双葉の兄になりたいだけの人生だった   作:水羊羹量産計画

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綿の国星のチビ猫が好き。
あの頭身のエプロンドレスからしか得られない栄養素があると思うので初投稿です。




56駅目 余裕

 

 

 四軒茶屋の道を歩く。

 隣には芳澤さん。双葉と話すなら自分も謝らないといけないから着いて行くと言って聞かなかった。

 善は急げ、とは少し違うけれど、次に彼女の予定が空くのを待っていたら一週間経ってしまう。そういう訳で、喫茶店を出てからすぐに二人して四茶に来たのだった。

 

「……」

 

 楽しい話題の一つも出せればいいのに、頭の中は双葉になんて釈明しようかということばかり。

 芳澤さんがこてんと首を傾げた。

 

「何に悩んでいるんですか?」

「結局、双葉を説得する方法はないなぁって」

 

 双葉の気を引くどころか、おそらく怒られるだけの結果になっている。

 素直に謝るのが一番だと理解していても、あれやこれやと逃げ道を考えてしまうのは性分なんだと思う。考えないようにしようとしても、一度そのことに注意がいってしまうと別の事に切り替えるのは中々難しい。

 芳澤さんを悪者にするわけにもいかないからもう一つの懸念のみ口にしたら、彼女は困った顔をした。状況を話しているから、言わんとすることにはすぐ察しが付いたらしい。

 

「要は、遠くに行っちゃうのが寂しいってことですよね」

「…平たく言えば」

 

 たったそれだけの、みっともない理由。

 

「こうなったら、言葉を飾らず素直に言ってみるのはどうでしょうか。

 私が現状を招いた原因でもあるので、偉そうなことを言えた立場ではありませんが…」

 

 何も言えずに押し黙る。

 でも、だって、なんて後ろ向きのことは、渡したかった言葉の受け取り手…片割れを亡くした芳澤さんの前で言えるはずもない。

 

「そうだね」

 

 返ってくる言葉が怖いだけ。

 逃げていた理由はそんなちっぽけなものだと薄々分かっている。

 

 双葉はもう僕を必要としていない。

 役割がなくなったら、側にいる意味がないどころか足枷になってしまう。こうなるのを長いこと望んでいたはずなのに、いざその時を迎えたら手放しで歓迎できないなんて。

 便利に使うために、近くに居たら良いくらいの地位に入れればいいけど、どうだろう。嫌だなぁ。さっさとフェードアウトすればいいのに、欲深にも双葉の目に留まりたいなんて思っている。

 

「双葉ちゃんに、一緒にいたいから学校に来てほしいって一度でも言いましたか?」

「少なくとも5年は言ってないと思う。昔言ったときにすごく嫌な思いをさせたから、ずっと避けてる」

 

 情に訴えかけるような説得は大抵の場合、双葉をパニックに陥れた。今となっては…その心配はないけれど、機嫌を損ねるだろうという予想はたやすい。

 

「なら言いましょう。

 記憶のなかの双葉ちゃんは、今は関係ありません。受け取るときによって言葉の重さは変わりますよ」

「うん、そうする」

 

 どのみち、双葉から怒られるイベントは避けられないのだから、不安なことが少し増えたところでさしたる差はない。

 自分に言い聞かせて、玄関の鍵を開けた。

 

 

「家にカノジョを連れ込むとは…見せつけに来たのか?」

 

 果たして、双葉は利口な飼い猫よろしく玄関で待ち構えていた。

 第一声からツンケンしている。表情こそあまり変わっていないけれど、全身から不満のオーラが滲み出ている気がする。

 

「違うよ。話したいことがあって」

「冗談だ。話をしに来るって芳澤から聞いている。だから起きた」

 

 寝起きだった。

 一日の中で、ほぼ最低値の機嫌を誇るタイミングである。芳澤さんが気を利かせて…というかこっちがまごまごしている間にさっさとメッセージを送ったおかげで、何とか活動モードに入っただけで本来なら寝ていたようだ。

 芳澤さんがいなかったら最低限の話すら聞いてもらえなかったかもしれない。

 

「わたしの部屋…は今はダメだ。居間だな、うん。一葉、お客様をお通ししろ」

 

 発言からして部屋は全く片付いていないみたい。あの状態の床を歩くのは、よく訓練された人でないと危ない。プラスチックの円柱と円錐台は特に危険だ。あれは踏むと転ぶ。

 ひとまず双葉の言う通り、芳澤さんを居間に案内した。

 

「芳澤、何か飲むか?

