双葉の兄になりたいだけの人生だった   作:水羊羹量産計画

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ナルキッソスのセツミが好き。
人に勧めた時に例の名曲が流れそうになって全力でネタバレを阻止したことがあるので初投稿です。




51駅目 霖雨

 

6月17日(金)

 

 

「双葉、起きてる?」

 

 双葉の部屋の扉を軽く叩いた。

 返事がないので少しだけ開けてみようとしたけれど、抜け目なく鍵がかかっている。開かずの扉と化してしまった。

 

「…また声かけるね」

 

 ここのところタイミングが合わないと思っていたけれど、こう何日も続くのは珍しい。

 居留守じゃないけど、起きていて返事をしていないだけなのかもしれない。

 

 嫌われてしまったかも。

 謝ったら、いつもみたいに許してもらえるかな。でも、引いてるときに押しちゃ駄目なんだっけ。

 どのみち、平日朝の登校前なんて短時間で解決できることではなさそうだった。

 

「一葉か。飯なら出来てる」

「ありがとうございます」

「双葉は?」

「さあ。少なくとも返事はしてくれません」

「…そうか」

 

 佐倉さんは、今の双葉のことを何とも思っていないのだろうか。…そんな訳ない。そんな訳なくあってほしい。

 

 けれど、そう、一歩引いてるんだ。

 プールの監視員みたいなもので、少し高いところから僕らを見ている。溺れたら助けてくれるかもしれないけど、たとえば水に顔をつけるのが怖いなんてことまで面倒は見てくれない。

 そんな距離が心地よくて、僕がそうするように仕向けたのもあるけど。

 

「最近、渋谷付近で怪しげなバイトが流行ってるらしいな。学校からメールが来ていた。気を付けろよ」

「はい」

 

 そんな気はないだろうけど、信用されてないみたいだ。衝動的に馬鹿みたいなことするって思われて……するときもあるけど。

 でも、お金のかかる遊びはしないし、佐倉さんから必要な分は貰っている。バイトをやらせてもらってもいいし、それでも本当に足りないなら認知世界の連中から巻き上げた貯金も残っている。

 というか、それ、前に担任も言っていたような…。なんで同時じゃないんだろ。相変わらずワンテンポどころではなく遅れている学校だ。

 

「行ってきます」

「いってらっしゃい」

 

 どうも居心地が悪い。

 喧嘩をしているわけでも、会話が成立してないわけでもないけど。佐倉さんもそうなのだろうか、行ってきますと伝えると、少しホッとしているように見えた。

 

 

 

 雨の日は好きだ。

 傘がある分、みんな自分の領域を意識して歩いている。雨音で余計な音がかき消されるのもいい。全体的に静かで落ち着く。いつも騒がしい通学路も雨降りのときは快適、楽に歩ける。

 色んなものに引っ掛けて傘の生存率が低かったり、傘を閉じるのにもたついて建物内との行き来の難易度が上がったりするから、全てが良いことばかりではないけれど、それでもメリットの方が大きい。

 

「一葉くん、おはようございます!」

 

 だから、こういう日に突然話しかけられるととても驚く。

 後ろから走ってくる足音は聞こえていたけれど、自分を追いかけていたとは思わなかった。

 

「おはよう、“かすみ”」

「…! えへへ」

 

 芳澤さんの顔がぱっと明るくなった。

 

「呼んでもらえて嬉しいです。一葉くんは恥ずかしがって、人前ではなかなか呼んでくれませんから」

「ごめん」

「許します。でも、ふたりきりのときは駄目ですよ」

 

 むず痒い…しかし、どこか恐ろしい空気に耐えかねて話題を変えることにした。

 

「今日も雨だね」

「梅雨ですからね。あ、でも、週末は晴れるみたいです。洗濯物はバッチリって、天気予報で言ってました」

「あー…何とかしなきゃ」

 

 僕と佐倉さんの分はともかく、双葉の洗濯物が出されていないのが気になる。

 部屋から出られないわけではないので、単純に出すのが面倒とかその辺りの理由で、部屋に脱ぎ捨てっぱなしなんだろうな。着たきり雀じゃないだけマシだけど。

 

「一葉くんって、家ではお洗濯もしているんですか?」

「料理と一緒でいつもじゃないよ。でも、置いてもらってる身だし、やれるならやらないと」

「そういうものなんですね…?」

 

 すごいなぁ、なんて芳澤さんは言うけれど、自分たちのことはなるべく自分たちでしないと佐倉さんに悪い。

 洗濯物もそうだけど、双葉の部屋の散らかり具合も気にかかる。しばらく手を入れてないからどうなっているやら。次の片付けのことを思うと気が重い。

 

