、外を見ても、双葉が選ぶ場所はここだった。
「あの時、わたしだけ異星人だった。一葉が迷惑してるの、分かった。わたしの言葉には通訳が必要だから」
通訳をすることなんかで困らない。小さな頃からしてきたことだ。
ただ、どちらの顔をすればいいかわからなくなっていたのを、双葉はそう評価した。上手くやれたら違っていたのかも。後の祭りだけど。
「慣れれば双葉だって」
「一葉が鈍臭いのと一緒。根っこは変えられない」
「でも、できないなりに」
「しなくていい!」
思わぬ大声に、肩が跳ねた。
もうこれ以上何を言っても届かないと思った。双葉自身にその気がないなら、無理やりやらせたところで、入るものも入らない。
「望めば、もっと…遠くまで行ける」
言わんとしていることはわかる。
できないことにリソースをつぎ込むのは非効率、できるところを伸ばすべきという考え。大抵の人が一度は考えて、現実的に無理だと気づき諦める選択肢。
けれど、天才は例外だ。
特定の能力さえあればいいところ、というのは少ないながらある。
最も有名なのは、某検索エンジンの会社だろう。会社の利益になるか、それ以外のすべては問われない。実力主義の最高到達点みたいな場所だ。
こと数字の世界では魔法じみた才覚を見せる双葉なら、手が届くかもしれない。
「一葉は、どっちも選べる」
「過大評価だよ。僕は双葉じゃない」
「やろうとしてないだけ」
嘘だ。そんな訳あってたまるか。やる気だけでどうにかなる話なら誰も苦労しない。
まるで現実味のない話を、双葉は平気で続ける。
「6月中に玩具を完成させて、色んなところに送ってみる。営業…持ち込み? どこまでできるか見てて」
箸か棒にはかかるだろう、と思った。
根拠はない。玩具の中身さえ見当がついていないのだから。けれど、こういうのは大体当たるのが常だった。
誰かの目にとまって、特別な席を手に入れる。うまく扱える人のもとに行けさえすれば、すべてを飛び越して双葉はこの先やっていける。いけてしまう。
「どうして、そうしたいの?」
「できるからする」
答えているようで、答えになっていない。ただ、答えに淀みはなくて、それが当然だと本気で思っているらしい。
「できれば、わたしを選ぶべき。いとこ同士は鴨の味」
ちょっと、舐めてかかっていたのかもしれない。
双葉の考えは、想定していたよりも自由で、硬くて、鋭いものだった。世の中を知らないからそんなことが言えるのだ、と簡単に切って捨てることができたら、どんなにいいか。
「少し考えさせて」
「うん。すぐの話じゃない。芳澤とも話すといい。そしたら、公平だ」
双葉は床を蹴って再びモニターの方を向いた。衝撃で空のペットボトルが転がって、何かのプラスチックカップにぶつかって止まる。そろそろ掃除と片付けをしないといけない。
双葉の部屋の扉を閉めて、明順応まで1秒未満。夕日が差し込む自室に戻ってきた。
自分は双葉にどうなって欲しかったんだろう。
自由になってほしいと思っていた。何にも脅かされず、縛られず、生きていてほしいと。それだけなら、双葉の好きなようにさせるべき。
何をそんなに急いでいるのわからないけれど、今までの停滞を振り切るみたいに、双葉は最短で行けるところまで行くつもりだ。どこまで行けるか見たくないかと言われたら見たいに決まっている。
けれど、
「……嫌だなぁ」
双葉の言葉は正しい。けれど、正しさは双葉を守らない。
それが自明だったから双葉は悪い子になった。引きこもることを是としたし、メジエドなんて遊びもした。僕に対して好きなんて言い出したのも、その延長にあることとばかり思っていた。
けれど、もうそんなところに双葉はいなかった。もっとずっと先を歩いていた。
あの時倒した“弱い心”とは何だったのだろう。
ふと思い立って、宝物入れを開けた。元は練切が入っていた小さな四角形の和菓子のパックを取り出した。
百均の名前シールが貼られていて、ナガサキアゲハとだけ書いてある。黒の底面に擬態するみたいに黒い蝶が入っている。外骨格の生き物は、死んだ後も形が残るのがいい。
これは標本にはならなかったけれど、特別な一頭だった。
