♢アンナ・シャルール
幸せが何かを知りたかった。
幸せというものが欲しかった。
だから、気がついたら、火をつけていた。
⋯⋯今も、本当にそう?
アンナが家に火を点けるようになったきっかけは、今でも鮮明に覚えている。寒さで凍える雪の日、家の外まで漏れ聞こえる笑い声。その声があまりにも楽し気で、幸せそうで。こっそり忍び込んでのぞき込んだ。そこには、アンナが知らない、幸せな家族の姿があった。テーブルの上に置かれたごちそうに、ろうそくがいっぱいついたケーキ。家族で一緒にバースデーソングを歌って、子供がろうそくの火を吹き消す。しかし、アンナの心に宿った嫉妬の炎は消えなかった。
気が付けば、辺りは炎で包まれていた。サイレンの音と、炎が爆ぜる音が混ざって、まるで拍手をしているようだった。先ほど聞いたばかりのバースデーソングを頭の中で流しながらくるくると炎の中で踊ってみたら、何だかとても楽しい気持ちになれた。
何度も何度も、誕生日の家に忍び込んで、マッチで火を点ける。そのうち、自然とバースデーソングを歌えるようになっていた。普通におしゃべりすることは出来ないのに、なんでこれだけ歌えるのかは分からない。ただ、歌いながら踊るともっと楽しい気持ちになれた。
ハッピーバースデー、素敵な響き。親に捨てられたアンナには、そんなものはない。だから、たくさんの誕生日をおすそ分けして貰って、一緒にお祝いすればきっと、自分も幸せになれる。そう思って繰り返し繰り返し火を点けてきたのに、心はどんどん寒くなっていく気がする。温まりたくて火を点ける。また楽しくなる。
そんなある日、アンナは出会った。炎よりも優しく、だけどもっと温かい存在に。
ジェントルマン光雄とサブリミナル越子は、いつものように家に火を放とうとしたアンナをつかまえて、何故かそのまま自分たちの家へとアンナを連れ帰った。そこからの日々は、アンナにとって初めての連続だった。
誰かと一緒の布団で寝るのは初めてだった。誰かと一緒に朝ごはんを食べるのは初めてだった。温かいご飯を食べたのは初めてだった。
誰かと一緒に遊ぶのは初めてだった。魔法少女の姿で遊ぶのも初めてだった。初めて魚を釣った。初めて褒められた。初めて手を繋いでもらった。初めて誰かから勉強を教わった。
そんな初めてのことの連続は、アンナにとってはとても新鮮で、驚くこともいっぱいあったけれど、とても楽しかった。誰かの家に火を点けた時の何倍も、楽しいと心の底から思うことが出来た。アンナは、ジェントルマン光雄とサブリミナル越子のことが、大好きになっていた。
だからこそ、アンナは誕生日に火を点けることにした。大好きな2人の特別な日。その日に、アンナが関われないことが嫌だった。特別な日を2人でお祝いできることが羨ましかった。これは、アンナからのお祝いのろうそくの火。大好きな2人へ送るバースデーソングは、いつもよりも楽しく歌えるはずだ。
それなのに、どうしてか、あまり楽しくない。燃えていく家を見ていると、心が痛む。あそこは、3人で川の字になって眠った寝室。あそこは、一緒にご飯を食べたリビング。あそこは、カルタで遊んだ和室。みんなみんな、炎の中に消えていく。
誰かの足音が聞こえた。ハッピーバースデーを口ずさみながらそちらを向くと、息を切らした様子のジェントルマン光雄とサブリミナル越子が居た。2人は、この光景を見てどう思っているのだろうか。
「⋯⋯勝手に燃えるのはマナー違反! 消化するよ!!」
ジェントルマン光雄がそう声に出して叫ぶと、一瞬で燃え盛る炎が消えた。まさか、燃えている家に対して魔法を使ったのだろうか。凄いと思わず感心するアンナの元へ、サブリミナル越子が猛スピードで駆けてくる。咄嗟にマッチを取り出そうとしたアンナの脳内に、一瞬何かがよぎる。その何かは、マッチが勝手に爆発する光景だった。反射的にマッチを落としてしまったアンナの腕を、サブリミナル越子は素早く拘束した。その表情は、酷く強張っている。
ああ、自分はこれから、2人に何をされるのだろうか。殴られるのかな。痛いのは嫌だな。悪い人がいっぱい居るところに連れていかれるのかな。たくさん人がいたらいいけれど、怖い人がいたら嫌だな。でも、そんなことよりもっと恐ろしいのは、2人に嫌われてしまうことだ。ああ、そうだ。今気づいた。それだけは、本当に嫌だ。恐怖で、身体が震える。先ほどまで炎の中にいたのに、心が、身体が、酷く寒い。
そんなアンナの身体を、サブリミナル越子はぎゅっと力強く抱きしめた。サブリミナル越子の体温がアンナに伝わり、震えていた身体が自然と止まる。でも、何故自分は今抱きしめられているのだろう。その理由が知りたくてサブリミナル越子の顔を見ると、サブリミナル越子は目に大粒の涙を浮かべていた。
「よかった⋯⋯! アンナが無事で、本当によかった!! 俺たちはてっきり、アンナが留守の間に誰かが火を点けたんじゃないかと心配して⋯⋯!!」
首を振る。火を点けたのはアンナだ。真実を伝えようにも、サブリミナル越子に抱きしめられているのでメモ帳を持つことが出来ない。しかし、この状況を見れば、アンナが火を点けたということは分かるはずだ。ますます意味が分からない。ただただ、サブリミナル越子の体温だけが伝わってくる。
