双葉の兄になりたいだけの人生だった   作:水羊羹量産計画

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僕の彼女は人魚姫の衣音が好き。
婚姻色差分が欲しいので初投稿です。




69駅目 集合知

 

7月7日(木)

 

 

 暇だ。

 芳澤さんは眼鏡ちゃんと仲よさげに話しているし、矢嶋はいつもの外回り、手持ちの本も読んでしまった。

 

 最近の眼鏡ちゃんのように、色々なタイプの人と話すことに果敢に挑戦するのもありかもしれないけれど、そこまで頑張れるほどの動機とコミュ力がないので不採用。

 

 そもそも飯塚劇団の表舞台に出る側のメンバーはピエロ役を買って出ている訳で、周囲から一歩引かれている。

 矢嶋は…なんか上手いことやっているみたいだけど、飯塚さんと僕は事務連絡以外では劇団メンバー+芳澤さんくらいしかフラットに関われる相手がいないのだった。

 

 しかし、昼休みの教室はどうにも騒がしくて、別に集中するものがないと落ち着かない。

 

 図書室にでも行こうか。あそこなら静かだ。

 …それか、保健室に行って丸喜先生と話すか。

 

 丸喜先生もよく分からない人だ。

 認知訶学を研究していたらしいけど、本人の話しぶりからも時期的にも、母の件とは直接的には関係がなさそうで、おそらく研究成果を利用されるだけされたのだと思う。

 話していて悪い人ではないと感じるけれど、芳澤さんが今の状況にあることを良しとしているのは、僕からしたら納得のいかないところ。それに、双葉の言っていたこと……丸喜が芳澤さんを現状の複雑な状態にしたのではないかという疑念もある。

 

 向こうの世界に干渉できる手段…ペルソナないしリャナンシーのような存在がいれば、認知世界から人を変えることも。

 

 混んでいたら帰ろうと思っていたけれど、他に誰もいる様子はない。放課後と違って教室を離れるのが面倒な昼休みは、あまり混まないのかもしれない。

 保健室の前で、変に音を拾われないように、ほとんど口の中だけで呟くようにして妖精に協力を求めた。

 

「リャナンシー、いる?」

『ええ。そこのニンゲンのことでしょう。よく見ておくわ』

 

 理解が早くて助かる。

 軽くノックして保健室内に入ると、こちらに気づいた丸喜先生が笑顔を見せた。

 

「やあ、佐倉くん。

 昼に会うのは初めてかな?」

「こんにちは」

 

 丸喜先生は手元のノートパソコンをパタンと閉じた。何かの作業中だっただろうか。

 

「どうぞ、座って」

「失礼します」

 

 いつものようにお菓子だのジュースだのが机の上に並ぶ中、こちらの視線が手元のパソコンに向いているのに気づいた丸喜先生は、指先でディスプレイの背面を叩いた。

 

「ああ、これ? 授業準備だよ。学年の先生からぜひ一緒にやってくれないかとお願いされてね」

「そういうのもやるんですね。てっきり、前に話していた研究を進めているのかと思いました」

 

 特に思ってもいないけれど、こういう聞き方をしてみたのは、もう少し詳しく研究の話を聞けないかと思ってのこと。

 芳澤さんの件だけでなく、母の件からも、認知世界の研究の原型がどういった形のものだったのか知りたいと思っていた。

 

「あはは、さすがに仕事中にはやらないよ。…もしかして、本当に興味があるのかい?」

「はい」

「そうか。何だか不思議な気分だな」

 

 丸喜先生はどこか機嫌良さげだ。

 研究を発表できずじまいだったと言っていたし、今なおその研究をしているし、大学時代にまともに取り合ってもらえなかったのを悔しく思っているのかもしれない。もし、そうなら、聞き方次第で何でも話してくれるのではないだろうか。

 試しに、飯塚さんの教え通り、あなたのことが大好きですという顔をして聞いてみよう。できている自信はないし、鏡も見たくないけど。

 

「人の認知している世界を変える、でしたっけ。発想が面白いなって思ったんです。どうやって思いついたんですか?」

「色々あってね。

 でも、普遍的とは言わないまでも、まったく新しい発想というわけではないよ」

「そうなんですか?」

 

 色々の部分が分かればと思ったのだけど、濁されてしまった。そう簡単には教えてくれないか。

 

「類似の概念として叡智圏という西洋の考え方があるんだ。約百年前の骨董品だし、これも実証されていないけどね。

 名前の通り、人の知性や意識が今のインターネットのように世界を覆う、そんなイメージかな」

「キノコか植物の話みたいですね」

「かなり似ていると思うよ」

 