「家事は双葉ちゃんと二人でやってるんですか?」

「ううん。双葉はやらない」

「それは……不公平なのでは?」

「いいの。料理はたまにしてくれるし」

 

 お湯を注ぐだけのものを料理と言っていいなら、だけど。

 芳澤さんは納得がいってなさそうだ。そういうことじゃないんだけど。

 

「ええとね、領分の問題なんだよ。同じことをやるにも、人によって注がないといけないエネルギーの量は違うでしょ。

 双葉にとってすごく大変なことは僕がやるし、僕ができないことは双葉がやる」

 

 群れで生活する生き物なら、役割分担があったほうがいい。まあ僕と双葉じゃ得意分野と苦手分野が似通っているから、完璧な分担にはならないのは仕方ない。

 

「でも、佐倉くんは双葉ちゃんに学校へ来てほしいんですよね」

「個人的なわがままだけどね」

「それに、佐倉くんはすごく苦手でも体育をサボりません」

「できないなりにやらないと」

「…やっぱり不公平です」

 

 それは…そうかもしれない。

 でも、双葉には守られる権利があるので。置かれた前提条件が違う。僕が少し出しすぎるくらいで、やっと釣り合いが取れる。

 

「そこは、妹の手前ちょっと格好つけたいってことで」

「ふふっ、なら仕方ないですね」

 

 そういうことにした。

 

「最近、双葉ちゃんとお話できていますか? その、私と付き合い始めたこととか 」

「あんまり。部屋に閉じこもりがちだし、今朝も声をかけたけど無反応」

「そうなんですね。

 実は私も、双葉ちゃんとお話できていないんです。私が言うのもおかしな話かもしれませんけど、やっぱり心配で」

「双葉のこと気にかけてくれてありがとう。でも、状況的には少し前に戻っただけだから」

 

 芳澤さんは双葉との付き合いがまだ浅いから、振れ幅に戸惑っているはず。

 状況が悪化したわけではないのだから、焦る必要はない。安心してほしいと伝えるべきだ。

 

「ええと、波と潮の満干みたいな感じで……短期的に見て悪くなっていることと長期的に見て良くなっていることが同時に起こることもあるんだよ」

「……難しいですね」

「後になってみないと結局どうだったのか分からないから、今は心配は置いておいて、様子見でいいと思う」

「はい」

 

 こういうことは何度もあった。

 少し前に進んだと思ったら2歩下がるみたいな…それが長く続いていたから、遠目で見たら停滞していた。今回はパレスの件もあって急に進んだ。だから、このまま何もかも解決するかもなんて…僕も期待しすぎていたのかも。

 

「…いいえ、流されるところでした。私が心配しているのは一葉くんも、です」

 

 芳澤さんは、人差し指で頬を引っ張り上げるみたいなジェスチャーをした。

 

「笑ってください。気持ちが明るくなります」

「…そうだね」

 

 芳澤さんはいつも笑顔だ。

 それに習って…というのは少し難易度が高い気がするけど、仏頂面でいて良いことはない。

 

 

 

 昼休み。

 今日は飯塚劇団の招集がかかった。

 芳澤さんに断りを入れて、中庭へ。せっかく(今日こそ普通の)お弁当を用意してもらったのだから、お礼と感想をちゃんと伝えたかったのだけど。

 

「さて、次の公演は何をしようか」

「あの、リベンジ…してもいいですか…?」

 

 飯塚さんの言葉を受けて、眼鏡ちゃんが蚊の鳴くような声で、しかし、しっかりと手を挙げた。準備でもしていたのだろうか、自信はこれっぽっちもなさそうだったけれど言葉を重ねていく。

 

「みんなのキャラを強調したのじゃなくて…ちゃんとしたお芝居を、やりたいです」

「詳しく聞かせてもらえるかい?」

「はっ、はい。

 ええと…ただの…面白グループなら、私は要りません。でも、私も…私にできることで、その…みんなのために、何かしたいって思います」

 

 賛成と矢嶋が真っ先に手を挙げたので、僕と眼鏡くんも追随する。

 

「台本、…その、こっそり書いてたんです。色んなのを参考にして…読んでくれますか?