ナガサキアゲハは数年に一度見かけるような、この辺りでは稀で美しい蝶だ。
温暖化によって東京にまで飛来したのだろう、南国の蝶だけあって、幼虫のころから他種と比較して体が大きかった。メスともなれば尚の事。
けれど、今はこんな小さなパックに収まっている。理由は単純。縮れたまま固まった羽では、面積をとらないから。
たまに、羽が伸びない蝶がいる。
羽化直後の体が柔らかいときに十分な体液を送って広げられなかった場合、蛹に仕舞っていた頃のまま羽が硬化してしまうことがある。
縮れた部分を切ってやれば飛べるものもいるけれど、大抵は飼育下でなければ生きていけない。
寒さで十分に葉を食べられなかった晩秋の個体や、羽化直後に襲われて慌てて逃亡を図った個体などは縮れ羽になるリスクが高い。
そして、ナガサキアゲハは種族単位で縮れ羽になりやすい。
小柄で丈夫なナミや、大きくても力強いクロなどと違い、ナガサキは自重に耐えきれず羽化直後に掴まっていた蛹から落下して、羽を伸ばせない個体が明確に多かった。
飼育下でなければ上手に羽化したのだろうか。羽が広がっていたら、どんなに美しかっただろう。縮れた羽を羽ばたかせながら果汁を吸う蝶を見ながら、そんなことを思って。
およそ3週間後、蝶は卵も産まずに死んだ。
個体として見れば、飢えもせず、外敵にも襲われず、天寿を全うしたのだから幸せだろう。そもそも東京に定着してほしい蝶ではないから、卵を産んでほしかったわけでもない。
けれど、何かが引っかかって、捨てられなくて、亡骸を取っておくことにした。
「……できないよ」
双葉を選ぶなら、きっとこれは捨てなければならない。
6月10日(金)
帰宅部トリオで昼食を囲む。
今日は賢かったので購買のパンを手に入れた。特に好きでもないコロッケパンだけど、特別感が上乗せされているので満足。
「今日は購買なんですね」
「2年生がいないから倍率が低かった…気がする。多分いつもより入荷も少なかったと思うけど」
普段あまり買いに行かないのでわからないけれど、混んでいないというだけで買いやすかった。
「そう言うわりに、一番人気のカツサンドじゃないのな。俺は買えたけど。どうだ、羨ましかろう」
「あー、うん。よかったね」
「あまりお好きじゃないんですね」
「クッソ、別の奴に自慢してくる」
多分自慢が効く相手は全員買えたんじゃないかな。倍率的に。
「ただいま…」
案の定、一通り自慢に失敗したらしい矢嶋はすごすごと戻ってきた。
「あっそうそう、これ見ろよ」
矢嶋は外回りで面白いネタでも仕入れたのか、くっつけた机の中心にスマホを置いた。スピーカーモードにしているせいで大変騒がしい。周りは…それぞれお喋りに夢中だ。ならいいか。
画面には粗い映像が流れている。テレビを映しているらしい。
「なんかうちの学校の生徒が出てるって」
「あれ、映っているの雨宮先輩ですね」
「どこにでもいるなこの人」
くせ毛の頭とメガネの先輩が映っている。インタビューを受けているらしい。何人がテレビ局に行っているのか知らないけれど、ものすごい確率を通り抜けたものだ。面倒ごとと相思相愛すぎないか。そういう星のもとに生まれたんだろうな。
画面の中の雨宮先輩は、怪盗は正義と言い張るつもりらしい。
「テロップ見づら。ワンセグの限界だわ」
「スマホで見るものじゃないしね。怪盗団は法で裁かれるべき、だってさ」
「逆張り炎上商法?」
「最後の花火的な感じかな」
高校生探偵なんて名前で売り出している以上、賞味期限間近。長く売るつもりがないなら炎上商法もありなのかもしれない。
悪名は無名に勝るけど、元からそこそこ知名度がある人が可燃性の高い話題には触れるのは難しいだろう。おかげでこうしたテレビ番組で怪盗団のことはほんの軽くしか触れられていない。
よく調べもせずに見当違いなことを言ったら、首だけ突っ込んで状況を知った気になっている暇人に燃やされるし、かといって世の中の話題を網羅できるほど世界は狭くないので。
「えっと、たぶんそんなタイプじゃないと思います」
芳澤さんはそうは思わなかったらしく声を上げた。矢嶋がすばらしい危機察知能力ですぐに謝り倒す態勢に入った。