 世界中に広がり、菌糸や根を介して大きな繋がりを持っているという点では、彼らは人類の先をいっている。もっとも、彼らに叡智と呼べるものは多分ない。

 

「叡智圏の方は、生き物の進化の次の段階として位置づけられていて、人の意識の集合体が世界を主導していく、なんてところまで話が進むんだけどね」

 

 産めよ、増えよ、“智”に満ちよ、といったところか。西洋的かつ訶学的な話だ。飛躍しすぎていて科学未満と謗られても仕方ない。

 とはいえ、まるっきり絵空事として片付けられない。メメントスはその叡智圏のようなものだ。あれを人類の叡智と呼べるかどうかはともかくとして、意識の集合体であるのは間違いない。

 

「そんな規模のもの、国家元首にでもならないと変えられそうにないですね。…いや、地球規模なら国一つでも足りないのか」

「全体を変えようとするならね。

 人ひとりの治療には、その人の認知する世界だけを変えるので充分だよ。それが、やがて世界全体を変えることになる」

「そのひとりの中で終わりませんか?」

 

 人ひとりの経験は後に引き継がれない。経験の遺伝…エピジェネティックスなんて概念もあるけれど、あれはあくまで特定の環境要因にのみ実証されつつあるもので、個人内の情動の変化については何の証明もない。

 

「集団への影響は個に波及するし、個が変われば集団も変わる。すべて相互の関係なんだ。

 特に学校はそういうところじゃないかな。少なくとも僕はそう思って、みんなへの授業を引き受けたつもりだよ」

 

 ……いや、例外を知っている。

 認知世界の存在は、経験を後に引き継ぐことができる。リャナンシーも他のリャナンシーからそうやって知識や経験を会得していた。

 そして、人間にも認知上の自分というものがあるのだから、認知上の自分がメメントスを介して他の認知上の誰かに経験を託す、などということができてしまうかもしれない。

 

「できるなら、世界全部を変えたいんですね」

「自分の研究が世界を良くするなら本望だよ。もっとも、現実的には特に厳しい状況にある人へのアプローチが限度かな」

 

 母も、世界を良くしたいと思って研究に臨んでいたのだろうか。今となっては確かめる方法もない。

 

 何となく、丸喜先生の考え方の傾向がわかってきた気がする。

 カウンセラーの立場についたら、過酷な現実を生きる人々ばかりと話すことになるだろう。となると、丸喜先生が認知する世界における人々の幸福度の平均値は、他の人たちの認識より下がりそうだ。苦痛は少なければ少ないほうがいいと言い出すのも自然な話なのかもしれない。

 

「君は将来研究者になりたいのかい?」

「あまり考えたことがないです」

 

 それ以前の課題ばかり見ていて、先のことまで考えられなかった。薄ぼんやりと、どこかの会社に就職してやっていくものだと思っていたのだ。

 問題が片付いた後は、未来に目を向けるべきなのだろうけれど、やるべきことをやりきったという気持ちになってしまっていて、日々を漫然と生きている気がする。

 

「1年生はまだ決めていない人も多いね。もちろん、大人になってから変えてもいいし、決めないって選択をする人もいる。

 個人的には僕の後輩になってくれたら嬉しいけれど、もっと魅力的なことを見つけてほしい気もするよ」

 

 知らず、進路相談みたいになってしまった。

 

 予鈴が鳴る。

 時間切れだねと丸喜先生は笑って、友達と食べてねといくつかお菓子を渡してきた。七夕パッケージだ。本当にこの時期しか出回らないので珍しい。

 

「ありがとうございます」

「どういたしまして。また遊びにおいで」

 

 先生がバイバイと手を振っていたので、軽く礼だけして扉を閉めた。

 

 

 

「リャナンシーはどう思う?」

『どうかしら』

 

 教室への帰り道、小さく問いかけると、妖精は姿を現しもせずに声だけを届けてきた。

 省エネモードだろうか。どのくらい削減されるのかは分からない。

 

「ハッキリしないね。向こうとの関わりはあるってことでいいの?」

『そうね。彼も高位のものと縁を結んでいるみたい。あなたと私のような関係ではないでしょうけれど』

 

 妖精センサーが察知したことなら正しいだろう。

 

「ペルソナ? それとも神様的な?」

『その問いに意味はないわ。同一視できるほどに精神性が近いか、遠いかだけよ。近づいたり遠ざかったりすれば呼び名も変わるわ』

「つまり分からないと」

『そうとも言うわね』

 

