半分の月がのぼる空ならが里香が好き。
この手のヒロインが絶滅したことを常日頃から嘆いているので初投稿です。
6月16日(木)
「双葉、起きてる?」
登校前、家を出る準備を全部済ませてから、閉じこもりモードの双葉にもう一度声をかけてみる。
「んー」
まだ寝ているかと思っていたけれど、返事があって、扉が僅かに開いた。中は真っ暗で、双葉は眩しそうに扉から差し込む光から逃れた。
「あのさ、」
「知ってる。芳澤と付き合い始めた」
ずいっと見せつけられたスマホ画面には、双葉と芳澤さんとのやりとり。
日付は昨日の夜、少し遅い時間だった。昨日の夕方、僕が帰ってきた時に双葉は寝ていたから、こちらが言うのと双葉が事情を知るのと順番が前後したらしい。なんてタイミングが悪い。
「おシアワセに」
1ミリも祝福していない声音で祝いの言葉を吐いて、双葉は乱暴に扉を閉めた。おまけに鍵をかける金属音までした。完全にへそを曲げている。
そりゃそうだ。何度となく自分を選ぶと聞かされていて、そのくせ別の人と付き合うなんて、裏切り以外の何物でもない。ツンケンした態度を見せてしまうのは当然と言えた。…分かっていてもショックだったけど。
そういう作戦だし。引いてみる作戦だから仕方ないし。
外は暗い。日はとっくに昇っているけれど、日差しの大部分は分厚い雲に遮られていた。
確か、午後から降ると天気予報が言っていたっけ。折りたたみの傘が鞄の中にあるのを確認してから家を出た。
「あ、一葉くん、おはようございます」
「おはよう」
芳澤さん、と続けようとして、いらぬ波風が立つのが嫌で黙ることにした。話すのが下手なやつは自分から地雷を踏むのだから、あまり口数を増やすべきではない。
芳澤さんは特に気に留めず、朝の支度を始めた。
そんなやり取りから違いを敏感に察知した矢嶋は、それはもう喜色満面で腕を引っ掴んできた。無言で教室の隅に連行される。普通に痛いからやめてほしい。
「おい待て樋口。これはそういうことなのか…!? ついに、お前にも…?」
「おそらく?」
「なんで疑問形なんだよ、当事者だろ」
そうなんだけど。
明らかに当事者以上に喜んでいるこいつはなんなんだろう。人のことなんだから放っといてほしい。
「そうかそうか、よかったなー。お父さんは嬉しいぞ」
「うちにそういうのいないから」
「あの…笑っていいやつ?」
「うん」
でなきゃ言うものか。最初からいないのは、ないのと一緒。
調子に乗って無意味に伸びた鼻を折ってやったので満足。向こうからからかってきたからノーカン、などとただの意地悪を正当化した。
「いやでも俺はずっと心配してたわけよ。お前にゃ誰かいないと駄目な感じだろ? 芳澤さんなら安心だわ。ひゅーお似合いだぜ」
「そうだね」
「…何かあった?」
あったと言えばあったし、ないと言えばない。
これまた説明のややこしい話だし、勝手に人のことを嗅ぎ回っていたという負い目もあって、人様には言いづらい。
「現状はまだ何も」
あるいは、もう終わってしまった後だ。
芳澤さんが片割れを亡くした事実は今から覆しようがないし、そんな事が起きたら普通でいられないことくらい分かる。そのまま、自己認識が片割れになるようなことも…あるかもしれない。同性だし。
けれど、長く保つはずない。遺伝的に同じであろうとも物質的な肉体がある以上、寸分の狂いもなく同じ環境で育つことはありえないし、年齢を重ねるごとに差は生まれてしまう。相手に成り代わるなんてことができるはずがなかった。
「将来的に起こりうる可能性は、ないのと一緒だから気にしなくていいと思う」
「…それは極論すぎない?」
空や天体が落ちてくることより現実味がある危機な気がする。
