双葉の兄になりたいだけの人生だった   作:水羊羹量産計画

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犬夜叉なら弥勒が好き。
ただ、見ていた時期が昔すぎて何が好きだったのか何も覚えていないので初投稿です。




60駅目 沈黙

 

6月26日(日)

 

 

 夢を見た。

 すっかり忘れていた古い記憶。

 

 小学校に上がってすぐくらいの頃だろうか。

 坂道を駆け下りていく双葉を追いかけて、派手に転んだことがあった。両膝と両手を擦りむいて、傷口からじわじわと滲んでくる血をじっと見ていた。

 舗装のざらざらで少し深く削れたところが少し汚れていた。やだな、落としづらそう。砂が残らないようにしないと。

 そんな事をつらつら考えていると、気づけば母がすぐ近くにいた。肩に手が触れる。

 

「痛かったね、大丈夫だよ」

「……、」

 

 いつからだろう。

 以前は何も引っかかるところなんてなかった善意だけの言葉が、聞き流せないくらい刺々しいものに感じられるようになったのは。

 この頃にはすでに、“大丈夫”という言葉が嫌いだった。肩に添えられた手も。笑いかけてくる母の顔も。他者から気遣われること全般が。

 

「…ぅ…ひっ、く……」

 

 母に慰められるのはとりわけ苦手だった。

 それまで平気でいられたのに、優しい言葉を前にすると、幼い子どもの体は勝手に泣き出してしまう。身に纏ったものを全部剥がされて素顔を見られるみたいで、いたたまれない。

 母さんは、あるときから双葉にするみたいに僕を慰めるようになった。泣いてないのにどうしてそんなことをするのか、意味が分からない。慰めるから泣くことくらい、分かってるはずなのに。

 

「大丈夫、大丈夫。綺麗にして絆創膏貼って、そしたら痛くなくなるよ」

「…、っく……ひっく…」

 

 やめてほしかった。背など撫でないでほしい。

 けれど、そう思うこと自体が母の思いやりに背くことだと初めから知っていたから口が裂けても言えない。自分が泣き止むのをじっと待つことしかできなくて、いつも早く終われと祈るばかりでいた。

 

「ばんそうこー、わたしの使う?」

「…双葉は、っ……遊んでて」

「むー…! 知らないっ!」

 

 自然、こういった場面を回避しようとするようになった。

 

 なるべく挑戦的なことは避けて怪我をしないように、心配されることは避けて平気に見えるように。それでも、全部をうまくやれるはずもなく、時折困った事が起きる。そうすると、やっぱりやさしさに耐えられなくて、なかなか泣きやめなくなってしまう。

 体は大きくなってきて思うようにいくことも増えてきたのに、これだけは全然直る気配がなくて、むしろ年々悪化している気もする。ああ、嫌だ。こんなのおかしい。

 …おおむね、そんなような事を考えていたと思う。

 

 だから、この時の僕は、ひとまず双葉に聞いてみることにした。

 双葉は事あるごとに大泣きして母にひっつきに行っては慰めてもらっている。その後はしばらく機嫌がいいので、嫌だと感じるどころか嬉しく思っていそうだったので。

 

「双葉は母さんに撫でてもらうの好きだよね」

「うん。おかあさんにぎゅっとされたら、しあわせ。うれしい。でも、お兄ちゃんはちがう」

「…うん。知ってたの?」

「おかあさんも知ってるよ」

「あー…」

 

 母に負担はかけたくなかった。

 一人で二人の世話をして、仕事もして、家のこともして…大変でないはずがない。今の自分では母を助けられることはそう多くない。せめて、なるべく手の掛からないいい子でいたいと思う。

 

「嫌なのが嫌だから、何とかしたい。優しくされてうれしくないのは変だよ」

「むつかしいね」

 

 双葉はしばらく考え込んだ。

 

「うーん…ぎゅってしてもらうと、おともだちの気持ちもちょっとわかる気がする。いつもより、やさしくできる。

 まほうみたい。見えないものが見えるまほう。きっと、だからだよ」

「?」

 

 双葉の言うことは全部理解できるつもりでいたけれど、この時はどうしても分からなくて困ったっけ。

 今となっては分からないことだらけ。いちいち衝撃を受けたりしないけど。

 