 それで、あの…駄目なところあったら、教えてほしいんです。…私じゃなくて、えっと…みんなが面白いのがいい、ので」

 

 そんなに量があるわけでもないのでざっと目を通す。

 当然のように女性役が複数出てくるのは何なのだろう。自分で演じる気か、それとも。…飯塚さんの趣味が混ざっている気がする。やっぱり事前に作戦会議の作戦会議をしてたな。

 

「開演のタイミングは試験前でいいかな?」

「いいんじゃね?」

「えっと…私も賛成です。テスト後だと…その、日がありませんし……あと、防災教室のわくわくに相殺されそう…ですから」

 

 矢嶋に続いて眼鏡ちゃんの賛成票も入る。僕も同意して、あとはここまで発言なしの一人だけ。

 

「眼鏡くんもいいかい?」

「まあ。…いいよ」

 

 あまりよくなさそうな感じだった。

 とっくに劇団から心が離れているというか。今も参加しているのは眼鏡ちゃんが参加するからだろう。

 思ったより早く終わったから、こっちもさっさと芳澤さんのところに戻ろう。

 

 

 

6月18日(土)

 

 

 結局、昨日も今日も双葉には避けられっぱなしだ。

 いや、本当に生活時間帯的にすれ違っているだけの可能性も残ってはいるけれど。

 

 逆にありがたいかもしれない。

 双葉とちゃんと話さないといけないことは分かっていても、今のままでは何も変えられない気がする。こんな状況で、言葉をぶつけ合っても互いに嫌な思いをするだけだ。

 そう思うからあの態度なのか。双葉ならそのくらいの結論には簡単に辿り着けそうだ。

 

 とりあえず笑顔を作ってみる。

 芳澤さんの言う通り、気持ち、少しは前向きになった気がする。プラセボかもだけど。ずっとにこにこしていても不自然なので元通り。

 上手くやれたのか、人のことなどどうでもいいのか、特に誰に何を言われるでもなく授業を受けて半日が終わった。

 

 

 

 帰り道。

 四件茶屋の駅で、雨宮先輩に声をかけられた。否、正確には鞄に収まった飼い猫に。

 

『なあ、お前って男だよな』

「猫って人の雌雄くらい見てわかると思ってた」

『猫じゃねーし!

 …いや、うん? あれ?』

 

 反射的に突っ込んでしまって勝手に混乱している猫は放っておこう。

 ここでやっと飼い主が喋った。

 

「一葉にそっくりな女子を見た」

 

 どう考えても双葉だろう。

 出歩いてるんだ。いや、外に出られるようになったのだから、出歩くこともあるだろうけど。少し驚いた。今までの態度が態度だったし。

 

「ああ、それなら女装してました」

『マジかっ!?』

 

 猫の驚く顔って少し面白い。写真撮っておけばよかった。

 雨宮先輩は……これでも驚いた感じはない。うーん、鉄面皮。いつか驚いた顔を見てみたいけど、この感じでは難しそうだ。

 

「冗談です。雨宮先輩が見たの、たぶん妹の双葉ですね」

『初耳だぜ』

「言ってませんから」

 

 実際に双葉の姿を見たのなら、今さら隠して状況をややこしくする必要もないだろう。もう、色々と大丈夫になったのだし。

 

「一葉が助けたがってた人?」

「そうですね。…今、双葉が外に出られるようになったのは先輩たちのおかげです」

『……』

 

 直接的な援助こそ断ったけれど、先行事例を提供してくれたのも、勢いをつけてくれたのも怪盗団と言えた。

 黒猫の疑わしげな視線が刺さる。字面通りに取ればいいのに、変なところで人間っぽくて気持ち悪い。

 

「本当に感謝しているんです。これでも」

「まだ困ってる?」

 

 鋭いなぁ。

 困っていると訴えれば、雨宮先輩は手を差し伸べてくれるだろう。…誰にでも。そのために怪盗団なんてやっているのだから。

 

「ついこのあいだ芳澤さんを傘に入れていたと思ったら、今度は双葉ですか?」

 

 言ってから、恩のある相手に向けるにしては、生意気でキツい言い方だと内省した。

 これじゃ、小さな子どもの言い草と何ら変わりがない。武見先生の冗談を笑っていられなかった。

 

「ごめんなさい。でも、家のことですから」

 

 これ以上、関わってほしくない。

 いい人の前ではいい人でいたいのに、冷静でいられなくなる自分が嫌だ。雨宮先輩には何ら瑕疵はないのに。言葉は取り消せないから、いっそ失礼なやつと切り捨ててくれたらいい。

 

 

 

 

 一葉が逃げるように去っていったのを見て、蓮とモルガナは顔を見合わせる。

 

『ワガハイ、黙ってたほうがよかったか?』

「いや」

 