 水とオレンジジュースと牛乳と胡椒っぽいやつと怪物っぽいやつと翼を授かりそうなやつがあるぞ」

「お構いなく」

 

 後半を占めている知的飲料(仮)は、お客様に勧めるラインナップとしてはダメな気がする。特に来客などない家なのもあって、緑茶や紅茶、コーヒーといったものは需要がなかったために特に置いていなかった。

 

「そうか。じゃ、話だな」

 

 僕と芳澤さんの向かいに座って、双葉はテーブルに肘をついた。

 眠たげに半分閉じかかった目が、三角に吊り上がっていくのにそう時間はかからなかった。

 

 

「…というわけです」

 

 痛い。無言で足を蹴られた。

 狙いが末梢部分だったのは慈悲深さからくるものか…単にそれ以外届かなかっただけかも。

 

「動機は?」

「双葉のことが好きだから、どこにも行ってほしくないと思って…気を引くためにやりました…」

「私が共犯を持ちかけました」

 

 ごめんなさい、と謝る。

 続いて、裁判長は憮然とした態度で一つだけ言葉を投げてよこした。

 

「許す」

 

 許された。

 …のか?

 

 芳澤さんの前だから、これくらいで済ませてくれたなんて可能性もありそうだけど、そのあたりをつつく勇気はない。主に自業自得だし、蛇どころじゃない何かが飛び出してきそう。

 

「芳澤も許す。友達だからな、当然だ」

 

 こっちはにこやか(当社比)に言った。社交スキルは全く育っていないので、話している最中に笑顔を見せるなんていう高等テクニックはないけれど、明らかに声の質が違った。そんな器用なことができたのか。

 

「一葉はびっくりするくらい流されやすいから。芳澤も分かるでしょ、押せば押すだけ通るの。

 だから、そんなことだろうと思った。一葉が自分からわたし以外を選ぶはずがない」

 

 双葉は悪役みたいに笑いの三段活用をしてふんぞり返った。

 自信満々に見えて、そうでもないやつだなと当たりをつける。たまにやる推理もののミリしら犯人当てでギリギリ外さなかったときと大体一緒の反応をしている。

 その裏で、芳澤さんが耳打ちしてきた。

 

「これが“正妻の余裕”というものでしょうか…?」

「たぶん違うと思う」

 

 どこでそんなワード覚えたの。

 双葉は聞いていたのかいないのか、芳澤さんの方に向き直る。

 

「芳澤、ありがとう。義理立てしてくれて。後はわたしがよく言って聞かせる」

「はい。あの…」

「悪いようにはしない。もう暗くなってきたから早く帰るといい。また連絡する」

 

 双葉はひょいと椅子から降りて、話は終わったとばかりに芳澤さんに鞄を渡した。こんなにすんなりいくとは思っていなかった。芳澤さんも同様なのか、双葉にもう一度頭を下げた。

 

「あまり一葉くんを責めないであげてください。私が悪いんです」

「だとしても過失割合は7:3だな。うちの一葉がご迷惑をおかけした事実は残るぞ。ほら、一葉は駅まで送る」

 

 双葉だけが全てを理解した状況で、わけも分からぬまま、まとめて放り出された。

 

 

 

「ただいま」

 

 芳澤さんを駅まで送るミッションを達成したあと、家に戻ってきた。相変わらず玄関で待ち構えていた双葉は腕組みして仁王立ちしている。

 終始気まずかった芳澤さんとの時間も今と比べれば大したことではなかったのだろう。緊張感から心臓がバクバクと鳴っている。

 

「ん。じゃ、お説教。一葉の部屋行くぞ」

 

 双葉は我が物顔で僕の部屋の扉を開けると、ベッドの上によじ登った。ぺたんと平たく座ってポケットに手を突っ込むと、突っ立ったままのこちらを見上げる。

 

「ね、もっかい言って。わたしのことが好きだから…のやつ」

「双葉のことが好きだから、どこにも行ってほしくない「カット」

 

 カット…?