「だって、まほうにかけられたら、今かなしいのが分かっちゃうでしょ。まえもかなしかったんだって気づいちゃうでしょ」

 

 つまり、平気な顔をしていた分のツケを払っているから泣きやめない、と。

 以前慰めてもらえなかった分まで貰おうとしているなんて強欲にも程がある。そんなのは慰める側からしたら知ったこっちゃない話だ。だって、相手が悲しいかなんて見た目で分かるときのほうが珍しいじゃないか。

 正しく伝わらなかったのがいけなかったのなら、伝えられなかったほうが悪い。

 

「だから、こまったら泣いちゃえばいいんだよ」

「…やだ」

 

 思わず漏れた言葉を双葉は耳聡く拾った。

 

「なんで?」

「母さんだって、大変なこといっぱいあるし、迷惑かけたくない」

 

 嘘。

 それもあるけど、本当は認めたくなかっただけ。双葉の言葉は痛いところを突いていて…あまりにも鋭利だった。自分の努力が余計に母の気苦労を増やしていたのだと思ったら、とても耐えられない話だった。

 ……というのは、今の僕が考える後付けの理由なのかも。

 

 双葉の言う通り、泣けばよかった。

 けれど、心の表層に浮かんだのは、そうか、とそれだけ。そこまで深いことには思い至らなかったのだと思う。

 

 いつもそうだ。

 嫌だったのだと気づいたときには、すでに事態は次に動いていて、まるで追いつけない。

 だから、泣けない。間に合わなくて泣けないから、困っていたのだと母は気づかなかった。やっぱり自分に瑕疵がある。

 

「へーきだよ。おかあさんなら、ぜんぶ大丈夫にしてくれるよ。だって、おかあさんは世界で一番すっごくすごいもん」

「…うん」

 

 無邪気に母を信じる双葉に何も言えなかった。

 人はそんなに絶対的なものではない。母は万能ではない。知ってること。分かりきったこと。双葉にはまだ見えていないか、見ていない。

 友達も先生も、双葉の絶対的な味方じゃない。今の自分では双葉を上手に守りきれない。双葉の世界を唯一守ってくれるのは母だ。母だけだ。言えるものか。

 

 その後も、自分を改めることはできないまま、一連のやり取りを繰り返すうちに何でもなくなるかもしれないと期待しながら、騙し騙し時間を過ごしてしまった。

 やがて、歳を重ねて、あの時のこちらの考えを理解しただろう双葉とは少し距離が空いた。変わらないままの自分に不満を抱いたのか、それとも下に見られていたと不満を持ったのか。

 何にせよ、双葉はこちらには不干渉になり、代わりに母にベッタリになった。ちょうどこの頃、友人関係の躓きが決定的なものになったのも影響しているのかもしれない。

 

 そして、最期の日に辿り着く。

 結局、双葉ほど純粋に母を信じられなかったのがいけなかったのだろう。結末は何度なぞっても変わらない。

 

 

 

 目を開ける。

 少々強引に目を覚ましたので、いつもより早いはずだ。しょぼつく目を瞬きで宥める。周囲はすでに薄ぼんやりと明るくて、すぐに周りの様子が確認できた。

 目と鼻の先にある鏡写しの顔と目が合う。

 

「おはよう」

「おはよう……えっ」

 

 双葉だ。

 いつの間に侵入していたのか、当然のように人の部屋にいた。というか、布団に入り込んでいた。もっと言うと足先を絡めて引っ付いていた。

 何も起きてない、と思う。多分。距離感の概念がふわっとしているのか、その日の機嫌次第で稀にこういう事がある。

 ぱっちり大きな目がにっと細められる。

 

「寝起きドッキリ」

「たぶん意味違うと思う。今日はなんでいるの?」

「なんとなく?」

 

 一人だけ早く起きてしまって暇だったとか、その辺りだろうか。生活時間帯は相変わらずぐちゃぐちゃなままだし。

 さすがにそろそろこういう事はなくしてもらわないと将来的に色々と心配だ。

 

「ね、一葉。撫でれ」

 

 奇妙な活用で言いつつ、双葉はこちらの手を掴んで自分の頭に持っていく。オマケに撫でさせた。たまによくやるやつだ。

 