あと、ちょっと前の自分が内心思ったことを薄っすらトレースしてくるのやめてほしい。偶然だろうけど。……以前の目論見通り、矢嶋に思考回路が似てきている、とか? 猛烈に後悔の念が湧いてきた。
「お前も極端だろ。遠くの“かもしれない”ことばっか見てると隣の席の芳澤さんが見えないわけ。恋人らぶらぶ義務違反だから、それ」
「なにそのアホみたいな名称の義務」
「はあ、新参者なら無理もないか」
これになりたくない。でも、これでさえ今の自分よりちゃんとしてるのが…。頭が痛くなってきた。
「あー、ルールを頭に叩き込め。
相手がどれだけ自分に投資したか推測して、それよりちょっと大きな数字を提示するんだよ。デカすぎるのはアウトな。で、だんだん数字をでかくしてくの」
「なんで?」
「仲良くなるためだろ、そんなの」
「それ楽しい?」
「俺はすっげー楽しい。正解引くと超気持ちいいぞ」
腑に落ちないけれど理解はした。
恋人らぶらぶ義務違反というのは、相手が投資したコスト以下のものを返すことを指すみたい。しかし、そのルールだと際限なく差し出すものが大きくなっていく。
自分のすべてを差し出したところが結婚ということなら、人生の墓場と言われるのも納得かもしれない。
「…お前みたいなのが結構いるから少子化って止まらんよな。お見合いって大事」
「唐突に社会問題を背負わされた」
種の繁栄と個体の幸せは必ずしも一致しない。各々の幸福を追求する権利を持つ一個体に、種の繁栄とかいう全く別個の課題を抱えさせるのは筋違いじゃないだろうか。
即興でひねり出した反論は、友人義務違反に抵触する可能性があったので心に仕舞っておくことにした。
しかし、そう考えると僕は与えられてばかりだ。
芳澤さんは自分の目標のために忙しい。忙しい中、話を聞いてくれたり双葉の相手をしてくれたりと、たくさんの投資をしてくれている。
対して、僕は彼女に何をしてあげただろう。クラス内の平穏はほとんど双葉が提供したようなものだし、それすらも芳澤さんは運動能力向上の会でペイしているのである。
そのうえ今回の恋人仮契約。双葉の気を引くための関係なんて、初めから恋人らぶら…恋人義務違反である。
よくよく考えると、これは矢嶋や佐倉さん…ほかの誰に対しても当てはまることで、そういう感覚が自分のなかでかなり薄かったことにちょっと引いた。
言われてみればあたりまえだし、昔から知っていた一般常識の範囲内にあることだと思うのに。気をつけよう。生まれつきの性質に関してどうしようもなくても、せめて振る舞いだけはちゃんとしたい。
そうと決まれば、仮とはいえ関係を結んだ芳澤さんにはできる限りのことをするべきだ。
昼休み、購買に行こうと席を立つと隣の席から声がかかった。
「あ、一葉くん。待ってください」
手提げからひょいと取り出したのは、弁当箱。もはや見慣れてしまったお重の隣に、可愛らしく見える通常サイズの弁当箱が並ぶ。
視界の端で矢嶋がグッドのハンドサインをして去っていった。間違いなく面白がっている。購買に行くつもりらしいけれど、これは帰ってこないだろう。いや、帰ってきて遠目から見物かな。
「お弁当?」
「はい。作ってみました。中庭にでも行きませんか? もし、よければ召し上がってください」
「え、…うん」
さすがに教室でというのは恥ずかしかったので、連れ立って中庭へ向かう。
空は今にも降り出しそうな曇天だ。さすがに芝生に座る気はしなくて、自販機コーナーを見てみたけれど、今日は人がいた。仕方ないので隠れるみたいに校舎脇の軒下に収まった。
芳澤さんは、包みを解いて保冷剤を回収してから、弁当箱をこちらの膝に置いた。
「本当に貰っていいの?」
一応言ったけれど、捨てるにもコストがかかる以上、この状況から受け取り拒否なんてできるはずもない。芳澤さんにできることを考えようとした側から、また負債が増えている。