足音が聞こえ、顔を上げる。そこには、いつの間にか傍まで来ていたジェントルマン光雄が居た。ジェントルマン光雄はよっこらしょと地面に腰を落とし、アンナをまっすぐに見つめる。いつもと変わらない、ここ数日で見慣れた穏やかな表情だった。
「これはきっと、アンナがやったんだろ? ごめんな、アンナの気持ちを分かってやれなくて。もっといっぱいおしゃべりしてたら、こんな危険なことをさせずに済んだのにな」
首を振る。どうしてジェントルマン光雄が謝るのか。全部、アンナが勝手にやったことだ。今までのアンナならきっと、この行為を悪いとは思わなかった。でも、たくさんのことを教えてもらった今なら分かる。悪いのはアンナだ。だから、謝るべきなのはアンナなのだ。でも、言葉は出てこない。こんな時でも、アンナの口から出るのは、ハッピーバースデーの歌だけだ。それが、今はひどくもどかしい。
「家が燃えたことは、アンナが気にすることじゃない。ここに引っ越してきたのも最近だし、それに、誰も死んではない。知ってるかい、アンナ。お前が放火をした家の家族、皆怪我はしたけれど死んではないんだ。アンナ、お前はまだ、誰も殺してない」
ジェントルマン光雄は、右手にクリアファイルと大きな袋を持っていた。そのクリアファイルの中から出てきたのは、アンナもどこか見覚えのある顔をした写真たち。そして、アンナが育ってきた、児童養護施設の名前が書かれた書類だ。
「今日な、私と婆さんの2人で、被害者の方々に謝ってきたよ。うちの子が迷惑かけてすいませんって。それで許されるとは思っていないけれど、やっぱりこれから家族になるんだ。アンナの罪は、私たちも背負わないとな」
児童養護施設の書類には、アンナの本名が書かれていた。そして、引き取り希望の欄には、光雄と越子の名前が書かれている。
「本来、こんなに早く決まる話ではないんだけどね。そこはほら、私と婆さんの力でちょちょいっと」
「へへ、俺の魔法でずっと前から手続きを進めていたように思いこませたのさ。どうしても、今日に間に合わせたかったからな」
2人の言葉が、信じられない。アンナを置いて出かけていたのは、アンナを本当の家族に迎え入れるため? 嘘だ、あり得ない。こんな幸せ、あっていいはずがない。だって、アンナは産まれた時からずっと、ずっと⋯⋯。
「アンナはきっと、誕生日を覚えていないだろう? だから、いっそ私たちと同じ日にしようと思ったんだ」
「勝手に決めてすまねぇな! でも、一緒にお祝いした方が、幸せも倍増しってもんだろ?」
「「アンナ、お誕生日、おめでとう」」
ジェントルマン光雄は袋から大きなケーキを取り出し、アンナの目の前に置く。ケーキの上に置かれたクッキーには、チョコペンで「アンナちゃん、誕生日おめでとう」と書かれていた。ジェントルマン光雄の隣に移動していたサブリミナル越子が、指をパチンと弾いて、摩擦でろうそくに火を点ける。たった一本、ケーキの上に乗った小さな灯。それは、今までアンナが見てきたどんな火よりも、温かく、そして眩しく見えた。
「ハッピーバースデー、ディア、アンナ⋯⋯♪」
初めて、自分の名前を声に出せた。ふーっとろうそくの火を吹き消す。ずっと窓の外から見ていた景色と、同じように。その瞬間、胸の奥の方で固まっていた何かが溶け出すような感覚に襲われた。その溶け出してきた何かは、涙となって、そして言葉となって、アンナから飛び出していく。
「じぃじ、ばぁば!! ごめん、なさい!! ごめんなさい!!」
「謝らなくていいさ。それよりもほら、ケーキを食べよう」
「ようやくばぁばって呼んでくれたねぇ。はは、随分可愛い声してるじゃないか」
「じぃじ、ばぁば! だいすき!! わたしは、アンナ!! わたしは、じぃじとばぁばの、かぞく!!」
「そうさ。アンナは私たちの家族だ」
「また、来年もこうして、一緒にお祝いしよう。次は、もっと大きいケーキを買ってやるからね」
半ば燃えてしまった家屋の中で、アンナは大好きな2人と、初めての誕生日パーティを楽しんだ。そして、いっぱいお話しした。自分のこれまでのこと。自分の魔法のこと。これからやりたいこと。たくさん、たくさん、のどが枯れるまで話した。
キッチンはすっかり燃えてなくなってしまったけれど、調理器具は辛うじて残っていた。最低限屋根だけ直して、一緒にスーパーに買い物に行き、そして光雄と一緒にお昼ご飯を作った。お昼ご飯を食べたあとは、3人でカルタをした。読み手はアンナが担当した。2人が、自分の読む声に合わせて札を取る様子が、見ていてとても面白かった。3人で声を上げて笑った。気づけば、あっという間に夜になっていた。
「じぃじ、ばぁば、おやすみ」
「ああ、お休み、灯」
「おやすみ。いい夢がみられるといいね」
ボロボロになった寝室で、3人で寝袋にくるまり、川の字になって寝る。アンナが燃やしたせいで空いてしまった天井からは、綺麗な星空が見えた。星がこんなに綺麗と思えたのは、産まれて初めてのことだった。大好きな2人のぬくもりを感じながら、アンナは安らかに眠りについた。
──ビンポーン
壊れかけのインターホンの音が、半壊した家に鳴り響く。その音にすら気づかないほど、アンナはすやすやと熟睡していたのだった。