 少なくとも、仲魔と呼べる状態ではないらしい。

 

『力が希薄なのよ。大したことはできないはずよ。

 やれたとして、本人が望むことを増幅するような…純粋なニンゲンでも再現できる範囲に収まっているのではなくて?』

「殴って解決できない分、たちが悪い」

 

 認知世界の存在と関わりはある。しかし、その力を使えているかは怪しい、と。

 丸喜先生は、それがどのような結果になるかは関係なく、より苦痛の少ない方を常に選択するだろう。それが良いと信じているから。

 どういう形であれ自分の思い通りにしようとしてくる大人は、それだけで警戒対象だ。ましてや、弱い立場のものの心をねじ曲げるなんて。

 

『でもあなた、あの男のことは気に入っているようね』

「そう?」

『あなたと妹をしばらく囲っていたニンゲンがああだったら良かったのに、なんて思っているのかしら』

「…極限まで性格が悪いね」

 

 これだから妖精は。

 

 

 

 

7月8日(金)

 

 

「営業ご苦労さま」

「おー」

 

 放課後の自由が奪われた反動か、最近の矢嶋は授業のはざまの休み時間にすら外回りに出るようになっている。

 別のクラスくらいまでならまだ分かるけれど、何かと理由をつけて他学年のフロアにも行っているとかいないとか。10分しかないのによくそんな暇があるものだ。

 

「いつも思ってるんだけど、飽きないね。今それどころじゃなくない?」

「そうだな。数学は何とかなるかもしれなくもないけど、主に古文が死んでる」

「分かってるなら対策しなよ…」

「わかる」

「話通じないなあ」

 

 次の時間の準備すら間に合っていないけれど、別に真面目に受けないのでノーダメージである。無敵か。

 

「いやさ、泳いでいないと死ぬ魚っているじゃん。そんな感じ?」

「好きでやってるんじゃないの?」

「好きでやってるよ」

「噛み合わないなあ」

 

 矢嶋は申し訳程度に筆箱だけ取り出して、机に伸びた。

 せめて、教科書とノートくらい出せばいいのに。出したところで枕になるだけな気もするけれど。

 

「まあ、これに関しては魚に泳ぐ理由を聞くようなもんだから放っといてくれ。お前に迷惑はかけないから。

 あっ、そうだ。次の数Ⅰ、当てられそうだから問2の答え教えて」

「1秒で矛盾しないで」

 

 あと5分くらいある。答えはともかく解き方くらいは教えておこう。

 

 

 

 昼休み、劇団メンバーに招集がかかった。

 

「ということで、いよいよ明日な訳だが、基本は私と矢嶋で回す。人手が足りないから、他メンバーは賑やかしを頼む」

「何すればいい?」

「衣装に歓声を上げてくれ。楽しそうに見ている観客役がほしい」

 

 サクラである。

 つまり矢嶋の穴埋めか。矢嶋の前は抜けた陽キャ2人がやっていたことだけど、人手不足でこちらにお鉢が回ってきた。

 

「了解」

「えっと、が、がんばります…!」

 

 眼鏡ーズに続いて自分も頷いた。

 自分たち3人では矢嶋ほどの集客力を発揮できるか分からないけれど、面白ければ陽キャもノッてくれるだろうし、やるだけやろう。

 

「それはそれとして、我々には重大な課題がある」

 

 飯塚さんはピンと指を立てた。

 嫌な予感を察知したらしい矢嶋が抜き足差し足で逃亡しようとして、あえなく飯塚さんに捕まった。

 

「期末テスト」

「その通りだ。子役希望くん、今日は勉強会をやるかね」

「助けて樋口えもん〜」

 

 どっちの助けてだろう。

 今回は勉強会から逃れたい方だということにしてみよう。

 

「開催します。放課後、教室にて。参加したい人は来てね。できれば矢嶋を助けてあげて」

「ぎゃー」

 

 正解だった。

 この2人のことだから、どちらのパターンにも対応してくれそうだけど。

 

 

 

「勉強会もとい矢嶋を救う会やるよ」

「こうなると思った…」

 

 放課後、しれっと帰ろうとしていた矢嶋を引き留めて、雑に開始宣言をした。集まったメンバーは昼と同じ顔ぶれだ。

 

「えー、では、本日の講師の皆々様をご紹介。まずは数学担当、樋口」

「何この流れ」

 