 

「うふふ、嬉しい。一葉がわたしのこと、そんなに好きなのが嬉しい。録音した」

「しないで…」

「やだ」

 

 とびきり意地悪な顔をしている。こういう時の双葉が一番生き生きしている気がする。こう…何か上手いことやっているとき。

 現在進行系で悪だくみをしているようで、それはそれは楽しそうに手招きされた。近づいたら腕を引かれて隣に座らされて、少しの重みとともに頭が肩の上に乗っかった。栗色の髪先が手の甲を擽る。

 

「一葉がわたしのことが好きで好きでたまらなくて、ちょっとでも離れたらさみしくて死んじゃうって言うなら、仕方ないからここで待っててあげる」

「それって、佐倉家にずっといるって意味だよね」

 

 当然、と双葉は頷く。

 しばらく黙っていると肩から温度が離れた。丸い瞳が眼鏡越しにこちらをじっと見据えている。

 

「…言わないなら待たないぞ」

「あっ、本当に言わなきゃ駄目なやつ?」

「うん」

 

 やけに簡単に許してもらえたと思ったら。

 双葉はこのためにわざわざ用意したのかボイスレコーダーをポケットから取り出して指差した。スマホの録音アプリとかじゃないあたりに機材への謎のこだわりを感じる。

 

「…双葉のことが好きで好きでたまらなくて、ちょっとでも離れたらさみしくて死んじゃう」

「よくできました」

 

 眼前でしっかり録音された。

 向こう数十年イジられる可能性が発生してしまった。身から出た錆なので甘んじて受け入れる他ない。

 主な生息地は電子の海と言っても過言ではない双葉だし、いくら怒っていてもネット上に晒したりはしないと思う。しかし、身内に見せて歩くくらいはするかもしれない。何かあるごとに、佐倉さんにアレを見せる、などと脅されそう。

 

「一葉に甘いこと囁いてくるやつへの特攻兵器にする。自衛もできないのが証明されたばかり。わたしが守ってあげないと心配」

「美味しくないから大丈夫でしょ。シュウ酸とかタンニンとか蓄えてるよ、多分」

「蓼食う虫も好きずき」

 

 その方向だったか。

 芳澤さんのときといい、双葉の許しがないと人と付き合う自由もないらしい。まあ、逆でもそうしたいとは思うので良しとした。

 

「というか、一葉はわたしが物理的に遠くへ行くと思ってたのか?」

 

 あっけらかんと言われたので、一瞬スルーしそうになって踏みとどまった。

 

「もしかしなくても、どこにも行かない感じ?」

「当たり前だ。

 どう転んでもテレワーク以外ないだろ。わたしだぞ。社会生活に適応できると思うか?」

「何でちょっと偉そうなのさ…」

「この場で一番偉いのはわたしだ」

 

 双葉は両手を腰に回して精一杯偉そうなポーズを見せた。返す言葉もない。

 というか、ここを出ていく気がないなら、さっきのアレは完全に言い損じゃないか。

 

「うふふふ」

 

 …そうでもないか。

 近くにいても、心が離れてしまったら意味がない。

 現実から切り離されたところで見えも聞こえもしないものに怯えていた双葉を宥めるのは、少なくともいい気分のすることではなかったと断言できる。

 

「でも、結論は同じ。一葉は芳澤を選ぶべき」

「え?」

 

 今度はスルーすることはなかったけれど、自分の耳を疑った。

 そういう流れだったっけ。だって、付き合う振りをしていただけで、本当は何でもなかったのに。

 

「一葉の恥ずかしーい告白聞いたから、前のときとは少し違う理由。わたしじゃなくて、芳澤のため」

 

 本当だぞ、と双葉は念押しする。

 

「今の芳澤はちょっと前のわたしみたいだ。

 全部に耳と目を塞いでいたくなる気持ち、分かる。嘘を信じているときも、本当のことも知ってるときもあって、ちゃんとしなきゃって思うし、できない。

 芳澤がずっと“かすみ”と“すみれ”の間で揺れているの、一葉も気づいてるでしょ」

 

 双葉は“芳澤”と彼女のことを呼ぶ。

 “すみれ”によって想定された“かすみ”も、“すみれ”の素の部分も含めて“芳澤”と表現していたらしい。

 

「浮気は許さない。

 でも、正直者の“かすみ”に免じて今回だけは猶予期間を設ける。“すみれ”が立ち直るまで、わたしが待たないと公平にならない」

「つまり、今までは双葉と芳澤さんの2項対立なら、双葉に傾くって前提で2択を迫ってた?」

「うん」

 

 色々と考えていたのが馬鹿みたいだ。

 

「普通なら芳澤に勝ち目のない卑怯なことをしてた。

 だから“すみれ”も話をするだけの機会で告白するなんて卑怯なことをした。それに関しては、わたしの見積もりが甘かったから仕方ないと思ってたけど、“かすみ”だけは誠実だった」

 

 卑怯だと思っても、一度決めたルールは遵守するのか。するだろうな。そういうところの融通がきくならもっと双葉は楽に生きていけた。

 双葉と芳澤さんとの間で、一体どんなやり取りがされていたのだろう。興味はあるけれど一生見たくない。

 