「自分のを作るついでですから。それに一葉くんは、最近はパンばかりでしょう?」
「あー…忙しくて」
料理をするのは母の料理に似せようとしたからで、母の料理に似せようとしていたのは双葉の母に焦がれる気持ちが根底にあったから。その執着を双葉が自ら断ち切った以上、僕が料理をする必要はなくなって、別に得意でも好きでもないのでやめてしまっていた。
という流れを説明するのが煩わしくて忙しいことにしてから、芳澤さんの方が忙しいのでは?と思った。これはひどい。
「偏った食生活はよくありません。食べた物から身体が作られるんですから」
芳澤さんはその点はスルーしてくれて、食品に含まれる栄養素の話などをしている。
話の通り、バランスのいい食事が弁当箱には詰まっていた。けして冷蔵庫の余り物をいい感じに処理したものではなく、これ用に買っただろうパプリカなどの彩り担当の野菜も入っている。
…おしゃれなご家庭では普段使いするのだろうか。こわい。
「ありがとう。すごく嬉しい」
「はい!」
透明な蓋(も、これだけ見栄えがいいものを中に詰めてもらえたなら本望だろう)を取ると、カレーの匂いが漂ってきた。この、明らかに冷食のラインナップにない揚げ物がカレー味なのだろう。
ひとまず、ポテトサラダをつまんでみた。…カレー味だった。
「……」
少し嫌な予感がしたので、隣の茹で野菜に箸を伸ばす。カレー味。
確信とともに、グラタンも食べてみる。当然のようにカレー味。
まさかと思いながら、白米にしか見えないご飯を食べてみる。どうしたことかカレー味。
ああ駄目だ、逃れられない。オレンジジュース味の透明飲料みたいな違和感が常に付き纏っている。
「あの、なんで全部カレーなの?」
「ええと、一葉くんの好みがわからなくて、カレーが好きというのは確定していたので…お口に合いませんでしたか?」
それで、全部カレー味になった、と。いや、そうはならないと思う。
見た目から想定する味と実際感じる味が乖離している不思議弁当だった。逆になんでこんな器用なことができるのだろう。
「普通に聞いてくれればいいのに」
「普通に聞いたら遠慮するだろうなと思いまして…」
するだろうな。そこの解像度はしっかりしているんだから、同じ感じで食べ物の好みも想定すればうまくいったのでは?
というか、出されたものに文句をつけることはない。食べられるものが出てくるなら何でもいいし、取り立てて好き嫌いというものもない。
「ええと、残していただいて構いませんから」
「いや、食べる。せっかく作ってもらったし」
味だけで言えば確かに美味しいのだ。見た目と一致していないだけで。
つまり、視覚情報を遮断すれば美味しく…駄目だ食感と味も一致しない。なんだこれ。正気で食べていいものじゃないかもしれない。
「あの…本当に無理に食べなくて大丈夫ですから」
「今度これの作り方教えて」
「え、あ、はい…?」
なにかこう、冒涜的ないたずらに使えそう。やらないけど。
「でも、ちょっとした誤解があるかも。
カレーが好きっていうか、いや、好きなんだけど…店のカレーが特別で。唯一完全な形で残ってるおふくろの味だから。他は真似してもちょっと違う」
記憶の通り見様見真似でやっても違うものができるということは、何か必要な情報を落としているのだろう。あるいは双葉ならと思うけれど、当時の双葉は調理に興味を持っていなかったので、そもそも見ていなかった可能性が高い。
「母さんが生きてた頃に、店のカレーを最適化したレシピを作ったんだって。それを今も佐倉さんが使ってくれてるの」
味の評価もあるけれど、思い出補正によって大幅に点を底上げしているルブランのカレーは、一般的なカレーと比較にならないのだった。
「私、もしかして空回ってましたか…?」
「ううん、すごく嬉しかった。僕のために用意してくれたんでしょ?