「悪い! 俺、ファンの前で言っちゃまずいこと言った…?」
「いえ、そういうことじゃないんですけど…彼とは知り合いなんです。父がテレビ関係の仕事をしているので」
「世界って狭いなぁ」
狭かった。
警察と足並みをそろえて調査をすすめている、なんて予防線を張っているし、しばらくは致命的な延焼にはならなさそうなのが上手だ。
「つまり、変なしゅーきょーとかの…マイマイコントロール? みたいなのを怪盗団がしてるって言いたい感じ?」
「たぶんそう。角とか槍とか出てそうだけど」
「えっと、マインドコントロールだと思います」
それよりずっと即物的かつ劇的だけど。悪用はいくらでもできる技術だし、そういう視点を持たれること自体に意外性はない。
「人を変えるのって悪なん?」
「さぁ」
そこじゃない気がする。
要は私刑を容認したら治安がめちゃくちゃになるから気をつけろ、的な話だ。それはそうだけど、誰にでもできることじゃないし、一回一回にコストと命がかかるから言うほど単純な話にもならない。
どうでもいいから適当に相槌を打っていたけれど、矢嶋はせっかく拾ってきた話題をもう少し広げたいらしく話を続けた。
「俺さ、算数嫌いだったんだけど、小学校の時の先生が面白くて気づいたらそこそこ好きになってたのよ。あ、数学は嫌い」
「いい出会いがあるといいですね」
「おん。未来に期待」
その前に高校卒業しそう。
「じゃなくて、明智の言う事が正しいなら、教師とかけーはつ?本も取り締まらなきゃいけないのでは?」
「それ言うなら人間に限らず、睡眠不足とか忙しいとか暑いとかだけで人って変わるよ」
生き物が外界と接している時点で、同一性を維持し続けるのは無理だと思う。
脂質とリンの膜だけで守れるものは多くない。生存するためには、その時の刺激にあった対応をする必要がある。隔離されている安定した環境があれば話は別だけど。
「人の意思って…?」
「幻想でしょ」
「冷たいなぁ。マンモスが毛皮ごと数万年残りそうなくらい冷たい」
ある意味では明智というのは人間を信頼しているのだろう。自分の意思が自分だけによって決定されていると信じているというか。
でなければ、テレビのバラエティなんかに出ないと思う。
「単純に、急に人が変わったように見えるから嫌なんじゃない?」
「あー……鴨志田先生のときのスピード感ビビったもんな」
「先生方も唖然としてましたからね」
身近な人が豹変するとしたら、良い方向であっても怖いと思う。
今までどおりに対応していたら、突然地雷を踏むかもしれないわけで。それが生存本能的に不快なんだと思う。ここに個人の意思は介在していない。
「で、手段が不明だから、見えない脅威があるかもっておびえてる感じ」
「完全に理解した」
「すごいです。私、ちょっとついて行けてません」
理解していない時のセリフと理解していない人の前で言うべきではないと思う。
「けど、人の心を変える力なんてあったら、やっぱり怖いですね。
犯罪に使われるかもっていうのも分かりますし、ライバルの勝ちたいって心を変えようって人もいると思います」
「技術そのものに罪はないでしょ。管理できてるかだけ」
やっと最初の話に戻ってきた。
遠回りしすぎだ。最初から結論だけ言っておけばよかったかもしれない。でも、それでは話がすぐ終わってしまっていたし、何も考えることもなかった。無駄がないことは綺麗だけど、発展の余地がない。こういった無駄な時間をすべて無視して進むのは間違っている気がした。
「怪盗団も正しく見えるけど、人間なら間違う時もあるよなぁ。やっぱ明智が正しいかも」
「掌返し早くない?」
「はっ! 今、心変えられた!?」
「ふふふ、怪盗団に盗まれちゃいましたね」
…双葉の気持ちを変えよう。
もう一度、今度こそ正攻法で。
一葉の読みですが、私は一葉という文字列として捉えているので音は問いません。何を当てても正解です。 気になるのであれば決めましょう。投票で多かったのが公式見解ということで、よろしくお願いします
-
カズハ
-
ヒトハ
-
イチヨウ
-
その他(感想へ)