「芳澤と付き合い続けていいぞ。

 …ううん、今は下手に別れないほうがいい。“かすみ”は平気でも、“すみれ”は大丈夫じゃない。嘘の方に呑まれて出てこれなくなる」

「双葉は僕が芳澤さんと付き合うの嫌なんだよね…?」

「嫌に決まってる。

 でも、芳澤がつらい思いをするのも嫌だ。それに、最終的に一葉はわたしを選ぶから問題ない」

 

 双葉は水戸黄門の印籠みたいに例の録音機を掲げた。物証は大事だ、なんて言って一人でうんうん頷いている。

 

 それなら、芳澤さんは結局つらい思いはするのでは?

 いや、双葉に僕が必要でなくなったように、芳澤さんもそうなると踏んでいるのか。

 

「一葉は弱い人に寄り添うの、向いてると思う」

「僕には何もできないよ」

「うん。それでいい」

 

 いいわけない。

 側にいるだけじゃ立てない人もいる。双葉が強い子だったから、その理屈は何とか成立しているに過ぎない。

 

「わたしがおかしくなってたとき、一葉にひどいこと言った。みっともないところも見せた。でも、一葉は怒らないし逃げなかったでしょ。側にいて手を握ってくれた」

「他に何も出来なかったから」

「他に何もいらなかった」

 

 目を離したらどこかに消えてしまいそうで逃げることさえ怖かっただけなのに、双葉は軽ろやかに言ってのける。

 そんなことないのを知っている。正義の味方が助けてくれたなら、きっと双葉は差し伸べられた手を握り返す。とても自然な流れに感じる。堰き止めたのは自分だ。何の頼りにもならない、自分だ。

 

「結局、わたしのことはわたしが何とかする。芳澤もそう」

 

 自分の足で立つしかなかった、一番特別な女の子。

 

「わたしが生きるのを許せないときも、一葉は許してくれた。他の誰でもない」

 

 最も近い存在かつ全く異なる生き物。群れる生き物に生まれついて、なお燦然と輝く個。綺麗に翅を伸ばしきった彼女は、うっとりと囁く。

 

「だから、わたしは一葉を好きになったんだ」

 

 ああ、身に余る。

 そう強く在れたらいいのに。

 

「わたし、一葉にたくさん助けてもらった。一葉が認めなくても、わたしは認める」

 

 やめてほしい。そんなに言われたら、本当にそうだと信じそうになる。

 でも、正気の双葉が嘘を言うわけない。分かりやすい冗談を除いて双葉はいつも正直者だ。本当のところを言わないことはあっても、嘘をつくのは悪いことだという明確で単純なルールには従うのだ。

 だから、本心から双葉はそう思っていて…なら正しいのか。自分ではそう思えないけど。双葉のほうが優れているのだし、正答を引く確率は高いと思う。いや、待って。流されてる? ああもう、よく分からない。

 

「もう大丈夫。外に出られるのも、電車に乗れるのも証明したし、あと…あとは……とにかく、何でもできる。練習さえすれば。だから、今は芳澤を選んで。

 一葉はわたし以外の側にいていいし、好きになっていい」

 

 双葉は前にも聞いたような言い回しをした。突き放されたわけではないのだと、分かっただけでもよかったと思う。

 双葉に言われなくても、このまま芳澤さんのことを放り出すつもりはない。恋人という立ち位置の継続が許されたのは全くの予想外だったけれど。

 

「最後の一文のみダウト」

「バレたか」

「双葉検定1級だからね」

 

 やっと以前の調子が戻ってきた気がする。

 ひっついて甘えてくる頭を撫でたら、下手くそと文句を言われた。どうしろと。率直に疑問を口にしたら、一葉は何もしなくていいと返された。この場合、何もするなの意である。自分から触れるのは良くて触れられるのは嫌と仰せだった。

 満足するまで好きにさせていたら、数分ののち、双葉はぱっと離れた。

 

「芳澤に連絡するの忘れてた」

 

 1ミリも忘れてなどいないくせに、そういうことにして、双葉は部屋を出ていった。平常運転だ。

 何だかやっと安心して、息を吐いた。

 

 

一葉の読みですが、私は一葉という文字列として捉えているので音は問いません。何を当てても正解です。 気になるのであれば決めましょう。投票で多かったのが公式見解ということで、よろしくお願いします

  • カズハ
  • ヒトハ
  • イチヨウ
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