 モルガナには怒っていなかった。

 蓮は状況を振り返りつつ、手慰みにモルガナを撫で回した。逆撫でするな、などと喚きながらもモルガナはされるがままにされている。

 

『しかし、妹か……あの口振りだと引きこもりってやつだったのか?』

「聞いてみよう」

『そうだな。なあ、可笑しな話だが、アイツの妹…フタバとは他人という気がしない。お前もそうだろ?』

 

 一葉と話しているうちに、気づけばルブランの前まで来ていた。ここなら事情を聞くのに適任がいる。

 蓮は中に誰も客がいないのを確認して、店主の惣治郎に声をかけた。

 

「娘もいるのか?」

「なんだ、藪から棒に」

「一葉にそっくりな人を見かけた。一葉に聞いたら、双葉という妹がいると」

「…そうかい。一葉が、よく話したな」

 

 惣治郎は参ったな、といった様子で頭を掻いた。

 ここ2か月の間、蓮の素行に問題がないことは理解している。姿を見たと言うなら、顔合わせぐらいはしてもいい頃かもしれない。しかし、何から話したものかと惣治郎が頭を悩ませていると、先に蓮が言葉を足した。

 

「初めは女装していたと冗談を言われた」

「それ、本当に一葉が言ったのか?」

「妹に手を出すな、というようなことも」

「…いきなり話を振られたら、警戒もするだろうよ」

 

 惣治郎は、蓮が双葉についてというより二人の事情について聞こうとしているのではないかと見当をつけた。

 あまり勝手に話していい内容でもない。しかし、この居候は何かと嗅ぎ回りたがる。変につつかれて、一葉や双葉に嫌な思いをさせるのも本意ではなかった。

 

「あー…本人には言うなよ。

 一葉と双葉は…母親を亡くした後、ふたりきりで生きてきたようなもんだ」

「伯父の家に行ったのでは?」

 

 蓮の言葉に惣治郎は苦い顔をした。若者同士が親交を深める早さにはついていけない。

 

「それも話してるのか。

 …伯父というのがまた難しい人でな、特に一葉にあたりがキツかったらしい。一葉は妹の発案で似た格好…双葉も髪を切って寄せてたが、そういうことをしていた」

「なぜ?」

「…まあ、なんだ、どちらか判別する時間があれば、身を守る姿勢くらいは取れただろうからな」

 

 惣治郎は具体的なことは話さなかったが、およそ何が起きたのか想像できてしまったのだろう、モルガナの毛がぶわりと逆立った。

 本人から聞くまでは知らないふりしとけよ、と惣治郎は念押しする。

 

「嫌な思い出しかないだろうから、女装だのと…そういう冗談は言わないと思っていたが」

 

 惣治郎は首を傾げる。

 女装と聞いて一番に思い出す記憶を上書きされるような事態が一葉のクラスであったことは、この場の誰も知らなかった。

 

「あまり一葉を悪く思わないでやってくれ。話したってことは懐いてるんだろ、珍しく」

『懐いてる? あの態度で? ウソだろ…』

「双葉とは…機会があれば話してみるといい。元から居候のことは知ってるし、俺から伝えてみるよ。

 お前さえよければ、これからも気にかけてやってくれ」

 

 行った行った、惣治郎に追い立てられて蓮とモルガナは屋根裏部屋に上がった。蓮がベッドに腰掛けると、隣に飛び乗ったモルガナが彼を見上げた。

 

『なあ、ゴシュジンが言ってたこと…。なんでアイツは抵抗しないんだ? 不当に虐げられたなら、叛逆の心を持ってもおかしくないだろ?』

「三島や祐介も初めはそうだった」

『…諦めちまってるのか。助けは来ないと、来ても望むようなものじゃないと』

 

 モルガナは喉の奥でゴロゴロと音を立てている。当然、機嫌がいいからではない。落ち着きなくベッドを上り下りして、やがて端の方で丸くなった。

 

『……ワガハイは…ニンゲンは……いや、なんでもない。なんか、聞いちゃいけないこと聞いた気分だ。

 ……はあ。今は、怪盗団のやるべきことをやるぞ』

 

 

 





一葉の読みはカズハが公式見解となりました。
なお、別の読み方も正解です。漢字表記以外をする予定はないので好きに読んでくださいね。

一葉の読みですが、私は一葉という文字列として捉えているので音は問いません。何を当てても正解です。 気になるのであれば決めましょう。投票で多かったのが公式見解ということで、よろしくお願いします

  • カズハ
  • ヒトハ
  • イチヨウ
  • その他(感想へ)
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