ルブランのカレーは美味しいけど、店に来る全てのお客さんのためのものだから」
これも、補正が入るので、実際の味以上に気に入っている。最近の女子みたいに食べ物の写真を撮っておかなかったのを少し後悔しているレベル。コメントをつけて取っておきたい。普通の弁当みたいだろ、これ全部カレー味なんだぜ。なんて。
芳澤さんは安心したようで、いつもの笑顔を取り戻した。
「でしたら、私も嬉しいです。全部カレー味にするのは今後控えますね」
「うん。……うん?」
「明日も作ってきていいですか?
リベンジさせてください。このままでは終われません…!」
何かに火がついてしまった。拳を握りしめてメラメラと闘志を燃やしている。絶対本腰入れて作ってくるやつだこれ。そんなに気合を入れなくてもいいのに。
無理に作らなくていいよのニュアンスをなんとかして伝えたい。
「負担にならなければ…?」
「はい。頑張ります!」
駄目だった。
「あの、参考までに、どれがお好みですか?」
芳澤さんは、どこからかメモを取り出して真剣な顔で書き込んでいる。
適当なことを答えたら後で矛盾が露呈しそう。だからといって、素直な感想を挙げたら“全部美味しい”になってしまうので、回答にかなり苦労した。持ちうる褒め言葉レパートリーを絞り尽くした気がする。
全面カレー味の不思議弁当の蓋を閉じる。…ちゃんと完食できてよかった。慣れてくると案外癖になるかもしれない。
洗って返すべきでは、と思って持っていた空箱は、あっという間に回収されて、片付けられてしまった。
「“かすみ”は、僕にして欲しいこととかある?」
「?」
芳澤さんはキョトンとした顔をして、小首を傾げた。赤茶のポニーテールがゆらゆら揺れている。
「だって、一応恋人だし…いろいろしてもらってるし」
「してほしいこと、ですか。なら、こっちに来てください」
手招きをされて少し芳澤さんの方に寄る。芳澤さんはぷくっと頬を膨らませた。
「…違います。もっと寄って…ふふっ、いい感じです」
双葉にだけ許した距離。肩と肩が触れて、相手の温度が伝わるくらい。久しく感じていなかった温度に、悔しいけどホッとする自分がいた。
「いつも隣にあの子がいたので。そばに誰もいないと少し落ち着きません」
片割れの代わりにする、と言っているようなものだった。
春先の芳澤さんが良くないものとして否定したこと。僕がそれでも良いのではないかと伝えたことでもある。喜んでいいのか分からない。
「メッセージのやりとりもしましょう。
おはようもおやすみも伝え合いたいですし、今してることも教えてほしいです。好きな食べ物も、よく行く遊び場も、ハマっていることも、全部全部知りたいです」
夢でも見ているように、軽やかにそんな他愛もない願いを口にして、彼女は微笑む。
「双葉ちゃんより私を見てください。学校にいるときだけで構いませんから」
大きな目が笑みのかたちに細められたまま、こちらをじっと見つめてる。怖いけれど、視線を逸らせない。
「私を、“芳澤かすみ”を幸せな女の子にしてください」
これが、今の芳澤さんが本当に望んでいることだ。
望みを叶えてあげることが正しいことなのか判断はつかない。けれど、少なくとも芳澤さんに提示するべき数字にはなりそうに思えた。
彼女が思い描く幸せの要件には“彼氏がいること”があったのだろうか。あるいは、年相応に“恋をすること”?
それを得られなかった片割れへの手向けとしては、あまりにも。
「わがままでしょうか?」
「ううん。叶える」
「…嬉しいです」
手をつなぐ。
少しも拒まれなかった。むしろ、細い指を絡めてくる。滑らかな肌は指先まで温かい。
ここに座るのは僕でなくてもいい。雨宮先輩でも他の素敵な誰かでもよかったかもしれない。そう思うと少し安心する。
それでも、選ばれたなら、必要とされた役割をうまく演りきりたいと思った。
一葉の読みですが、私は一葉という文字列として捉えているので音は問いません。何を当てても正解です。 気になるのであれば決めましょう。投票で多かったのが公式見解ということで、よろしくお願いします
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