「毎度思うんだけど、それ意味あるの…?」

「下手くそ」

「ブーメラン定期」

「意味はあるぞ。

 撫でてる感触なしに、撫でられてる感触だけ手に入る」

「僕の手を掴んでいる感触はあるでしょ」

「そこはノーカン」

 

 それなら自分でやるのと一緒じゃないか。

 そのうち双葉の手はやる気をなくしたけど、流れでつやつやの髪を走行に沿って梳いた。

 

「むふふ…しゃーわせ。よきにはからえ」

 

 双葉がいいならいいや。

 撫でられ欲が満たされたら、自分の興味のままにするりと逃げていくだろう。

 髪を梳いても指先が引っかかることはほぼない。一本一本が太くてまっすぐなので、寝っ転がっていてもほとんど絡まらないし、絡まったとて手櫛で整う便利仕様なのだ。

 

「三つ編みにして遊ぶか? ほら、半分やる」

 

 くるっとその場で寝返りを打って、およそ半分髪束を掬った。

 寝転がったままやることでもないけれど、やれと仰せなので編んでみる。髪いじりはたまにしかしないので、三つ編み以外のレパートリーはない。

 

「そうじろうに見せる」

「真っすぐになってないし、髪ゴムもないでしょ」

 

 第一、編んだのは片方だけだし。などと思っていたら、ムクリと起き上がった双葉はもう片方も、とせがんだ。

 やはりというか、寝たままやったせいでちゃんと編めていなくてあちこち膨らんだり曲がったりしている。双葉はクオリティに関しては気にもとめていないようで、僕から三つ編みの先を奪い取った。早くやれオーラが漂ってくる。

 今日は何のスイッチが入っているのか、やたら構ってくる。今まで素っ気なくしていた分の反動だろうか。

 

「それなら、一葉がずっと持ってて」

「ええ…手塞がるって」

 

 せめて一本にしておけば片手で済んだのだけど。

 伸ばし途中に三つ編みをしたときは、1本にするには短くて、自然と三つ編みといえば2本にする流れができてしまっていた。

 

「じゃ輪ゴムでとめとく」

「やめて傷む。あと取るとき痛いでしょ」

「変なの、わたしより気にする。根本に近い方を持ってぐいってやれば全然痛くないぞ」

「だからそれが傷むんだって。せっかく伸ばしたのにもったいない」

「先の方だけだろ、切ればいい」

 

 もう片方も編み上がったので、左右を比較してみる。うん、差がひどい。

 双葉はにこにこ笑顔でこちらに向き直った。充分な長さがあるから平気でこういう事が出来る。三つ編みの捻れを戻していると、先に編んでいた方も僕に押し付けてきた。

 

「わがままだな。うーん…わたしが代わりに一葉の手になってあげる。これで万事解決」

「しないと思う」

 

 自分で持っておくという選択肢は初めからないみたい。内向きでは何もかもやりにくいと思うし。

 

「というか、いろいろ支障が出る」

 

 トイレとかどうする気だ。

 

「……あ、今日も芳澤のところに行くのか?」

 

 そこじゃない。けど、まあいいや。方向は合っている。

 …いや、やっぱり駄目だ。昨夜送られてきたメッセージで今日は来るなと言われている。

 

「今週は家でゆっくりしていてほしいって言われた」

「振られたか? 振られたか?」

「2回言わなくていいから。テンション高いな。先週休んだからだと思うよ」

「あー…一葉はひ弱だからな」

 

 言葉にこそされなかったけれど、忙しい発言の真実も見抜かれていることだろう。要は壊滅的に体力が足りていないだけなんだけど。格好悪い。いつものことだけど。

 特になにに勝ったわけでもないのに、双葉は勝ち誇った顔で距離を詰めてきた。まだ、くっつきたい気分が継続中だったとは。驚いて、少し身を引いたのを双葉は見逃してくれなかった。

 

「むむー…これじゃ一葉が照れて逃げる。…三つ編み、そうじろうに見せても価値がわからないか。じゃ、放していいぞ」

「今なんか佐倉さんにひどいこと言わなかった?」

「前に見せに行ったとき、雑に“良かったな”しか言わなかったぞ。わたしの嬉しいが5%も伝わらなかった」

「それ反応に困ってただけだよ、多分」

 