 よく分からないまま紹介された。

 逃げられないと分かれば、せめて楽しもうとするのが矢嶋だ。楽しいからやっているのだろう。あと、誰に何を聞けばいいのか分かっていい。

 

「次、国語講師2名」

「やあ、よろしく頼むよ」

「あ、あの…講師だなんて…その……」

 

 飯塚さんと眼鏡ちゃんだ。主に古文を担当するらしい。

 

「で、英語アドバイザーは意外なことに英語が得意であることが判明した眼鏡くん」

「知らなかったな。得意なのかい?」

 

 飯塚さんに問われた眼鏡くんは、首を横に振る。

 

「普通」

「じゃなんでアドバイザー…?」

「洋ゲーにハマって、外人ニキとやり取りするくらいはできるようになった。ので、綺麗な英語はできない。

 …正直、飯塚さんがやったほうがいいと思う」

「それだと文系科目はぜーんぶ飯塚女史の担当になるだろ。圧がやばいんだよ、薄めてくれ」

「矢嶋、あとで校舎裏な」

 

 役職名は統一されないまま、それぞれ自習を進めることになった。矢嶋だけは特別待遇で、常に担当か講師かアドバイザーがついている。

 今は古文のターンなので、こっちはこっちで進めていることにした。

 

「あれ、こっちに来るんだ。矢嶋はいいの?」

「眼鏡ちゃんに任せたよ。私も嫌われたいわけではないからね」

「ふーん」

 

 眼鏡ちゃんは矢嶋と眼鏡くん相手に何やら解説をしているようだ。

 引っ込み思案な眼鏡ちゃんが仲間とはいえ複数人に堂々とものを教えているのを見て、自分の出る幕ではないと判断したとかその辺りだろう。

 

「君は…なんだ、英語をやっているのか。古文は大丈夫そうかい?」

「出そうなところは一通り覚えたから多分大丈夫」

「確かに覚えれば、点は取れるだろうがね 、美しい短歌を前にして情緒というものはないのかね」

「ないよ。趣味でやってるわけでもなし」

「これだから理系は」

「特大主語反対」

 

 今授業で習っている部分には興味が抱けないだけで、将来的に何かの拍子でハマるかもしれないし。

 飯塚さんは数学の問題集を進めているけれど、別に助けを必要とはしていなさそうだ。こちらはそれぞれの問題を解いていればいいか。

 

「…というのが、この場面の背景ですね。古文は話の流れが分かっていると、その、…あちこち省略されても解きやすい、です。

 まあ、テストでは…えっと、今まで何時間もかけてやってきているところなので、あんまり意味がないんですが…あはは…」

「いや、助かる。期末テストのためだけに勉強してるわけじゃないから」

「そこまで説明されたら覚えられそう。マジ感謝」

「…あ、ありがとうございます」

 

 しばらく経って、向こうは一段落したみたいだ。そろそろ出番だろう。

 特に数学には不自由していない眼鏡くんが離脱して、飯塚さんと眼鏡ちゃんがこちらに参加する。

 

「分からないところを見つけたら教えて。必要そうなら解説聞けばいいし、要らなければ自習で」

「はい、せんせー」

 

 さっそく矢嶋の手が上がる。

 ビックバンバーガーでかなりの部分はおさえたと思ったけれど。

 

「これなんだっけ?」

「それ前にやったし、今日もやった」

「やったことは覚えてるけど、中身は綺麗さっぱり記憶に残らなかった」

 

 あのとき一緒にやっていた芳澤さんはしっかりマスターしたようで今日の授業でも危なげなく解いていたというのに。

 

「今回やる気のなさに拍車がかかってない?」

「いや、なんかお前相手だしいいかなって」

「親愛度調整ミスったな」

「仲良きことは美しきかな? で、どこ見ればわかる?」

「親しき仲にも礼儀あり。その次のページの下部分ね」

「あー、角折ってたわ」

 

 なら自分で見てから人に聞いてくれ。

 

「気が散るからイチャつかないでもらえるかね」

「イチャ…え、えっと…それはその…」

 

 ふざけないと死ぬ病に付き合った結果、余計な被害が広がっている気がする。置いてけぼりにされた飯塚さんが眼鏡ちゃんで遊び始めてしまった。難しい。

 まあ、今回は矢嶋に赤点ラインを越えさせることだけ考えよう。

 

 

 

一葉の読みですが、私は一葉という文字列として捉えているので音は問いません。何を当てても正解です。 気になるのであれば決めましょう。投票で多かったのが公式見解ということで、よろしくお願いします

  • カズハ
  • ヒトハ
  • イチヨウ
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