 正確に気持ちを伝えるのは難しい。双葉が価値を置いているものは他の人と違う傾向にあるし。

 というか、そんなに三つ編み気に入ってたのか。そんな感じに見えなかったけど。

 

 双葉が軽く頭を振ると、編んだ髪は8割方解けた。全くもって気の強い直毛である。一晩かけて作ったウェーブも午前中で元通りになる。

 双葉はこっちを背もたれにして、シートベルトよろしく僕の腕を腹に回した。

 

「ね、いつまで引っ付いてるの?」

「わたしが満足するまで」

「好きだね、それ」

「うん」

 

 左右に揺れるなどしている。しばらく揺りかごみたいにゆらゆらしていたけれど、やがて飽きたのかベッドに身を投げだした。腕が下敷きになったので、バネが跳ね返っている間に片腕を抜こうと試みる。…失敗。

 

「温かくてしあわせで嬉しかろう」

「さすがに暑いよ。夏だし」

「まだギリ4時台だぞ。真夏じゃないからイケる」

 

 被っていた布団も端に追いやられているし、言うほど暑くはないけれど、もう少し別の方向で気にしてほしかった。

 

「二度寝するならしたら?

 全部わたしで上書きされたはずだ」

 

 …気遣いだったか。

 無理やり目を開けたとき、そのまま二度寝すると大抵の場合、夢の続きを見ることになる。

 寝てる間に変なこと言ってたかな。双葉がどのタイミングで来たか分からないけど、引っ付きたい気分でやってきたわけではないのかもしれない。

 

「うん。ありがとう」

「どういたしまして」

「でも目が冴えちゃったし、今はいいや」

「じゃ、お昼寝コースだな。そうじろうはまだ寝てる。起きた音しない」

「朝ごはん作っておこうか」

「いいぞ、手伝う。贈答品の贈答されなかったやつにしよう」

 

 僕の腕をのけて、双葉はベッドからひょいと降りた。

 双葉が言っているのはそれらしい箱に入った粉末スープのことだろう。スーパーで安く売っていたらしい。

 

「…あのさ、見えないものが見える魔法は効果あった?」

「そんな昔のこと、とっくに忘れてると思った」

 

 当然、それは魔法なんかじゃない。

 親しいものと身体的接触があると脳内でセロトニンやオキシトシンが放出される。当然しあわせになるし、セロトニンが充分ある状態ならドーパミンも機能しやすい。意欲も湧く。

 家族や友達…群れのために頑張れるというのは、れっきとした生理現象と言えた。群れで暮らす生き物として上手くできている。

 

 今となっては、僕も双葉も知っていることだ。

 分かってくっついているから、特に困ることがない限り引き剥がしたりはしない。そういう暗黙のルールがあった。

 

「自然科学が女神の神秘のベールをめくるなら、認知訶学がめくるのはメジエドの白布かもしれない」

「えっと…照れ隠し?」

「違う。違うぞ、断じて」

 

 あながち間違いでもなかったようで、双葉は心持ち赤くなった頬を膨らませた。

 

「…わたしに無断で認知世界に行ったな?」

 

 認知訶学というワードが出たと思ったら。

 

「ごめん」

「許す」

 

 許された。

 

「何度も言ってる。

 危ないことしないで。するなら、わたしに分からないようにして」

 

 やっぱり、許されてなさそうだった。

 携帯の電源を切っていても、切ったという事実はわかるし前後の音は拾える。完全に双葉に気づかれずに向こうに行くのは無理で、つまり行くなということ。

 

「言っても無駄なの分かってる。でも言う。何度でも言う。一葉が大事だからだ。

 ……わたしは先に行ってるぞ」

 

 双葉はそれだけ言い残して、先に部屋を出ていった。

 

「…大事」

 

 言わなきゃ分からないこともあるというけれど、言葉にしても伝わらないこともある。

 けれど、はじめから言いもしないのは、あるいは虚偽の申告をするのは、どうしようもなくいけないことだった。

 

 

 

一葉の読みですが、私は一葉という文字列として捉えているので音は問いません。何を当てても正解です。 気になるのであれば決めましょう。投票で多かったのが公式見解ということで、よろしくお願いします

  • カズハ
  • ヒトハ
  • イチヨウ
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